語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『狼のブルース』 ~五木寛之のハードボイルド小説~

2010年06月04日 | 小説・戯曲
 事件屋の黒沢竜介は、同業の大物、南郷義明から依頼を受けた。さるTV番組、大晦日の恒例の行事、KHKの東西歌合戦をつぶしてもらいたい、と。
 南郷のバックに民放各局がいるらしい。

 竜介はいっぷう変わったところがあって、金めあてでは動かない。自分よりも強い相手に対して燃えあがるのだ。そして燃えた。
 KHKは、その年の東西歌合戦を、ただでさえ巨大番組なのに、海外の名だたる歌手、イブ・モンタンほかが加わる国際版にしようと目論んでいるらしい。しかも、米国からウィリー・ムントを招いたのだ。ムントは全米興行シンジケートの大立者であり、フリーメイソンの実力者でもある。
 相手に不足はない・・・・。

 竜介は、さっそく動きだす。
 が、ムントもすばやく手をうつ。竜介の助手、元硬派のズベ公、美貌のマリを誘拐したのだ。
 竜介は露骨に圧力を受けるが、対抗措置を発見する。

 しかし、事態はさらに錯綜するのであった。
 南郷の妖艶な娘、由里は米国人の夫を殺害して無罪となった過去をもつのだが、奇妙な行動をとるのだ。
 南郷の部下で由里に気のある九鬼の態度もはっきりしない。九鬼は、大物フィクサー北波輝臣とつながっていた。北波老人は、竜介が師ともあおぐ人物だ。
 この怪人物は、独特の政治哲学から竜介に力を貸す。だが、やはり政治的人間なのであった。竜介は翻弄される。
 まことに筋が複雑にいりくみ、五木寛之の小説にしばしば見られる暗澹たる結末が待ち受けている。

 ところで、竜介の「一匹狼」ぶりは独特で、本書の魅力の過半は主人公の人物造型による、と思う。
 たとえば、常に自分を旅行者の立場に置こうとする哲学だ。自宅があるのに、週末にはホテルに泊まるのだ。執着を断ち切る時間をもつわけだ。
 あるいは、暴力的におそわれた時、自分の肉体をコントロールして切り抜ける。この自己統制、すなわち「還自法」は、永平寺で修行して身につけた、という設定だ。環境を変えるかわりに自分を変える・・・・これまた、徒手空拳の者を惹きつける魅力だ。
 そして、竜介には17歳にしてロシア式ルーレットを試み、以来、死を怖れなくなった。つまり何も怖れるものはない、ということだ。

 孤独な闘いを挑む・・・・あるいは、孤独に闘わざるをえない立場の者にとって、座右においてよい一冊だ。肉体の暴力のみならず、言葉の暴力にも「還自法」は有効だろう。
 娯楽小説、と莫迦にしたものではない。

□五木寛之『五木寛之作品集15 狼のブルース』(文藝春秋、1973)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。