ひろじいのエッセイ(葦のずいから世の中を覗く)

社会と個人の関係という視点から、自分流に世の中を見ると、どう見えるか。それをエッセイ風にまとめ、ときには提案します。

ロンドン滞在その2

2011年09月21日 | エッセイ(自分史から)
ロンドン滞在 その2
街の雰囲気が変わった
 96年12月に15年ぶりでロンドンへ行って、街の様子が少し変わったと思った。道路や駅に散らかっているゴミが増えた。人々のマナーも悪くなった。例えば、街頭で他人に触れたとき「ソリー」と言う人が少なくなり、デパートや銀行の入り口で後から来る人のために、ドアを開けて待つ人が減った。横断歩道で道を渡ろうと待っていても、止まってくれる車は少ない。
 もっと目についたのは、ホームレスが増えたことである。駅、公園、地下道、ビルの階段の登り口など、至るところにいる。東京にもホームレスと呼ばれる人たちがいるけれども、彼らは物乞いをしないし、居るところも特定の場所で、至るところではない。ロンドンの乞食は「釣り銭のお恵みを」と堂々と物乞いする。街角でハンバーグをぱくついていたら、「朝から何も食べていないのです。小銭を恵んでください」とせびられたこともある。地下鉄の駅で「ホームレスの人々に金銭を与えないでください。彼らはそれを仕事にしているのです」という掲示を見たことがある。
 ロンドンホームレスのもう一つの特徴は、身なりがこざっぱりしていることである。ボロをまとって、髪も髭ものび放題、悪臭ふんぷんという人はほとんど見かけない。スポーツでもするような恰好をして、いま失業中で何もすることがないから、とりあえず乞食をしています、という雰囲気の人がかなりいる。20代、30代と見える人も多い。
 なかには、犬を連れたホームレスがいる。その犬が立派で毛並みがつやつやしているのだから、あきれる。犬の分まで恵みを乞うというのは、私の常識にはないことだが、とりあえず乞食をしている人には、べつに非常識ではないのかもしれない。
 また、乞食ではないけれども、街角に立って音楽を演奏して施しを受ける楽師も、ロンドンと他の街では様子が違う。ウイーンやミュンヘンの街で出会う楽師は若い人が多く、演奏する曲はたいていクラシックである。
 楽器の演奏技量も達者で、思わず立ち止まって聞きほれてしまう。どうやら、この音楽家たちは小銭稼ぎが目的ではなく、自分の演奏を人に聞いてもらいたくて、やっているらしい。クラシックは長い曲が多いし、1曲終わると次は別の曲を演奏するので、聞いているとすぐ10分15分たってしまう。そうなると、「ただ聞き」というわけにもいかず、つい小銭を置いてくる羽目になる。
 一方ロンドンでは、クラシックをやる人は希で、圧倒的にポピュラー系が多い。しかも、曲の長さは30秒から長くて1分どまりで、駅の地下道など人通りの多いところで、飽くことなく同じ曲を繰り返している。これは明らかに金稼ぎである。
 乞食にせよ楽師にせよ、どうして街頭でこんな金稼ぎをしなければならないのか。ロンドン滞在中に知人の紹介で知りあった、元大学教授のイギリス人B氏に、この疑問をぶつけてみたことがある。彼の答えはこうだった。
 「いまロンドンは失業が大変多いのです。当地にはアフリカ、インド、中国、イタリー、中近東などの諸国からたくさんの人々が移り住んでいます。これらの人々は、それぞれ理由があってここに住んでいるので、簡単に追い出すことはできません。
 その結果、ただでさえ多すぎる労働人口が更に過剰になって、失業率を高めています。統計では、それほど失業が高いように見えないかも知れませんが、政府はときどき失業の定義を変えるので、統計はあてになりません。私の実感では、若い人の三分の一は失業しているように思われます。
 私の家から車で3分くらいのところに、インド系イギリス人の住居が密集している地区がありますが、ここの若者は70パーセント失業しているといわれています。この地区は、泥棒、たかり、暴力沙汰などの非行が多い。彼らは生活苦からではなく、退屈しのぎ、憂さ晴らしのためにやっているのです。そのとばっちりで、我が家の近辺まで、ときどき空き巣ねらいなどの被害があります。
 失業が増えれば、乞食も増えます。それでも昔は、音楽とか曲芸とか、何か芸をして通行人から小銭をもらう人が多かったのですが、このごろは、何もしないでただ施しを受ける人が目立ちます。」
 前回述べた鉄道事情に限らず、ロンドンの光景は、徐々に衰退しつつあるイギリスを映している。イギリスの経済が比較的低成長になって、大英帝国の威信がゆらぎ始めたのは、ヴィクトリア朝末期で、それからほぼ1世紀たっている。しかも、イギリスはその後、社会福祉国家への道を歩み始め、一層の経済停滞を招いた。
 社会福祉を手厚くすれば、財政支出がふくらみ、政府はそれをまかなうために税率を上げる。国民は自助努力をしなくなり、勤労意欲も低下して、経済活動が停滞する。この悪循環をたどれば、行き着く先は財政赤字、政局の不安定、社会活力の低下などだが、他国を笑ってはいられない。すでに日本もその轍を踏んでいる。
 イギリスは衰退していると言われながら、その速度は極めてゆるやかで、100年たっても沈没せず、しぶとく生き残っている。だが、日本が先進国病になって衰退し始めたら、ものすごい速さで経済成長して西欧に追いついたのと同じで、急坂を転げ落ちるように下降線をたどって没落する可能性がある。
 もちろん、そうなっては困る。しかし、そのときどきの必要に迫られて福祉を充実させたり、消費税を上げたりしていると、気がついたときには手遅れで、西欧の悪い部分を模倣していた、ということになりかねない。

満員電車の乗り方が下手なイギリス人
 ロンドンの地下鉄は、朝晩の通勤時間とても込んでいる。東京の電車ほどすし詰めではないけれど、それでもドアの近くは身動きできないほど人が乗り、うかうかしていると乗りそこなうほどである。線路の幅は普通の日本の鉄道より広いのに、車輪の上に載っている車体の幅は逆に狭く、座席に挟まれた通路も狭くなるから、当然1車両あたりの乗れる人数も少ない。
 ここで面白い現象を発見した。どんなに込んでいても、乗客は中へ詰めないでドア付近に固まっているのである。詰めてくれれば、もっとたくさんの人が乗れるのにと思っていても、乗ってしまった人は、動かない。
 それから、電車が駅に着いて中の客が降りるとき、ドア付近の客がいったんホームに降りて道をあければ、人の流れが良くなって乗降時間が短縮できるのに、そうする人が少ない。みな降ろされまいと頑張ってしまうので、ドアのあたりでぶつかり合って、「ソリー」(失礼)と謝ったりしている。
 東京でも毎年4月、新入社員がどっと入る時期に、同じようなことが起きた。だが新人たちは、すぐ身のこなし方を覚え、この現象は解消する。満員電車の乗り方に関する限り、日本人の方が上手である。
 この日英の差を見て、次のような推理をしてみた。イギリスで初めて蒸気機関車が走ったのは1825年、ロンドンの地下鉄が開通したのが1863年、以後イギリス人は列車に乗るときのマナーを作り上げてきた。しかし、鉄道がこれほど込むことは予想していないから、満員電車のマナーは未発達である。滞英年数の長い日本人に聞くと、昔は朝晩でもそんなに込んでいなかったようだ。
 いずれイギリス人も満員電車マナーを完成するだろうが、それには時間がかかる。なにしろ、保守的で「古いことはいいことだ」と信じているお国柄だ。人々の行動はゆっくりとしか変わらない。
 それに比べると、日本人は、良い悪いは別として、「新しいことはいいことだ」と信じているから、必要に迫られればすぐ行動を変える。満員電車マナーが出来るのに、そんなに時間はかからなかった。それに、朝晩の電車がひどく混雑し始めたのは、日本の方が早かっただろうから、なおさらだ。


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