語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【大岡昇平ノート】『野火』のレトリック、首句反復 ~英訳『野火』~

2010年11月27日 | ●大岡昇平
 拙稿「『野火』の文体」にはレトリックの実例を挙げていない。
 反復・・・・反復には首句反復と結句反復があるが、ここでは首句反復(アナフォーラ)の実例を挙げる。

----------------(引用①開始)----------------
 もし私が私の傲慢によって、罪に堕ちようとした丁度その時、あの不明の襲撃者によって、私の後頭部を打たれたのであるならば--
 もし神が私を愛したため、予めその打撃を用意し給うたならば--
 もし打ったのが、あの夕陽の見える丘で、飢えた私に自分の肉を薦めた巨人であるならば--
 もし、彼がキリストの変身であるならば--
 もし彼が真に、私一人のために、この比島の山野まで遣わされたのであるならば--
 神に栄えあれ。
----------------(引用①終了)----------------

 「39 死者の書」の末尾であり、『野火』全編の末尾でもある。
 丸谷才一の引用は歴史的仮名遣いだが、ここでは大岡昇平全集に基づいて現代表記に改める。
 「もし」が首句反復となっている。
 あまり詩的な雄弁になりがちなせいか、それとも翻訳臭を嫌ってか、現代日本の散文では敬遠される手だが、『野火』では一箇所、上記のとおり大がかりに遣われている。この派手な高揚が、長い抑制のあげくになされていることを学ばなければならない。
 ・・・・と丸谷才一はいう。こう解説する前に、『ジュリアス・シーザー』から10行引用し、併せて翻訳を添えている。訳者名は明記されていないが、夫子の訳だろう。
 エリザベス朝の劇作家たち、特にシェークスピアは、このたたみかけていく技法を好んだ。

----------------(引用②開始)----------------
But if you would consider the true cause
Why all these fires, Why all those gliding ghosts,
Why birds and beasts from quality and kind,

 もし君が、なぜ火の雨が降るのか、なぜ亡霊がうろつくのか、
 なぜ鳥や獣が異常なことをするのか、
 なぜ老人が愚かしくなり子供が未來を予見するのか、
----------------(引用②終了)----------------

 ここでは丸谷の引用を3行しか孫引きしないが、引用①の英訳は次に全文引用する。シェークスピアの原文と比べると興味深い。訳者は Ivan Morris である。
 ちなみに原文では「もし」の後に読点が打たれているのは1箇所(引用①の4行目)だけだ。他方、英訳で“If”の後にコンマが入るのは2箇所(引用③の1行目と2行目)だ。原文だと「キリストの変身」という大胆な仮定に踏みこむ前にひと呼吸置く感じだが、英訳の場合、仮定が既定の事実であるかのように、最初の2行は緩やかな口調で、3行目以降は切迫した口調になる感じだ。順次盛り上げている。
 キリスト教にあまり縁のない極東の日本人としては、やはり原文の呼吸を大事にしたい。

----------------(引用③開始)----------------
If, at the moment I was about to fall into sin through my pride, I was struc on the back of my head by that unknown assailant ・・・
If, beacause I was beloved of God, He vouchsafed to prepare this blow for me in advance ・・・
If he who stuck me was that great man who on the crimson hilltop offered me his own flesh to relieve my starvation ・・・
If this was a transfiguration of Christ Himself ・・・
If He had indeed for my sake alone been sent down to this mountain field in the Philippines ・・・
Then glory be to God.
----------------(引用③終了)----------------

【出典】丸谷才一『文章読本』(中央公論社、1977、後に中公文庫)
    Shohei Ooka (translated by Ivan Morris) “Fires on the Plain”, Charles E. Tuttle Company, 1957, 1983 (7th printing)
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       英訳版『野火』
     


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