うそつき村があったとさ。

村できたえられながら、発見と遊びの日々。

筆跡

2024年03月08日 | 団地と周辺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

守恒のYさんから電話があり、10時半に待ち合わせてお茶。13時に店を出てYさんと別れた。

 

なまけものは14時から団地の文化祭準備の手伝い。部屋に戻るほどの時間はない。電柱にハシボソガラスが2羽飛んできた。国道沿いから志井川の右岸をさかのぼった。

 

風がひどく吹いた。ホトケノザを写せど写せどピンぼけだった。黄色のオキザリスも枯れたススキもピンぼけ。

 

国道沿いから次の橋はプレートに一二三橋、昭和62年完成とあった。1987年の完成。その次の橋は五月橋、平成3年(1991年)10月完成。それから金海橋、平成3年(1991年)1月完成。それから、きんざん橋、おなじく平成3年(1991年)1月完成。

 

金海橋ときんざん橋はプレートは筆跡から同じ方が書かれたようだった。きんざん橋のすぐ下流にカワウ2羽。きんざん橋を渡り、左岸を下って一二三橋まで戻り、団地にもどって文化祭準備の手伝いに行った。17時ごろ終わる。

 

北九州市のホームページに志井川の解説があった。

 

「志井川は、小倉南区のほぼ中央に位置し、本市の南部に位置する貫山を源に、北流しながら紫川に流入している河川です。志井川流域では、急激に市街化が進み、流域の大部分が住宅地で、本市の良好なベッドタウンを形成していますが、川幅が狭く蛇行して流れが悪いため、大雨の度に浸水を繰り返していました。そこで、昭和45年度から都市基盤河川改修事業に着手し、徳力区画整理事業の進捗と調整しながら、河川の拡幅とショートカットを行いました。また、都市モノレール小倉線より上流部については、「多自然川づくり」をテーマに、河川環境に配慮した河川整備を行い、平成15年度に整備が完了しました。」

 

なまけものは昭和49(1974)年ごろ足立山のふもとから転居して国道322号線沿いの中谷近くの住民となった。当時、大雨が降ると志井川から大水が出て、団地の北口周辺の国道が浸水した。車が渋滞して団地北口から次のバス停に着くまでふだんなら5分ぐらいのところ、4~50分かかった。バスを降りて歩けるような水量ではなかった。