今回は「本郷台地」
高低の土地にこだわりの有るタモリさん
今回とってもイキイキ^^
これはも~ドンぴったり「JIN-仁-」の世界ですよ(笑)
仁の勤めている大学病院の場所が 地図でいう≪順天堂大学病院≫で
そして居候している橘家の場所が
≪湯島二丁目裏通り樹木谷≫って橘恭太郎@小出恵介君が1話でいっていまして
なんだか今回の「ブラタモリ」が一番ニアミスな感じでですよ(笑)
番組はまず 東京の航空写真から解説
よく関東平野というが かなりでこぼこしている地形
で、本郷台地は アップダウンが東京随一といわれている。
≪坂≫が台地の際に集中している。
タモリさんはこういった≪台地のキワ≫を上っていきました。
≪地形の物語≫が見えてくる。
出発点は 階段
台地の端っこが一番面白いといっていたタモリさん^^
その階段は38段 学問の神様 ≪湯島天満宮(湯島天神)≫
上野のデパートの渡り廊下と同じ高さのようです。
タモリさん流 台地の窪みの谷の事を≪渓谷≫っていうのだそうです(笑)
≪湯島天神≫を上った反対側を見ると
平らな土地が広がっている。
「キワを歩くのがいい 色っぽい^^」とご満悦。 「キワモノ」(笑)
次に行きましたのは
≪妻恋坂≫
≪妻恋坂≫の途中に≪立爪坂≫っていう坂道が交わっている。
そこで一行は その坂であるかどうか≪坂≫入り口のお宅へ聞くのでした。
「立爪坂です^^江戸時代からの^^
相当急だったので爪を立てなければのぼれないような坂という意味です~」
と、そのお宅のご婦人が解説^^
見た感じ普通の階段の坂道ですが 古くからいわれのある坂道だった。
そこでタモリさん 爪を立ててのぼるパフォーマンス(笑)
湯島三丁目の坂のお話でした^^
≪台地のキワ≫は大昔の人々も好んで住んでいた場所だった。
番組は 本郷台地あたりの地形図に
≪縄文遺跡≫≪弥生遺跡≫のあった場所を紹介
見つかった遺跡は≪台地のキワ≫にあった^^
≪弥生式土器≫の壷 褐色で薄い特徴をもつ 明治時代の大発見で有名
そして≪弥生式土器≫が見つかった場所 ≪本郷台地≫の「弥生二丁目」辺りだそうで
そこへ向かう一行^^
『弥生式土器発掘ゆかりの地』という石碑の前で
詳しい先生が登場 石川日出志(明治大教授)さん 考古学の専門家
≪弥生式土器≫が見つかったのは明治17年 125年前
考古学は始まったばかりで正確な記録がなく
今となっては場所が分からなく ここら辺りだろうという石碑だったのです^^;
先生は 弥生式土器発見がここではないかという候補地へ案内
≪東京大学 浅野キャンパス内≫
東大の中でも外れの方へと案内されて一行は ひっそりと建っている石碑へつき
『弥生二丁目遺跡』の前に^^
そしてこの場所も≪台地のキワ≫で ≪弥生人たちの村≫があったと考えられている。
集落に何人ぐらい住んでいるのかという久保田祐佳アナウンサーの質問に
先生は
家が20軒ぐらい 人口が100人前後の村が台地のキワに並んでいたと推定されるとおっしゃり
数キロ間隔に 点々と集落があり 田園風景がこの周りにあったようです。
そして東大の端にある石碑『弥生二丁目遺跡』がちょうど崖のキワで
すぐ側は 急にストーンと土地が落ちている所
一行はそこの場所がみえる崖の下側へと移動
崖上の遺跡を見上げれみることに^^
ほんとうに急な崖です。
太古の遺跡が見つかる台地のキワには 住みやすい条件がととのっていた。
縄文時代には 崖下の近くまで海が来ていた。
弥生時代には 海が少し引いていたので そういった場所は田んぼに非常にいい場所だった。
なので弥生人は こんないいところは逃さない ≪一等地≫だった。
タモリさん曰く 「弥生時代の田園調布」だそうです(笑)
それから番組はCGで 弥生二丁目あたりの弥生人の暮らしぶりを映しだしました^^
粘土の台地で 水によって削られる様子を タモリさんがみせてくれて
だから ≪本郷台地≫と≪上野台地≫の間には 川があって
二つに台地が創られたのではないかということに。
今はその間に≪川≫はないですが 名残があるのではということで一行は探索
根津一丁目から上野方向(谷中)へ歩くと
道は 下がって上がっていた。
そこが 川が流れていたんではないかというタモリさん^^
≪文京区≫≪台東区≫の境に到着
「だいたい 区の境は 川か旧江戸の道」タモリさん
川だったと思われる側のお店屋さんに聞く
やはりその曲がりくねった道が 元 川だったようです。
もと川は 昭和のはじめに ≪暗渠(あんきょ)(フタをした水路)≫になったらしい。
もと川の名は ≪藍染川(あいそめがわ)≫
今ある道の半分の川幅
ここで次なる方登場 森まゆみ(作家)地域の事を丁寧に掘り起こしている
森さん曰く
大正のの震災前までは 藍染川はあったようだ。そのあと暗渠になった。
藍染川はしょっちゅう大雨がくると溢れて困っていた。
そういう陳情がありで暗渠になったらしい~
溢れた藍染川付近の写真とか紹介
それから一行は 道沿いの店 ≪創業明治二十八年 丁子屋 染物・洗張≫にいく
店主の話
「創業当時 この辺り空き地だった。空き地なのになんでこんな裏通りに店を出したかと親父に聞くと 川が欲しかったからといわれた。」
ということは 何軒もあったのか?との問いに あったらしいということ。
番組はその辺りの太古から現在へとCGをみせてくれました。
いつものタモリさんこだわりの写真紹介
≪+≫と道路にかいてあるちいさい道の十字路の写真
そこから ≪T字路≫について
≪T字路≫は正確には≪丁字路≫なのだそうです。
道路交通法上の表現で≪T字路≫と表記
次に一行は 本郷台地の真ん中へ かつて≪中山道≫が通っていた場所
≪国道17号線≫の 本郷三丁目交差点
江戸時代は ここが≪市街地≫と≪郊外≫の境目で 町並みはがらっと変わっていた様。
じゃ~ここ ≪中山道≫(国道17号線)は 「JINー仁ー」1話で 咲@綾瀬はるかが
仁に頼まれ手術道具をもって行った時
大名行列に出くわし 駕篭から降りて 裾捲り上げながら「産婆です!」といって
大名行列の中を突っ走ったその路だったんだ~~~^^
きっと! 妄想が~~~~(笑)
そしてこの路の交差点あたりは ≪見送り坂≫≪見返り坂≫の境目
≪見送り坂≫≪見返り坂≫の間には川が流れていて ≪別れの橋≫という橋があったらしい。
そしてその地点に石碑があり。
「ちょっとした高低差は見逃すな!」ということで
その川だっただろうの位置に路地へと^^
大谷石の石積のところへと到着したのでした^^
≪大谷石≫は湖岸の石積みに使われていたそうで
そこから≪菊坂≫へといく。
≪菊坂≫は昔 川だった。
今は人間の背丈ほどある下水管がはいっている。
昔の明治の人の話で
その川には 3つの太鼓橋があったとか。
地形図をみると 台地に深い切れ込みがありそこが川で 今の≪菊坂≫
タモリさんたちは その菊坂をくだり
途中にあった まるや肉店さんで≪菊坂コロッケ≫を食す^^
その店先には 東大あたり本郷の昔の著名人マップ『菊坂界隈文人』がおいてあった^^200円
その文人マップを作った福満喜弘(NPO法人理事)さん
文人たちは62名ほど その辺りに住んでいたらしい
そして≪炭団坂(たどんざか)≫へ
坂名の由来は
一説にはかつては坂がとても急で転がり落ちると炭団のように真っ黒になってしまうことから。
炭団坂をのぼり台地から眺める風景を ≪菊坂渓谷≫と命名したタモリさん^^
最後に到着した場所 ≪聖橋≫^^
一番の≪崖≫ ≪大崖≫
≪聖橋≫の上から 神田川をみる風景は~~~~
「JIN-仁-」のオープニングで見る風景^^
レンガ色のタイルの東京医科歯科大学の建物 その奥に 順天堂大学
≪聖橋≫を≪御茶ノ水橋≫からみると
≪神田川≫は深い谷になっている。
地形図を見ていると 不自然な 神田川の流れに気がつく。
≪本郷台地≫の先端部分を真横に突っ切っている≪神田川≫
不自然に折れ曲がっている≪神田川≫
≪神田川≫が本来通るはずがないところを流れている理由とは?
人間が掘った! ≪本郷台地≫の所を!
この「JIN」でよく見るこの場所は ≪人口谷≫だった~~~!
江戸の初期に掘られた。
江戸時代にこの大工事はなぜおこなわれたか?
岡本哲志(都市史家)さん登場
江戸の初め 徳川幕府が新しい都市を造るにあたってこの工事は大切なステップだた。
元の神田川は 丸の内の方に流れていた。
丸の内を市街地化するために治水対策が必要だった。
それで川の流れてるルートを完全に変えた方がいいということ
丸の内を洪水から守るという意味で 本郷台地を削ってでも流れを変える。
重要な武家地開発のため徳川幕府がやってのけた壮大なインフラ整備だった。
神田川の深い谷 江戸のエネルギーを物語る巨大な功績
≪本郷台地≫を舞台にした川がおりなす何万年もの物語
今回も 面白かったですわ~~~
まさに「JIN-仁-」の場所だったのです~~~(笑)
仁@大沢たかおが 谷のうえの草むらで江戸の町を眺める様子が 毎回でてきますが
CGで町並みを映し出して~~~
そのいつも立っていた草原の下に流れる神田川が
人の力で造られたものだたとは~~
そんな場所に いつも仁@大沢たかおさんいるのね っと思うとまたまたワクワク^^
来週は 「品川」です^^
第1回は 「早稲田」
第2回は 「上野」
第3回は 「二子玉川」
第4回は 「銀座」
第5回は 「三田・麻布」
第6回は 「秋葉原」
第7回は 「日本橋」
第8回は 「本郷」
「ブラタモリ」HP
タモリ
久保田祐佳アナウンサー
石川日出志(明治大教授)
森まゆみ(作家)
福満喜弘(NPO法人理事)
岡本哲志(都市史家)
過去記事
「ブラタモリ・日本橋」
「ブラタモリ・秋葉原」
高低の土地にこだわりの有るタモリさん
今回とってもイキイキ^^
これはも~ドンぴったり「JIN-仁-」の世界ですよ(笑)
仁の勤めている大学病院の場所が 地図でいう≪順天堂大学病院≫で
そして居候している橘家の場所が
≪湯島二丁目裏通り樹木谷≫って橘恭太郎@小出恵介君が1話でいっていまして
なんだか今回の「ブラタモリ」が一番ニアミスな感じでですよ(笑)
番組はまず 東京の航空写真から解説
よく関東平野というが かなりでこぼこしている地形
で、本郷台地は アップダウンが東京随一といわれている。
≪坂≫が台地の際に集中している。
タモリさんはこういった≪台地のキワ≫を上っていきました。
≪地形の物語≫が見えてくる。
出発点は 階段
台地の端っこが一番面白いといっていたタモリさん^^
その階段は38段 学問の神様 ≪湯島天満宮(湯島天神)≫
上野のデパートの渡り廊下と同じ高さのようです。
タモリさん流 台地の窪みの谷の事を≪渓谷≫っていうのだそうです(笑)
≪湯島天神≫を上った反対側を見ると
平らな土地が広がっている。
「キワを歩くのがいい 色っぽい^^」とご満悦。 「キワモノ」(笑)
次に行きましたのは
≪妻恋坂≫
≪妻恋坂≫の途中に≪立爪坂≫っていう坂道が交わっている。
そこで一行は その坂であるかどうか≪坂≫入り口のお宅へ聞くのでした。
「立爪坂です^^江戸時代からの^^
相当急だったので爪を立てなければのぼれないような坂という意味です~」
と、そのお宅のご婦人が解説^^
見た感じ普通の階段の坂道ですが 古くからいわれのある坂道だった。
そこでタモリさん 爪を立ててのぼるパフォーマンス(笑)
湯島三丁目の坂のお話でした^^
≪台地のキワ≫は大昔の人々も好んで住んでいた場所だった。
番組は 本郷台地あたりの地形図に
≪縄文遺跡≫≪弥生遺跡≫のあった場所を紹介
見つかった遺跡は≪台地のキワ≫にあった^^
≪弥生式土器≫の壷 褐色で薄い特徴をもつ 明治時代の大発見で有名
そして≪弥生式土器≫が見つかった場所 ≪本郷台地≫の「弥生二丁目」辺りだそうで
そこへ向かう一行^^
『弥生式土器発掘ゆかりの地』という石碑の前で
詳しい先生が登場 石川日出志(明治大教授)さん 考古学の専門家
≪弥生式土器≫が見つかったのは明治17年 125年前
考古学は始まったばかりで正確な記録がなく
今となっては場所が分からなく ここら辺りだろうという石碑だったのです^^;
先生は 弥生式土器発見がここではないかという候補地へ案内
≪東京大学 浅野キャンパス内≫
東大の中でも外れの方へと案内されて一行は ひっそりと建っている石碑へつき
『弥生二丁目遺跡』の前に^^
そしてこの場所も≪台地のキワ≫で ≪弥生人たちの村≫があったと考えられている。
集落に何人ぐらい住んでいるのかという久保田祐佳アナウンサーの質問に
先生は
家が20軒ぐらい 人口が100人前後の村が台地のキワに並んでいたと推定されるとおっしゃり
数キロ間隔に 点々と集落があり 田園風景がこの周りにあったようです。
そして東大の端にある石碑『弥生二丁目遺跡』がちょうど崖のキワで
すぐ側は 急にストーンと土地が落ちている所
一行はそこの場所がみえる崖の下側へと移動
崖上の遺跡を見上げれみることに^^
ほんとうに急な崖です。
太古の遺跡が見つかる台地のキワには 住みやすい条件がととのっていた。
縄文時代には 崖下の近くまで海が来ていた。
弥生時代には 海が少し引いていたので そういった場所は田んぼに非常にいい場所だった。
なので弥生人は こんないいところは逃さない ≪一等地≫だった。
タモリさん曰く 「弥生時代の田園調布」だそうです(笑)
それから番組はCGで 弥生二丁目あたりの弥生人の暮らしぶりを映しだしました^^
粘土の台地で 水によって削られる様子を タモリさんがみせてくれて
だから ≪本郷台地≫と≪上野台地≫の間には 川があって
二つに台地が創られたのではないかということに。
今はその間に≪川≫はないですが 名残があるのではということで一行は探索
根津一丁目から上野方向(谷中)へ歩くと
道は 下がって上がっていた。
そこが 川が流れていたんではないかというタモリさん^^
≪文京区≫≪台東区≫の境に到着
「だいたい 区の境は 川か旧江戸の道」タモリさん
川だったと思われる側のお店屋さんに聞く
やはりその曲がりくねった道が 元 川だったようです。
もと川は 昭和のはじめに ≪暗渠(あんきょ)(フタをした水路)≫になったらしい。
もと川の名は ≪藍染川(あいそめがわ)≫
今ある道の半分の川幅
ここで次なる方登場 森まゆみ(作家)地域の事を丁寧に掘り起こしている
森さん曰く
大正のの震災前までは 藍染川はあったようだ。そのあと暗渠になった。
藍染川はしょっちゅう大雨がくると溢れて困っていた。
そういう陳情がありで暗渠になったらしい~
溢れた藍染川付近の写真とか紹介
それから一行は 道沿いの店 ≪創業明治二十八年 丁子屋 染物・洗張≫にいく
店主の話
「創業当時 この辺り空き地だった。空き地なのになんでこんな裏通りに店を出したかと親父に聞くと 川が欲しかったからといわれた。」
ということは 何軒もあったのか?との問いに あったらしいということ。
番組はその辺りの太古から現在へとCGをみせてくれました。
いつものタモリさんこだわりの写真紹介
≪+≫と道路にかいてあるちいさい道の十字路の写真
そこから ≪T字路≫について
≪T字路≫は正確には≪丁字路≫なのだそうです。
道路交通法上の表現で≪T字路≫と表記
次に一行は 本郷台地の真ん中へ かつて≪中山道≫が通っていた場所
≪国道17号線≫の 本郷三丁目交差点
江戸時代は ここが≪市街地≫と≪郊外≫の境目で 町並みはがらっと変わっていた様。
じゃ~ここ ≪中山道≫(国道17号線)は 「JINー仁ー」1話で 咲@綾瀬はるかが
仁に頼まれ手術道具をもって行った時
大名行列に出くわし 駕篭から降りて 裾捲り上げながら「産婆です!」といって
大名行列の中を突っ走ったその路だったんだ~~~^^
きっと! 妄想が~~~~(笑)
そしてこの路の交差点あたりは ≪見送り坂≫≪見返り坂≫の境目
≪見送り坂≫≪見返り坂≫の間には川が流れていて ≪別れの橋≫という橋があったらしい。
そしてその地点に石碑があり。
「ちょっとした高低差は見逃すな!」ということで
その川だっただろうの位置に路地へと^^
大谷石の石積のところへと到着したのでした^^
≪大谷石≫は湖岸の石積みに使われていたそうで
そこから≪菊坂≫へといく。
≪菊坂≫は昔 川だった。
今は人間の背丈ほどある下水管がはいっている。
昔の明治の人の話で
その川には 3つの太鼓橋があったとか。
地形図をみると 台地に深い切れ込みがありそこが川で 今の≪菊坂≫
タモリさんたちは その菊坂をくだり
途中にあった まるや肉店さんで≪菊坂コロッケ≫を食す^^
その店先には 東大あたり本郷の昔の著名人マップ『菊坂界隈文人』がおいてあった^^200円
その文人マップを作った福満喜弘(NPO法人理事)さん
文人たちは62名ほど その辺りに住んでいたらしい
そして≪炭団坂(たどんざか)≫へ
坂名の由来は
一説にはかつては坂がとても急で転がり落ちると炭団のように真っ黒になってしまうことから。
炭団坂をのぼり台地から眺める風景を ≪菊坂渓谷≫と命名したタモリさん^^
最後に到着した場所 ≪聖橋≫^^
一番の≪崖≫ ≪大崖≫
≪聖橋≫の上から 神田川をみる風景は~~~~
「JIN-仁-」のオープニングで見る風景^^
レンガ色のタイルの東京医科歯科大学の建物 その奥に 順天堂大学
≪聖橋≫を≪御茶ノ水橋≫からみると
≪神田川≫は深い谷になっている。
地形図を見ていると 不自然な 神田川の流れに気がつく。
≪本郷台地≫の先端部分を真横に突っ切っている≪神田川≫
不自然に折れ曲がっている≪神田川≫
≪神田川≫が本来通るはずがないところを流れている理由とは?
人間が掘った! ≪本郷台地≫の所を!
この「JIN」でよく見るこの場所は ≪人口谷≫だった~~~!
江戸の初期に掘られた。
江戸時代にこの大工事はなぜおこなわれたか?
岡本哲志(都市史家)さん登場
江戸の初め 徳川幕府が新しい都市を造るにあたってこの工事は大切なステップだた。
元の神田川は 丸の内の方に流れていた。
丸の内を市街地化するために治水対策が必要だった。
それで川の流れてるルートを完全に変えた方がいいということ
丸の内を洪水から守るという意味で 本郷台地を削ってでも流れを変える。
重要な武家地開発のため徳川幕府がやってのけた壮大なインフラ整備だった。
神田川の深い谷 江戸のエネルギーを物語る巨大な功績
≪本郷台地≫を舞台にした川がおりなす何万年もの物語
今回も 面白かったですわ~~~
まさに「JIN-仁-」の場所だったのです~~~(笑)
仁@大沢たかおが 谷のうえの草むらで江戸の町を眺める様子が 毎回でてきますが
CGで町並みを映し出して~~~
そのいつも立っていた草原の下に流れる神田川が
人の力で造られたものだたとは~~
そんな場所に いつも仁@大沢たかおさんいるのね っと思うとまたまたワクワク^^
来週は 「品川」です^^
第1回は 「早稲田」
第2回は 「上野」
第3回は 「二子玉川」
第4回は 「銀座」
第5回は 「三田・麻布」
第6回は 「秋葉原」
第7回は 「日本橋」
第8回は 「本郷」
「ブラタモリ」HP
タモリ
久保田祐佳アナウンサー
石川日出志(明治大教授)
森まゆみ(作家)
福満喜弘(NPO法人理事)
岡本哲志(都市史家)
過去記事
「ブラタモリ・日本橋」
「ブラタモリ・秋葉原」