ゆったり、いそがず、あわてず、おだやかに…

毎日の生活の中で感じる森羅万象を、自分の想いとして文字・写真で表現する。

荒れる聖火リレー。長野では?

2008年04月24日 21時15分03秒 | 聖火リレー

天気予報どおり小雨になってしまった。昨日と違って、気温も平年並みに下がったので、薄いセーターを着込んだほどだ。ただ、テレビのニュースを観ていて、なにやら寒さを覚えてしまった。

26日に北京オリンピックの聖火リレーが長野で行われるが、テレビでは警備の模様などをシミュレーションで見せていた。聖火リレー走者を機動隊のお巡りさんらで周りを囲んで走るのだという。そのため沿道で歓迎する市民から、リレー走者が誰であるかほとんど確認できないというのだ。火のついたトーチだけしか見えないようだ。

日本に来る前、オーストラリアで聖火リレーを行ったが無事終わったという。やはり厳しい警護で、市民からはかけ離れたリレーになったようだ。明日、聖火は日本に着くという。

ただ、市民から隔離された聖火リレーを、不思議に思うのは私だけであろうか。そもそも「聖火リレー」とはなんであるのか。IOCにおけるそもそもの定めはまったく知らない。でも、平和の祭典であるオリンピック開催を、世界の人々に知ってもらい、世界から祝ってもらうという意義があるのではなかろうか。

今回の聖火リレーは、そんな意義からかけ離れてしまい、市民や観客から隔絶されてしまっている。たしかに騒動になってしまっている現実からすれば、市民がどうのこうのと言うより、無事に終わらせたいということであろう。う~~ん、なんのための聖火リレーであるのかなあと思ってしまう。

お断りしておくが、聖火リレー実行委員会や警察、聖火リレー関係者のやり方に水を差しているのではない。IOCやオリンピック主催国である中国のやり方に疑義を感じているのだ。市民から隔絶された、意味薄い聖火リレーなら即刻止めるべきだ。オリンピック主催国の国威だけを高揚したいのなら即刻止めるべきではなかろうか。

とはいっても、現実には止めることはできない。中国の留学生たち2000人が大挙して長野へ押しかけるとも聞く。こんな間違いと思われる聖火リレーであっても、懸命に携わっている多くの人たちの努力が無にならないことを祈っている。リレー走者たちと歓迎する市民とが笑顔の交換など融合する場面ができるなら、それこそ世界へ「日本と長野」の誇りと意地を発信できるのだが――。

なにはともあれ、「無事に終わってほしい」と願うばかりである。