5月16日(木曜日)は、高槻市民合唱団の練習日(2回目)でした。
高槻市民合唱団は曲目ごとに団員を募集します。
今回の、ベートーベンの、歓喜の歌 交響曲第九番の第4楽章(合唱)は魅力的な曲ですので希望者が多くて、募集300名にたいして女声部分のソプラノとアルトは募集人員に達して、すでに募集を締め切られています。(男声は大丈夫みたいですよ。)
今夜も指導するのは前回とおなじく若い、元気溌溂な大谷圭介先生です。
楽譜はを使っています。
事前に練習番号M(543)を予習しておくようにとのことでした。
体操と発声が終わると、すぐにソプラノを立たせて歌わせる先生。
立って歌うと、皆もなんとか高音部も出せるような感じでしたが、後で、先生いわく。
「ソプラノは、五線譜より上にある音符(♪)の言葉(ドイツ語)は捨てて結構です。綺麗な声を響かせるためには言葉をはっきり言っていては無理です。それはたとえプロのソプラノでも歌えないのです。彼らも上手にそうしています。」
そうなんだ。声を優先して高音部のドイツ語は曖昧にすることで、綺麗に声を響かせるんだ。そして、それは歌う方にとっても楽なやりかただと思える。
ちょっと安心した風信子でした。
さて、それぞれのパートも個別に歌い終わるとアルトとベースが一緒に練習します。
それを、顔を一斉に左へむけて聞き惚れているソプラノのパートの私達…。混声の醍醐味ってこれだね。女声と男声の響きにうっとりとなる刻です。
第九の主旋律を歌う訳ではない、この二つのパートはひと際、難しい役割を果たさねばならないとみえて、先生の指導も厳しくなります。
「アルトもベースもそれぞれが、“我が道を行く”という歌い方ですね。まだ最初ですが…。そういう歌い方だとハモラない。」
「ハーモニーを作る時、大事なことは…。同じ音を歌うときはお互い寄りそって歌わないと駄目です。」
「今、同じ音になっていくというのを聞きながら寄り添う。歌っていて瞬間的に判断する…。一緒なんだなあと思った時に、ハーモニーが生まれる。」
ということを説明されるのを聞きながら、ヘンデル作曲の「メサイア」の有名なハレルヤ・コーラスを歌いながら男声の旋律を、なんて美しいのだろうと、聞き惚れながら歌い進めていたのを思いだしました。
あまりに好ましい旋律なので、自転車で仕事から帰宅中に、両側が畑の道をたどりながら、自分のパート(ソプラノ)ではなく男声のパートを思いだして歌っていたものです。それもバスはこうだったかな? テノールはこうだったね。と言う風にです。
お互いに聴き惚れながら自分の持ちパートをシッカリ歌うというのがコーラスの重要な部分なのですね。
そういや、あの当時は自分のソプラノ・パートを歌っているときに、テノールの男声達が椅子を右側に廻してまで聞き入っていたことも思いだしました。
熱心な私達。幾度も歌っている女性も多いのですが、他のパートが、それぞれ旋律を練習しているときもオタマジャクシ(♪)を楽譜で追っています。
そしてパートふたつが組んで練習しているときには、耳をそばだてて思わず視線を左側へ向けてしまいます。
(時々、男声のパートを先に覚えて、なかなか覚えられない男声達に微苦笑しているときもあるんですけど…。)
他の風信子のツイッターまとめ。(ツイログ)http://twilog.org/hyacinth_haru
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高槻市民合唱団は曲目ごとに団員を募集します。
今回の、ベートーベンの、歓喜の歌 交響曲第九番の第4楽章(合唱)は魅力的な曲ですので希望者が多くて、募集300名にたいして女声部分のソプラノとアルトは募集人員に達して、すでに募集を締め切られています。(男声は大丈夫みたいですよ。)
今夜も指導するのは前回とおなじく若い、元気溌溂な大谷圭介先生です。
楽譜はを使っています。
混声合唱 ベートーヴェン 交響曲第9番第4楽章 | |
ベートーヴェン | |
河合楽器製作所・出版事業部 |
事前に練習番号M(543)を予習しておくようにとのことでした。
体操と発声が終わると、すぐにソプラノを立たせて歌わせる先生。
立って歌うと、皆もなんとか高音部も出せるような感じでしたが、後で、先生いわく。
「ソプラノは、五線譜より上にある音符(♪)の言葉(ドイツ語)は捨てて結構です。綺麗な声を響かせるためには言葉をはっきり言っていては無理です。それはたとえプロのソプラノでも歌えないのです。彼らも上手にそうしています。」
そうなんだ。声を優先して高音部のドイツ語は曖昧にすることで、綺麗に声を響かせるんだ。そして、それは歌う方にとっても楽なやりかただと思える。
ちょっと安心した風信子でした。
さて、それぞれのパートも個別に歌い終わるとアルトとベースが一緒に練習します。
それを、顔を一斉に左へむけて聞き惚れているソプラノのパートの私達…。混声の醍醐味ってこれだね。女声と男声の響きにうっとりとなる刻です。
第九の主旋律を歌う訳ではない、この二つのパートはひと際、難しい役割を果たさねばならないとみえて、先生の指導も厳しくなります。
「アルトもベースもそれぞれが、“我が道を行く”という歌い方ですね。まだ最初ですが…。そういう歌い方だとハモラない。」
「ハーモニーを作る時、大事なことは…。同じ音を歌うときはお互い寄りそって歌わないと駄目です。」
「今、同じ音になっていくというのを聞きながら寄り添う。歌っていて瞬間的に判断する…。一緒なんだなあと思った時に、ハーモニーが生まれる。」
ということを説明されるのを聞きながら、ヘンデル作曲の「メサイア」の有名なハレルヤ・コーラスを歌いながら男声の旋律を、なんて美しいのだろうと、聞き惚れながら歌い進めていたのを思いだしました。
あまりに好ましい旋律なので、自転車で仕事から帰宅中に、両側が畑の道をたどりながら、自分のパート(ソプラノ)ではなく男声のパートを思いだして歌っていたものです。それもバスはこうだったかな? テノールはこうだったね。と言う風にです。
お互いに聴き惚れながら自分の持ちパートをシッカリ歌うというのがコーラスの重要な部分なのですね。
そういや、あの当時は自分のソプラノ・パートを歌っているときに、テノールの男声達が椅子を右側に廻してまで聞き入っていたことも思いだしました。
熱心な私達。幾度も歌っている女性も多いのですが、他のパートが、それぞれ旋律を練習しているときもオタマジャクシ(♪)を楽譜で追っています。
そしてパートふたつが組んで練習しているときには、耳をそばだてて思わず視線を左側へ向けてしまいます。
(時々、男声のパートを先に覚えて、なかなか覚えられない男声達に微苦笑しているときもあるんですけど…。)
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