ひろじいのエッセイ(葦のずいから世の中を覗く)

社会と個人の関係という視点から、自分流に世の中を見ると、どう見えるか。それをエッセイ風にまとめ、ときには提案します。

死ぬ気まんまん

2015年07月31日 | 読書日記
死ぬ気まんまん 佐野洋子 光文社文庫
 著者は絵本「100万回生きた猫」や数々のエッセイで知られる。72歳のとき乳がんで亡くなった。「死ぬ気まんまん」というタイトルは息子の言葉「かあさん、なんだか死ぬ気まんまんだね」からとられたという。この時、佐野さんは68歳。余命2年の告知を受け、自宅療養していた。死と向き合う心境を綴ったエッセイだが、気張ったり淡々としたりせず、自分の流儀は少しも変えずに今まで生きて来たように暮らしている様子がよくわかる。
 何しろ病院で再発を告知された後、その足で中古車のジャガーを「それください」と買ったという読み手の度肝を抜く痛快さ。「もう長くないなら老後のための貯金をとっておく必要もない」という生活信条を地で行っている。もともと著者は、ものに執着がない人で、他人が欲しがれば、どんどん自分の物をくれてしまう。
 死を前にした著者の言葉は、なかなか読ませる。「私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ」。「死ぬのを待つのもあきた」。「私はあの世があるとは思っていない。あの世は、この世の想像物だと思う。だから、あの世はこの世にあるのだ」と書く。
 著者は、生きている限りは続いていく毎日を、痛いものは痛いとあがきながら、美しいものは美しいといとおしみながら、生きている。死と向き合う怖さはないのだろうか。本当は怖いかも知れない。だが、それをおくびにも出さないで「生きるって、どうあがいたって、かっこ悪いもんよ」とありのままを描く。
 著者にとって、死は子供の頃から身近にあるものだった。戦後、家族で大連から引き揚げてきた時、たくさんの死を目の当たりにしたし、帰国してすぐ、生まれて間もない弟を亡くした。一心同体のように仲のよかった兄も11歳で死んだ(このとき著者は大雨の夜更け医者を迎えに真っ暗な山道を走った。以後どんなに暗いところも怖いと思わなくなった)。長く生きることは、そのぶん、たくさんの死を見送ることでもある。そして自分の番が来た。
 この作品は雑誌連載中に、著者の死によって未完となったのだが、もう完結したような、言い残したこともないような雰囲気である。
 表題作のほか、築地神経科クリニックの平井辰夫理事長との対談記録と「知らなかった」と題するエッセイが収録されている。
 精神科医との対談では「余命2年と言われたそうですが、佐野さん、そんなに簡単に死なないですよ」と言われて、「そうなの?困る、私。2年だと言うんで、そのつもりでお金全部使っちゃったんだもん」と冗談めかしたたり、「死ぬのは怖くないんですけれども、死に至るまでの苦痛を想像すると、それが怖いんです」と本音を吐いたり、「本当に元気で死にたいんですよ」と矛盾したことを言ったりしている。医師にとっても、死とはどういうものかよく分からないらしい。
 「知らなかった」というエッセイには「黄金の谷のホスピスで考えたこと」という副題がつけられていたようだが、どういうわけか文庫本では削られている。副題のほうが内容をよく表している。それはともかく、この作品も死を深く見つめていて「死ぬ気まんまん」に勝るとも劣らず、読み応えがある。
 体中の痛みに耐えられなくなった著者は、友人に教えてもらったホスピスに末期がんでもないのに入院した。それはレンガ作りのホテルのような建物で、秋は多摩丘陵が黄金色と透き通る赤に輝く素晴らしい眺望に恵まれていた。
 著者は、そこで出会った人間模様を描く。透き通るようにやせた若い女性を乗せた車椅子を若い男性が押して通る。堀辰雄の「風立ちぬ」みたいな二人は、紅葉した丘陵の風景をじっと眺め、やがてまた著者の前を通り過ぎて部屋に帰っていく。何日か後、車椅子が通らなくなって、猛烈な淋しさが身体を突き抜け喪失感にさいなまれる。
 広島から検査のためにやってきた女性との交流は深い。彼女は肺がんで余命1年といわれたが、外見は病気に見えない。抗がん剤を拒否してワクチンだけを打っている。
 「何か宗教を持っている?」と質問すると、「小さい頃からおばあちゃんに連れられてお寺に念仏を唱えに行っていた。今でも念仏を唱えると胸がすーっとする」と言う。すっかり仲良しになったが、数日後彼女が静かな表情で伝えた検査結果は「あと4ヶ月」というものだった。
 著者は言う。「わかった、あなたもう救われていたんだよ。仏様が救ったのは、体じゃなかったんだ。魂が救われていたんだよ。だから、あなたは苦しんだり不安じゃかったんだよ。普通にしていられたんだよ」
 「あーそうか。・・やー今、すごく嬉しかった。そーだね、そーだったんだ。ありがとう。言ってくれなかったら私わかんなかった」
 著者にはもう一つのことがわかった。「神も仏も私のところにはやって来ない。しかし、私は神だか仏だかの法悦を受けた人を見た」。
 ベランダから夕陽を眺めると、遠くの椎の木の葉っぱの一枚一枚がくっきりと細い金色にふちどられていて、ゴッホの絵に似ていた。「ゴッホはあの輝くタッチを生み出したのではなく、あの通りに見えたのではないか。狂死したゴッホは、死と隣り合わせで、世界はあのように燃えて見えていたのではないか・・。死ぬ間際の人に、きっとこの世の自然は、異様に美しく侵入してくるのではないか」。
 でも著者は「こんな美しい自然に吸い込まれたたくない」と思って、14日目にホスピスを出る。わずか2週間の体験で、これだけ内容の濃い作品を書いた著者の観察眼と筆力に感嘆。
 これはエッセイというよりも、短篇小説といった趣があり、「死ぬ気まんまん」より著者の心境が深く表出されているように感じた。


教育格差の是非

2015年07月21日 | エッセイ
教育格差の是非
 格差はよくない、社会は平等が一番いいという価値観が依然として日本を支配している。誰もが平等を正しいと信じ、それに異をとなえれば、たちまち袋叩きにあいそうな雰囲気がある。新聞や雑誌では、わが国の所得格差が広がっているから、これをいかに是正するかという論議が盛んに行われている。
 この考え方は、経済生活だけでなく学校教育にも及んでいる。しかし、学校教育では能力主義による運営を欠かしてはならず、その結果として生ずる格差は受忍しなければならない。その理由は以下の通りである。

1)教育の機会均等とは、児童・生徒の能力に応じて教育をほどこすことである
 高校受験する子息がいる近所の主婦が「これからは高校も入学試験なしで全入にすべきです。そうすれば、どこの息子は最難関優秀校に入れたとか、どこの娘はその次レベルの高校だとか、本人はもとより親まで世間の目にさらされることもありません。どうせほとんどの子は高校に入るのだから、中学と同じで、住んでいる地域で入学校をふりわければいいと思います」と言っていたことがある。
 これは、自分の子どもにどんな教育を受けさせるのがいいかよりも、親の見た目あるいは世間体を優先した、とんでもない考え方だ。小中学校でも能力別学級編成がいいのだが、差別になるというので、実施できていない。高校までそれを延長するのは、学校教育の自殺に等しい。
 能力別学級編成が教育の効率を上げるのは分かっているのに、変な平等主義に邪魔されて実施できない。戦前の教育制度では、小学校から中学校へ進むとき1年早く5年終了で進学することができたし、本来5年制の中学から4年で高校へ進むこともできた。有能な生徒には早く高度な教育をすることが可能だったのである。
 誰でも努力さえすれば学校の成績が上位になったり、体育大会で一等になったりするわけではない。そんなことは、みなわかっているのに、学校は能力平等という建前論で、どの生徒にも同じ教育をほどこそうとする。それぞれの能力や興味に応じた教育をすることが、教育の機会均等ではないか。
 近年の学校週休二日制の導入でも、平等主義の影がちらついている。公立学校では1992年から月1回土曜を休みにするようになり、その後土曜休みの回数が増えて、今ではおおむね毎週休みになっているが、子どもの学力低下を心配して、土曜日の授業を復活せよという声が根強く、月1回授業をしたり、自由参加の授業をする学校もふえている。授業さえすれば、すべての生徒が学力を上げるわけではあるまい。
 東京のある区では、自由参加の土曜スクールを実施したが、参加しない生徒にも同じ教材を配布したという。自由参加ということは、勉強する意志のある子どもだけを対象にしているわけだから、参加しない子どもは放っておけばいいのに、先生方はそれでは不公平と考えたらしい。
人間の能力は、親からもらった遺伝子と生育環境によって、差がつく(ここでいう能力は、知的な能力だけでなく、努力する性格、対人関係力、ストレス耐性などの情意的能力、体力を含む)。さまざまな能力の差によって、収入格差ができるのはやむをえないことである。

2)国家百年の計を考え、その方向に国民を引っ張っていくリーダーを育てる必要がある
 すべての制度を、公平に、平等にと配慮していると、肝心の優秀な人材を育てることがおろそかになってしまう。
 戦後の学校教育は、飛びぬけた天才も少ない代わりに、簡単なつり銭の暗算ができないような能力の低い人も少ないという国民の特性に合った教育で、中位の能力の人々のレベルを上げることには、よく機能したといえる。
 そして高度経済成長期の日本経済は、この中位の能力の人々が支えた。民間の会社ではいわゆる「並み」の人々が品質の良い製品を大量に作り、社会の隅々にまで流通させて、順調な経済循環ができていた。そのような実態のなかでは、ずば抜けて優秀な人が少なくても、多数の並みの人がしっかり自分の持ち場を守れば、社会の経済秩序は維持されたのである。
 しかしこれからの教育は、「並み」の底上げより少数のエリートを育てることに力を入れる必要がある。エリートが企業を引っ張り、地域を活性化させ、国政をリードするようにならなければ、わが国の将来は明るくない。
 高度経済成長期には「日本は経済一流、政治三流」と揶揄されたけれども、経済が好調なときには、政治が拙劣でも何とかやっていけた。だが、歴史の必然で経済が下降線をたどり始めた。そんな時に政治が三流では、諸外国にいいように叩かれ、むしり取られてしまう。それを防ぐのは、私心なく国の将来を憂える、志の高い政治家、官僚、企業人などであろう。
 頭脳明晰で志の高いこれらの人材を育てるには、大学教育から始めたのでは、遅すぎる。イギリスのパブリック・スクール、ドイツのギムナジウムなどの例に見られるように、10歳前後から始めるのがよい。
 そして、できれば全寮制の学校で教育する。家から通学させると、親は子どもが可愛いからつい甘やかしてしまう。幼時に甘やかされると、辛抱を覚えずに育って大成しない。特に裕福な家庭ほど、親が子どもの欲しがるものを食べさせ、あるいは買い与えてしまって、そうなりやすい。
 人を育てるには、幼いときから始めるのがいいのだが、あまりに早く全寮制の学校に入れて、親子の情も通いあわなくなってしまうのも良くない。私がロンドン滞在中に知り合ったイギリス人の大学教授(地質学)は「6歳の時にパブリック・スクールに入れられて、さびしく切ない思いをした。全寮制はいいけれども6歳は早すぎると思う」と言っていた。
 もうひとつイギリスの大学教授の話を紹介しよう。ボルネオで日本語を教えていたとき、数日の授業の合間に、野生動物を見物するツアーに参加したことがある。そのとき一緒になったバーミンガムの大学教授(教育学)は、夕食を共にしたとき「優れた子どもの才能を更に伸ばすにはどういう教育がいいかを研究している」と言っていた。
 今の日本では「エリートをいかに育てるか」はタブーになっているようである。これからは、わが国でもこのような研究を大いにしてもらって、教育界の誤った常識を改めていきたいものだ。


キリスト教は邪教です

2015年07月11日 | 読書日記
キリスト教は邪教です ニーチェ 適菜収訳 講談社プラスアルファ新書
 ニーチェの「アンチクリスト」の翻訳にこのような題をつけたもの。訳者はいわゆる超訳ではないと言っているが、キリスト教の「バカの壁」「自虐史観」といった文言が散見され、原著に忠実ではないことは明らか。まあ、平易な現代の言葉・表現で訳出したということで、この点は大目に見よう。
 ニーチェの著作は、論文や解説の形式をとるものより、アフォリズム(警句)の形を取るものが多く、「私の思想と表現が分かる人に読んでもらえればそれでいい」という執筆態度なので、しばしば手こずるが、この本も例外ではない。
 この本は徹底的なキリスト教批判の書である。ただし、批判の対象は「キリスト教」であって「イエス」ではない。
 ニーチェによれば、キリスト教の神は人間を作ったが、人間は物事をよく考え次第に科学的になっていった。科学的な人間は神に逆らい、神を滅ぼしかねない。そこで神は戦争を作り出し、民族と民族を分断し、人間同士互いに攻撃し合い、絶滅するように仕向けた。こうしてキリスト教は戦争を生み出す宗教になったというのである。
 私見では、キリスト教が戦闘的なのは、そのみなもとのユダヤ教が好戦的であり、それを受け継いでいるからである。ユダヤ教のヤハウェは何よりもまず戦争の神である。ユダヤ人の祖国パレスチナの地はなかば砂漠地帯であり、そこで生き残るためには、戦闘によって他民族を排除するしかない。戦争になれば人間の集団は、たとえ奴隷状態あるいは被抑圧状態におかれている者でも強く団結し、極めて攻撃的になる。
 この戦闘精神がキリスト教に受け継がれているから、ヨーロッパのキリスト教の歴史は血なまぐさい話で満ちあふれているのである。十字軍は遠くまで出かけていってイスラム教徒を殺戮し、カトリックとプロテスタントは30年戦争に見られるように殺しあい、カトリックのスペイン人は新大陸を侵略して、原住民をキリスト教徒でないからといって大量虐殺するといった具合である。
 ニーチェはカントの道徳哲学を批判して、普遍的な「道徳」「義務」「善」といったものは幻想に過ぎないと言う。人間はそれぞれ自分の道徳を自分で作り出していくのが自然なのである。高いところから見下ろした、一般的な道徳などというものはどこにもない。
 これは個人を民族に置き換えても同じである。民族は自分たちの義務、つまり自分たちの手で行わなければならないことを抽象的で一般的な義務と取り違えると退廃する。こういったカントの非常に危ない思想をこれまで誰も指摘しなかった。
 人間の本能はある行動の正邪を、それが気持ちがいいことかどうかで判断する。しかし、キリスト教が骨の髄までしみているカントは「快楽」を曲解する。カントは歴史をきちんと見ていないから、フランス革命のうちに道徳による「人類の善への傾向」を見る。だが、その「傾向」とやらを証明することはできないのだ。
 ニーチェはまたキリスト教は不健康で病弱な者に取り憑く宗教であるという。肉体はまるで死体のようでも、魂だけは完全になれると思い込ませるために、さまざまなデタラメをでっち上げている。パウロは「神は世の中の弱い者を、世の中の愚かな者を、軽く見られている者を、お選びになる」と言ったが、これによってキリスト教は勝利した。
 この部分のニーチェの言説は、少しわかりにくいかも知れないので、同じニーチェの著作「道徳の系譜」を一部紹介して、補足としよう。「人間は誰でも富、名声、権力などの力を持ちたがる。その力によって他人を支配し、他人に対する優越を感じたい。しかし、弱い者はそのような力を持つことができない。そこで腕力も財力もない弱者が考え出したのが、世俗的な価値を逆転して、苦悩、貧困、祈り、隣人愛などにこそ価値があるとする教義である。キリスト教は価値の倒錯をやって、弱者に力を与えた。つまり弱者の怨恨の産物である」
 イエスが生きた時代にユダヤ人が信じていたユダヤ教は、組織宗教の常として堕落しており、それを批判する形でイエスが宣教を始めた。イエスはユダヤの民を惑わしたとして体制側に処刑されたが、パウロやペテロらが民衆に夢と希望を与えるイエスの教えをもとに、教義を整え布教活動をして、キリスト教を成立させた。
 だが、パウロ以降のキリスト教には「イエスの犠牲死と復活」「最後の審判」など、もともとのイエスの教えにはないものが入り込んでしまった。パウロはイエスの言行の都合がいい部分だけを利用して、でたらめなキリスト教の歴史をでっちあげた。キリスト教は人々の恨みつらみを利用して、地上にあるすべての高貴なもの、喜ばしいもの、気高いものに反抗し、私たちの幸せを破壊する武器を作ってきたのである。
 まだまだ悪口雑言は続くが、最後にニーチェのご託宣がある。「被告・キリスト教は有罪です」。


言葉が足りない

2015年07月01日 | エッセイ(日本語)
言葉が足りない(日本語散歩 その7)
 庭から「咲いたわよ」と妻の声。「何が」と私が問うと、「百合よ。いつかあなたが知り合いからもらってきた球根を植えといたの。そしたら、こんなきれいな花をつけたのよ」。「それなら初めからそう言えばいいじゃないか」。
 わが家の会話はいつもこんな具合である。妻の言葉は一番肝心の「咲いた」だけを言って、その他の情報はすべて省略されている。こちらが周辺情報を問い返さないと、意味がとれない。
 いつか友人にこの話をしたら、「うちも同じだよ。女房がよく『食べたわよ』なんて主語も目的語もない話をするんで、『何をいつ食べたんだ』と訊くと、『何々に決まってるでしょ、勘が悪いわね』と逆襲されるよ」。
 企業では、社員同士のやりとりに行き違いがあっては仕事に差しつかえるので、新入社員教育のとき、情報伝達する場合は必ず4W1H(誰が、何を、いつ、どこで、どのように)を守るようにとたたき込む。
 家の近所に全国的なチェーン網のコンビニがあって、よくそこでコピーをする。あるときコピー機が不具合になったので、女子店員を呼んだところ、あちこちいじっていたが、やがて「確認してください」と言われた。「ええ?何を」と聞き返したら、「機械は直りました。お客さんのコピーは出来てトレーに入っていますから、確認してください」。若い女子店員は、入社するとき4W1Hの教育を受けたはずだが、いつの間にか忘れて友だちと話す感覚に戻ってしまったのだろう。
 先日「察しない男、説明しない女」という題の本が新聞広告にのっていた。どうやら、この傾向は私の周辺に限ったことではなく、全国区の現象らしい。
 そして、この問題は異なる民族の間でも起きる。他人に物事を説明するとき、事細かに順序立てて言わないと分かってもらえない民族と、多言を要しない民族があるようだ。アメリカの文化人類学者エドワード・ホールは民族の文化を高コンテクスト(文脈)文化と低コンテクスト文化に大別した。(『文化を超えて』TBSブリタニカ)。
 高コンテクスト文化の社会では、人々はお互いに生活習慣やものの考え方を共有し、さまざまな情報が広くメンバー間にいきわたっており、人間関係も深い。こういう社会では、単純な最小限の情報しか盛り込まれていないメッセージでも、深い意味を持ちうる。言葉にして表現しなくても、お互いに分かり合える部分が大きいので、言語の使用は控え目になる。このような状況ないし文脈(前後関係)を共有する度合いの高い社会の代表は、日本である。
 低コンテクスト文化の社会では、これと対照的に、個人が孤立し、メンバー間の状況共有度は低い。コミュニケーションは個人が明確なメッセージを構築して、みずからの意図を他者に伝えなければならない。情報は伝達されるメッセージの中に組みこまれていて、状況を詮索してもあまり出てこない。言葉になったことのみが情報としての意味を持つから、言語の駆使が不可欠である。このような状況ないし文脈(前後関係)を共有する度合いが低い社会の代表は、アメリカである。