ゆったり、いそがず、あわてず、おだやかに…

毎日の生活の中で感じる森羅万象を、自分の想いとして文字・写真で表現する。

悪ガキを育てた責任者は誰だ!

2008年08月01日 21時08分04秒 | 子どもの教育


明日、8月2日から夏の全国高校野球が始まる。その矢先の昨日31日に、群馬・桐生第一高校野球部の部員である2年生が強制わいせつ容疑で逮捕された。桐生第一高校は代表校55校の中に選ばれている、いわゆる強豪校であるようだ。

野球部員の不祥事が発覚したので、校長は「甲子園に出場させていただきたい」と言って、出場辞退の意思がないことを明らかにしていた。高野連は、午後に出場させると決めたのだ。桐生第一高校では、責任者の野球部長のみ更迭することを発表した。

以上が事件の概要である。高野連の結論が出たので、外野であるわれわれがとやかくいう問題でもなかろうが、いささか違和感を覚える。

もちろん出場する野球部員たちは、出場しない同じ部員の事件に愕然としたであろうことは想像できる。そして高野連結論にほっと胸をなでおろしたことであろう。

でも、これでよかったのであろうかと疑問に思ったのである。高校野球は単なるスポーツの勝ち負けだけのものではないはずである。高校生の教育面が多分に含まれている野球大会であるはずのものである。

一部員の不祥事から全体責任で出場辞退は酷であるという意見も当然あってしかるべきであるが、野球はチームワーク競技である。その一員が不祥事を起こしたのだ。教育面から見れば、仲間が刑事事件を起こしたら即全体責任という厳しさがあってしかるべきものだと思う。それがチームワークスポーツの精神ではなかろうか。

野球部長の更迭というトカゲのしっぽ切りで「なあなあ解決」を図ることによって、当の桐生第一高校野球部員をはじめ多くの高校生に「事件を起こしても甘ちょろいものだ」という意識を植え付けたことは教育面で大きなマイナスと言えよう。

話は変わるが、先日出かけたときの話である。車が入ってはいけない細い道に軽自動車が2台駐車していた。先頭車の前には、道の中央に車止めのポールが立っているのである。こちらは自転車であるが、車が邪魔で通り抜けることができない。道のわきを流れる側溝用水の反対側に駐車場があるのだが、そこを迂回してようやく通り抜けた。

用事を済ませて、同じ道を帰ってきたのだが、遠くから見ると車の持ち主とおぼしき数人が騒ぎながらなにかやっている。近づいて見ると、道の真ん中のポールを力まかせに抜き取り、側溝用水に近くから鉄板を持ってきて橋をかけていた。

そこへ2台目の若者が戻ってきて、運転席に乗り込もうとしていたので「この道は細いので車は止めていけないのですよ」とおとなしく声をかけた。若者は振り返って、「なにをこのやろう」と叫んで、車に乗り込みエンジンをかけ急発進した。橋としてかけた鉄板を側溝に落としながら走り去ってしまったのだ。もちろんポールや鉄板はそのままであった。

どうも高校を終わったばかりであろうかと思われる若者たち3人であった。こんな悪ガキにした責任はどこにあるのだろうか。言わずと知れた責任者は、悪ガキの家庭であり、学校であり、そして社会である。特に、家庭と学校であると思っている。

私も、それ以上注意して刺されても困るのできつい注意はしなかったが、それとてもおかしな社会現象であろう。結局、甘い育て方が悪ガキを排出する結果となっているのではなかろうか。

これらふたつの話題はまったく関係はないし、話の内容もまったく次元の違う話であるが、共通する項目がある。それは「子どもの教育」ということである。あまりにも大きな問題であるので、ここではそこまで踏み込むことはできない。問題提起だけであるが、まずは家庭における「子どもの教育」をしっかりやってもらうことではないかと考えている。