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ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。
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 心理学者の山岸俊男氏が書いた「安心社会から信頼社会へ」(中公新書)という本があり、このなかで山岸氏はある実験を行い、日本人の行動パターンについて従来と反する驚くべき結果が出たことを報告している。

 この実験では参加者は4人一組になり、はじめに自分に与えられた100円のうちどれだけを他の3人に分け与えるかを決める。分け与えられた金額は2倍して、その3分の1ずつが他の3人に与えられる。たとえばひとりが100円のうち40円を寄付することにすれば、倍の80円を3人で分けて、ひとり26円ずつがもらえることになる。

 もし自分がいっさい分け与えずに100円をキープし、他の3人がそれぞれの100円をすべて分け与えてくれれば、自分だけが200円得できる。逆に自分が分け与えたのに、他の3人が分け与えてくれなければ、一方的に損をして持ち金はゼロになるる。4人全員が100円全額を分け与えれば、みんなが200円をもらえるし、全員が分け与えなければ全員の取り分は100円で終わる。つまるところ、この実験によって人は他人をどれだけ信用するのかということを調べることができるわけだ。

 その理由について山岸氏は、こう書いている。

 <日本社会で人々が集団のために自己の利益を犠牲にするような行動をとるのは、人々が自分の利益よりも集団の利益を優先する心の性質をもっているからというよりは、人々が集団の利益に反するような行動を妨げるような社会のしくみ、とくに相互監視と相互規制のしくみが存在しているからという観点です>

 ライブドア事件をきっかけに、やたらと「日本人はモラルを失った」「汗を流して仕事をするという規範が失われている」という言説が流行している。たしかに昔のようにモラルを重視しなくなっているのは事実だろう。その背景には、1990年代の橋本内閣以降、日本資本主義がグローバリゼーションへと呑み込まれる中で、アメリカ型のルール至上主義へと歩調を合わせざるを得なかったという事情があるのを忘れてはならない。いわば日本はモラル至上主義からルール至上主義へと、大きな舵を切ったのだ。

 ライブドア事件の本質というのは、単なる極端な私見であることを承知で言わせてもらえれば、モラルからルールへと社会の基本概念が移り変わっていくうえでの「軋み」のようなものだったのではないかと思う。モラルからルールへと舵を切ったのは良いが、そのルールがあまりにも未整備だった。つまり金融庁の証券市場に対するルール作りが後手後手にまわり、結果としてグレーな部分を突きまくるライブドアの先鋭的ファイナンス集団にもてあそばれてしまったのである。そしてその状況に業を煮やした“不公正はけしからん”大鶴特捜部長率いる東京地検特捜部が、強制捜査で切り込んだという構図である。

 しかしライブドアがあのような事件を起こしたからといって、「モラル社会を取り戻せ」と主張するのは本当に正しいのかどうか。

 山岸氏の実験は、日本人がもともと古来から持っていた素晴らしい「モラル」なるものは、実のところ単なる「相互監視と相互規制のしくみ」によって成り立っていた空虚なものでしかなかったことを、鮮やかに浮き彫りにしている。そんな社会のモラルなんていうものはしょせんは泡沫のようなものだ。いったんお天道様から見えなくなると、とたんに悪事に走る。利益誘導を行う。モラルの名のもとに本当のモラルをねじ曲げ、いびつな道徳観を人に押しつける。そうした社会の有様はこれまでの日本をずっと覆い続けていて、ある種の社会的不平等を作り上げていた。

 「そうした社会から日本は脱却しなければいけない。ルールをきちんと作らなければならない」と戦後一貫して、日本の有識者たちは言い続けてきたのではなかっただろうか?

 ところがいざルール型社会に移行してしまうと、今度は手のひらを返したように「やっぱりモラル型社会が良かった」と懐かしむ。懐古趣味以上のなにものでもない。

 もちろんルール型社会には、さまざまな問題がある。エンロンしかり、ワールドコムしかり、ライブドアしかり。ルールがあれば必ず抜け穴があり、モラルなき社会においては、必ずグレーの部分を突く者が出てくる。そのグレーを防止するためにルールを強化しなければならないが、ある種のイタチごっこになってしまうことは否めない。

 結局のところモラル型社会にしろルール型社会にしろ「どっちもどっち」と言えなくもない。しかしだからといって、ルール型社会を完全否定して、モラル型社会を懐かしんだからと言って問題は解決するわけではないのだ。
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