語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】4種類の神学 ~聖書・歴史・体系・実践~

2013年10月17日 | ●佐藤優
(1)キリスト教神学
 カトリック神学、プロテスタント神学、正教神学とではかなり違う。
 カトリック神学は、長い中世のスコラ神学を経て神学を構築した後、自由主義的な神学の風潮になかなかついていけなくて、近代的な神学大系の構築から一定の距離を置いてきた。
 プロテスタント神学は、カルヴァン以降、カトリック神学のスコラ学を引き継ぐ形で、自由主義を取り入れながら形成されていった。
 そうしたプロテスタント神学の発展に対抗する形でカトリック神学の体系が再構築される。
 よって、19世紀から20世紀の神学の原型は、プロテスタント神学を概観するだけで足りる。
 キリスト教神学は、伝統的に4つに分類される。聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学である。

(2)聖書神学
 聖書に係る神学で、旧約聖書神学と新約聖書神学に分かたれる。
   ①キリスト教はユダヤ教の1分派と考えてもよい。よって、キリスト教はユダヤ教の伝統や文脈を踏まえてはじめて理解できる。
   ②旧約聖書はヘブライ語で書かれているが、イエスはヘブライ語の系統のアラム語で話した。ところが、イエスの言動を記した福音書を含む新約聖書は1世紀後半に成立したが、コイネー・ギリシア語【注1】で書かれている。
   ③補助学(その1)・・・・語学。ヘブライ語、アラム語、ギリシア語。
   ④補助学(その2)・・・・聖書考古学。<例>「ディナリオン銀貨」に誰の肖像やどのような文字が刻まれていて、どれくらいの労働の対価だったか。

 【注1】前4世紀後半、アッティカ方言にイオニア方言の要素が加わって形成された古代ギリシア語。

(3)歴史神学
 教会史と教理史に分かたれる。
 (a)教会史
   ①キリスト教と教会の起源と発展を歴史学的に研究する。教会には二重の意味がある。①個別の教会・・・・<例>カトリック教会、メソジスト教会、長老派教会、正教会。②イエス・キリストを長とする「見えない教会」。
   ②神学的に言えば、キリストは教会のみならずこの世全体を支配している。だから、教会史は一般史と深く関わる。教会史とともに教理史を見ていくのが最近の強い傾向だ。
   ③補助学(その1)・・・・語学。近代以降のプロテスタンティズムをやる場合、ラテン語、ドイツ語、フランス語(特にカルヴァンを研究する場合)、英語。ラテン語は西方教会史を学ぶ場合に必須。東方教会史を学ぶ場合、ギリシア語、教会スラブ語、ロシア語が必須。
   ④補助学(その2)・・・・一般的な歴史の知識、歴史学方法論、文献学。

 (b)教理史
   教会によって採択された教理の形成と発展過程を歴史学的手法によって研究する。プロテスタント教会においては、カトリック教会や正教会のように絶対に正しい教義(ドグマ)は存在しない。それぞれの教会が自ら正しいと考える教理を持つ(それが絶対であるとはしない)。

(4)組織神学
 体系神学と言い換えてもよい。神学思想の中には歴史神学の成果があり聖書神学の成果もあるが、それら諸々の成果をキリスト教の立場から整理し、総合していく。組織神学は、教義(教理)学と倫理学に分かたれる。場合によっては宗教哲学が含まれる。
 (a)教義(教理)学
   「教義(ドグマ)」とは、「決して変えることのできない絶対に正しい考え」の意で、カトリック教会や正教会はドグマを持っていると自己理解している。
   しかし、プロテスタンティズムにはドグマは基本的に存在しない。ドグマは「見えざる教会」に帰属し、神のみが知っているものだからだ。私たちが信じているドグマが絶対に正しいという保証はない。人間の側からは、複数のドグメン(諸教理)が提示されるだけだ。私たちが構築できるのはドクトリン(教説)だけで、ドグマという形で獲得できるものでは決してない。

 (b)倫理学
   プロテスタントの場合、人は「信仰のみ」によって義とされる、と考える。だから、行為は二次的なものだ、と考える傾向もある。
   しかし、本来、キリスト教に「信仰と行為」という二分法はない。信仰があれば必ず行為に現れる、という考え方をする。したがって、教義学は倫理学と同じだ。道徳は、一般に「ある行為がいいか悪いか」ということだが、倫理は「この私がいかに行為するか」だ。
   倫理学は、教義学と重なる。  

(5)実践神学
 アバウトに言えば、これは牧師・神父のための神学だ。実践神学は、牧会学と説教学に大別される。ちなみに、神学で最も重要なのは、実践神学だ。聖書神学、歴史神学、組織神学は実践神学のためにある。
 (a)牧会学
   人間関係をケアするための実践的な学問だ。さまざまな人の悩みをどう受け止めるかを訓練する。カウンセリングが学問として成立するずっと前から、カウンセリングに相当する牧会学が存在していた。神学部の学生は、例えばホスピスで臨床実習する。
   悩みを抱え、相談したいとき、教会に飛び込むとよい。どんな教派の牧師、神父であろうとも口は堅い。人の秘密を厳守する訓練を牧師、神父は受けている。どんなに嫌な話、どんなに変な話でもいちおう最後まで聞く訓練ができている。

 (b)説教学
   説教とは、基本的には聖書の説明だ。牧師にもいろいろな人がいて、いつ説教を聞きに行っても同じような人生講話をやっている人がいる。これはその牧師があまり勉強していない証拠なので、そういう教会に行くことはあまり勧めない。
   聖書は神の言葉だ。聖書に書いてあることが現代においてづいう意味を持つかを説明するのが、説教者としての牧師の仕事だ。ところが、人間は神ではないから、厳密な意味で神の言葉を語ることはできない。しかし、牧師という立場にある者はそれを語らなければならんさい。「不可能性の可能性」(カール・バルト)だ。
   「不可能性の可能性」は、人間生活のなかで日常的にどこでも存在している。
   <例>自分の子どもを育てるにあたり、子どもの進路や躾けに完全に自信を持って言えない場合が、当然、ある。そういう場合ても、今このタイミングで親として言わなければならない。
   この「不可能性の可能性」に挑むことが、説教学の課題だ。
   これに付随して、キリスト教音楽など、さまざまな実践神学の学科がある。

□佐藤優『神学部とは何か --非キリスト教徒にとっての神学入門』(新教出版社、2009)の「1 神学とは何か」
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 【参考】
【佐藤優】神学が実生活に役立つ理由 ~人間の限界~
【本】中国で宗教が流行しているが ~『立花隆の書棚』(5)~
【本】イスラム世界におけるペルシアの独特な立ち位置 ~『立花隆の書棚』(4)~
【本】旧約聖書には天地創造神話が2つある ~『立花隆の書棚』(3)~
【本】土着の宗教と結びいたキリスト教 ~『立花隆の書棚』(2)~
【本】欧米理解に不可欠なこと ~『立花隆の書棚』~

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