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いま、そのとき、かんがえつつあること。

多文化主義というよりも…

2005-11-29 | にんげん
『〈複数文化〉のために』をかるく よんで、多文化主義って なんだろうということをふと かんがえた。おまけに多文化主義の定義について人と はなしをしたので、とりあえずの かんがえをかいておく。

文化とみなされるだけでも、じゅうぶん社会的地位はあるのだろう。もちろん、それらが不当に しいたげられているのが社会の現実であるが、多文化主義という、ある種の理想をかかげる以上は、一般的には文化とさえ みなされないもの(生活といってもよし)をどのように つつみこむのかということになるのではないか。そうでなければ、すでに常識化したものが社会的権威をたもちつづけてしまって、「文化という抑圧」が生じてしまう。

一般に文化とよばれるものには、ある種の わかりやすさがある。しかし、ありふれた生活に ちかづけば ちかづくほど、「文化というほどのものではない」という印象が つよまってくる。もちろん、それを生活文化と みなす意義は たしかにある。けれども、そこまでくればもう「生活」で いいではないか。

これこれは文化だ!という宣言さえ必要としない社会をめざすということ。もちろん、その過渡期では、さまざまな文化宣言が さけばれていいのだが、生活という ありふれた、けれども現に序列化されている いとなみをきちんと価値相対化していくこと。なおかつ価値相対化を暴力の肯定にしてしまわないように、人権などの軸を視点に とりいれておくこと。

多文化主義というよりは、「ありふれた日常生活の保障」だ。 / え? 「ありふれた」って どーゆーことだよ! / んー、それじゃあ「つむじまがり」がどこまで許容されるかっていう、ふところの ひろさの問題、ということにする。 / ん? 「ふところの ひろさ」ってのは、たよるべき大将が どこかにいて、すべては その人(の良心)に かかっているということになるぞ。 / えー、それなら「迷惑かけないかぎりは自由だよ」にする? / は? 迷惑かけちゃいけないって だれが きめたんだよ。 / もー、それなら…。こうしよう、ばかなことをしつづける自由の保障だと。 / だから、「ばかなこと」って なんなんだよ。だれが きめるんだよ。 / いやいや、そうじゃなくて、だれが なんといおうとも、胸はって いきてくぜっていうことさ。 / それじゃあ結局は個人の「気のもちよう」だと? / わかったよ。胸をはっても はらなくても いきていけること。アイデンティティに なやむ必要がないこと。これで いいっしょ? / よくないけど、いいことにする。いいかげん あきたから。

ま、名称は多文化主義で いいと おもわれ。って、中身の問題なのだが。

グーグル:「多文化主義」