ひだまり オーガニックな時

阿波の地御所野という集落の谷戸で自然農の畑と田んぼを描きながら山の水薪で生活し 農園ゲストハウスを営んでいます。 

2014-01-20 20:56:01 | Weblog



写真は春のときかな、今週 二度 この大楠のところへ行きました。

一度目は、夜 一人で。

今日はヒロヨの両親とお昼に三人で。

夜 一人 大楠を前に 一時間程、ぼーと した、暗く、よく見えない事で、

面白いくらいに よく見える、ただの自分。

空っぽが無限に広がっていく 

普段の日常、色々楽しみながら まるで色々な映画を 観ているような日々。

そこに自分も登場していたり、カラスのように、楽しんでみたり・・。

日常の中に 色々な 要素を試していく。

こうして 大きな 長老の楠の前に来ると、大、おじいちゃんの前にいるようで・・・

以前は色々 試したり、してみたり、確かめてみたり。

気を整えてみたり、行為にしていたけれど、

今はただ、ベンチに座り、おいしい煙草を 一服つける。

長老を前に、とても心地が良い。

今日は ひろよの父親が とても気持がよさそうな、姿に 

またまた シンプルになっていく、

気が廻っていくというよりは 気が常に巡っている事だけに レンズが合う感じだ。

ふと、声が聞こえる

山に入りなさい。

大楠という、長老 生きるがシンプルに存在する。

常に色々装いながら・・、生きるを楽しみ、日々の生活に行為として

その世界を描いていくわけだけど、

その声は 楠木からであり、ただの自分の根からの、はっきりとした声となり。

五感をとうし、五感を超え 実感として入ってくる。

今、この瞬間に、過去も 未来も全てが重なり、溶けあっていく。

言葉が、うまく出てこないけれど、

時間も 順番もない ただの今に、全てが溶けあっていく感じ。

ありがとうと、その無限の広がりに言葉が出る。

山に入り、少しずつ、はじめて行こう。

楽しみです。

どうやら、取り除いていくことには、まず 良く観ることで、

見方や、概念は 、楽しみから 無限の広がりを

感じづらくなるようだ・・。

半々歩ずつくらいかな・・。








晩御飯

2013-11-20 23:03:05 | Weblog



今一度 おくねんしようと思う。

水は廻っている。

形を変えながら、沢となり、川となり 海へと廻り

天へ登り、再び 大地へと降り注ぐ。

地球に生える全ての命を廻る。

きれいごとでも、なんでもない。

自分自身もその流れの一部としていきている。

当てはまらない、ものなどない。

大切なことは みんながリアルに 体感している

常に、ただ廻り、生かされ、生きている。

気という漢字、氣とかくのは、以前はいくぶん、恥かしさがあった。

少し調べてみると、色々でてくる、米というのもあれば、

光を放つというのもでてくる・・。

なんとなくだけれど

光を放つのも 受けるのも、廻るのも

米のなかに、全てが廻るような感じがする。

日本に今、生き、米をいただく、

当たり前のようで 自分であり、自分ではない全てであるような

とにかく、暖かい命を食うことに

しっかりと、実感と感謝の気持を、持つことが

生きていることを、感じる 最高の幸せだと思う。

生き方や 表現の方法の前に、米を食い 水を飲み

呼吸していることに

大差はない。

最高の感謝と、実感を持たないと 今、生きるを にぶらせる。

火が燃える、外でも、中でも燃えている。

水が流れる。


生きている、数だけの クリエイションがある。

人の考えや 思い、生き方、 損得 欲望 感情・・。

その前に、人として、生きることに

火を燃やし、水が流れ j呼吸している そして常に、命を食い続けている。

そろそろ、生きることに、

ありがとうを 本気で仕事したい。

人が滅んでいけば、自然は廻り、治癒力も働くなどという

無責任な考えは、今まで紡がれてきた 命 先祖

今に、まっすぐ向き合うことはできない。

もちろん楽しく・・。 生きていることが、まず楽しい、

眼を開いて 自分の生きるが

全てのめぐりにどれだけ かかわりあいながら、

廻っているかを

あらためて、感じ

今にこめていきたい。

良いも悪いもない世界、のまえに、

反省と感謝、予習と復習する、心を

ただの自分と共に

純粋に、正直にいきていこう。

本日の、夜飯を いただいた感想でした~!!

しっかり 眼を開かないと、わかりずらーーい

渦の中に巻き込まれるような・・ 気がします・・。


御所野 新米。

2013-10-30 23:15:20 | Weblog



御所野で育ったお米。

おくどさんで炊き

夫婦でいただきました。

これでいいのだな、と思いました。

元気とはこういうことなのかと、思いました。

御所野で育ったお米たちは

元気があふれていました。

いろんなことがあり

変化していっても。

元気なお米を、いただける事に、あつーくなります・・。

元気という言葉が、しっくりきます。

明日、氏神様にお礼に行き、土地のご先祖様にお礼をいい

11月3日

ご縁いただいた皆様と

感謝の宴を心から楽しみたいと思います。

おむすびを握るのが楽しみです。

11月3日 ひだまりむすひ収穫感謝祭2013

日々いただいている全ての命への

感謝の宴

いきとしいける命の廻りが

元気でありますよう。





稲刈り

2013-10-18 20:41:24 | Weblog



阿波の、御所野の地に来て、三年目の秋

お米の収穫の季節。

昨年は この時期に 猪に先を越され・・・二日で一反全滅。

お米をいただくことはできませんでした。

あれから、一年たった今、心も 身体も

想いかたも 緩やかに 常に日々変化し続けている気がします。




夫婦でこうして 稲を刈るなどと、数年前からは、想像もつかなかったです。

一人の人として、感じ方も 表現の仕方も

それぞれ自由で、交わる時もあれば、さまようこともある。

それでいいと思うようになって来ました。

こうして 生活する 山のお水で 育ったお米

日々いただくお水、空気

森たちに支えられながら 一年を過ごし。

たまに町におり、スーパーへ買い物に行き。

以前からの日常の中にあった、ひと時が、今

より、豊かに 楽しめることに、とても ささやかですが

最高の幸せを感じます。

夫婦で稲を刈る。

昔は家族みんな 集落みんなで稲を刈り

関わりあい、なんだかんだといいながらも

同じ釜の飯を

いただき、

異なる感性の中にも あまりにも

まっすぐな 一本の お米という命の中に

自分も含まれる 全ての命たちの響きが

水を介して流れ。

お月さん 太陽 星ぼし、宇宙に溶け合いながら

生活を共にし、生きていたのだと想います。





僕が 生きてきた人生の中で、どの瞬間も、かけがえなく

今のこの瞬間とは 大きく違う 世界を描きながら、日々を生きていたころも

お米をいただき お水を飲み 呼吸をし

生きてきた。

そう想うと

大きく変化しながらも、生きることはシンプルに捉えれば

みな たいして 違いはないきがする。

お米とのかかわりは、そのことを

なんとなく、そして、一番分かりやすく、おちてゆく。

これから先も 一日一日

生き 死に続けながら。

ただ 今の我も含んだ、かっこ悪くとも良い

ただの今を悟り続けたい。

十 あるならば 七を生きるに

三は生かされている廻りに調和できるように

以前は 七を 生き。

三を廻そうなどたいそうな 妄想をしていたが、十が今

その今を生き

十 環境の中みんなが よければいいなぁ

三は廻る。

お世話になっている

塗装やのおっちゃんが言っていた。

みんながよければそれでいい。

なかなかいえない言葉だ。

もうすぐ ひだまりむすひ 収穫感謝の祭り

ご縁ある方々と

楽しい 暖かい 感謝の日になるといいなぁ。

小学校の頃みたいに、太っちょもやせっぽっちも

できすぎくんもやんちゃ坊主も

嫌いなやつも好きなやつも

センスのいいやつも ひかえめなやつも

みんなが同じ、世界を描いていた。

これからは どんどん交じり合っていく気がする。

いつもありがとう。

そしてご先祖様

地球は最高です。

ありがとう。


ひだまりむすひ 収穫感謝祭 2013

2013-10-16 22:58:26 | Weblog



ひだまりむすひ収穫感謝祭2013

稲刈り真っ最中です、今年は梅雨から干ばつで どうなることかと、思いましたが

お米もお野菜も力強く 自然の廻りの中に育ってくれました。

一年の命の恵に感謝して今年も感謝の宴を皆様とご一緒できたらと!!

日時: 11月3日(日) 新月 OPEN 13:00 START 14:00
参加費:  2000yen       (  おむすびつき  )
 
前日当日 ひだまり宿泊 フりー(事前にご連絡いただけるとありがたいです~)


ライブ出演

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*pigs in a straw house /牧島竜也(vo/gt)上田真寿夫(マンドリン・vo)山下道夫(gt)

*風巡音旅人×山浦庸平   /  isa(gt/vo)  山浦庸平(per)

*~縫 Nui (うたうたい山口愛オリジナルユニット)/ ai(vo.steelpan)tak(gt)松岡さとし(per)

* 森のうたうたい 冨山喜子

* じゅんかん/ 菅美菜子(vo.gt) じゅんや(per)

* 三好とうよう & お祭りハッピーズ

* KEIJU さん スケージュール調整中!!


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ご飯 飲み物

しんじさんの美味しい 炭火自家焙煎コーヒー(東ティモールの豆)

ひだまりむすひ トゥルシー茶 ひだまりBeer(間に合えば・・)

ココペリ食堂

ケリーの芋煮

吉田さんのご飯・・

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三重からたかいく新者さん

*梅醤番茶の素 えいこ特製保湿ジェル 万能クリームを引き下げきていただけます~!!
このジェルとクリーム たかいくえいこさんの長年の研究のたまもの 皆様この機会に是非!!



出店フりーですのでお気軽にお問合せください

素晴らしい音に包まれながら美味しいご飯と 飲み物いただいて、皆さんと一緒に

感謝の楽しい宴になればと想います。

ひだまりむすひのある 御所野という集落は 静かな昔ながらの生活をしてらっしゃる

おじいちゃんのばぁちゃん先輩方が住む集落です、皆様、集落の方々へのお心遣い

ご協力お願いします。

駐車スペース確保していますが、お友達同士など なるべく乗り合いでいらしていただけたらありがたいです。

ひだまりむすひ アクセス詳細など ご不明な点ございましたら 事前にご連絡ください~


 徳島県美馬市脇町字東俣菜1042 (四国巡礼88番大窪寺より車で10分 旅館竹屋敷より車で5分)

050-3433-8378

hidamari_junkannouhou_yoga@yahoo.co.jp

FBページ ひだまりむすひ















 


ありがとう。

2013-08-27 21:19:21 | Weblog



スケッチオブミャーク 徳島 東林院上映会にて

心友であり いい先輩でもあり、あまり呑めない飲み友達の

亀ちゃんの お茶をいただく。

けっこうなおてまえでした~

今日 わんこのごんべいが

天使になりました。






色々なご縁やら 過去やら とにかく生きているだけで

色んなことがある。

生きているからこそ、最高に笑うことも

悲しいこともある。

今この一瞬の 今

そこに正直でありたいものです。


風のように流れていきます。

静寂な、時も、あります。

水のようにめぐります。

石のように

ただが 力強く ここにあります。

今起こる この瞬間を 感じさせてくれるのは、

とても、心地の良いことも

ぼんやり もやがかることも、

とても悲しいことも

流れながらも じーと見つめる眼があります。

いとおしい 

小さな命

やんちゃな命

ありがとうであふれています。



多くではなく、

正直に生きること。

記憶としても、

今この心にも

とても 大切な 大切な

暖かいものを

命のプレゼントとして、与えてくれました。

決して忘れることのないような、尊い命を

僕ら夫婦に

半分ずつ

プレゼントしてくれました

ほのかな香りは、不思議と

安心感として

僕の記憶にはっきりと 残っていきます。

最高に楽しかったよ

栗の木とともに 大地とともに

一つ 

ありがとう。



心からの

感謝を込めて

共に。

涙は

ありがとうです。


SOUND HEALING KEIJYU @ ひだまりむすひ 8/30

2013-08-26 13:02:32 | Weblog



ここ二日の 雨で 秋を身体で感じます。

夏の終わりに、ひだまりむすひにて

KEIJU SOUND HEALING

8月30日 

KEIJUさんの奏でる 究極の癒しの音

前回のライブもご縁いただいた皆様と共に、最高に贅沢な夜を

すごさせて頂きました。

今回も、ひだまりむすひでは 野菜の晩御飯をご用意し

ひだまりむすひ 大使の水仕込みのビールも

仕込み中です。間に合うかしら・・。

心からおすすめできる 夏の終わりの

谷戸の夜です。

皆様お誘い合わせの上、遊びにいらしてください~!!

当日 ひだまり 宿泊もフリーになっていますので ご都合会う方は、ゆっくりとおくつろぎください。

OPEN 18:00

START 19:00

夕食付 2000yen


@ひだまりむすひ 四国巡礼88番大窪寺より 2キロ

徳島県美馬市脇町字東俣名1042

詳細などお気軽にお問合せください!!

050(3433)8378

hidamari_junkannouhou_yoga@yahoo.co.jp

FB ページ ひだまりむすひ






最近の日常。

2013-07-30 11:16:38 | Weblog



いつだったろう。

六年位前だろうか。

自分自身の大きな転機、今となっては、肥やしとなり、

ありがたく 長く長く、連なる 壮大な輪廻の記憶を超える、運行の一部となり

今の一部である記憶。

煩悩のままに、道を全力で 踏み外し 感情は制御することなく

俺、俺、俺

から

ありがたく、生かされ 経験させていただき、外から 内へ

そして、周りを巻き込みながらの ただの自分を見させていただくことになる。

大きな変化の時

幼い頃の記憶、生まれる少し前の 記憶。

それぞれが今に混ざり合い

美しい世界と混沌の世界が現れ 消える 繰り返し。

そんな中

木々と対話し 木々の響きを、都合の良い 自分と言うフィルターに注ぎ込む。

反動から 鍛錬をしていない 自我と 気のコントロールは、

肉体も精神も巻き込み 

とにかく 求め 葛藤し開放しまくる。

ある日の、帰り道 いつもの 木々に一本ずつ触れ

歩く中 意思とは関係なく 背骨の付け根のあたりから、ぼわ~と湧き上がる

気のようなもの・・。それはぼわ~という 感じから

びーんという感じへと変化し

それまで感覚として 認識していなかっいた 回路に何かが廻りはじめる。

自宅に着き、いまの奥さん 当時彼女であったひとよと 電話越しに

会話をする中、自分の中で 何かが確信に変わる瞬間。

猛烈にこみ上げ 身体の中をとんでもない 気が突き上げ 太い太い

中心を突き上げ 体中に気が廻り 制御不能の

究極のエクスタシーな状態に入る。

声も出ない、電話越しに 彼女は吹っ飛んだ・・。

そして、一気に 全てが開通する。

その後 身体の感覚に その、廻った気の通路の記憶が残り、時たま少し ソフトな気のめぐりを経験することになる。

あれから 六年くらい 

田んぼにて 草をとる合間の 読書

奥さんの ヨーガの根本経典を興味深く読む。

そして また 草を抜く 

ここ三週間ほど、雨が降らず とうとう 沢の水は干上がり、一昨日から完全に家の水は止まった・・。

お風呂は入れず、もう一方の わずかな沢の水で 日々水浴びをする

想像より気持がよく すっきりとする。

田のほうも 三枚の田は順調に力強く 稲は生き 一枚は どうにか 成長し始め

そして、一番大きな 一枚の 田

最後に草の中に 鎌で堀 田植えをした 自然農スタイルの 田んぼは

水の減りと タイミングで 草原になり 草に飲み込まれかけていく・・・。

そして 草を抜く・・。こちこち抜く・・。

はじめ 呆然としながら 頭を過ぎ去る 様々な感情が、ただ黙々と 日々草を抜く中で

少しずつ 変化していく。

そんな中 米のストックはつき・・ 四日間 お米をいただけず・・ 一日 一食 少しのお野菜のみで、

過ごすことになる。

そして、また 草を抜く・・。

合間にヨーガの経典を読む。






力強く 育つ 去年のこぼれ種から芽吹いた 稲



そばにいる

とても 力強い 命に 水の存在を感じる。




梨の木の下の、一枚 草と交じり合いながらも 主張を始める。




種を降ろした とうもろこしは 自由に ゆったりと

そして雄大な 存在を、日々 見せてくれる。

どこまでいくのだろう。

自由にやっていただこう・・。





ごうやだと 勘違いしていた種から ひょうたんが現れ 

びっくりしながら、もなんだか ずいぶん楽しそうな

たたずまいだ・・。



渇きの中 今日 三週間ぶりに・・ 少しだけ、天から水が

降り注いだ。

自分自身の嬉しさよりも、日々の 渇きは、木々や生き物たち、全ての渇きから

感覚として感じ

喜ぶ木々の 木が、自分を、喜ばせてくれていることに。

はっきりと気づく・・。

みんなが喜び、呼吸し 僕も呼吸する

そして 

嬉しくなる。

みんなで・・。




渇きの中、みんなは 母屋と風呂の間の 通路で それぞれの時間を過ごす。

僕は 無信仰であり、全ての神々 そして カミ そのキャンバスに

心からリスペクトと感謝で生かされている。

彼らもまた カミの響きに生きている。



先日 突然 たどり着いた 加茂の大楠。

最高の長老は、その場を あまりにも包み込み

楠酔いしてしまう ことに・・。

そして

ぼわーと 懐かしい 遠い記憶のような すごく繊細なような

響きが身体を廻る。



義理の父母の親友であり、 僕がお店を営ませていただいていた頃

大変お世話になった方が 四国を訪れてくださり

滝を案内する・・。

あの頃、変化のタイミングだったことを、懐かしく思い

その方と話をしたり ともに過ごすことで、

色んな世界があるような 分けられていくような 錯覚が

交じり合い 一つになっていく。

木々も それぞれが個として、生きることで 調和し

森として生きる。





映画を見ているような 客観的な 広角レンズから





レンズをなくし、ただの自分が消え

五感としての一部となる。

気持がよい 

全裸でゴメンナサイ・・。



命の鼓動 月の力を 内に感じる。



完全 オートマチックにレンズが

やや広がり 一つの家族の風景が

ドラマのワンシーンのように そこに、ほほえましい風景として

自分の中を過ぎていく。




親戚のような 感覚で

神奈川の友達が 訪れてくれ

ホームドラマのような 数日間の

ほっこりとした 日々

選挙があり 

情熱的なドキュメンタリー映画が

日常の中に 自分の事として 

流れていく。



友たちとまた新たな、滝へと

そこには かなりリアルな

息吹とともに

先祖の修業的な気

巨石たちの圧倒的な 命

そして 流れる水は

また時を感じさせてくれる。

テーマは 水かもしれない。



マクドナルドで、ビックマックを食べていた、瞬間から、

今ここで、体感する

響きへと、

ぐーーーと レンズが無限に広がっていく。



またしても

長老に 会いに来てしまう・・。

彼は レンズを必要とせず、生きている。

ビーンという、感覚が少し記憶をきっかけなのか

身体を走る・・。でも、何かが以前とは違う・・。



こちらで 親しくなった 友人と

滝へ向かう・・。

初めての滝とは思えないくらい

滝に溶け込んでいく彼女。

心がとても澄んでいる。

自分の心もその恩恵をいただき、流れていく。



理解不能な かわいい 神々しい 間抜けな家族。

呼吸法や 気功 瞑想

日々の生活の中に 響きを感じたり

映画の中に自分を見たり、

予習 復習してみたり

乾きに 本当の意味での豊かさを教わったり




家族との時間に幸せを感じたり。




社会の廻り変化と 様々な人のタイミングに 葛藤や学び

無知な自分をみたり。

知識とはナンなのか!? 

宇宙に求めたり・・。

クンダリーニはなぜ起こり そこからの数年間に

どのような葛藤と失敗を繰り返し

カルマを知り カルマのないところを知る事とか・・・

勉強してみたり・・。

永遠に 変化していないようなカオスを見つめたりするなか・・。

ヨーガの経典を読み

とても難しく ほとんど分からず・・。

ただ 確信 直感は降ってくるようでいて

経験 今この瞬間の リアルの中で

自分の中に眠る 本当の存在 心のようなところの

タイミングと、思考が あまりにも一致した時

その事に確信を直感し、おぼろげでなく

はっきりと感じた時

行いやら 善悪を超えた

ただの声を きっかけに 

身体を駆け巡るんだと 理解し始めた気がする。

草をとる事に 変化が生じ

ここに生活する事を 生きることを

客観的にでもなく 

スピリチャルにでもなく

ただ 深い深い 確信が

湧き上がる時、それは ただ

駆け巡り

滝の流れ 川の流れ 呼吸とともに

自分の中を流れていく 一瞬だけの今を

一度洗い流してくれる。

そしてまた 日々の 生きるのなかで、当たり前に

葛藤し とどこおり 流すの繰り返し

そんな映画が見れるのは そこにスクリーンがあり

空間があり

空があり

無限がある

そして、ただの 賢くない 人としての自分が生きる。

草取りに励む。仕事をする。

生きているのは 素晴らしい

山々には 傷ついた止まった時間のような場所も

たくさんたくさん ある。

水の廻り

本当に本当にありがたいです。









なんとなく。

2013-05-16 20:59:32 | Weblog



生まれてきて 36年目。

日々 色んなことを感じる。

自分が 一生を終えるまで、感じ 学び 楽しみ 遊び続けるんだと、思う。


今 色々と感じ 実践している なんとなくを書こうと思う、これは あくまで 整理整頓と 

感謝の気持ち 欲求から来る衝動です。


雨が少なく 田の水が枯れてくる事 

そこにはどんな 現われと 内なる解釈があるのだろう・・。

科学的にも 環境的にも 精神的にも 哲学的にも

共通の

原因と廻ってくる 結果としての 現れる、今がある。

今の 生活は比較的 そこに 複雑な要素が少ないから、捉えやすい気がする。

生きるために必要な 環境と自分自身の活動が分かりやすく直結している

沢の水が減っていること、そこには 現在の 雨量 過去の雨量 森のしょくせい

廻っていく 環境の中での原因 色々在ると思う。

森 にフォーカスしてみると 僕の想像できる範囲では 原生林から 人が生きるうえでのかかわり が長い年月を経て

現在の森に大きな影響を与え 続けてきた 結果が廻ってきている

そこに生活する僕も 当たり前に影響を受ける

とても分かりやすくて いい。

ただ 受け流すのも一つ、 森にアプローチする方法 田に水を入れるために 工夫するのも一つ

近代的なポンプなどを使うのも一つ

自分のかかわらない 方法で お米を手に入れるのもまた一つ

お米でなくほかの命をいただくことで 命を繋ぐ方法もある。

とにかく森と僕の生きるは当たり前に繋がり廻っている、感覚的にも脳みそでも 知識でも スピリチャルでも

当たり前に繋がっている。

小さな自分という存在が 森にも 山にも 川にも 海にも 空にも 心にも 地球にも 星星にも

宇宙にも 繋がっている。

当たり前にそして ありがたく繋がっている。そして廻っている。

僕の身体にも 川は流れている。 呼吸も流れている。

気も流れている 健康な気も ケミカルな要素も流れている。

そして 僕が生きることと田の中に生きる おたまじゃくしも大きく影響しあって生きている。

おたまじゃくしの命と 家のかぼすの命も大きく影響しあっていきている。

都心の生活 そこに生きるをしていた頃と 照らし合わせると とても面白い。

人が集中している都心から 地方へとどのように廻っているのか

どのような影響の バランスや原因と結果が現れているのか。

とても興味深い。

良いとか悪いではなく どんな感じに 廻っているのか 影響しあっているのかをちょっと想像するだけでも

リアルにめぐりを感じられる。

感じたことは 自分の身体の中でも 田んぼの中でも 同じように今 起こっている気がする。

今いるタイミングのなかにずっぽりフォーカスせず 全体として映画を見てみると、 面白いくらい

重なる

影響しあっている 複雑なものを 紐解いていくと ペットボトルの水とかぼすのよだれも 当たり前に

廻っている。

全体的な感じのまま 目の前の現われを捉えてみたり。 過去を捉えてみたり。

世の中を見てみたり。

鍬の一振りが 全体を耕す感じを眉間で感じてみたり・・・。

地球の回転と 季節を照らしてみたり。

マックでポテトのL を頼み食べた瞬間から 隣のおじいさんがジャガイモ畑に肥料を入れる姿に 哀愁を感じてみたり。

自分の一日に活動するエネルギーがどうめぐっていくのか

知るも知らぬも関係なく 影響しあっている。

些細な出来事に感動する瞬間も 広大な地球の美しさに感動するのも

同じこと。

ただ 大きな廻りのなかに 点がいっぱいあるような ないような。

映画館で見る 映画と 我が家の猫の兄弟げんか

同じ目線で見てみると

まったく あらたに 楽しみが増える。

無限のめぐりに ただただ 感動と

今 生きてる瞬間 呼吸を合わせてみるのも面白い。

この土地で 自然な暮らしを経験していく上で 自分の今までの生きてきた タイミングに

どんな風に流れていくのかが 一番今後の楽しみです。






新月

2013-05-10 23:14:21 | Weblog



この命は どんな感じに生きたいのだろう~

まっすぐに 向き合っていられる瞬間は やっぱり最高に幸せだ

家のわんことも 家族とも同じくらいの感覚になれることはなかなかないけど

そんな瞬間は 格別に

ただの 仕事になる

最高の 仕事





この木はどんな風に 生きたいんだろう~ と思いつつ

お前どんなふうに 生きたいの・・!?ときかれる

こんな風に ぼちぼちやってきます と 答える





どんな風に生きたいの!?と問いながら 自分に聞いていることに

なんだか面白い。

かぼすが 畑をはしりまわり こら~と追っかけながら

自分の中のおっかけっこ・・。

今日は 久しぶりに雨が降り

夜 新月の中 暗闇に 霧がかかり 全て山の木々草花 命が呼吸をしている

最高の 空気が漂っている 心地よさに

ふと 自分も呼吸をしながら 感じていることに

幸せを感じ。

蛙の合唱が妙に懐かしい感じがするのは なぜだろ~!?