淋しさは その色としも なかりけり
槇立つ山の 秋の夕暮
寂蓮法師の歌からはじまりましたが、すっかり秋めいてきましたね。
秋は秘仏公開の季節でもあり、また紅葉が美しい季節でもあるのですが、私はこの秋という季節が好きなようであり、苦手でもあります。
それはひとえに淋しさ、悲哀感に満ちているからではないでしょうか。
何かがあったわけではないのに、心にポッカリ穴があいたような気分。
気温的にいえば、快適この上ない季節なのに、動けずうずくまってしまうことも。
目に映るものすべてが、淋しさを誘い物思いにふけらせてしまう。
こういった人の心を、寂蓮は見事に歌っています。
また、ただの淋しさだけではなく、寂寥美を追求しているところもポイントで、私の好きな歌の一つです。
そんなわけで秋。
というわけでロシアです。
秋に限らず、ロシアンミュージックが好きな私にとっては、年中ロシア三昧なわけですが、やはり、夏に聴くのと、秋に聴くのとでは少し趣が違います。
今回は、三ツ星ロシア作曲家の巨匠!
タネ~~エフ~~!!
はは~。。。
● タネーエフ・交響曲第二番
一楽章
冒頭部分から、優しく、美しく深みのあるハーモニー。
これは何かはじまるぞ~という期待感を抱かせてくれます。
その後は、壮大な交響曲らしい音楽が続いてくる。
こだまのようなメロあり、掛け合いも楽しませてくれる。
一楽章のラスト“ロシア万歳”のテーマもロシアファンにとってはたまらんシロモノ。
盛り上がり時は、美味しいワインで乾杯したくなるほど、ロシア節がきいている。
時代を感じさせるロシア節。
私はこういうの大好き。
ざ・正統派ロシア節!
しかし、なんといってもインパクトが強いのは次の第二楽章。
二楽章
妖しさ満開の二楽章。
はじまりは、一楽章の続きからか、比較的おとなしく控えめでうっかり、聞き流してしまいそうになるが、1分過ぎたあたりから、主題がやってくる。
寝込みを襲うかのように、ひっそりかつ細長い蛇のようにするりとやってくる。
闇から何者かに放たれた使者がやってくるかのようだ。
連れて行かれそうになるので、注意されたし。
美しいメロディーであるのは間違いないのだが、美しいという言葉だけでは済まされない闇がある。
流石は、帝国ロシアの音楽である。
このテーマを聞いていると、モスクワの地下鉄を思い出す。
もちろん私は、ロシアもとい旧ソビエトに足を踏み入れたこともないので、実際に目にしたことはない。
しかし、モスクワの地下鉄の充実っぷりと、駅が絢爛豪華な装飾に覆われていることは知っている。そしてそれらの駅が秘密主義で徹底されていることも。
旅行者は無断でこれらの駅を撮影することはできない。
なぜか?
ここはただの駅ではなく、もしもの時の秘密のシェルターになっているからだ。
しかも、しかもだ。
一般市民の使える地下鉄以外にもまだ下に秘密の地下鉄があり、地下都市があるというのだ。なんだ~この秘密の秘密で秘密の厚塗り状況は。
・ ・いやいや・・流石はロシアのやることだ。
ロシアでしか、なしえないことなのかもしれない。
そんなことを考えていると第三楽章。
“ロシア万歳舞曲”(勝手に命名)
また、秘密の地下鉄、地下都市が頭をよぎる。
特権階級の人々は、もしもの時、この秘密のシェルターへ逃げ込み、そして優雅にこの第三楽章のような曲を聴きながらワイン飲むんじゃねぇのか?
ああ・・
タネーエフの美しい音楽が私の猜疑心でまみれた偏屈な感情で捻じ曲げられていく・・
でも、こんなことを考えさせてしまうロシアが悪い。
ということで、責任転化してみる。
この第三楽章は絢爛豪華な装飾が施された宮殿のイメージだ。
美しいけど自由な美しさではなく、カチッと型にはまった古典のような美しさがある。
私がロシアの音楽を愛する所以は、こういう型のある美しさなのかもしれない。
なんだかんだ言ったが、私はこの曲が好きだ。
秋の寂寥美とは少し相違あるかもしれないが、秋に一聴お薦めしたい