マイケル・サンデル先生の「これからの正義の話をしよう」(以下、正義本)を読んで、現代社会において論争となっている争点は大まかに分けて三つの理念(功利主義、自由自立の理念、美徳と涵養)を論拠としていることを学んだ。この本で取り扱われている例のほかにも、たくさんの面白い論争やテーマが世の中にはたくさんある。それらがどういう理念に依拠しているのかを分析してみるのは面白そうだと思った。
そこで例題として「ベーシック・インカム」(以下、BI)を取り上げてみる。国民全員に一律で一定額を生涯給付することによって最低限の生活を直接保障してしまおうという大胆な制度である。本エントリーでは、BIがどのような「正義」に基づいて支持されるかという点だけにフォーカスして考えてみることにする。
この制度を導入するための技術的問題(財源とか適正額など)については触れない。下記の文献を紹介するにとどめる。
「やさしいベーシック・インカム」 新田ヒカル・星飛雄馬
「働かざるもの、飢えるべからず。」 小飼弾
「希望」論 堀江貴文
まず僕は「低収入層に所得を再分配し全体の幸福度を増やすということが目的であると考えると、最大多数の最大幸福を目指して効用を最大化する功利主義といえるのではないか?」と考えてツイッターで投げかけてみた。これに対して
" @nozuem ベーシックインカム メールニュース編集長: 功利主義的に捉えることも可能ですが、各人の基本的人権をお金の面で保証するという点では、功利主義に尽きない内容があります。"
という意見が寄せられた。
また、「やさしいベーシック・インカム」の著者である新田ヒカルさんからも直々にコメントをいただいた。
" @hikaru225 新田ヒカル: 最大多数の最大幸福というより、最小不幸社会ですね"
単なる衣食住だけでなく人格の自律活動を保証するという意味では確かにカント的と言える。「衣食足りて礼節を知る」という言葉にあるように最低限の生活があってこそ、善き人格として振る舞うことができるのかもしれない。職がない・収入がないという不幸を最小にすることによって人間として最低限の生活をする権利を保障するという憲法第25条の精神でもある。
BIの効用として、「嫌な仕事で無理に働く必要がなくなり、自分の好きな仕事を選んだり、文化芸術活動に取り組んだりできる」というものがある。これなどはまさしく人間が人間らしく生きることを促進している考えだ。幸せの「量」よりも「質」を高めようというものだ。実際のところは、BIの最低額では「量的」に全く満足でずに物質的に豊かさを維持するために働き続ける人が多いと思う。しかし、生活のために幸せを犠牲にしてまで働きたくない、あるいは働きたくても職がない、といった不幸の量を減らして、「幸せの質」を高めることができる。
そのような「理想」に対して、一切働かなくなって、ただ食べて寝るだけの怠惰な人間が増えるだけだという意見がある。また、5万円とも8万円といわれている給付額で人間としての最低生活水準が満たされるかについても議論がある。この他にも多くの意見があるが、ここではこれ以上深入りしない。
以上のような考察から、ベーシック・インカムは、人間の物質的要求を最低限満たすことによって、人間らしい生活を促進させることを目指すところにその理念がある、と僕は理解した。
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社会主義も制度として実現する前は(あるいは実現してしばらくは)、理想的な考え方だったのですが、現実は理想どおりには行きませんでした。
BIにも落とし穴があるように思います。例えば、人間の理性を過大評価し、欲望を過小評価しているところなど。