はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

狂育現場

2006-11-01 21:05:36 | つぶやきあれこれ
手元の電子辞書によると「破廉恥」とは、
・恥を恥と思わないこと。恥知らず。鉄面皮。厚顔無恥。
・不正・不徳の行いをすること。
(広辞苑)

教育という現場で、国語辞典の定義そのまま当てはまってしまう言動がされているようです。


●中学校でのいじめと、その対応問題
2年の女子生徒が亡くなった岐阜県瑞浪市立瑞浪中学校(google news一覧)の佐々木某なる校長の一連の発言は、全く驚天動地の思いがします。


数年前、破綻した山一證券の社長が「僕は寝ていないんだ!」と喚いた精神と、この方の根っこの部分は、ほとんど同じレベルのようです。

問題が発生したとき、解決能力の基本となるのは、
「その問題を正確に認識できる」能力です。

何がどのように問題なのか、さっぱり判っていない事は、
問題解決能力を問う以前の、根幹的資質の問題です。

今頃、いじめを認めたとしても、自らの無能ぶりを取り消すことはできないでしょう。
負のブランドとはそういうものです。


僕にとって教育委員会方面は、鬼門です。

三人の子どもの経験で、特に義務教育機関に対しては、行く度に完全に切れてしまう事態に遭遇することが多く、できるだけ足を運ばないようにしてきました。

怒りは、自分にもハネ返ってきます。
昨夜のように疲れているときに、この種の記事に触れると、自らの怒りが自らの体を如何に傷つけるか体感できます。
恐らく相当血圧が高くなったのでしょう。急に頭がふらふらになり気分が悪くなってしまいました。


僕の子等が通っていた学校は能登の田舎なので、1学年1組しかありません。
小・中9年間、同じ顔ぶれで過ごします。

このため、子どもたちの中に一旦、人間関係が決まるとほぼ完全に固定化してしまいます。
どの子だったか小学校低学年の頃、子らに少しいじめに類する出来事があったそうです。そのとき担任が、それがどのくらい罪な事なのか、丁寧に子どもたちに伝え、固定化する前に未然に摘み取ってくれたことがありました。

このように丁寧に子どもたちに向き合う素晴らしい先生は、残念ながら希少・絶滅危惧の存在のようです。


責任ということについて、別にまとめようと思っていました。

「責任を取って辞める」ということが軽々に使われています。
が、私は完全な間違いだと思っています。

引責辞任を口にする人に限って、本当に「責任を取る」ことの意味を深くは考えていないはずです。

責任は取るものではなく、果たすもの、あるいは全うするものです。

『責任を果たす能力がないから、その役割から退場していただく。』

これが問題を起こした組織の代表が辞任する際、正しい表現のはずです。

早々な引責辞任で、逆に社会的・道義的責任を回避し、同時にそれらを果たしたかのような印象を与えようとする思惑が垣間見える例にも、深い疑問を感じています。
早期に引責辞任することが美しい判断であるかのマスコミの報道姿勢にも、根深い問題があります。


件の校長に責任を全うできる能力が無いとしたら、速やかに退場していただくべきです。
対応が遅れるほど、現場が長く混乱します。
無能な管理者が居座ることで、その下の組織員が如何に犠牲を強いられるか、過去の多くの組織の失敗例が雄弁に語っています。

多感な時代に刻み込まれた傷は、おそらく一生引きずることになるでしょう。
「いのちの教育」は、掛け声以外に具体的に現場でどのように行われているのでしょうか?

同市教育委員会は、この人物を任命した責任を、どのように全うするつもりでしょうか。
都道府県教育委員会も同様です。


NPOなど民間の子育て支援の現場では「共育・協育」という言葉が使われています。
つまり、大人が上(指導者)で、子どもが下(教えられる側)という固定観念を外し、共に育っていこう、協力して育とうという考え方です。


子どもの能力は決して侮ってはなりません。
教育への熱意もなく、職業として選択しただけの人物。
教師1年生でも「先生」と呼ばれ、十年一日変わり映えしない授業を繰り返しているような姿勢。
たまたま何事も無く時間を過ごしてきただけなのに、あたかも自分の処理能力であるかの錯覚に陥っている管理者もどき。

その姿・言葉の端から、子どもたちは人物の本質を見抜いてしまいます。

子どもたちから毎日・随時試験を受けているのは、大人の側です。



●高校の必修単位未履修の問題
これは、文部省がおろかにも「ゆとり教育」なる妄想を学者(世間知らずの机上空論者)に吹き込まれ、結局児童の学力低下を招いた歪みを、高校が現場単独で回復しようとしてしまったことに起因しています。

ゆとり教育で生まれた「ゆとり」は義務教育教員の労働環境のゆとりでしか無かったようです。

てのさんのブログで同じご意見を伺えて心強く思いました。
必修科目未履修問題(てのさんのブログ記事)

また、とらいでんとさんが仰るとおり、世界史を履修しないで社会人となること自体の問題が、ゆとり教育弊害への対応という理由で、言い逃れるものではありませんし、私もとらいでんとさんのご意見に賛成します。
履修漏れ、って、、、(とらいでんとさんのブログ記事)


さて、「ゆとり教育」を推進した学者・政治家・文部省は、自らが招いた失策に対して、どう「責任を全うする」つもりでしょうか。
残念ながら、責任の自覚・認識も持ち合わせていないのかも知れません。
国語辞書によると、こういう人物のことを指すのが「破廉恥」という言葉のようです。

そうだとしたら、社会から自らに付託されている真義・職責を理解できない哀れな人々です。


学区を開放し、高校が広く選択される立場にしたのは、文部省・教育委員会です。
つまり市場原理によって運営すべき環境におかれたのに、指導要領なる「非市場原理」に従わなければならない制度矛盾を現場単独で解決しようとした結果です。

この矛盾を一人で抱え、命を絶たれた校長先生。
その選択だけは、していただきたくなかった。
貴方が守ろうとした貴方の学校の生徒に与える心理的影響に思いを寄せてほしかった。
無念でなりません。


指導要領が、世間のニーズを踏まえていない、いわば「世間知らず」のレベルであることに着目せず、国の管理下に教育委員会を置こうという某政府関係者の発言は、本質を見ていない妄言としか評価できません。
この人物を当選させた選挙民にも責任があります。

まして、国会で自らや省には責任がないと堂々とのたまう担当大臣は言語道断ではないでしょうか。

こんな人物を大臣として放置しておくと、任命権者である首相の資質も問われるように思います。
このような調子で本当に「美しい国」が、できるのでしょうか?

素朴な疑問です。


そして、高校に大学予備校的な役割を期待している保護者・世間にも、ニーズの源泉として責任を免れるものではありません。(私も高校に通う娘を持っていますから、同罪になります)



現場から政府まで、この状態でほんとうに「教育的」なのか?
考えた末にタイトルにした言葉が浮かんでくるほど、基本的な部分で首を傾げてしまいます。

教育には、家庭教育・地域教育・学校教育があります。(社会教育は行政用語です)
日本が世界的に稀な歴史や文化を辿った背景には、家庭・学校に比べ大変充実した地域教育の仕組みを地域社会の中に持っていたことにも大きな理由があると考えています。

米国のNPO学者でさえ、日本は世界的な古い歴史をもつNPO先進国で、寺子屋はその典型例であると記しています。

家庭教育・学校教育(藩校)は、長い間一部の武士の間のものでした。
明治以降、急速に学校教育が拡大されるに伴い、地域教育は役割を失っていきます。

そして、基本的な生活習慣という最低レベルのものまでが家庭では教育されず、幼稚園・保育園でなければ身につける機会を失う状況に至っています。

社会や家庭が自らの教育的役割を放棄し、学校に全てを委ねている今日。
その学校教育現場が、深い病に冒されているとしたら…

誰もまともな教育を子らと共にしていない日本の将来は、どうなるのでしょうか。


教育が国を創り、国を支えます。
にも関わらず、現在のような環境を許してしまっては、我々も我々の子どもにも未来はありません。


このブログでは政治的な内容は取り上げたくないのですが、腹の奥底から湧き上がってくる怒りと悲しみが、収まりません。


社会保険庁の解体的再編成が議論されています。
が、それよりも急ぐ必要があるのは、自浄能力・自己改革意思が無い「無文化省」を筆頭に全国の同委員会のように、考えられてなりません。

この国は、他の誰のものでもなく、我々国民のもののはずです。
学校を、教育環境を変えられるかどうかは、自らではどうにもできない教育委員会や政府ではなく、国民の問題だと思いますがいかがでしょうか。


自分にも、国民の一人として少なからぬ責任があります。
鬼門にも立ち向かわなければならないのかもしれません。

巷の片隅で、このようなことをつぶやいて何かを変えられるとは思いませんが、自分には何ができるのか、感情が激するゆえ今まで避けていたこの方面の問題にも目を逸らさず、見つめて行かなければならないと思うのです。

僕には怒りをコントロールできるようになるための厳しい修行になりそうです。


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
間違えました (都下人)
2006-11-01 21:27:19
トラクバックする記事を間違えました。申し訳ございません。
都下人さんへ (はれっと)
2006-11-01 21:30:02
はじめまして。
はい。今気づきました。
御気になさらずに(^^)
自己フォローです (はれっと)
2006-11-01 21:32:38
知人のブログで斉藤一人さんの講演から、
いじめと親の愛について触れられていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/tomaatlas/diary/200610310000/
(精神世界の鉄人さんの記事)

これを読んで、自分が如何に未だ未だであるか
しみじみ感じました。

怒ってばかりいないで、前に歩きだソ…(^^;ゞ
八百万の神の国、日本 (HooPoo)
2006-11-03 06:28:12
「八百万の神の国、日本」神道も変遷があり、他の文化と融合している部分がありぃ・・・

仏教、特に密教に限らず、印度方面より渡来の神の影響を受けたと思われる神には、「怒」が象徴される神も存在するわけであり・・・

怒りをなくすることが、良いのか、悪いのか、私にはわかりませんが、無我に入ることだけが、絶対の境地とはどうしても思えません。

ま、お気楽・極楽でぇ・・・
興味があるのは・・・ (とらいでんと)
2006-11-03 13:06:23
はれっとさん、こんにちは。
ご機嫌いかがですか?

記事を拝見して、深い悲しみと怒りが伝わってきましたよ。

私は、はれっとさんのご意見や怒りの根源を全て理解できているワケではないのですが、同感だなぁ、と思う部分は多いです。

ところで、今回の未履修問題、どうしてこのタイミングで大きく報道されたんだろう、という事に興味があります。誰かが報道機関に連絡したのか、報道機関が取材を続けた結果なのかわかりませんが、偉いぞ!って思っています。

今回の騒動によってうらんだり、迷惑だったり、悲しんだりする人も多いと思いますが、いずれ発覚し、いずれ直さなければならなかった事だと思います。

大事なのは、これから今の制度やあり方をどう直すのか、ですもんね。
HooPooさんへ (はれっと)
2006-11-04 00:26:07
お気遣いありがとうございます。
大分、気分も納まりました。(^^;ゞ
とらいでんとさんへ (はれっと)
2006-11-04 00:42:41
すみません。
突然ブログで吼えちゃって…(^^;ゞ

小中で誰も助けてくれなかったいじめ
高校での教師・学校との戦い
などが蘇っていたのかもしれません(^^;ゞ

未履修問題の発覚が内部告発であることは
ほぼ間違いないようです。

仰るように誤りは
できるだけ早期に正すべきです。

ただ、現場だけでできることは
限られています。

重要な事は、組織上層部の自覚なんです。

日露戦争での二百三高地での悲惨な戦いと犠牲
太平洋戦争での日本と戦場にさせられた国々での犠牲
近くは、山一證券・破綻銀行など、
おかしな経営をしている企業で、
社員は悪くないのに、失業させられる理不尽。

多くは組織の上層部や経営・管理層の無自覚・無責任に由来しています。

同じことが教育現場でも…

個人的価値観により
許せない教師・管理職も少なくありませんが、
それより問題なのは児童・生徒の方です。

彼らには、選択の余地がない。

どうやったら、彼らが
被害者意識から抜け出せる
ようにサポートできるか
社会が問われていると思うのです。

トラウマが生み出すダークな精神状態が
色々な問題を大きくしてゆく気が
しているのです。
Unknown (たっちゃん@ゆめ・まち・ねっと)
2006-11-04 02:17:30
学校のこの現状は決して教師や教育委員会に問題があるわけではないと思っています。問題は、今の学校の体質をよしとしてしまっている(見てみぬふりも含め)保護者の側にあります。
それは我が国の政治の現状とも同じですね。先の二つの補選でも問題はどっちが勝った負けたではなく、投票率が50%にしか過ぎなかったことでしょうね。
こんな国民の体質では、政治も教育もやりたい放題になるのは決まっています。
さてさて、そんな自分は何をしていくか。
とにもかくにも子どもたちにカッコイイ大人の姿を見せていくことです。信じられる大人もいることを見てもらうことです。そんな大人の仲間を増やしていくことです。
子どもが夢を持てる社会を作らないとですね。
たっちゃんへ (はれっと)
2006-11-04 15:04:08
いつものたっちゃんらしいコメント
頼もしい限りです(^^)

その調子で引き続きご活躍を期待しています(o^-')b