先日遠くから友人が泊まりがけで遊びに来てくれました。
泊まりに来たその日と、次の日の夕方まで、の短い間でしたが女二人で東京巡りをするのがここ数年の習いで、とても楽しいひと時です。
以前彼女とは数人で旅行に行った際、ほとんど初対面だったのですが話したりする中でとても仲良くなりました。私よりも何歳か年上なのですがとても自由奔放で(笑)でも人生の先輩として、また二人の共通項の先輩として私の目標でありお手本です。
自分一人で色々考えることも大切ですが、時には一緒に語り合える友人と膝を付き合わせて意見を交わすことも大いに勉強になります。
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先日母とメールで話していて、考える、ということについて発見がありました。
考えることは悪いことなのか。
悩むことは悪いことなのか。
迷ったり考える、ということは自分の置かれている状況に対して「NO」を提言することだから、良しとしない人がいると思います。
例えばとある会社の方針に「賛成してくれるよね」と言われた時、「うーん・・・・」と考え始める人がいたら、上司は怒りますよね。上からの命令なんだから考えるな!と。考えたってこの方針は変わらないんだ!なんで考えるんだ。と言うでしょう。
これが国だって同じこと。
躊躇する、ということをある意味「否定」と捉える人が多々いるということです。
でも、多分何も考えないでいることのほうが容易い。頭の悪い人は何も考えません。動物は考えません。
世界の偉人と呼ばれる人たちも同じで、「本当にこの世の中はこのままでいいのだろうか」と考えたからこそ行動に移し、大きな運動となったのです。マザー・テレサしかりマハトマ・ガンジーしかり、キング牧師しかり。
あるいは日常生活において「今の世の中本当にこれで良いのか」なんて子供が喋ったらあなたは馬鹿だと罵りますか?そんなことは政治家が考えていればいいのであって、お前は勉強でもしてろ、と諭しますか?私たちはその日の暮らしを精一杯やっていれば良いのだと。
確かにそうなのかもしれませんが、私は違うと思います。
どんな状況の人でも、どんなに好景気の会社だろうと、性格の良い人たちの集まりだろうと、改善点はあるものです。問題点と言ってもいいと思います。そこを放っておけばいつかは腐るのです。物でも物じゃなくても。
「これじゃいけない」と初めに思った人、それを行動に移した人は必ず最初叩かれますし、悪口も言われ存在自体を否定されます。何故か。大多数の人たちの考えに沿って動かない少数のものを排除しようとするのは人間の性だからです。自分たちの方が多数意見にも関わらず「本当にそれで良いの?」と言われた瞬間怖くなるからです。否定されていると思うからです。それは、自分たちのしていることに100%自信が無いからです。だれかにお墨付きをもらいたいから。
別に本当に「良い」と思っているなら、堂々としていればいいのに「考える人」を壊しにかかる。中高年の頭の固い人々に多いですね。(まれに若い人にもいますが)
その組織の中で「考えて」もしかたない、と思えば離脱したって私は構わないと思います。その組織そのものを変えたいなら大きな運動になるよう工夫することもありますが、組織の根本が腐っているのなら救いようがありません。あるいは外から刺激を与えるしかない。
私は最近ジャーナリストの池上彰さんの本をよく読みますが、まず間違いなく池上さんは外側から国や政治家に対して書籍で、あるいは取材して、質問をすることによって刺激を与えようとして戦っているように思います。
内側から政治家として立身して政治を変えようとする人もいます。でもそうやって外側から辛辣な意見を投げかけて戦う、という選択もあるのだなとすごく勉強になります。
泊まりに来たその日と、次の日の夕方まで、の短い間でしたが女二人で東京巡りをするのがここ数年の習いで、とても楽しいひと時です。
以前彼女とは数人で旅行に行った際、ほとんど初対面だったのですが話したりする中でとても仲良くなりました。私よりも何歳か年上なのですがとても自由奔放で(笑)でも人生の先輩として、また二人の共通項の先輩として私の目標でありお手本です。
自分一人で色々考えることも大切ですが、時には一緒に語り合える友人と膝を付き合わせて意見を交わすことも大いに勉強になります。
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先日母とメールで話していて、考える、ということについて発見がありました。
考えることは悪いことなのか。
悩むことは悪いことなのか。
迷ったり考える、ということは自分の置かれている状況に対して「NO」を提言することだから、良しとしない人がいると思います。
例えばとある会社の方針に「賛成してくれるよね」と言われた時、「うーん・・・・」と考え始める人がいたら、上司は怒りますよね。上からの命令なんだから考えるな!と。考えたってこの方針は変わらないんだ!なんで考えるんだ。と言うでしょう。
これが国だって同じこと。
躊躇する、ということをある意味「否定」と捉える人が多々いるということです。
でも、多分何も考えないでいることのほうが容易い。頭の悪い人は何も考えません。動物は考えません。
世界の偉人と呼ばれる人たちも同じで、「本当にこの世の中はこのままでいいのだろうか」と考えたからこそ行動に移し、大きな運動となったのです。マザー・テレサしかりマハトマ・ガンジーしかり、キング牧師しかり。
あるいは日常生活において「今の世の中本当にこれで良いのか」なんて子供が喋ったらあなたは馬鹿だと罵りますか?そんなことは政治家が考えていればいいのであって、お前は勉強でもしてろ、と諭しますか?私たちはその日の暮らしを精一杯やっていれば良いのだと。
確かにそうなのかもしれませんが、私は違うと思います。
どんな状況の人でも、どんなに好景気の会社だろうと、性格の良い人たちの集まりだろうと、改善点はあるものです。問題点と言ってもいいと思います。そこを放っておけばいつかは腐るのです。物でも物じゃなくても。
「これじゃいけない」と初めに思った人、それを行動に移した人は必ず最初叩かれますし、悪口も言われ存在自体を否定されます。何故か。大多数の人たちの考えに沿って動かない少数のものを排除しようとするのは人間の性だからです。自分たちの方が多数意見にも関わらず「本当にそれで良いの?」と言われた瞬間怖くなるからです。否定されていると思うからです。それは、自分たちのしていることに100%自信が無いからです。だれかにお墨付きをもらいたいから。
別に本当に「良い」と思っているなら、堂々としていればいいのに「考える人」を壊しにかかる。中高年の頭の固い人々に多いですね。(まれに若い人にもいますが)
その組織の中で「考えて」もしかたない、と思えば離脱したって私は構わないと思います。その組織そのものを変えたいなら大きな運動になるよう工夫することもありますが、組織の根本が腐っているのなら救いようがありません。あるいは外から刺激を与えるしかない。
私は最近ジャーナリストの池上彰さんの本をよく読みますが、まず間違いなく池上さんは外側から国や政治家に対して書籍で、あるいは取材して、質問をすることによって刺激を与えようとして戦っているように思います。
内側から政治家として立身して政治を変えようとする人もいます。でもそうやって外側から辛辣な意見を投げかけて戦う、という選択もあるのだなとすごく勉強になります。