国分市は中学・高校時代を過ごした町
舞鶴城址。島津義久の居城。現在の国分小学校。
奥に見える朱門は「舞鶴城内陣の門であったものを市内重久(重久麓)の細山田家の祖先が領主義久から拝領したものと伝えられている」と書かれている。「細山田家から大隅国分寺跡に移築保存されたが、台風のため倒壊し、ゆかりの舞鶴城に復元した」
舞鶴城の城下町の復元図
碁盤目状の町割りは現在とほとんど代わっていない。領主の館が現在の国分高校(国分小学校の隣り)まで拡がっていた。大手門の前は家来の屋敷が並ぶのではなく、田圃が拡がっていた?
舞鶴城の麓地区(国分中央1~4丁目)は30年前当時も今もあまり変わりない
舞鶴城の前はきれいに整備されている。堀に鯉が泳ぐようになるかも知れない
大隅国分寺跡
麓地区に武家門はほとんど見かけないが、石垣で囲まれた家が多い
石垣の上に積まれたものはよく見るとブロック。コンクリートブロックもここまで風化すると味わいがある
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