癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■【塩爺のよく聞いてください】元財務相・塩川正十郎 改革の基礎は国会にあり

2009年10月23日 15時14分12秒 | 政  治

国民は称賛と不安の入り交じった複雑な気持ちで民主党政権を見守っている。自民党政権に飽きた国民感情からみれば、政権交代は当然の成り行きだろう。

昭和30年の自民党結党以降、本格的な政権交代は初めてであり、議会制民主政治の型ができてきた。ただ、臨時国会での本格論戦を前に、「改革の基礎は国会にあり」という観点から一言、注文しておきたい。

 政党政治の扉が開かれたのは大正から昭和初期にかけてである。しかし、軍部との意見の相違や万年不況下での予算のやりくりをめぐっての政争を通じ、政党は国民の信頼を失っていった。

 この時代、東京では「東京ラプソディー」などの流行歌に夜ごと浮かれていたが、農村は飢餓で娘の身売りもあった。不満の鬱積(うっせき)は、二・二六事件といったテロを生み、暗黒の時代に突入していった。金本位制、緊縮財政の憲政会と、軍部と結託した積極財政の政友会が絶えず政争を繰り返し、日本は国際通商から孤立し、さらに深刻な不況に落ち込んだ。こんな国情の中で軍部が統帥権独立という暴威をかざした結果、政党政治は衰退し、日本は亡国への道を突っ走ることになる。

 現代は民主政治が良好なシステムとして国民の賛同を得ているので、かつてきた道に引き返すことはないと考えるが、政党政治が再び衰退することのないよう、米国議会型の「委員会中心主義」から英国や欧州型の「本会議中心主義」に国会審議のあり方を大胆に改革すべきではないか。

 現在の国会は、委員会中心で、しかも委員会付託前に政党では事前審査が行われる。この段階で与野党が談合することもあるので、委員会での実質的審議の前に成否が予想できる。法案の趣旨や、政策実行に伴う影響は委員会の委員以外、ほとんど関与しないまま本会議に上程され、採決に至る。

 これでは政策内容が周知されずに決まることが多くなり、国会議員と国民の意識に乖離(かいり)が生じる。委員会は条文の精緻(せいち)な議論と各党の意見調整に充てる一方、本会議の審議に時間と労力を集中すべきだ。英国や欧州のように論争を公開すれば、国民が理解しやすく、賛否の理由も明確になる。ぜひ本会議を重視する国会にしてほしい。

 もう1つ、国民への配慮に欠けていると思うのは、提出法案の多さだ。150日間の通常国会に100件以上の法案や条約案が提出され、しかも大部分は政府が行政権の責任において政令で実施できる案件だ。省庁は予算確保のため、やみくもに法案を提出するが、これでは国会が行政府に使われているようなものだ。議員は委員会での審議に追われ、十分な勉強もできないし、満足に意見を述べることもできない。

 昭和初期には、雑多なことは行政権限で実行してきたので、重要課題だけが国会で審議され、しかも本会議中心で徹夜審議がしばしばだった。
若槻礼次郎(わかつき・れいじろう)・憲政会犬養毅(いぬかい・つよし)・政友会の二大政党時代の論争、憂国の代議士の熱弁など歴史をつくった名演説は本会議で原稿なしで行われた。
現代の議会でも、かかる感動せしめる弁論を再演できないものか。民主党が「自民党政治を変える」と意気込むのは結構だが、政党政治の最前線である国会という現場を忘れず、大胆な改革に着手してほしい。(しおかわ まさじゅうろう) 【産経ニュース】


塩爺の言わんとすることが、これを読んだ国民は理解できるような気がしたのではないだろうか。

未だ始まらない国会ではあるが不安の入り混じった気持ちで国民は見守っている事は間違いないでしょう。新政権はマニフェスト・マニフェストと一方的に各政策を切り刻んで見えないところで、強制的に実施しているように見えることに割り切れない思いがする。

自民党に厭きて民主党にやらして見ようと言うのが国民の本音ではなかったのではないだろうか。政権奪取と共に国家戦略室という違和感を持つ組織を立ち上げる等、やる気十分に感じられるが国民には分かりにくい政治体制に変化し、遊離して行く感さえ覚える。

塩爺の言うどんどん改革しても良いが、国会と言う最前線で国民に見える国会と言う現場で論戦しながら実施し政策を決定すると言う事を忘れないで゛進めて欲しいと望みたい・・・・・