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kan-haruの日記

風景・風物詩(B2) 夏の風物詩 浅草ほおずき市 その1

2006年07月19日 | 風景・風物詩
浅草ほおずき市
入谷の朝顔まつりに続き、7月9~10日は浅草のほおずき市が夏の風物詩第2段として浅草寺境内にて開かれました。今年も、昨年に引き続き7月9日にほおずき市に出かけ、浅草寺に参詣して四万六千日のご利益を授かってきました。
ほおずき市には、自宅から京浜急行と都営地下鉄に乗り継いで、乗り換えなしのおよそ35分で都営浅草駅です。浅草寺境内を一巡(地図参照)して、ほおずき市の観光をしました。

雷門
都営浅草駅を上がり路地から大通りに出て、右側吾妻橋とは反対方向に左折すると雷門が見えてきます。土曜日でしたので朝から大変な人込みで、雷門の前は東京で最も人気のある観光地ですので記念撮影などで混雑しておりました。
雷門は、最初は浅草寺の総門として天慶5年 (942年)に建てられましたが、火災による焼失し、その後寛永12年(1635年)徳川家光により建立された門は、右に「風神」左に「雷神」を安置して「風雷神門」と呼ばれ、略して雷門で親しまれております。慶応元年(1865年)に再度の火災に遭って以来、昭和35年(1960年)に現在の鉄筋コンクリート製で再建されるまでの百年近く存在しておりませんでした。

雷門には、上部に右書の「金龍山」の扁額が掛けられ、正面に「雷門」と書かれたおなじみの大きな提灯が下がっております。大提灯を仲見世側から見ると、「風雷神門」と書かれてあります。また、風神・雷神像は慶応元年の罹災で頭部を残して消失し、明治7年(1874年) 塩川蓮玉氏により補刻されたとあります。風神・雷神像の裏側(仲見世側)には、昭和53年(1978年)に寄贈された「天竜像」と「金竜像」が安置されております。


仲見世
雷門をくぐると、すぐ仲見世です。
生い立ちから現在までを「仲見世の歴史」から抜粋
徳川家康が江戸幕府を開いて江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいました。
それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられ、これが仲見世の始まりで、元禄、享保(1688~1735)の頃といわれてます。
大正12年(1923年)の関東大震災により壊滅し、同14年に現在の鉄筋コンクリート造り、桃山風朱塗りの堂々たる商店街に生まれ変わり、昭和20年(1945年)の戦災で内部は全部焼失しましたが、仲見世の人々の努力により復興しました。

現在の仲見世には東側に54店、西側に35店、合計89店の店舗があり、長さは約250メートルで、美しい統一看板と四季折々の装飾が石畳に映え、雷門をくぐった海外からのお客さまは、みごとな日本的情緒に満足し感嘆します。

宝蔵門
仲見世の後ろが宝蔵門(仁王門)ですが、現在修復工事中により門全体が工事幕で覆われており、姿を見せておりませんでしたので工事中の門は素通りでした。

五重の塔
五重塔は、天慶5年(942年)に平公雅によって本堂の東南側に建立されたが、火災による焼失後、慶安元年(1648年)徳川家光により再建、その後戦災で焼失し、昭和48年(1673年)参道を挟んで反対側、本堂の西南に再建されました。
五重の塔は、塔を囲む回廊式の建物(塔院)の上に建てられていますので、地上からは六層ということになり、下から仰ぎ見ると一層の屋根が高く見えます。

浅草寺本堂
浅草寺は聖観音宗の総本山で、東京では最古の寺で山号は金龍山と称し、通称浅草観音で親しまれています。また、東京都内では、唯一の坂東三十三所観音霊場の札所(13番)であります。

浅草寺の起こりは、「浅草寺縁起」によりますと、推古天皇36年(628年) に漁師の檜前兄弟が江戸浦(現在の駒形橋下流)で漁労中、一体の仏像を投網の中に得て、豪族であった土師中知に見せると、聖観世音菩薩の尊像であることを知り、中知は自ら出家し屋敷を寺に改めて深く帰依したと伝えられる。これが浅草寺の草創の縁起とあります。
本堂の本尊には聖観世音菩薩像が祀られており、大化元年(645年)に勝海上人が「秘仏」と定められ、やがて平安時代の初期、比叡山の3世天台座主、慈覚大師が、この秘仏に模して「お前立」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)のご本尊(現在のご開帳仏)を謹刻されました。

浅草寺は、草創以来焼失と再建を繰り返し、江戸幕府第三代将軍家光により慶安2年(1649年)に再建され、享保6年(1721年)に大修復が行われるなど、度々修復を繰り返してきましたが、明治40年(1907年)「国宝」に指定されました。その後、関東大震災をも無事に免れましたが、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で戦災炎上しました。しかし、ご本尊は前もって観音堂の真下地中3メートルのところに、青銅製の「天水鉢」を埋め、その中へ安置されていましたので安泰でありました。
消失した本堂は、戦後の昭和26年(1951年)復興に着手して、昭和33年81958年)に再建落慶しました。

本殿中央には本尊を安置する間口4.5メートル、高さ6メートルの宮殿(「厨子」)があり、宮殿内部は前の間と奥の間に分かれ、奥の間に秘仏本尊、前の間には「お前立ち」の観音像が安置されております。信徒が拝することができるのは「お前立ち」像のみで、秘仏本尊像は公開されることはない。宮殿の左右には脇侍の梵天・帝釈天像、堂内後方左右には不動明王像と愛染明王像が安置されております。

四万六千日
ほおずき市が行われる7月9、10日は、この日に参詣すると四万六千日分のご利益があるとされております。
四万六千日を年数になおしますと百二十六年に近い年数になります。人間が心身に気をつけ、病気や事故にあわなければ、人間はこのぐらい長生きでき、一生を無病息災で過ごせるようにと願った数字と伝えられております。

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(6月分掲載Indexへ)
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