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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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 新聞社というところは昔から、派閥抗争の激しい世界である。特に東京本社編集局ともなると、人数が多いだけに、その諍いの激しさは尋常ではない。私は1990年代、およそ8年間にわたって毎日新聞東京社会部に所属し、延々と事件取材やら選挙取材やらを続けていたが、このころの毎日社会部にもやっぱり派閥抗争みたいなものがあった。社会部記者たちは警視庁グループと東京地検グループというおおよそ二つの流れに分かれ、お互いが日々反目し合っていた。政治の世界ほどの明確な派閥ではないため、別にそれぞれが独自の集会を開いたりしていたわけではないが、「毎日社会部の10年抗争」などと揶揄する関係者もいたりして、やはりあれはれっきとした派閥抗争だったのだろう。

 一方の派閥の記者が、他方の派閥の記者に「おまえなんか次はぜったい地方に飛ばしてやるからな!」と恫喝するという場面もあったりした。支局からあこがれの社会部に栄転してきたばかりの若い記者は、そんな様子を見て「なんて恐ろしく、なんて嫌なところなんだろう」と震え上がったりしたものだ。

 あるいは記者が三人集まっていると、こんなことが起きたりする――三人揃っているときには仲良く打ち合わせしているのだが、ひとりがトイレか何かで中座すると、残りの二人でトイレに行ったもうひとりの悪口をさかんに言いつのる。トイレからくだんの記者が戻ってくると二人は急に悪口を辞め、そして最初に悪口を言っていたうちのひとりが「じゃあオレも」と中座すると、今度はトイレから戻った記者ともとからいた記者の二人が、さかんにもうひとりの陰口を叩き始めたりするのである。とにかく身も蓋もない荒れ果てた世界で、信義もへったくれもない。

 私は1998年に脳腫瘍を患って、8時間もかかる大手術を受けた挙げ句に3か月ほど会社を休んだ。ようやく徐々に仕事ができるようになって編集局に出社したところ、かねてから敵対していた同年配の記者とばったり出くわした。この記者は私を見つけて冷たく目を光らせ、こう言いはなったのである。

 「なんだ、まだ生きてたのか」

 新聞記者というと映画やドラマでは、社会正義に目を光らせ、スクープを狙って地べたをはい回る……という一匹狼的なイメージがあったりするが、実態のところは異常に徒党を組むのが好きだし、いがみあいも大好きだ。人事の季節になるとみんな目を輝かせて情報収集に走り回り、そのあたりは古い企業の古い会社員そのまんまである。そういう社内コミュニケーションを「くだらない」と嫌う立派な記者も中にはいて、人事好きの記者に対して「なんだこの人事野郎!」と吐き捨てたりもするのだが、社内ではしょせん多勢に無勢である。

 しかしそうした派閥抗争が、新聞社の活力につながっている部分もあるから、一概には否定はできない。そのあたりは、自民党の派閥の功罪について言われてきたのと、似た構図といえるかもしれない。

 さて、ITと何の関係もない新聞社の派閥の話を書いたのは、最近「新聞がなくなる日」(草思社)という本を読んだからだ。この本の歌川令三氏は、元毎日新聞編集局長。そして毎日経済部の派閥の大ボスとして知られた記者である。歌川氏は80年代、毎日新聞で大きな権力を持ち、「歌川派にあらずんば人にあらず」というほどの強大な派閥を経済部に築いていた。だが結果的には激しい派閥抗争に敗れ、編集局長を辞任し、毎日も退社した。この時の内紛は週刊誌などにさんざん書かれ、毎日新聞が出版社などに抗議する事態にまでなったほどだ。

 そして毎日を退社した歌川氏は、中曽根元首相の世界平和研究所に移籍し、主席研究員に就任した。その後日本財団常務理事を経て、現在は同財団特別研究員と多摩大学院客員教授を務めている。

 私は1988年の入社で、この年に歌川氏はすでに毎日を退社していたから、面識はない。そもそもかりに同じ時期に毎日にいたとしても、私は田舎の支局で20代の駆け出し記者。向こうは大先輩であり、東京編集局を統括する編集局長であり、比べるのも恐縮な神の上の存在だったのである。

 そういう伝説上の人物である歌川氏が、70歳を越えて、「新聞がなくなる日」という本を刊行したという。しかも自分の古巣である新聞について書籍を書くのは、初めてだというのだ。いったいどのような内容が書かれているのか? 自分も毎日出身だからというわけではないが、非常に気になる。新聞に対する恨みつらみだろうか?

 しかしこの「新聞がなくなる日」というのは、読んでみると、予想とはまったく異なる内容だった。新聞のビジネス的問題点をきわめてロジカルに洗い出した書籍だったのである。インターネットビジネスを分析した部分など、一部にはかなり不満な点もあるけれども、しかしそうした部分をさっ引いたとしても、非常にきちんとした内容の本である。

 メディア産業をコンテンツとコンテナー(媒体)に分けるというのはよくある考え方だが、歌川氏の分析で面白かったのは、日本の新聞とアメリカの新聞の相違を分析していた章だ。新聞の売上げは広告収入と販売収入で成り立っているが、アメリカの新聞は広告収入の比率が非常に高い。全米平均では広告収入が新聞社の売上げに占める割合は85%で、ニューヨークタイムズともなるとなんとこの比率が95%にもなるという。要するに広告さえ維持できれば、会社は成り立ってしまうのである。

 広告の掲載場所はインターネット時代に入って、コンテナーからコンテンツへと移りつつある。たとえばわかりやすい例で言えば、テレビ広告はコンテンツ(番組)とコンテンツの間に挟まれるコマーシャルフィルム(CF)として流通していたが、HDDレコーダーの普及もあってCFが視聴者に見られなくなり、アメリカではコンテンツのドラマの中などに商品の紹介を差し挟むプロダクトプレースメントへと主舞台が移ろうとしている。電波というメディア特性を利用したCF流通ではなく、コンテンツと広告を融合させることで、広告の生き残りを図ろうとしているわけだ。

 こうした状況では、コンテンツさえ維持できれば、広告モデルも維持できてしまう。コンテナーが別の乗り物(媒体)になったってかまわないわけだ。

 歌川氏の本に戻ると、こう書いてある。<米国の新聞業界は、すでにメディアのペーパーレス時代を想定して、蛸が自分の足を食うように「紙」を見切って「電子」に重点を移すモデルを将来の有力な選択肢のひとつとして設定済みだ。旧きものを切る大胆な「カニバリ」の決断ができるのはなぜか。それは販売収入への依存度がきわめて小さい広告本位制経営をやっているからだ。米国の新聞経営者にとって広告収入の最大化こそ、至上命題であり、「紙」とか「電子」とか、ニュースと広告を詰め込んで読者に運搬するコンテナーの種類にこだわる必要はない」

 一方、日本では状況がまったく異なる。売上げの50%が販売収入で、広告収入は36%に過ぎない。この背景には、強大な販売店網が全国津々浦々に築かれていて、今までの新聞のビジネスモデルを根底から支えてきたということがある。つまり日本の新聞は、コンテナーに依存したビジネスモデルを作ってきたのである。歌川氏はこう書いている。

 <日本の新聞経営のよりどころは、三点に集約される。(1)販売収入こそ、新聞経営の命である。(2)専売店による宅配制度の維持こそが、日本の新聞経営者の至上命題である。(3)広告収入は重要だが、それも「紙」新聞の安定的発行の継続が前提だ>

 もしコンテナーである紙の新聞からの販売収入が消滅すれば、日本の新聞は収益の半分を失うことになってしまう。広告収入は36%しかないから、いくらコンテンツを強化して広告収入を増やしても、企業は維持できない。これが日本の新聞がネットビジネスに及び腰になっている最大の原因だと、歌川氏は指摘するのである。

 青臭いジャーナリズム論から新聞の将来を憂う声はあったが、きちんとビジネスを分析して新聞の今後の可能性を語った論はこれまでほとんど存在してこなかった。その意味でこの歌川氏の著作は、きわめて示唆に富んだ内容を持っていると思う。
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