今年も映画鑑賞会を実施いたします。皆様是非、お誘い合わせの上ご参加ください。今年度の開催テーマは、“映画監督と昭和の時代”と題して、監督を紹介するとともに、皆様と昭和という時代を思いきり懐かしんでみようと企画いたしました。
まずは第1回 山中貞雄監督“丹下左膳余話 百万両の壺”です。戦地で病死した監督の話をする前に、この作品に出演の“喜代三”という役者について・・・
丹下左膳余話 百万両の壺」に出ている矢場の女、“櫛巻きお藤”役の喜代三をご存じだろうか?で始まる“万骨伝”出久根達郎著。
「明治一代女(♪浮いた浮いたと 浜町河岸に 浮かれ柳の恥ずかしや)」の歌手、とある。映画の中で三味線を弾きながら歌う歌は美声で色っぽい。もとは鹿児島で売れっ子の芸者だった。名前を喜代治。東京へ出て新橋喜代三と名乗る。歌手として人気絶頂の時、作曲家の中山晋平夫人におさまる。すると悪い手合いが居るもので、芸者時代の過去をネタにゆすりを企む者がいた。「奥様がお若いころ、お風呂のなかで立っているところを、正面から写した写真が、まわりまわって私の友人の手に入った。中山先生の顔にもかかわることですから、流出を何とかしなければなりません」とこういう話である。これに対して喜代三は「私は、そんなものがあったって驚きはしないから、どうぞそちらで、よろしい様になさって下さい」南国の女性らしく明るく、割り切っていて、気持ちいい。
旅館業を営んでいた喜代三の一家は、父が女をこしらえたことで暗転、芝居小屋に住み込み奉公する。飯を炊き、小屋で売る落花生を袋詰めし、使い走りをする。そして15歳の時、芸者志願。老人に水揚げされるが、借金返済のため台湾にわたり芸者稼業を続ける。波乱万丈の生涯だった。
大正3年、彼女は学校から帰ると「カチューシャの歌」を口ずさみながらランプ掃除に精を出した。それから十数年後、愛唱歌の作曲家と結ばれる。「カチューシャの歌」は中山晋平のデビュー作にして大ヒット作なのだ。♪カチューシャかわいや 別れのつらさ せめて淡雪とけぬ間と 神に願いをかけましょか。 詞は島村抱月が作った。どうしても曲ができぬ。晋平は師に訴えた。神に願いをの次に、ララと囃子言葉を入れさせてください。師は承諾し、曲が完成、松井須磨子が歌って流行した。
晋平は鹿児島で喜代三から「鹿児島小原節」を教わった。この民謡の前奏とメロディが、「東京音頭」に取り入れられている。
晋平は昭和27年に逝去。喜代三はその11年後に59歳で亡くなった。
6月の朔日恵比寿の様子です
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