旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

また雨の朝を迎える

2011年08月28日 | 



昨夜は思ったとおり、あまり眠れなかった。
雨が断続的に降り、たぶんテントの下の芝生は水分と私の体の熱でふやけてしまっているに違いない。
朝6時のチャイムが鳴っても、まだテントの中で浅い睡眠を貪っていた。

6時半、ラジオ体操の音楽で仕方無しに目を覚ます。
外はまだ霧雨のような雨が降っている。
この雨のなかでラジオ体操でもあるまいに…。

しばらくテントの中で読書に勤しむ。
「汝、隣人を愛せよ」はいよいよ、ラストに近づいた。
この本を読み終えるといよいよ読むものがなくなる。
街に出て何か買って来ようかと思うが、荷物は少しでも少ないほうが良い。

テントの前室で湯を沸かし、インスタントのカフェオレ、ミルクパン、りんご、オレンジで朝食を摂る。
雨音がしなくなったので、外に出てみると、少し雲が切れ、青空が見える。
天気が回復すればしたで、土曜日なのでテントサイトが込み合うんじゃないかと不安に思う。
もしそうなれば、ここを移るしかあるまい。
ここまで来て、人混みに紛れたくはない。

雨はすっかりやんでしまった。
まだ雲が多い天気だが、なんとか出かけることは可能に思えた。
それにしても、昨年も旅の終盤は雨に降られ難儀したが、今年もまた雨で何だか8月にしてはおかしい。

朝9時半、昨日のように中村市に向けてカブを走らせる。
今日は街に出て、美味いものを食い、コインランドリーで洗濯をし、そして本屋に寄り
ホームセンターでレインコートを買うつもりである。
まだまだ天気は安定してないので、雨具は必携になった。
昨日見た四万十川の風景をなぞる様に走る。
久保川の休憩所まで来ると、子猫のことが心配になるが
帰りに寄ることにして先を急ぐ。
川は増水し、水が濁り、音を立てて流れる。
岩間の沈下橋では、学芸大の連中の姿があった。
テントも無事のようだが、今日の川下りはできないだろうと思うのでこれも帰りに寄ることにする。

昨日引き返した地点まで来る。
ここから、411号線ではなく、旧道のほうに入り、木立の陰の細い道を走る。
ずっと四万十川沿いに続く道だ。

15分も走ると、中村市街に出る。
なんてこった、もう少しで街だったんだなと昨日の選択を残念に思ったが致し方ない。

街はそこそこに大きく、ホームセンターや大きなスーパーなどもあり
新しくできた道沿いには、日本全国どこでも見られるようなレストランやコンビに、チェーン店が立ち並ぶ。
こういった街にはあまり興味がないので、古い街のほうをうろつき、コインランドリーを探して洗濯をする。
洗濯が終わるまでスーパー内の書店に立ち寄り書物を探したが、ご他聞にもれず漫画と雑誌以外には
数えるほどしか本が無い。
あってもベストセラーばかりで、私の興味を引く本は皆無である。
この分ではますます町の書店は閉店を余儀なくされるであろう。
田舎に行けば行くほど、アマゾンなんかで本を注文する人が多いらしいが、よく分かる気がする。

洗濯を終え、ホームセンターでバイク用のレインコートを買ったあと
昼過ぎたので、四万十の天然鰻を食すべく店を探す。
このところ雨で蒸し暑いので、タオルケットは購入を却下した。
スーパー内で、品のいいご婦人を探して美味しい評判の鰻屋さんを尋ねたら
地元の人はあまり店で鰻を食べないのか、「さあ、鰻ね~?駅の近くに道の駅があってそこは評判がいいから行ってみられたら」
と言われるので、すぐ近くだし行ってみることにした。
が、しかし中村駅の近くに道の駅なんぞありゃしない。
なんか勘違いしたのかと、人に尋ねるが皆知らない。
とりあえず中村駅の歩道にバイクを停め、歩いて探すと駅のすぐ横に古い鰻屋さんがあった。
鰻弁当なんかも販売しているみたいで、何人か買っている人も居たのでこの店に入ってみることにした。

中は狭く、外の閑散とした雰囲気とは違って、お客さんで一杯だったので同年輩の土建屋さん風の男性と同席する。
うな丼の梅を注文する。1500円也。
私は鰻屋さんでは、いつも注文は梅である。
松と梅の味が違うなら問題だが、その違いは鰻の量であって、質や味ではない。
松は1匹、竹は3分の2匹、そして梅は半分である。
鰻を一杯食べたいときは松を注文するが、最近は梅で十分なのだ。
昼時を少し過ぎていたが、客が多いのですでに焼いた分があるとかでうな丼はすぐにでてきた。
最近はほとんどの鰻屋さんが養殖物で、私もそれ以外なかなか食うチャンスもないかったので
養殖物になれていた舌には、天然鰻はまったく別の食い物のような感じだった。
身も皮も固く、脂が少なくてギシギシした感じの舌触りである。
養殖物の鰻はたとえて言うなら和牛のような脂と柔らかさ。
天然物は、オージービーフのような噛み応えのある肉質といえばいいのか。
確かに味はいいのだが、慣れというのは恐ろしいもので、私にはいつもの鰻の方が美味く感じられた。
が、しかし一概にそう言えるものかどうか、まだわからない。
違う店でも天然の鰻を食べてみたいものである。

同席した親父は、仁淀川のほうから来たらしく、彼もまたバイクでツーリング中であった。
もっとも私のカブとは大違いで、1200ccのビッグバイクであり
3輪に改造したもので、堂々とした風格の有るバイクだった。
彼が言うには、鮎ひとつとっても、仁淀の鮎と四万十の鮎は味も体型も違うという。
四万十の天然鰻はこんなものかと尋ねてみたが、好き嫌いの問題であって
どちらが美味いとか言えんのじゃないかと言う。

「わしには養殖物はギトギトして食えん」

私より3歳ほど年上で、まだ現役で会社をやっているらしく、早く息子に譲って
こうしてバイクであちこち旅をしたいということだったが、なかなか踏ん切りがつかないらしい。
まあ、同じ年代であり、考えることもさして違いはないのだな、と思う。
食い終わってから一緒に店を出て、しばし談笑。

「これで九州から来たんかね?大したもんじゃ。これもええな~」
「いや~お宅のようなバイクにも憧れるんだけど、こいつは小回りが利いて便利なんで、荷物も積めるし…」
「こりゃ~よう走るんじゃろ?」
「リッター60キロ、ほとんど金が掛かりません。貧乏ですから…」
「わしのは10キロくらいしか走らん。おまけに改造やらなんやらで1000万近くかかっとる」
「道楽ですね」
「まあ、そうじゃね。よう働いちょるけ、このくらいはええじゃろ思うて」
「おたがいいつ死ぬかわからん歳やから、思う存分といったところですね」
「そうそう、連れは五月蝿いがな~」

名前も聞かずに手を振って分かれた。

知り合いのN氏が大のトンボ博士で、トンボの写真ばかり撮るので
ここはひとつ訪ねてみようと思い、中村市はずれの「トンボ王国」なる施設に向かったが
そのころには陽も差してきて暑くなる。
到着してみたものの、だだっ広い湿原が横たわっていて、半端な広さじゃないので
すっかり意気消沈して、ただ行ってみたという土産話のみにして早々に立ち去る。
子供のころはよくトンボを追っかけたもんだが、今はなあ…。

街での用事は大体済んだので、帰りは411号線を飛ばすことにする。
旧道とはまた違った意味で快適である。

久保川の休憩所前に差し掛かる。
年配の紳士が休憩所の清掃をしているので聞いてみる。

「子猫はまだいますか?」
「ああ、もう居ないんですよ。だれか連れて帰ったみたいです」
「ああそうですか。とても可愛い奴らでしたもんねー」
「そうですね。ここは捨て犬や捨て猫が多くて困ってるんですが、いつも誰かが連れて帰るみたいで助かります」
「保険所に連絡したくはないですもんね~」
「そうです、そうです。あんな可愛い猫は殺せませんね~」

安心してまたバイクを走らせる。
もし居たら、キャンプ場に連れ帰るつもりだった。

岩間の沈下橋にはテントは見えるが、人の姿がない。
ちょっと降りてみたが、やはり姿が見えない。
みんなでどこかに遊びにでも行ったのだろうか、仕方なく江川崎に帰る。
カヌー館広場に戻ってみて呆然となる。
いつの間にか、無数のテントが立ち並び、大勢の人がバーベキューの準備に忙しそう。
しかもビッグバイクのオンパレードで、柄の悪そうな連中ばかりがゴロゴロ居る。
一見ヤクザの一家かと思ったが、土曜日にヤクザが大挙してキャンプに来るというのもおかしな話で
ちょっと話しかけてみたが、愛想もくそも無い返事に「こりゃあかん」と思い
たとえ彼らが人の良さそうな連中であっても、今夜は眠れそうに無いと思い、早々に撤収することにした。
すると例の学芸大の女の子がやって来て

「まだ、ここに居らしたんですね。私たちお風呂に入りに来たんですけど
橋の上から見たらテントがあるので、ああまだ居るんだと思いました。
それにしてもすごいテントの数ですね。風呂から揚がってみたらびっくりしました。いつの間にって感じで」
「うん、僕も今、中村から帰ってきたばかりで、本当にびっくりしました。
あなたたちのテントに行って見たけど留守だったんでどうしたのかなと思ってましたが
ここまで来てたんですね」
「はい、帰りはバスで帰りますけど、歩いてきたんですよ。今日は増水で川下りができなかったもので」
「たぶん今日はテントを片付けて、今からあなたたちの居る岩間にお邪魔すると思います」
「えーっ、本当ですか?嬉しいな~またご一緒できるなんて」
「よろしくお願いします。このキャンプ場では今日は眠れそうにありませんから。
今から片付けて、僕も風呂に入って買い物したら岩間に向かいます。皆さんによろしく」

というわけで、汗を滴らせながら片付け、久しぶりにカブに道具を積み込むと
いつものように山村ヘルスセンターに向かい、のんびりと風呂に入った。
地元の方らしき人が一人いらしたので昨日の花火のことを聞いてみると
あれは近くの老人ホームのお祭りだったということである。
口下手であまり喋りたがらない方だったので、他にもいろいろ聞きたいことがあったが遠慮した。
スーパーに買い物に行く。
まだレトルトのカレーパックがあったので、ご飯だけ売っていればそれを買おうと思っていたが
すでに売り切れだったので、仕方なくトマトと氷、トンカツ弁当を買う。
こんな田舎でもスーパーでご飯が売れるというのはどういうわけだろう?
私みたいなキャンパーが買うのか、それとも米はあっても飯を炊くほどでもない方が多くいらっしゃるのか?
一人暮らしのご老人が結構多いのかもしれない。

また時折小雨がぱらついたりする。
でも風呂上りの火照った身体に風が纏わり付いて気持ちがいい。
夏の夕方、陽が落ちてからのバイクは最高である。
15分もしないうちに岩間の沈下橋に着く。
学芸大の連中はバスで帰ってきたのか、すでに全員が夕食の準備中。

「こんにちは、悪いけどまた一緒させていただきますね」





皆は快く迎えてくれ、芝生の柔らかい地面から一転して、ゴロタ石の川原にテントを張る。
ペグが打てないので、大きな石を探してはタープの紐をそれに結ぶ。
今年はロープを持ってきていたので助かる。
昨年の祖谷渓のキャンプ場ではデッキの上にテントを張ったとき
ロープがなくて往生したものだった。
学芸大の連中とは少し離してテントを設置。
連中はパスタを茹でて、シーチキンなどをそれに塗して食べている。

「美味そうだね」
「ええ、美味いっす。だいぶ食料が減って、荷物が少なくなったんで楽になりそうです」

でも一緒に食べませんか?とは言わないんだよね、最近の若い連中は。
霧雨のような雨の中、一人イスに座ってトンカツ弁当を食べる。
日本酒も残り少なくなった。
たぶん今夜で本も読み終わる。
やはりミュージックプレヤーを持って来るべきだったと後悔する。

今頃カヌー館の広場はごった返しのドンちゃん騒ぎだろうな~。
今夜も読書して早めに寝ることにしよう。
そしてもし明日も天気が芳しくなければ、四万十を出ることにしようと思う。



背中でひとつ、違和感の有る石が睡眠を邪魔しそうであるが
面倒なのでそれを避けて、テントの端っこで寝ることにする。


四万十市へ出かける

2011年08月22日 | 



昨夜早く寝たので、夜明けと共に目が覚めた。
4時、薄明がさしてくるや否や、セミの声が聞こえる。
クマゼミやアブラゼミのようなけたたましい鳴き声ではなく、「ジーッー」というか細い声だ。
次に聞こえるのが悲しいかなカラスの声。
こちらは遠慮会釈なく鳴く。

テントの外に出ると、川の湿気をたっぷりと含んだ重く、冷たい空気。
まだどのテントからも人の気配がしない。
雉をうちにトイレまで歩く。
コッフェルに水を汲み、湯を沸かす。
明け方は寒くて、テントの中でも丸まって眠っていたくらいだ。
薄いタオルケットでも持ってくれば良かったと後悔する。
今日、四万十市(旧中村市)に出たときに買ってこようと思う。荷物を増やしたくはないのだが。

昨日は朝食のことをすっかり忘れて、何も買ってなかったので
インスタントのカフェオレと家から持参した乾燥バナナチップスが今朝の朝食。
昨日の朝は豪華だったのに、この変わりようである。

朝6時になると、大音量で町のスピーカーから、目覚まし代わりのチャイムが鳴り響く。
そして6時半には、今度はラジオ体操が流れてくる。
田舎の人は概して早起きなので苦痛は感じていない様子だが
残業で遅くなったり、夜型の受験生などは大変だろうなと思う。
こういったところが田舎の嫌な一面でもある。
余計なお節介は止めてくれと叫びたくなるが、ずっとここに住むわけではないので
ぐっと押さえて我慢する。

学芸大の連中がぞろぞろとテントから這い出て、食事の準備をしている。
昨日のお嬢さんがやってきて

「今日8時半にここを出発します」と私に告げる。
「ああ、そう、寂しくなるね、でも見送りくらいはしてあげよう」
「ありがとうございます。うまくいくといいんですけど」
「6人もいるんだから、きっと大丈夫ですよ」などとなんの根拠もなく励ます。

筏の川下りなんて、1人だろうが10人いようが全く関係ない。
沈むときは沈むし、そのときは個人の力量に頼るしかないからだ。
流される奴は流されるし、泳ぎの達者な者は岸に泳ぎ着く。
でもまあ、ライフジャケットなんてものを着けているので、溺れる心配はあるまい。

「いえ、それが6人じゃなくて、4人で下るんです。私たち2人は今日から水に入れなくなっちゃいました。」
「だから私たち女性2人は、荷物を背負って7キロ歩いてキャンプ地の岩間の沈下橋まで行きます。」

あら、そう?
しかし、そんなことはわたしのようなおじさんに言わなくてよろしい。
まったく恥ずかしげもなくサラッと言うんだな、最近の若い女の子は…。

つげ義春の「紅い花」という思春期の少女と少年を描いた作品を思い出した。
突然初潮を迎えた少女がそっと少年から離れて、川に腰を浸ける。
それを盗み見た少年が、流れ行く経血を「あっ、花だ、紅い花だ」と驚愕の面持ちで叫ぶ。
おじさんは、そういった恥じらいの有る少女像しか持っていないんだから。

早く朝食を済ませた私は、すでに川原に出て、今か今かと彼らの出発を気に掛けながら
またまた川海老と遊ぶ。
父と息子2人の3人が同じように川面を見つめながら何かやっているので声を掛けると
海老鉄砲で海老を捕っているという。
そんなものがあるのかと、見せてもらうと、プラスチック製の小さなゴム鉄砲のようなもので
カヌー館でも売っているという。
しかし親子ともども川遊びの経験がないのか、上流から下流に向かって歩くので
海老は気配を感じてさっさと逃げてしまう。
私はアドバイスもなにもしない、こういうのは放っておくに限る。
そのうち自分らで気がつくだろう。

しばらくして大幅に遅れて学芸大の連中はやってきた。
見てると、へっぴり腰で筏を抱え挙げては下ろし、運んでいる。
重いのか、ちっとも進まない。
ほれみろ、だからもっと近いところで組んだほうがいいって言ったじゃないか。
でもこれは、彼らの冒険であり彼らの仕事なので、私は何もせず、写真を撮ったりしながらじっと見ていた。
すでに全員汗だく。



膝っ小僧を擦りむいたりして、疲労困憊。
まあ、女の子には荷が重いだろうが、男が4人も居て上がらないほど重いのか?
あまりに見かねて、というかこの調子では出発がいつになるかわからないので
つい、「どーれ、手伝ってあげよう」と言ってしまった。
身体の大きい二人を前に配置し、女の子は真ん中、そして後ろの一方を細めの2人
そしてもう一方を私が受け持ち、気合を入れて「そーれっ!」と持ち上げる。
「あれっ、こんなもの?」と思うほど簡単に持ち上がる。
でも彼らは皆重そうに顔をしかめる。「えーっ?」
本当に大丈夫かこいつらは?
私が手伝ってからは、「そこ右、はい、そこまっすぐ」だのと指示を出しながら
意外と簡単にことが運んだ。
まだ早いと主張する彼らを無視して、はやく水に浮かべちゃえと半ば強引に水面まで行き、筏を浮かべる。
水に浮くとなんてことはない。邪魔な石を避けつつ、あとは本流に乗るだけでいいのだ。
筏の後ろにおもちゃのようなゴムボートを2艇結わえ、テントなどのキャンプ道具をそれに乗せ
おもちゃのような手作りパドルでもって、彼ら4人衆は、無邪気な子供のような笑顔を浮かべながら
流れに流されていった。どうみても筏はコントロールできてなかった。



「やれやれ、こっちの方が気疲れしてしまった」

女の子2人組みは早速重そうな荷を背負って歩き始めていた。「気をつけて!」

さて、自分も出かけるかと、どこででも泳げるように水着を着用し
メガネとシュノーケルを持ち、30キロ以上離れた中村市に向かって四万十川沿いを走った。
途中、先に出かけた女の子達に出会う。
交通量の少ない旧道を歩いているが、ほとんど人の気配がないので、いやな予感。

「なんで大きな道のほうを行かなかったの?危ないよこちらは。工事中のところもあるということだし…」
「はい、気をつけま~す」

ちょっと無防備さに呆れながらも仕方なくバイクを走らせる。
時々川面を覗くが、筏の姿はまったく見えない。
おしさんのバイク乗りには、旧道の林道のような道の方が快適なのだ。
道は広くなったり、狭くなったりなので、ブラインドコーナーでは注意を要する。
急に乗用車が飛び出してくる。非常に危険だ。
しかも図体のでかいオフロード車が多い。
江川崎から7キロあまり走ると、今日の彼らの目的地である岩間の沈下橋に着く。
上から見ると、大勢の子供たちと何艘ものカナディアンカヌーが見えるので、沈下橋に降りてみる。





例によって子供達が沈下橋から飛び込んで遊んでいる。
水面まで高さ4メートル弱。
上手い子は、何度も何度も面白がって飛び込む。
彼らのライフジャケットに「四万十塾」の文字が見える。
川原に降りて行くと、30過ぎくらいの陽に焼けた男がカヌーに腰掛け子供たちに声を飛ばしている。

「おりゃー〇〇、いけーっ!」「よーしうめーぞ!」「次、〇〇、行ってみろー!」
「〇〇、飛ばんのかー!」

見ていると、どうしても躊躇して飛び込めない子が何人かいる。
私はその男に声を掛けてみる。

「四万十塾ってなんですか?」
「ああ、僕らツアー組んで川下りやってるんですよ、参加しません?」
「私が?」
「ええ、今回のツアーは小さな子が対象なんすが、大人もやってますよ」
「あちこちの川原でキャンプしながら3泊、ないし4泊のツアーっす」
「ほうー、いいねえ。食いもんは?」
「適当には持ってきてますが、魚釣って食うこともあります」
「この飛び込みはツアーのチェックポイントになってるの?」
「いえ、なんにも強制はしません。飛びたいから飛んでるんす、こいつら」
「じゃ、飛べない子は?」
「別に飛べなくってもいいっすよ、ただ飛べないと恥ずかしくて肩身狭いから、じっと飛べるまで待ってますが…」

「おーい、〇〇、飛ばんのならもう行くぞ!」というと一斉に子供達が飛び込み
いままで飛べなかった子も目を瞑って飛び込む。
「やった!」

「ジャケット貸しますからやってみませんか?」
「えっ、いいの?」「いいっすよ」

実はこの場面では、いまから街に行くのでまだずぶ濡れになりたくなかった。
それで仕方なく辞退したのだが、このことは、後でずーっと後悔するはめになった。

「最近、野田知佑さんは四万十に来ないの?」
「うーん、最近見ませんねー、吉野川のほうに住んでるんで、そっちでやってるんじゃないすか?」
「このツアーは、親は来てないの?大人が何人かいるけど」
「ああ、みんなスタッフっす。親は見学もだめ。来ると五月蝿いし」
「なるほど」

子供2人に1艇ずつ普通サイズのカナディアンカヌーが割り当てられており
小学校高学年の子供たちは慣れた手つきでパドルを操っていた。
いいねーこういう塾は。
うちの子供たちも小さなときに連れてくれば良かった。
ずっと前に一度、九州の菊池川を家族で12,3キロ下ったことがあるが、楽しかった。
カナディアンカヌーに私とカミさんと娘。
カヤックに4年生位だったか、息子ひとり。
なにも教えなかったが、瀬で川岸のブッシュに突っ込みそうになったくらいで、あとは器用にパドリングしていた。

私が今回四万十川でカヌーをやらなかったのは、値段が高く、講義その他にたっぷりと時間が掛かるツアーばかりだったからだ。
勝手に貸しカヌーなんてのは全くなかった。
あってもその辺だけ限定というせせこましさが嫌で、まったくその気が起きなかった。
でもこの四万十塾はいいと思う。
それよりもこの川にはやはり自前のカヌーを持ってくるに限る。

カナディアンは重いので、やはりインフレータブルかファルトカヌーがいいなあ。
自転車売ってしまうか?

四万十塾の子供らに別れを告げて、中村市にカブを走らせる。
途中、「かわらっこ」というこれもまた、オートキャンプ、カヌーの施設があり、ここで昼食を摂る。
田舎寿司というちょっと変わったというか、素朴な寿司が300円。手長海老の唐揚げが300円。
破竹と茗荷と昆布の寿司に巻寿司と卵巻きが入っている。




味のほうは可もなく不可もなくといったところ。
そのキャンプ場の炊事棟で昼食を食べていると、ここでぽつぽつと雨が降ってくる。

ちょっと雲行きが怪しくなってきたので、急いで街へと走る。
しかしあと町まで数キロといった時点で、雨が激しくなりしばし雨宿り。
しばらく待つものの雨は降り続き、時折激しく降る。
レインコートを持ってでなかったので、すでにかなり濡れてしまった。
筏の連中は大丈夫だろうか?
四万十塾の連中は避難しただろうか?

ここまで来て引き返すのはちょっと勇気のいることだけど
このまま四万十市にでても何もできないだろうと、気を引き締めて引き返すことにする。
ものすごい雨が降ってくる。
すでに身体は水に浸かったような状態。
雨が目に入り、痛くて走れないので久保川の休憩所というところに逃げ込む。
なんてこった。雨は一向に止む気配なし。
だがこの休憩所で思わぬ珍客に会う。
カブを東屋の屋根の下に入れると、物陰で何かしら小さな生き物が動いている。
するとよく懐いた子猫が2匹、可愛い顔をして寄ってくる。
捨て猫だろうか?しばしこの子猫と遊ぶ。



あまりに可愛いので、九州まで連れて帰ろうかと真剣に思う。
誰が与えたのか、小さな容器に餌まで入っている。
恐らく兄弟だろう。仲良く東屋の下を駆け巡っている。しばしの安らぎ。

雨が少し小降りになったところで、大急ぎで江川崎に戻る。
体温が奪われて、かなり寒い。
岩間の沈下橋を覗くと、川原に小さなテントが二つと、引き上げられた筏が見えた。
なんとか到着したみたいだ。

キャンプサイトに着くやいなや、着替えをして山村ヘルスセンターに行く。
雨は霧雨のようになった。
まだ4時前なので、風呂は貸切状態。入り口で見覚えの有るバイク乗りを見かける。
私と同じように道端で雨宿りしていた若い男の子だ。
風呂で一緒になったので、声を掛けると今日はこのヘルスセンターに泊まるという。
聞けば、素泊まりで4000円。

「テントは持ってないの?」
「タープならあります。いままでずっとそれで野宿でした」
「なら、キャンプ場においでよ。ここからすぐだし、350円だよ」
「えーっ、本当ですか?知らなかった。すぐ近くですか?」
「近くも何もすぐだよ。シャワーやトイレもあるし、下は芝生だし」
「あーっ、でもどうしようかな?さっきここに泊まるって申し込んだんですよ」
「なら、キャンプ場があったんで、そちらに泊まるってキャンセルすればいいんじゃない?」
「あーっ、ちょっとフロントに行ってきます」
「食事なしの素泊まりだろう?風呂入ってからでいいよ、キャンセルは」
「いいですかねー、それで?あーっ、でも僕先に行ってきます、やっぱり」

なんとも真面目な子だ。
風呂でしばらく喋ったが、今回の旅でこんなに人と喋ったのは初めてだと言う。
誰も話しかけてくれないから、自分も黙っていましたとさ。
するってーとただバイクで走っただけかい?俺なんか話のしまくりだよ。
名古屋からずっと一般道で走ってきたらしい。うーむ、なかなかの強者なのに…。
聞けば、現在フリーターで20歳、でも最近料理に興味を持ったので
専門学校に行くべくお金を貯めたのだが、誘惑に負けて旅に出てしまったと。
親父さんは私と同じカメラマンで、建築関係が主だと言う。
でも、親父も息子もその仕事を継がせたり継いだりする気はないらしい。
そこまで一緒かよ。

風呂上りに例のスーパーにより、ご飯、ざる蕎麦、卵豆腐、朝食用のパン、オレンジ、りんごなど購入。
昨日と違ってテントの中は蒸し暑い。
雨で、タープを閉めたままなので風が入らない。
夕食時間まで本を持って、カヌー館の喫茶店に行き、冷たいコーヒーを飲みながらしばし読書。
「汝の隣人を愛せよ」は佳境に入ってきた。

先ほどのバイク野郎君は、少し離れた橋桁の下にタープを張り
レジャーシートの上に寝袋、荷物などを置き、蚊取り線香を焚いて夕食準備中だった。

「ああ、ここなら少しくらいの雨は大丈夫だね」
「ええ、そう思って橋の下を選んだんです、でも時折降り込むんで傘を差してます」
ちょっと心配だったが、先ほどから小雨で安定しているので、大丈夫だろうと思う。

レトルトのカレーを温め、今日の夕食はカレーにざる蕎麦。
その前に、日本酒を飲みながら、卵豆腐。
いや~、じつに美味い。こういったところで食うカレーの美味いこと。
後片付けしてテント内で読書しているうちにまた雨が激しくなる。
すごい音でタープに雨が当たる。しばらく降り続く。
しばらくすると四国電力の広報車が上流の堰の放水を告げて廻る。

「ただいま、上流地域に激しい雨が降っております。そのため堰を開け、毎秒〇〇トンの放水をいたしております。
下流域の皆様は、十分注意されてください。」

「十分注意されてくださいって、どう注意するんだよ。これは避難勧告じゃなくて注意勧告なのか」

などとイライラしながら読書してると、また広報車が廻ってくる。
「雨が一向に止みません。先ほどより毎秒〇〇トンに放水量を増加しております。河川の増水に十分注意してください」

それから何度か広報車が廻ってきて、その度に放送が過激になって行く。
こりゃ、寝られんなー今晩は。
学芸大の連中、大丈夫か川原で?
タープのお兄ちゃんのことも心配になってくる。
余計なこと言わずにセンターに泊まらせた方が良かったんじゃないか?
昨年の最後の仁淀川での暴風雨のことを思う。
今日は風がないだけましだが、これじゃどうしようもない。

すると雨が少し小降りになった途端、轟音と共にテントの中までパーッと明るくなった。
一体何が起こったのかさっぱり判らず、諏訪一大事とばかり
びっくりして跳ね起き、外に出てみると、なんとこれが花火大会。
他のキャンパーたちも皆テントの外に出てきた。
小雨混じりの夜空に目の前で花火が上がる。
山が近いのでその音が反響し、ものすごい迫力なのだ。

15分くらい続いただろうか、花火のあとバイク野郎君のタープを訪ねてみた。
「ひどい雨だな、本当に大丈夫?」
「ええ、少し降り込みましたがなんとか」
「僕が余計なこと言わなきゃよかったね」
「そんなことありません。僕にとって4000円は大金ですから。本当に助かりました」
「あまり雨がひどいようだったら、僕のテントに来ればいいよ。2人でも十分だから」
「ありがとうございます」

まあ、今夜は眠れないだろうな~。
おーっとまた広報車が廻ってきた。
「ただいま毎秒〇〇トンに放水が増加されました。…」


四万十川、江川崎町にて

2011年08月21日 | 



昨夜泊まったのはビジネスホテルなので、なんだか自室にて眠った感じ。
ベッドで遅くまで本を読み、12時過ぎに就寝。

ちなみに今回の旅に持参した本は福澤徹三の「汝の隣人を愛せよ」。
地元、小倉出身の作家ですね。
小倉中央図書館には松本清張と並んで、ちゃんと彼の本が資料として保管されております。
その分は、貸し出し禁止。館内閲覧のみです。

2年位前に「すじぼり」という彼の作品を読んで、すっかりファンになってしまった。
本来はホラーものを書くことが多い作家のようだが、この「すじぼり」はなかなか硬派。
そして立て続けに「iターン」「東京難民」と読破して、この「汝の隣人を愛せよ」なのである。
しかし、ちょっと選択ミスのような感も否めない。
あまりに面白すぎて、旅よりも本のほうに夢中になってしまうのだ。
最近の彼は、水を得た魚のように、小説のストーリーが沸いて出てくるみたいだ。
「すじぼり」の一発屋かと思っていましたが、福澤さん、失礼しました。

さて、夜遅く就寝したものの、年寄りの何とかという奴で
朝は、ちゃんと6時には目を覚ました。
カーテンを開け、窓の外を見ると何だか一雨降った様子。
でも、次第に青空が出てきて今日も暑くなりそうな気配。
身支度を整え、1階のラウンジに降りて朝食を摂る。
素泊まり4000円、朝食付き4500円という選択肢で迷わず朝食付きを選んだのは
バイキングではなく、和定食と洋定食になっていて、洋のほうには立派なサラダがついていたから。
昨年の旅で泊まった新居浜のビジネスホテルでは「朝食はバイキングになります」ということで飯付きにしたのだが
何のことはない、バイキングとは名ばかりで、ご飯と味噌汁、のり、生卵しかなかった。
しかも人数分しか置いてなかったので、お代わりもできなかった。

愛想のいいママさんと昨日書いた「穂積」の話をし、久しぶりに新聞を読み(最近新聞はとってない)
コーヒーもサラダも、スクランブルエッグもシナモントーストもオレンジジュースも美味かったことに
すっかり気をよくして、カブのキックを足蹴にした。
さすがに昨日たっぷりエンジンを廻してやったので1発で点火。
それにしてもカブにはテントその他積んだままにして通りに面した駐車場に置いておいたのだが、まったく悪戯の形跡無し。
いいところだね~宇和島。

カブのメーターを見ると18205の数字。
家を出たときは、17973だったので、232キロ走ったことになる。
ケツが痛いはずだ。

8時半、宇和島の駅前から320号線を走る。
いきなり長いトンネル。しかし幅広で明るいトンネルなのでまったく恐怖感は無い。
「無職の不良中年」さんから、「宇和島からは近いよ、四万十は…」と言われていたので
急がずに、流れる風景を楽しみながらゆっくり走る。
こういった時にカブの良さを一番感じる。
後ろに積んだテントやマットに背中を預けて、イージーライダーのようなスタイルで乗るカブは悪くない。

鬼北町まで320号線を走り、窪川方面へ今度は381号線を走ると、やがて川沿いの道になる。
「おっ、四万十!」と思いきや、これは支流の広見川。
だがこの快適な道をしばらく走ると、あっけなく四万十川に突き当たる。
四万十川の中流域、江川崎の町である。
ここでカヌー館を尋ねると、すぐそこだという。
四万十川に掛かる橋を渡ると、そこにカヌー館があった。
11時前に到着。

玄関先で雨が降り始める。小雨なのであまり気にせず館内に入り
キャンプ場のことを聞く。
テントは1張350円、何処でも好きなところに張ってくださいとのこと。
カヌー館裏手にあるテントサイトに降りて行くと、そこは立派な芝生広場。
しかも全く混んでいない。すぐ近くには山村ヘルスセンターという温泉もあるというので
ここをベースにしようと思い、すぐにテントを張る。



ちなみにヘルスセンターの入浴料は400円。もう1軒、立派なホテルがあってそこは800円。
倍だね、料金が。
名前も立派、ホテル「星羅四万十」。
こんな所に来て、こんな洒落たホテルに泊まる奴なんて居るのかと思いきや、満室。
皆さんお金が余ってらっしゃるのか、それとも旅は贅沢しなくっちゃと思っているのか…いやはや。
私の予算ではおそらく2泊が限度。
カヌー館キャンプ場には、コインランドリーもシャワーもあるのでホテルは自分には縁のないところだと
そそくさとテントの中で水着に着替え、早速川へ。
と思っていたら、可愛いお嬢さんが「こんにちは」と挨拶。

「私たち、大学生で四万十の筏下りにやってきたんですけど、今晩は前祝で少し騒がしいかもしれません、すみません」
「いえいえ、ご遠慮なくどうぞ、どちらから?」
「東京学芸大学のワンダーフォーゲル部です。1昨年も来ましたが、増水で下れなくて今年はリベンジです。」
「それはそれは頑張って下さい。」
「男4人、女2人の6人です。よろしくお願いします。」
私のテントの隣にある中くらいのテント2張りが彼女らのものらしい。

とても初々しく可愛らしい女子大生だったので、すっかり嬉しくなって川へ。
勝手がわからず、船着場のような階段を降りて行くと、いきなり川面に出た。



「あれっ、川原じゃないのかよ?」と訝りながら、え~いっままよと飛び込む。
水は冷たく、火照った身体にはとても気持ちいい。
水深は1~2mくらい。流れはそこそこ。
裸眼のまま潜ってみたが、昨年の汗見川の透明度とは全く違う。
あちらは吉野川の支流だし、こっちは本流なのでこんなものかと思いながらも
頭にちらつく「最後の清流、四万十川」の文字。

一度川から上がり、今度はテントサイトの端まで歩いて川への道を発見。
今度は、広い川原に出る。
先ほどの大学生たちが、大きな竹で筏を組んでいる。

「おっ、でかいねー、でもこんな荷造り紐で大丈夫なの?」
「ええ、結構丈夫なんですよ。僕たち予行演習で東京の川を下ってみましたから」
「こんな離れたところで組まなくても、川の近くで組んだほうがいいんじゃない?運ぶの大変だぜ」
「そうですかねー?たぶん運べると思うんですけど。前のとき増水して筏が流されそうになったもんで…」

雨は止み陽が照って、汗みどろになりながら、彼ら6人は楽しそうに作業している。
女の子たちも慣れない手つきで竹を細いビニール紐で縛っている。
こちらから見れば、危なっかしい筏だし、作業を見てるとまるでど素人のようなものなのだが
そんな詮索を跳ね返すほどの若さがあって、楽しそうでいい。
ま、筏がばれても死ぬことはないだろう。

メガネとシュノーケルをつけて、浅く早い流れに浸かる。
川底の石を掴んでないと、流されてしまう。
ゴリがあちこちから顔を出している。
大きなテナガ海老が大急ぎで逃げる。
なんとか捕まえようとするが、すぐに大きな石の下に入り、その石を動かしてもまたすぐに違う石の下に逃げ込む。
ミネラルウォーターのペットボトルでセル壜を作って沈めてみようと思う。
川海老のスープが飲めそうだ。

海と違って、川の良いところは、水遊びの後身体を拭くだけで済むところである。
いちいちシャワーを浴びて着替えるというのは、結構面倒なのである。
昼の1時過ぎまで川で遊び、カブで上流のほうに行ってみる。
荷物は全部テントに放り込んだので、とても軽快に走ることができる。





10キロほど走ると、道の駅「とおわ」に着く。
すっかり晴天。ここで昼食を摂る。
四万十の天然うなぎ丼2500円、う~ん、食いたい。
しかし、道の駅なんぞで美味いものを食った験しがない。
味ご飯セット1000円。これを試しに食って美味かったら鰻を食おう。
ということで注文してみたら、これが美味い。
味ご飯も、川海老の唐揚げも、刺身こんにゃくも椎茸も、川海苔の天麩羅も全部美味い。
味噌汁の味だけでも、ここの料理人が腕利きなのがわかる。
それでは鰻をとなるところなのだが、いかんせん腹いっぱいになってしまった。
面目ない。しかしこの1000円は食い甲斐があった。
明日中村市内に出たときに食ってみよう、鰻は…。



途中何箇所か沈下橋があった。
そのうち1本の橋は部分的に流されていた。
先日の台風による記録的な大雨のせいだ。
なにせカヌー館のキャンプサイトも沈没したらしい。
頭上2メートルくらいの高さにまで、木にごみが引っかかっていた。



ひとつの沈下橋に降りてみる。
橋上で記念撮影。
川原では親子でインフレータブルカヌーの準備中。



「今からですか?」
「ええ、僕ら下流の民宿に泊まっていて、そこの親父さんにここまで運んでもらったんです」
「この船だと安心ですね、ほとんど沈しないでしょう?」
「そうですね、子供が小さいからこの方が…」

1艇にお父さんと子供2人、もう1艇にお母さん。

「ああ、ドキドキする…」

母親は、そう呟きながらも夢見るような目をして本流に乗っていった。グッドラック!

江川崎の町に戻り、郵便局で念のため2万円ほど卸す。
かもめーるのはがきも買い、大学の後輩に暑中見舞いを書く。
江川崎は町とは言っても、ほとんど村というほうがふさわしいほどの町だが
一応スーパーがあるのは助かる。
しかもカヌー館からカブで3分。
今日は川で身体を洗ったので、風呂に入ることもあるまいし
早めに買い物を済ませ、本を読むつもりである。
カップヌードル、じゃこ天、帆立缶詰、氷、日本酒(土佐鶴)、昼間美味いものを食ったので
夕餉は酒とおつまみ、カップめんだけにする。

風があり、涼しくとても快適だ。
テントの中でも寒いくらい。
大学生の連中の声が時折聞こえるくらいで実に静かな夜だ。
ふと、「門司のH氏」のことが気にかかり、電話してみる。
彼は最近精神的に参っているようで、睡眠薬を常用しているらしく
時々連絡を入れることにしている。
こちらに来ないかと真剣に誘うと、すっかりその気になり、来れば歓迎しようと思うが
彼の性格ではテントには寝ることができないので厄介だ。
どこかホテルか民宿でも空いていればよいが…。

大学生の声はおとなしく、テントの中で本を読むうちに眠りに落ちる。
まだ10時にもなってなかったと思う。


今年も再び四国へ

2011年08月20日 | 



昨年に続き、今年もまた四国へ行ってきた。
本来は、「田中一村」美術館を訪ねて、奄美大島に行く予定であったが
台風の影響で、奄美地方が大荒れ状態だったため、急遽予定変更して
昨年四国へ行った時に已む無く断念した四万十川を訪ねるべく
8月3日朝、7時30分、愛車のカブにキャンプ道具を満載して家を後にした。

今年は少しでも長くと、1日には家を出るつもりであったが
旅に必要な買い物や長く乗っていないカブの整備に追われ
また、7月の最終日ギリギリまで仕事に追われていたせいもあって
出発は、3日になってしまった。

天気が順調なら、お盆ギリギリまで四国で遊んでくるつもりである。

3日は暑いが、多少雲が出てバイクで走る分には快適な天候。
大分の佐賀関まで走り、九四フェリーで四国の三崎港に渡る腹積もりである。

毎度のことながら、国道の一桁や二桁の道路は、自転車や原付には酷な道路である。
中津までの道路は片側二車線や三車線の快適な道路だが
宇佐から別府までの国道10号線は、一車線のトラックギリギリ幅道路で泣かされる。
今年はブームなのか、チャリンコ族が多いが、峠道を喘ぎながら排気ガスを
胸一杯吸って走り続けるのは、如何なものかと同情する。
ハーモニーランド前の急坂をママチャリで登ってゆく身体の大きな黒人の若い男性。
彼はアジア太平洋立命館大学の学生だろうか?
自転車が多いせいもあってか、トラックは大きく逸れて追い抜いてくれる。
こちらもサイドミラーで確認しながら、大きな車が来ると車体を振って「追い抜いてくれ」という合図を送る。
始末が悪いのが、乗用車を運転する「おばさん」車。
いくら合図を送っても、運転がへたなのか、ちっとも追い抜いてくれず
挙句の果てが、フラフラと車体を揺らす私が危ない男とでも思ったのか
追い抜きざまに、こちらの顔を見る不審げな表情。
しかも幅寄せしたままギリギリで追い抜いてゆくので、危ないったらありゃしない。
そろそろ原付もブレーキ強化し、30キロ制限を撤廃して、せめて60キロまでは
だしても良いように道交法を改正してもらわないと本当に危ない。

日出の赤松峠を過ぎ、別府湾が見えてくると、道路事情も良くなり
海風に吹かれながら快適に走る。
別府市内や大分の市内は車が多く快適とはいかないが
別府から大分に向かう別府湾沿いの道はとても良い。
「うみたまご」水族館あたりの道路は道幅も広く、快適そのもの。
海水浴客も多く見られ、夏を感じる。

大分から佐賀関に向かう途中のうどん屋で昼食を摂る。
最近は讃岐形式というか、流れ作業のようなうどん屋が多く
しかも1玉、1.5玉、2玉でも値段は同じなどと書かれていて
以前の私なら迷わず2玉を注文するところだが、自転車と違ってバイクの場合
あまり腹は減らないので、1玉のうどんにする。
どこもかしこも当たり外れはあまりなく、まあ平均点よりも少し美味いかなといったところ。
なのでこういったうどん屋に入ればまず間違いはない。
しかしそうなると街の小さなうどん屋さんは敬遠されることになる。
これも時代の趨勢か?
本当に美味いうどん屋さんは、その小さなほうに多いのだが…。

ここで大分に住む小学校から高校までの同級生、「大分のおばさん」こと、Yさんに連絡を入れてみたが
行き違いで彼女は北九州へ。

「ああ、なんてこった…」

仕方なく佐賀関目指して一路バイクを南へ。

しばらく走っていると、突然エンジンがノッキング。
タイヤ、チェーン、プラグ、オイルなど前日に念入りに手を入れたのに
ここでバイクのエンジンがいかれてしまったのでは洒落にならない。
チョークを少し引き、ガスの濃度をあげてやるとノッキングが収まる。
しかしまたすぐにノッキング。
日陰を見つけてバイクを停め、点検。
原因はすぐにわかった。ガス欠。
一番肝心なガソリンを満タンにしないまま家を出て、すでに120キロくらい走っていた。
ガソリンのコックをリザーブにし、スタンド目指して走る。
しかし港湾や倉庫の点在する辺鄙なところ。
リザーブでは500ccしかないので、よくもって30キロ。
まあ山間部や田舎の辺鄙なところでないだけましだった。

ガソリンも無事補給でき、佐賀関港に着いたのが13時過ぎ。
フェリーはちょうど出たばかりで、次のフェリーまで1時間待たねばならない。
だが、このフェリを選んだのは、1時間ごとに便がある便利さだった。
しかも距離が短いので値段も安い。原付バイクともどもで2040円である。



半袖、半ズボンで運転してきたので、普段陽に晒さない膝頭は真っ赤っか。
トイレで長ズボンに着替え、しばらくの間待合室で涼む。
14時の便にて三崎港へ。1時間10分ばかりで着く。



三崎港が近くなると、船上から目に付くのは四国電力の風車である。
何も知らなかった私は、この風車を三崎町の風車発電と思っていたが
実はこれは四国電力のものであり、この下に四国で唯一の伊方原発があったのだった。
が、まあそれは後で述べよう。

三崎港へは15時10分着。
小さな地方の港町である。
ここから一気に八幡浜を経て宇和島へと向かう。
が、この道が遠かった。
本来は、岬の下のほうにある昔からの漁村の道をチンタラ走るつもりであったが
もしこの道を走っていたら、どこかで野宿を覚悟しなければならなかっただろう。

国道は八幡浜までは交通量も少なく、道も良く、快適なツーリングだったが
八幡浜から宇和島に通ずる56号線に入ると、やたら交通量も増え、道も狭く
しかも次第に夕方近くなると、俄然混んでくる。

「今日中に四万十川まで走るのは無理か…」

宇和島は結構大きな街で、まったく予備知識のない私には右も左もわからない。
ここでいつも情報源になってくださる「無職の不良中年」さんに連絡。
近くのキャンプ場や安いビジネスホテルを調べてもらう。
それにいつか彼が言っていた宇和島の「鯛めし」のことも気になった。

「せっかくだから、宇和島に泊まって鯛めしなるものを食っていくか…」
ということで、とんとん拍子に宇和島市役所近くのホテル「寿」に宿を決め
彼が教えてくれた「ほづみ亭」という料理屋を訪ね、「鯛めし」を食す。

「ほづみ亭」は歴史を感じさせる古い建屋で、ホテルから徒歩15分くらいの商店街の一角にあった。
どうもこの「ほづみ」という名称は地名ではなく、この町の名士の名前らしく
その方の人徳を記念して銅像を建立することにした町に対して彼は少しでも町民に
役立つようにと、橋の建設を申し出たそうな。
その橋の近くに建てた料亭を「ほづみ亭」としたという話を
泊まったホテルのラウンジの名前が「穂積」だったのを訝しく思って尋ねた私に
ラウンジのママさんが教えてくれた。

「鯛めし」はまあまあだった。
予想に反して、卵かけご飯に鯛の刺身が入ったもので、確かに美味かったが
肝心の鯛があまり活かされてないように思えた。
炊き込みご飯ようなものを想像していたので、むしろ鯛茶漬けのほうが良かったかもしれない。
鯛が卵と出汁の味に負けてしまったように思えた。

美味い酒がたくさん置かれており、カウンターにはツマミの大皿もあって
私には、こちらの方が美味そうに思えたが、カウンターで同席した方が土地の人ではなく
話に興が乗らず、また旅の初めで散財することは憚られ
ビールと鯛めしだけで、後ろ髪を引かれるようにして店を出た。

明日はいよいよ四万十川に対面できる。
本日は早く休むことにしよう。