社会課題解決2020

実に10年ぶりにブログリニューアルです。ここでは主に社会の課題解決、SDGs関連を取り上げて行きます。

改革工程表の基本・・・7つの段階

2009-07-30 01:43:12 | Weblog
総選挙に向けての政党のマニフェストが出揃った。マニフェストの普及によってこれまであまり使われてこなかった「改革工程表」という言葉もよく見かけるようになった。

しかしこの工程表、単にやるべきことを羅列して年度や月次などの時間軸で
線引きしたもので止まっていることが多いのが気になる。

では真の改革工程表はどうあるべきか?

それは改革の実施プロセス(過程)に着目したものでなければならない。
それと実施の定義をはっきりとすべきである。

実施とは狭義では「実際に変化が起こされること」と定義されるが、実務の観点からは以下の詳細な段階できちんと進行管理をしておくべき。

 1)検討着手(基本方向、詳細案づくりに取り掛かる)
 2)検討完了(基本方向、詳細案の確定)
 3)実施準備着手(詳細案の具体化や準備作業に取り掛かる)
 4)実施準備完了(準備作業が完了する)
 5)実施(切り替え、廃止や休止の場合は実際に止めること、やり方を工夫   する等は新しいやり方に切り替えること)
 6)当初の目的、目標の達成
 7)定着化(目的、目標達成が安定する)

また抜本的改革であればあるほど5)の実施に至るまでの進行管理が重要となる。


会議の運営改革

2009-07-30 00:55:02 | Weblog
 このところ、日々、様々な組織の経営会議に出席して意見を述べたり、意見をまとめたりする機会が多い。そんな中で必ず問題提起されることの一つが「幹部会議が単なる情報連絡の場になっており議論が交わされない」ということである。
  
 そもそも会議とは、「議するために会うこと」であり、単に人々が集まって顔を合わせることではなく、そこには「議する」と言う明確な目的がある。会議の目的達成は単に全員が出席するとか、時刻通りに開始するとか、終了するという表面的、形式的なものではない。むしろ、ある事柄、議題について十分議論がなされかどうか、出席者もその事柄、議論について十分議論を尽くしたと受け止めたかである。

 しかしながら世の中の幹部会議には意見を言わない会議が多い。なぜ議することなくただ出席者が集まり、会議の事務局からの資料説明や出席者からの報告だけに止まるのだろうか?その問題の本質を抉り出した上で思い切った会議の運営改革が求められる。

1.単なる遠慮
  あまり発言すると自分が浮き立つ、またその事柄の関係者に配慮すると発言
  を控えた方が無難と判断するという心理的な要因がある。

2.意見を上手く言えない、言える自信がない
  意見は持っているがそれを人前で的確に伝えることが出来ない、苦手だと
  思っている。

3.結局、どこから誰かが決めるだろうとの諦め
  意見を言っても所詮、それが最終結論に反映されない。言ってもムダとの
  認識を持ってしまう。

4.会議の進行が下手
  短い時間の中であれもこれもと報告を欲張るあまり、機関銃のように報告を
  するだけ何を審議するのか、どういうことを決めるのかの整理が付いていな
  い。

5.権限を持っている人の一方的な発言
  人数が多い中でそこに主席する人たちの中で上下関係や序列がある場合、
  いきなり権限を持っている人が発言してしまうと他の人が発言を控える
  ということである。

上記5点を解決するには単にファシリテータを導入するだけでは駄目である。

むしろ、4人1チームを編成してそこで各々突っ込んだ議論をした方が
効果的である。16人の会議メンバーの場合は4つのチームが出来る。それらで
競い合って課題の議論と結論付けを行うのが望ましい。

 またこれでこそ会議運営のスキルの向上にもつながる。

かつてバブル時代に時間短縮活動の一環で、会議の効率化に取り組んだ企業が
多い。他えばある企業では全ての会議は立ったまま行うという表面的な取り組み
で頓挫したという。資料を予め配布するなどといった付随的な取り組みではなく
運営方法の発想を抜本的に変えることである。


 幹部会議については特に改善ではなく発想も変えた改革が必要となる。

新型インフルエンザ・・水際作戦は自助の世界

2009-05-01 17:46:31 | Weblog
国内初の新型インフルエンザ感染か?と心配された横浜市の男子高校生は先ほどの報道によると新型インフルエンザではないと判明された。関係者はほっとしたことであろう。

しかし一方で韓国ではメキシコ渡航をしていない韓国人が感染の疑いがあるということで、既に世の関心は2次感染の発生に移っているようだ。

冷静に考えて見ると、毎年の季節型インフルエンザ自体も大変気をつけなければならない感染病である。今回はそれが季節ということでないこと、飛行機による人の移動によって世界中に感染のネットワークを張ってしまったこと、そしてこれまで免疫がないために感染者数自体が多くなることから弱毒性で致死率は低いとは言っても爆発的に広がる恐れがあることが特徴と言える。

これまでは多くの人が例年肌寒くなると、インフルエンザの予防接種を行い、空気の乾燥に注意してうがい、手洗いを励行するという予防策を採ってきたが、今回を契機に「インフルエンザはいつでも発生しうる」と言うように日頃の生活意識を変えて、一人ひとりが行動を実践することが地道でかつ確実な予防策と考えれられる。水際作戦というのは何も成田空港だけではなく、一人ひとりの目、口、鼻と言った身体の入り口において個人の責任で行うものであろう。

マスクをすることはともかくとして、食事の前に手洗いを励行する。これについては日本の衛生環境は諸外国と比べて恵まれているのではないかと思う。大抵のレストランに入っても必ずと言って良いほど「おしぼり」が出てくるからである。ところが海外ではそういう「お客様に手洗いをしてもらうような工夫をする」習慣が
ない。(韓国などは日本と同じようにおしぼりを出すところは多いが・・)

その意味では100円ショップでも売っているウェットティッシュは感染予防の自助で
手軽に出来る予防策ではないか。またレストランなどのお店でもそういう配慮を
することは単なる顧客サービスの一環だけではなく、危機管理の一環とも言える。

品質マネジメントの世界では、欠陥品発生予防のためのコストは、欠陥品が出た後始末のためのコストや労力を防ぐ「投資」とも入れるものである。

日本発のおしぼりの提供と言う習慣が、今回の世界中を騒がした新型インフルエンザを契機にCS(顧客満足)ではなく危機管理、リスクマネジメントの有効策として注目されることを望みたい。

水際作戦は自助が最も重要なのである。行政が行う公助よりも・・




情報伝達の基本・・・北朝鮮ミサイル発射2度の誤報からの学び

2009-04-05 13:03:48 | Weblog
 今回の北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射に関する2度に渡る誤報は、わが国の初歩的な危機管理、初動態勢に対する不安感を助長してしまった。また世界各国から注目を集めただけに、「日本は大丈夫か?」と見られてしまったことも残念な結果であった。

 とりわけ、今回は危機管理としては異例である。なぜならば本来、災害やテロなどの危機的な事項は予期せぬタイミングで発生するのに対して、今回は事前に北朝鮮から通告があり、それに基づいて初動態勢を整えていたからである。その意味では本来の危機管理とは言えない。

 それにも関らず4月4日は2度の誤報が発生してしまった。1度目は,4月4日11:00過ぎに秋田県が、「10:48にミサイルが発射された」と発表したが、直後に誤報と訂正したとされている。県はこの発射情報は政府と自治体との専用回線エムネットからではなく防衛省の中央指令本部から届いたと説明した。

 そして2度目の誤報は、首相官邸から12:16に全国に伝わったもの。私の携帯にも12:18に「政府は北朝鮮から飛翔体が発射されたもようと発表した」の時事通信社の号外速報が入った。しかし12:21にはこの情報は誤りと官邸が撤回し、私の携帯には12:41に「政府は先ほどの発射情報は誤探知の疑いがあると発表した」との速報が入った。この時点で国民の多くが「こんなことで大丈夫なのか?」と不安や「だから政府の危機管理はなっていない」との怒りの感情を持ったのではないだろうか。

 特に秋田県民や市町村にとっては2度に渡る誤報でそれが倍増したと予想できる。
ではこうした誤報がなぜ発生したかということになるとそこには共通する原因が
ある。それは端的に言うと以下の2つに大別される。

①仕組みの問題

 今回の場合、仕組みとは「ミサイル発射情報の流れ」である。まずこの仕組み
が冗長で複雑であることが気になる。そもそも情報の発生元、つまり現場は北朝鮮の発射地点にある。もっとも仕組みを作る際にこの現場については「発生したかどうかの連絡をしてくれない」という前提であることは言うまでもない。そこで最もその発射の有無に関する情報をつかんでいるのが米軍の早期警戒衛星(DSP衛星)である。

 この衛星が掴んだ発射情報は在日米軍司令部(東京横田)を経由して防衛省中央指揮所(東京市ヶ谷)に伝達される。しかし仕組みはこれだけでない。防衛省の警戒管制レーダー(千葉旭)が把握した発射情報は航空総隊司令部(東京府中)に入り、そこを経由して中央指揮所に入ることになっている。情報の流れが冗長でいくつもの経由があるのは仕組み自体が不適切と言える。それは経由場所で情報が停滞することと、そこに人の思惑が入ってしまい情報が歪められるからである。

 そもそも米軍の早期携帯衛星はミサイルの発射時に放出される赤外線を探知する
もので最も迅速で正確な手段である。それに対してレーダーはあくまで補完的な手段に過ぎない。特に皮肉なことは誤報の元となった千葉県旭市飯岡には新型地上レーダー「FSP-5」が設置されたばかりで、それは従来型よりも高性能のもので低い高度を周回する衛星などにも感知すると言われている。

②運用の問題

 今回の場合、運用とはその情報の流れに沿って実際にそれに関る人たちが正しく判断して迅速に行動してそれを機能させるということである。

 まず秋田県で発生した第1回の誤報の場合。これは仕組み(=基本的な流れ)に従わずに人間が動いたから発生したものだ。本来は官邸から秋田県にエムネットを通じて情報を伝達する原則があるのに防衛省・自衛隊の陸上幕僚監部から全国の陸自関係部署にメールが誤配信されたと報道されている。しかも陸上幕僚監部は情報の流れには出てこない組織である。あくまで基本は防衛省中央指揮所から首相官邸
を通じて各自治体や報道機関に伝達することになっている。

 第2回の誤報については、4日12:16に千葉旭にある飯岡レーダーが航跡探知の情報を航空総隊司令部に連絡、さらにそれが中央指揮所に連絡されそこで担当官がマイクで発射をアナウンスしてしまい、そのアナウンスの声を官邸がモニターしていたのでそれをそのまま、発射情報として自治体と報道機関に伝えたとされている。

 情報伝達の基本は事実のみを正しく伝えることである。これらの情報伝達にはおそらく3名以上の人間が関っていたと予想するが、どこかの段階で誰かが思い込みをしてしまったり、特に仕組み上は情報が一元化している防衛省の中央指揮所において責任者が確実に複数の関係先からの情報を照合して最終判断していれば誤報は防げていたと推察される。
 
 その後、新聞やテレビで今回の誤報に関して識者が様々な見解を述べているが、
単に防衛省の各担当者がしっかりしていないとかという精神論に止まるのではなく
これを機会に、非常事態発生における情報伝達は仕組みと運用の2つの面から検証していかなければならないこと、それは防衛省の一つの部署を超えて、官邸や自治体も含めたトータルの仕組みとして捉え、これを一つの政策・施策としてマネジメントサイクルをきちんと回すことが重要である。

 特に防衛省に関しては昨年の8月に「防衛省改革の実現に向けての実施計画」が発表され、この2009年度から本格的な改革の実施が始まったばかりである。
www.mod.go.jp/j/news/kaikaku/20080827b.pdf

 この5頁に「情報伝達におけるプロ意識の確立」で研修等の機会を通じての周知徹底が掲げられているが、むしろ情報伝達の基本の徹底とすべきであろう。また6頁には①PDCAサイクルの確立、業務改善に関するガイドラインの策定とあるが、
当然、官邸も含めた危機情報伝達の仕組みと運用の改革にまで拡充すべきである。

 また②では部局間の垣根を越えたチームによる課題への対応とあるが、今回の出来事は組織横断的なプロジェクトというよりも関係機関の責任者が集まって情報伝達問題の本質、深層原因を究明して共有化すべきである。

 先述した通り、小手先の改善活動ではなく、政策評価と連動した「危機管理、非常事態発生時の情報伝達」政策施策のPDCAサイクル確立を本腰入れて行うことである。それでこそ国民に信頼されるための「防衛省改革」と言える。もちろん、新型地上レーダー「FSP-5」整備事業やエムネット情報システム整備事業の事後評価をきちんとやることは言うまでもない。
  
 
 

定額給付金の支給決定を受けて・・再度「米百俵の精神」

2009-03-05 00:40:29 | Weblog
 2009年3月4日、とうとう衆院で3分の2の可決で定額給付金の支給が議決された。
それを受けて比較的小規模な町村では既に住民に手渡しで支給したりと工夫がなされている。

 定額給付金の目的についてこれまで二転三転の説明をしていた麻生総理も最終的には「目的が景気刺激ということで(高額所得者の)私も受け取る」ことを正式表明した。FNNの世論調査では「景気対策として適切ではない」と回答した人が76・9%、『ばらまき』政策で好ましくない」が78・7%に上っているが、実際に支給されるとなるとほとんどの人が「もらう」と答えていると言う。

 もらえるのであればもらう、でもそういうやり方はいかがなものか・・これが
現代社会の多くの一般人の認識であることがわかる。

 これから1から2ヶ月で定額給付金の支給の結果が各地から報告されると思うが、その政策目的通りに、国民が思い切って消費に使い、さらに消費の誘引剤になることを願う。

そしてある一定期間が経過したらその費用対効果を検証して将来の教訓を抽出する
政策評価を政府や自治体は行うべきである。

 ところで物資に恵まれている現代人はばらまき政策について冷ややかに見ているのに対して物資に恵まれてなかった頃の人たちは必ずしもそうでなかったようだ。その逸話が米百俵物語。

戊辰戦争に敗れた越後長岡藩に見舞いとして送られた百俵の米を、藩幹部の小林虎三郎が「米を皆に分けろ」と迫る藩士に対して、「1日か2日で食潰して何が残るのだ。後世に残るものに使おう」と説得し、米を売却して得た資金で学校を設立したという話である。

このことを政策評価的に考えると、「誰を対象に、何を意図して、何に反映させるか」ということになる。最終的な反映先は「住民が誇れて安心して暮らせるまちづくりの実現」である。これは「その時点の住民満足度の向上」とは異なる。

長岡藩の例では、米を皆に分け与えることはその時点での住民満足を実現する最優先の施策であった。もし当時、住民満足度調査が行われていれば、「住民が最も望む施策は即時に米を皆に分けること」との結論だっただろう。実際にそのような声が大半だったと言われている。

しかし小林虎三郎は、そうしたバラマキ政策を選ばずに人材育成施策を選んだ。もし当時、政策評価が導入されていれば、「現状の住民を対象に、現状の飢餓を解消すると言う意図は、短期的には充たされる。しかし長期的には住民の行政依存をさらに進め、結果として究極のまちづくりには結び付かない。」との評価結果であっただろう。

小林が主張した人材育成施策の目的は「未来の住民」を対象に、「自尊心を持って逸材になってもらう(誘導)」と言う意図で、「人づくりによるまちづくり」に結び付けると設定出来る。米のバラマキの目的とは対象も意図も異なるのである。

小林の考えを最後は受け入れた長岡藩士であるが、彼らはトップダウンに従ったわけではない。当初は当然の如く米のバラマキを主張したが、長岡藩の家訓である「常在戦場」を思い出した。常在戦場とは、「いつも戦場にいる気持ちで事に当たれ」と言う武士の心得である。現代流で言えば「いつも公務にいる気持ち」、つまり公務員倫理であり、まちづくりに向けて住民を誘導する「舵取り」役の立場を貫くということである。

つまり自分達はどういう位置にいるべきか、納税者、受益者、住民自治の主役、既得権保持者といった様々な立場の住民に対してどう向き合うのかという基本理念である。

米百俵の売却代金で間もなく、国学、漢学などを教える充実した国漢学校が建設された。ただし単にハード整備の公共事業に止まらなかった。それによって住民に教育の重要性が理解浸透されたのである。それは米百俵売却を単に美談に終わらせたくないという自尊心があったのではないかと見る。国漢学校と前後して住民による読み書き、算術を教える私学校が設立された。さらにその後、士族と住民の融和と経費節減の目的で、2つの学校が合併となり、長岡学校(現在の長岡市立阪之上小学校と新潟県立長岡高校の前身)となった。

学校施設や駅前駐車場、文化ホールや道路など施設を単に整備することが投資的事業ではない。建設時は国が面倒を見てくれるので負担は少なくとも、維持管理段階では一般会計に負担をもたらす経費的事業になるだけである。

むしろそれによって受益者となる住民がいかに住民自治の主役として、その事業の意図を正しく理解し、後世に伝えるかである。要は、施設に投資するのではなく、住民に投資するのである。

長岡学校のように住民がそのことをある意味ではプレッシャーとして受けとめ、それを危機意識と前向きな改革改善行動に駆立てる政策評価こそが現在の政府や自治体に求められるのではないだろうか。

参考文献:「米百俵 小林虎三郎の思想」(長岡市役所庶務課)

組織改革の本質・・・動きが変わる

2009-03-04 23:50:43 | Weblog
 10年前の1999年に、月刊「地方分権」(ぎょうせい刊、後にガバナンスに名称変更)に連載された「ケースに学ぶ自治体組織改革再編手法」の第1回で、組織改革とは単に組織の機構を変えるものではないと警告した。先日、ある市の組織と人事担当の課長さんからこの記事に関する問い合わせを頂いた。そこで改めてその原稿を読み直してみると、その骨子は10年後の今でも十分適用できることが確認できた。

 以下はその2009年度版としてのリメークである。

行革大綱(集中改革プラン)の中で「効果的、効率的な組織体制」と明記され、
この4月から組織機構改革を行う自治体も少なくないようだ。

 しかし、組織機構改革は実際にそこで働く職員から見ればなかなか実感が涌かないのではないだろうか。せいぜい半年間位で機構案を検討しても結局はあまり変わり映えのないありきたりの大括りフラット組織機構を採用したり、あるいは組織問題の本質を議論せずに新組織の名称などの議論に終始してしまうというのが実態だと思う。

 そもそも組織の機構は中長期のまちづくり目標(基本構想、基本計画)に基づいてトップの決断で行うものであり、そこには明確な基本理念、組織原理がないといけない。さらに、そうした理念を具体的な業務分担、責任権限分担を通じていかに末端まで浸透させるか、この浸透度合いによって組織改革の成否が決まるのである。

 例えば以下の質問に対してどう答えるだろうか?

・効果的・効率的な組織体制となった状態を、自分の課や仕事に当てはめるとどうなるのか?
・昨年度と今年度で仕事の内容ややり方をどう変えなければ効果的または効率的に なったと言えるのか?
・今回の組織機構改革は定員管理や事務事業見直し、あるいは職員の能力開発など とどう連動してるか?
・庁内の各課がまちづくりなどの課題に対して連携が図られているか?
・新組織で政策の形成や事業の意思決定の過程はどう変わるのか?
・あなたやあなたの所属部門に与えられた権限や責任はどう変わるのか?
・業務執行の手続きや職員の分担を効率的にするための手だてはあるのか?
・新組織を具体化するために職員一人一人の21年度の業務遂行目標や職務拡充目  標、さらに能力開発目標は既に設定されているのか?

これらの質問に明確に答えられなければ再度、組織改革の原点に戻って本質的な議論をすべきであろう。ただその議論の枠組みが重要である。

まず組織機構改革は組織改革の一部に過ぎないということと、それらの改革の出発点は組織ビジョンを設定することにある。組織の機構やポストの削減などは組織の構造的那改革の一部であり、むしろ全庁的な観点での集権と分権、集中と分散の最適化の議論が先である。

 本来はこれらが行革大綱で明確に示され、それに基づいて組織機構改革や行政評価が論じなければならないのだが、どうもその通りにやっている自治体は未だ少数の様だ。

 大概は行革担当部門や企画、人事部門がやっていること、打ち出している内容がバラバラに縦割り志向でやられており、時に互いの足を引っ張っていたり、重複したことをやって現場の混乱を招いていることが少なくない。

 これは関係部門の課長が各々が考えていること、やろうとしている方向性を改革の全体像として行革大綱の中で共通認識してなかったからである。よくこのような症状の組織では部課長が「トップのリーダーシップ」とか「職員の意識改革」と叫んで自分たちの当事者意識を忘れてしまうことがたまに見られる。

 組織改革の本質は組織機構の変更ではない。むしろどのように組織が、その中の役職が動いたかである。

郵政民営化は構造改革と言えるのか?

2009-02-11 16:03:11 | Weblog
今週は仕事で沖縄に来ている。沖縄は2月は年間で最も気温の低い時期であるが、それでも昼間の気温は20度近く、まるで5月連休の関東地方の様な陽気である。思わずブログのテンプレートを春バージョンに切り替えてしまった。

さて時の総理の発言のブレで郵政民営化問題が再燃している。ブレと言うよりも
ダッチロールと言った方が適切であろう。「ではあの郵政解散総選挙は何だったんだ?」と首を傾げざるを得ないし、結果として政治や選挙に対する国民の信頼が
低下したことは残念である。

また日本郵政の簡保施設の売却に対する入札の公平性、公正性についても調査が進むにつれて、首を傾げるような事実が次々と明らかになっている。

このようなことから「郵政民営化を目玉とした小泉構造改革」は本当の構造改革とは言えない。構造改革とは本来、これまでの既得権益を思い切って打破して、真に公平、公正な社会の構造へと変え、人々が安心して暮らしていける社会にしていくことである。(構造改革の定義はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/)

しかし郵政の経営形態は官から民に変わったものの、むしろその移行過程で新たな既得権益を生んでしまったことはとても残念なことである。

民営化の際に気をつけなければならないことは、「官から民へ」という美辞麗句が
「ガラス張りの公開から企業利益確保の守秘」、「公益から私益」へと
意図的に翻訳されてしまうことである。

改革という言葉は「革が改まる」と解釈されるが、透明な革から汚れた革に改まるのは改革とは言えない。

そもそも膨大な国民所有財産を官から民に払い下げをする際に膨大な利権が生ずるのは誰が見ても明らかであり、その過程自体は民の発想で行ってはいけなく、あくまで官の発想でやらなければいけない。民の発想は迅速である反面、公平性や公正性が失われる。官の発想は迅速性よりも公平性や公正性が求められる。多くの人の監視がなされる。民の発想は個人のコネやバーター取引が許されるが、官の発想ではそれらは許されないことは言うまでもない。

さて今後の郵政民営化の見直しはどうあるべきか? それはまず徹底した政策評価、事業評価を行って再度、そもそもの目的の妥当性評価、国民が期待した既得権益打破と言う目的からの再設定、官から民への移行過程における様々なリスクの解明と予防策確立など地道に進めていくべきである。4分社の是非はその延長で議論すればよい。

その意味では麻生総理の迷言である「国民が感じていたのは民営化かそうではないかだけだったと思う。内容を詳しく知ってる方はほとんどいなかったと思う」は、本来は、「郵政民営化の内容を詳しく知っている人は少なかったかもしれないが、郵政民営化を突破口にして日本の社会のあらゆる既得権益を壊して公正で公平な社会構造を築き上げることを期待していた国民は多かったはず。」と言うべきであった。
 
 

オバマ大統領の就任演説・・・再生への道は政策評価を本気でやること

2009-01-30 23:52:02 | Weblog
オバマ大統領の就任演説は既に英文や和訳文で各新聞に掲載されたが、その中で特に共感を覚えた文を、独自の翻訳で紹介する。実務家としての意訳を入れている。
特に政治家や公務員に読んでもらいたい部分だ。

What the cynics fail to understand is that the ground has shifted beneath them - that the stale political arguments that have consumed us for so long no longer apply.

☆政府の在り方を論ずる評論家は、自らが拠りどころとする視点が今や大きく変わってしまったことを理解していない。それは政府のあり方について長年時間を掛けて議論されてきたことである。

The question we ask today is not whether our government is too big or too small, but whether it works

☆もはや政府が大きくあるべきか、小さくあるべきかを議論することではない。むしろ、政府が正しく機能しているかを議論すべきである。(目的を達成しているかどうか)

- whether it helps families find jobs at a decent wage, care they can afford, a retirement that is dignified.

☆それは各家庭が十分な所得を得る仕事に就け、必要な医療保険を受け、遜色のない退職金をもらえるように政府が支援しているかどうかなのである。

Where the answer is yes, we intend to move forward. Where the answer is no, programs will end.

☆その質問に対してイエスであれば私たちは政府の仕事をさらに進める。ノーであれば政府の仕事を思い切って止める。

And those of us who manage the public's dollars will be held to account - to spend wisely, reform bad habits, and do our business in the light of day - because only then can we restore the vital trust between a people and their government.

☆さらに税金などの公金を扱っている私たちは、それらを賢く使い、悪しき慣習を是正し、情報公開に耐えられるような仕事をしていく。なぜならばこうした姿勢を貫くことで初めて国民と政府との間の信頼を築くことが出来るからである。

・これはまさに政策評価、行政評価を正しく実践することを強調していると理解出来る。政府が正しく機能しているかどうかを評価するのが政策評価、行政評価の実践ということだ。

http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=1111715-00-000


 

成田での警察庁キャリアの不祥事から真の警察刷新を考える

2009-01-17 01:51:13 | Weblog
新聞報道によると、警察庁人事課の課長補佐の警視(36歳)が昨年12月24日、成田空港の手荷物検査場で、国際線への持ち込み制限を超える男性用化粧水を持ち込もうとして女性の航空保安検査員に制止された。その際、「私は警察庁の警察官だ。県警本部長に連絡してもいいんだぞ」などと暴言を吐き、トレーを投げつけたという。
この警視は2000年に警察庁入庁。昨年4月から人事課に配属され、警察官の職務倫理教育を担当しているとのことだ。

誰もがこのニュースを知って情けないと思ったであろう。

警察官の不祥事は後を絶たないのが残念だが、この事件は法律的には重くはないが、組織体質的にはとても重く受け止めるべきものである。

警察組織の人事制度は巡査→巡査部長→警部補→警部→警視と言う典型的な
資格制度であり、多くの警察官は都道府県の警察本部(東京都は警視庁)に巡査として採用され試験をパスして昇進(昇格)をしていく。私は警部クラスのマネジメント研修の講師を行った経験があるが、警部は、一般企業で言えば課長級で部下を持って組織の統括を行うマネジャーである。年齢は35歳から55歳位と幅がある。もちろん警部にならずにして定年退職となる警察官は沢山いる。

そうした多くの警察官に対して、この警察庁の職員はキャリアと言われ短期間で、警部のさらに上の警視まで昇進(昇格)をしている。一般企業で言えば、
地方の支社採用ではなく本社採用のエリート社員。まあこれだけの短期間の昇進
となるとそれは普通の人ではなく、オーナーの息子、後継者にありがちな処遇
と言える。

皮肉なことに彼が警察庁に入庁した2000年は相次ぐ警察の不祥事を受けて
国会公安委員会に警察刷新会議が設置され、7月13日に緊急提言が発表された。
しかも、この日を警察刷新の日と定めて、この提言が風化しないようにと
された。これは警察官の職務倫理教育の原点にもなっているはずである。

そしてこの緊急提言の中には「人事・教育制度の改革」と題して以下の項目が
見られる。
http://www.npsc.go.jp/sasshin/suggestion/7_9/index4.html

・・まず、キャリア警察官に最も求めたいものは、霞が関にとどまらず都道府県警察の第一線現場も自らの働きの場であるという認識であり、「ノブレス・オブリージュ(高い地位には義務が伴う)」の考え方に基づく使命感の自覚である。
 また、入庁後の約10年間は、将来必要とされる知識を習得し経験を積む上で大変に貴重な期間であるため、他省庁の1種採用者との処遇の均衡に配意しつつも、警視に昇任するまでの期間を現在の2倍程度に延ばすべきである。被疑者の取調べなどの捜査実務や住民と直接に接する交番での勤務経験などを充実させるとともに、海外留学の機会も与えるようにすべきである。・・・・

今回の不祥事から推察されることは、こうした人事・教育制度の改革は道半ば
ということである。もしかしたらこの警察刷新会議の提言そのものが風化して
いるかもしれない。

成田空港での彼の発言からは「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige:高い地位には義務が伴う)」の考え方に基づく使命感の自覚どころか、「ノブレス・
プリビレッジ(nobless priviledge:高い地位だから特別扱いが当たり前)」の
考え方に基づく法令遵守と倫理観の欠如が伺えるのが残念だ。さらに言うと、
組織の運営原則から外れた認識も持っているようだ。

「県警本部長に連絡をしてもよい」とはおそらく「県警本部長に言えば特別
扱いしてくれ見逃してくれる」との認識があったわけで、普通の常識では
考えられない。なお、県警本部長は警視よりもさらに2階級ほど上の資格
を持つ人である。

 一般の企業を例にすると、本社の人事課の課長補佐が、工場に出向いた時に
工場の安全基準に抵触した行為をしようとして工場管轄の警備員に制止された
時に「工場長に伝えておくから見逃してほしい」と言っているようなもの。

 警察庁=本社、県警本部=工場長、そしてその工場長の人事権を持っている
人事課の課長補佐の方が偉い・・これは勘違いのノブレスと言うものだ。
少なくとも人事課の職員である以上、人事教育制度の改革を進めて警察組織の
信頼回復と使命発揮に結びつけることを第一に考えるべきである。それが
職業倫理と言うものだ。

現在の警察庁の人事課長は大変お気の毒であるが、今回の事件を決して
表層的なものとして受け止めないで、次の自分の異動先などを気にせず
再度、警察刷新会議の提言を読み直して、キャリア職員が「ノブレス・
プリビレッジ病(=オーナーと勘違い病)」に陥ってないか、日頃の
発言や行動にその兆しがないかなど交通安全教育で強調している「ヒヤリ
ハットの法則」も当てはめてみて、人事評価と教養(研修)の在り方を
再点検することを期待する。

今年の7月13日が楽しみだ・・・




 





 

定額給付金問題は予算編成制度改革の契機に

2009-01-16 00:49:40 | Weblog
 財務省の諮問機関の一つである財政制度等審議会が、2008年度第2次補正予算案に盛り込んだ定額給付金(総額2兆円)の撤回、見直しを求めることになった。
政府の諮問会議が諮問されてない事項を提言、進言するのは珍しいことと言われている。審議会の西室会長は財務省の事務方から「過激なことは控えて」と言われた
そうだが、形式に捉われない思い切った言動にまずは敬意を表したい。

定額給付金に関しては既に各新聞者の世論調査結果を見ても、7割以上の人が
「バラマキだ」「景気対策には雀の涙だ」などと反対をしている。要は、民意の
反映に基づく政策というよりは政局の手段としての予算使途と言える。

 財政制度等審議会は大企業トップや大学教授など相当たる有識者が委員に
委嘱されているが、私としては、定額給付金という一つの事業、予算使途の
指摘だけに止まらず、予算編成制度改革との関連で、民意を確実に政策として
予算に反映出来るような仕組みと運用の提示をして欲しかった。

 それは財政制度等審議会の一つに「財政制度分科会」が設置されており、ここの
所掌事務は「国の予算、決算及び会計の制度に関する重要事項を調査審議すること」と明記されているからである。今回の審議会では「定額給付金の支給を
止めて他の経済活性化策にその予算を振り向けるべきだ」との意見が大半を占めた
ようだが、そのようなことは日々のテレビで多くのニュースキャスターやコメンテータがより庶民感覚で訴えている。

 むしろ、そのような民意を必ずしも反映していない予算使途案(事業)が出てきた時に、その目的を明確にして、それによってどれだけ成果が期待出来るのか、
それを実施する上でのリスクはないか?それを行う際のコストは適正か・・など
の「新規事業の事前評価」を義務付けることが大切である。こうした予算編成制度改革としてその所管大臣である財務大臣またはその上司の総理に進言するのが、この審議会の本来の役割ではないだろうか・・例えば工場に例えると、顧客の要求基準を達成できそうもない製品を検査して、「これは出荷すべきでない」と指摘する
のは改革とは言えない。品質不安定な製品が出荷されつつあることの深層原因を
究明して抜本的な仕組みと運用を行うのが改革である。

 ついでであるが、この定額給付金が支給された後には必ず政策評価(事業の事後評価)を行うべきである。そして将来に対する教訓を残しておくことが
政府のマネジメントサイクル(計画・予算・決算・評価)のレベルアップをはかる
上でも重要なことだ。