このブログでは敢えて、
能登半島地震の被災状況や復旧活動には触れず
むしろその後にもっと息の長い活動が必要となるはずの
被災地復興に絞って記事にしてきました。
復旧とは、
道路・橋、家屋などのハードウェアについて
二次災害の眼を摘んだり修復すること
復興とは
被災地の経済状況が戻り
以前のような仕事と暮らしが戻ってくることだ
と思っています。
今回の能登半島地震の被災地復興勝手連プロジェクト「能登は元気だ」
を通じて知り合った「あかつきボランティアネットワーク」のKさんと
何度か連絡をし合いました。
一度お直接お話もさせて頂きましたが、
とても物腰の穏やかな方でした。
そして数々のお知恵も頂きました。
この場を借りて感謝を申し上げます。
さて、そのKさんから今回の被災地にいち早く駆けつけて
災害復旧支援活動をして下さったKUROさんのブログを
紹介してもらいました。
かなり冷静・的確なご指摘・提言が綴られており
少なからず衝撃を受けています。
●雨ニモマケズ 風ニモマケズ(KUROさんのブログ)から
・VC設置マニュアルにないこと(2007-04-04)
・赤紙という壁(2007-04-03)
・続・赤紙という壁(2007-04-05)
⇒ボランティアセンター(VC)のあり方、被災地に直後に入る災害ボランティアのあり方…
「赤紙という壁」では
被災者は赤紙の張られた家屋にノーヘルで入って作業しているのに
ボランティアは入ることができない壁…
ここにも倒壊して怪我をしたら誰が責任を取る?
という
・平時のルールの非常時への適用の不合理性
・非常時に求められるはずの思考停止症候群の発症
が指摘されているように思えてなりません。
既に仲間からは、ヘルメットに安全靴、腰に工具の数々を下げた
この方々の噂は耳にしていました。
プロはだしの凄いボランティア一団が活動している…
と
僕も「お見舞い金」(2007-04-03)で
いささか評論めいたことを申し上げましたが、お恥ずかしい限りです。
数々の震災やロシアタンカー重油事故等からの教訓で、
初期の災害復旧には相応の技能を有するボランティアが入らなければ
効果的な作業ができないと感じていました。
KUROさんたちプロ級(?)ボランティアの方から
このことを改めて明確に指摘されると
その存在の重要性と平時からの訓練の重要性を
強く認識させられます。
僕の自宅がある集落でも自衛消防団があります。
能登に住むようになってすぐに入団しました。
この二十数年間で残念ながら2度の火災がありましたが
迅速な消火活動によっていずれも延焼を防いでいます。
消防の到着を指をくわえて待っていては
田舎であるほど、どうしても遅くなります。
阪神淡路大震災でも自衛消防がしっかりしていた
淡路島側ではかなり有効な活動が行われていたと聞いています。
4月2日のNHKクローズアップ現代「震度6が高齢者を襲った~現地報告・能登半島地震~」で、
震源地で取り残された区長さんが
図らずもおっしゃっていた
「行政の支援など待っとられん」という言葉は
平時を宗とする行政機構に対して
災害時・非常時の特に初期
あまり多くを期待すべきではなく
むしろ、住民自らが互助精神で乗り越えられることが
地域として健全であるのではないか
と思えてなりません。
心情的にはあまり想像したくはありませんが、
東海・関東で予想されている震災時に
あかつきさんやKUROさんたちのような
的確な活動が行えるボランティアや団体への
社会的な理解が進んで一層、輪が広がる必要がありそうです。
自分には何もできない、と嘆くことより
できることを探せる人でありたい
さらに、いざというとき
必要なことを必要なだけてきぱきと処理できる人になりたい
それができるか否かは
むしろ平時の暮らし方の中にこそある
県外のボランティアさんたちから
また多くのことを学ばせていただきました。
財政破綻し民力で復興を図ろうとしている夕張に
KUROさんは間も無く向かわれるそうです。
まるで風のように…
・避難所での足湯効果(2007-03-28:KUROさんのブログ)
⇒この記事以降、能登に入られる前後の記事が続いています。
KUROさんのブログ左側のカレンダー下にもご注目
KUROさんの標語につながる(?)
ロバのアニメは傑作(^o^)
能登半島地震の被災状況や復旧活動には触れず
むしろその後にもっと息の長い活動が必要となるはずの
被災地復興に絞って記事にしてきました。
復旧とは、
道路・橋、家屋などのハードウェアについて
二次災害の眼を摘んだり修復すること
復興とは
被災地の経済状況が戻り
以前のような仕事と暮らしが戻ってくることだ
と思っています。
今回の能登半島地震の被災地復興勝手連プロジェクト「能登は元気だ」
を通じて知り合った「あかつきボランティアネットワーク」のKさんと
何度か連絡をし合いました。
一度お直接お話もさせて頂きましたが、
とても物腰の穏やかな方でした。
そして数々のお知恵も頂きました。
この場を借りて感謝を申し上げます。
さて、そのKさんから今回の被災地にいち早く駆けつけて
災害復旧支援活動をして下さったKUROさんのブログを
紹介してもらいました。
かなり冷静・的確なご指摘・提言が綴られており
少なからず衝撃を受けています。
●雨ニモマケズ 風ニモマケズ(KUROさんのブログ)から
・VC設置マニュアルにないこと(2007-04-04)
・赤紙という壁(2007-04-03)
・続・赤紙という壁(2007-04-05)
⇒ボランティアセンター(VC)のあり方、被災地に直後に入る災害ボランティアのあり方…
「赤紙という壁」では
被災者は赤紙の張られた家屋にノーヘルで入って作業しているのに
ボランティアは入ることができない壁…
ここにも倒壊して怪我をしたら誰が責任を取る?
という
・平時のルールの非常時への適用の不合理性
・非常時に求められるはずの思考停止症候群の発症
が指摘されているように思えてなりません。
既に仲間からは、ヘルメットに安全靴、腰に工具の数々を下げた
この方々の噂は耳にしていました。
プロはだしの凄いボランティア一団が活動している…
と
僕も「お見舞い金」(2007-04-03)で
いささか評論めいたことを申し上げましたが、お恥ずかしい限りです。
数々の震災やロシアタンカー重油事故等からの教訓で、
初期の災害復旧には相応の技能を有するボランティアが入らなければ
効果的な作業ができないと感じていました。
KUROさんたちプロ級(?)ボランティアの方から
このことを改めて明確に指摘されると
その存在の重要性と平時からの訓練の重要性を
強く認識させられます。
僕の自宅がある集落でも自衛消防団があります。
能登に住むようになってすぐに入団しました。
この二十数年間で残念ながら2度の火災がありましたが
迅速な消火活動によっていずれも延焼を防いでいます。
消防の到着を指をくわえて待っていては
田舎であるほど、どうしても遅くなります。
阪神淡路大震災でも自衛消防がしっかりしていた
淡路島側ではかなり有効な活動が行われていたと聞いています。
4月2日のNHKクローズアップ現代「震度6が高齢者を襲った~現地報告・能登半島地震~」で、
震源地で取り残された区長さんが
図らずもおっしゃっていた
「行政の支援など待っとられん」という言葉は
平時を宗とする行政機構に対して
災害時・非常時の特に初期
あまり多くを期待すべきではなく
むしろ、住民自らが互助精神で乗り越えられることが
地域として健全であるのではないか
と思えてなりません。
心情的にはあまり想像したくはありませんが、
東海・関東で予想されている震災時に
あかつきさんやKUROさんたちのような
的確な活動が行えるボランティアや団体への
社会的な理解が進んで一層、輪が広がる必要がありそうです。
自分には何もできない、と嘆くことより
できることを探せる人でありたい
さらに、いざというとき
必要なことを必要なだけてきぱきと処理できる人になりたい
それができるか否かは
むしろ平時の暮らし方の中にこそある
県外のボランティアさんたちから
また多くのことを学ばせていただきました。
財政破綻し民力で復興を図ろうとしている夕張に
KUROさんは間も無く向かわれるそうです。
まるで風のように…
・避難所での足湯効果(2007-03-28:KUROさんのブログ)
⇒この記事以降、能登に入られる前後の記事が続いています。
KUROさんのブログ左側のカレンダー下にもご注目
KUROさんの標語につながる(?)
ロバのアニメは傑作(^o^)