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いま、そのとき、かんがえつつあること。

天皇ゲームをもてあそび

2006-01-15 | 国家と権力
たまたま『アエラ』の表紙をみたら「雅子妃「離婚説」の策謀-別れさせたがっているのは誰か」とある。へえ。そんなのあったんだ。さして興味はないので、内容は みなかった。検索してみたら、『フライデー』と『週刊新潮』にも「離婚説」の記事があるようだ。

わたしは不妊カップルの こどもだったりする。あきらめてたところに、ひとり うまれ、あとで わたしも うまれたそうだ。だからというのは おこがましいが、「こどもは まだか」という胸くそわるい圧力の いまいましさが、なんとなく わかる。あれこれ きいてきたからねえ。

くそかったるい天皇制という意味不明な「歴史」なんぞをせおわされた夫婦の重圧は はたして いかばかりか。その重圧というのは、「国民」が あたえてるわけなのだが。

かいならされてきたから、さほど文句もいえず がまんをすることになる。くだらない ひとらに かいならされてきたから、「女系天皇に反対」だと のたまうことになる(三笠宮寛仁って だれだ。てか、どう よむんだ)。

「皇太子妃」は、将棋のコマなんだなあと、「貴方は皇太子殿下がどうしたら良いと思いますか?」(投票ネット)なんかをみて感じる。この、野蛮なゲームは なんなんでしょう。結局はペットなんだよね。ペットあつかいなのに、「さまさま」いっちゃってさー。どういう欺瞞だ。

不妊治療の時代における天皇制。制度として、構造として これほど いびつなものが あるもんだろうか。

グーグル:「雅子 離婚説」
追記:この問題については、鈴木邦男(すずき・くにお)/佐藤由樹(さとう・ゆうき)『天皇家の掟―『皇室典範』を読む』祥伝社新書が示唆的かも。

軍隊は国民をまもらない。国体のためには国民もころす。それが国家である。この日本という国家である。ここにおよんでは天皇家さえも脅迫のもとにさらす。もはや「愛される皇室」というフィクションを演じることさえ やめてしまう。胸にいだいた「国体」の名のもとに、国体の象徴の一部をも ふみにじるのだ。大事なのは、具体的な人間ではないから。いまをいきる人間ではないから。なんとも わかりやすい社会である。天皇制の欺瞞が、これほどまでに安易に暴露されつつも、それでも神話は維持される。

―問答無用。なにも かんがえるな。これが日本だ。―そういって、国家の歯車であることを、国民であることをやめない。―だって、日本はまだ健在だもの。日本の悪口をいうもんじゃないよ。こんなにすばらしい国はないよ。―わたしは ただ、うそをつけ! うそをつけ! うそをつけ!と3回連呼する。

この国は、すこし わかりやすくなっただけだ。いびつなのは、いまも むかしも かわるものか。いまさら気づいただなんて ごじょうだんを。それでも、そうはいっても、気がつかなければ、はじまらないでしょうよ。はじまらないじゃないですか。