癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■英語メディアの見る群馬県の八ツ場(やんば)ダム

2009年10月21日 20時38分49秒 | コラム


■本日の言葉「final resting place」(永眠の地)■

英語メディアが日本についてどう伝えているかご紹介するこの水曜コラム、今週は群馬県の八ツ場(やんば)ダムについてです。外国メディアはあまり大きく取り上げていないのですが、ニューヨーク・タイムズが先週、詳しい記事を掲載しました。前文からいきなり、「墓場と十字架」のイメージを喚起して。(gooニュース 加藤祐子)

○八ツ場は戦後日本秩序の墓場か

八ツ場(やんば)ダムに関するニューヨーク・タイムズ記事は15日付。マーティン・ファクラー特派員自ら、群馬県長野原町へ足を運んで取材している、詳細な記事です。

前文からいきなり、こう。「森深い山間には今でも、深い建設重機の金属音が響き渡る。ここでは固い作業帽をかぶった大勢の男たちが忙しそうにコンクリートを流し、斜面を切り開き、巨大な、そして未完成の橋を築き上げる。谷底にそびえ立つコンクリートの橋梁(きょうりょう)は、まるで巨大な墓場にいくつも立ち並ぶ十字架のようだ」と。

「巨大な墓場の十字架のよう」と描写するのは「ふさわしいたとえに思える(It seems an apt analogy)」とファクラー記者。というのも新政権は八ツ場ダム予定地のこの渓谷を、「莫大な公共投資に依存していた日本の戦後秩序にとって、実に象徴的な永眠の地にしたのだから(symbolic final resting place for the nation’s postwar order, which relied on colossal public works spending)」と。

記事は、人口6400人の町が、巨大な新政権に真っ向から反対していることをとらえて、「David and Goliath battle」と呼んでいます。旧約聖書で青年ダビデが巨人ゴリアテを打ち倒した旧約聖書の物語にちなんでの表現ですが、宗教的な意味はまるでなくても「大きなものに小さなものが立ち向かっていく」という比喩でよく使われます。

特にこの「小さな町が巨大な政府に反抗する」という筋書きは、それだけなら多くの(特に保守層の)アメリカ人の大好きな展開です。ただし日本の場合、「政府は自分たちの生活に介入するな」と反発しているのではなく「(公共投資という)介入を続けてほしい」と政府に反発している。
これは(一部の保守派の)アメリカ人からするとちょっと分かりにくいはず。なので、この記事は全体状況を詳しく説明し、長野原の住民のダム賛成派と反対派の声をいろいろと紹介。

いかに地元経済がダム建設の公共事業に依存してきたか。新しい生活基盤の計画も全て、ダムができてダム湖ができるという前提で組み立てて来たのに、それを一気に白紙に戻されたのだと。

記事は「ダムが中止されたらどうやって食っていくんだ?」という住民の声を紹介する一方で、「ダムのおかげで毎年、金が湯水のように流れ込んできた。ダムは麻薬みたいなもの」という住民の声も紹介。また実はダム建設に反対だという農家の声も紹介した上で、「重ねてしつこく尋ねると(when pressed)」、「ダムが好きだと認める地元住民はほとんどいない。しかしダム計画なしでどうやって町が存続できるのか、想像できる住民もほとんどいない」と。

そしてダム推進派と反対派の対立の中心にあるのは、日本の巨大な公共投資による「いちばん厄介な遺産(thorniest legacy)」のひとつだと。つまり公共投資を中心に据えて回ってきた日本の戦後秩序の、何よりも厄介な遺産は、「中央政府の財布の紐にほぼ完全に依存しきっている地域社会(the near total dependence of local communities on the purse strings of the central government)」なのだと。

○政権交代のある国だから

これを読んで、アメリカ人はどう思うのでしょう。アメリカでも、地元権益(農業灌漑とか漁業とか)を守るためのダム建設に中央政府が介入するというのは、ない話ではありません最近では米西岸地域で、農業利権を優先して川の流れを迂回させたブッシュ政権に対して、生態系と漁業権保護のためにオバマ政権がこの決定を覆したというやりとりがありました)。

けれどもニューヨーク・タイムズ記事によると、日本では2005年現在で建設中の大型ダムは60基で、世界4位だったと。国土面積はカリフォルニア州よりも狭いのに。狭い日本そんなに急いでどこへ行くではありませんが、そんなに狭い日本にそんなにダムを造ってどうするんだ——と、私がアメリカ人読者なら途方に暮れると思います。

アメリカでは今、「変化」を掲げた新政権発足から10カ月がたって、「変化なんてイヤだ」という本音を口々に唱える保守層の反動でかなり混乱しています。自分たちの大統領がノーベル平和賞に選ばれても、諸手を挙げて歓迎するどころか、好意的な人でさえ(そして当人も)「……え……?」と当惑し、反対派は「なんじゃそりゃ!」と激高するというくらいに。

特に医療保険改革をめぐっては前も書いたように、選挙中は、保守・リベラルを問わず誰もが「医療保険は改革しないと」と言っていたものが、いざ改革案がいくつか提示されてみると「こんなのはダメだ」と反発するという、揺り戻しが起きているのです。

4~8年ごとの政権交代に慣れっこのアメリカでも「国民皆保険」なんていう自分たちは経験したことのない、むしろ社会主義的でヨーロッパ的(ここでいうヨーロッパ的とは決して褒め言葉ではありません)なものを前に、拒否反応を示すわけです。

だとしたら、戦後ずっと政権交代がなく、公共事業で地方に金を落としてそれで集票して政権維持するという仕組みが50年以上続いた日本ではどうだろう。ああやっぱり。政権交代から1カ月でさっそく反発が噴出している……という視点が、そうは書かれてはいないものの、何となく感じられる記事です。

長年にわたって当たり前のものとして与えられていた既得権益とか、もっと広範に、何十年にもわたって染み付いてきた暮らし方そのもの・生活に対する考え方そのもの(our way of life)が、こうやって一気にひっぺがされてしまうこともある。政権交代のある国というのは、そういうところなんだよという言葉にならない声が、何となく聞こえるような、そんなニューヨーク・タイムズ記事でした。
   八ッ場ダム


これが政権交代と言う事はアメリカも同じようようだなー!?


■日本郵政次期社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏・・・天下りと意見も聞かれるが!

2009年10月21日 18時12分18秒 | 政  治
亀井静香郵政改革・金融相は21日の記者会見で、日本郵政の西川善文社長の後任に、元大蔵事務次官斎藤次郎東京金融取引所社長(73)を起用すると発表した。郵政の経営は官僚OBに委ねられることになるが、亀井郵政担当相は「郵政の在り方について、同じ意見を持っている。新しい事業を生み出せる人」と起用理由を述べた。

 斎藤氏は西川社長が正式に辞任したあと、株主総会の承認を得て新しい社長に就任。現在、持ち株会社と4つの事業会社に分かれている組織形態の再編などに取り組む。

 斎藤氏は大蔵省で主計局を中心に担当。平成12年に東京金融先物取引所(現東京金融取引所)理事長に就任し、株式会社に改組後の16年から社長を務めている。

 民間出身者でなく、官僚OBを社長に充てることに対して亀井郵政担当相「(大蔵省にいたのは)10数年も前のこと。特に問題はない」と話した。

 今回の人事について、亀井郵政担当相は、鳩山由紀夫首相、民主党の小沢一郎幹事長をはじめ、誰にも相談せず、鳩山首相にも21日になって初めて伝えたという。斎藤氏には、前日に社長就任を打診され、21日朝、快諾した。【産経ニュース】

            


次期社長に官僚OBの使用を天下りと問題視する与野党からも聞こえる。

しかし優秀な者は優秀であり活用すべきであり、今まで何かと言うと、野党時代の民主党は官僚OB天下りと騒ぎ立てた落とし子であることを胸に刻む必要があるというところだろう・・・・


■【訃 報】女優の南田洋子さん死去・・・長門さんとの絆のキス!

2009年10月21日 17時25分31秒 | 闘 病

くも膜下出血で東京都内の病院で入院中だった女優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名・加藤洋子=かとう・ようこ)さんが21日、死去した。76歳。東京都出身。通夜や告別式の日取りは未定。夫は俳優、長門裕之(ながと・ひろゆき、本名・加藤晃夫=かとう・あきお)氏。

 昭和27年、映画「美女と盗賊」でデビュー。翌28年、同期の若尾文子さんと共演した「十代の性典」のヒットで「性典女優」として人気を集めた。

 30年に日活に移籍。31年、石原慎太郎原作の「太陽の季節」のヒロイン役で一躍、看板スターとなる。この映画で初共演した長門さんと、36年に結婚した。

 38年、「サムライの子」でブルーリボン助演女優賞を受賞。映画ではほかに「近松物語」「幕末太陽伝」「わが町」など。

 39年に夫の長門さんとともに「人間プロダクション」を設立して、後進の育成とドラマ制作に乗り出す。テレビドラマにも意欲的に出演し、40年、NHK「紀ノ川」で日本放送作家協会賞最優秀女優賞を受賞。舞台でも活躍した。

 「おしどり夫婦」として知られる長門さんとペアでフジテレビ「ミュージックフェア」の司会を16年間担当。アットホームな雰囲気が人気を集めた。交通遺児奨学金のチャリティー活動も長年続けたほか、平成10年には義父の介護体験をつづった「介護のあのとき」を出版。

講演なども行っていたが、平成18年に引退。「認知症の兆候がある」と診断され、自宅で長門さんの献身的な介護を受けていた。20年11月には夫妻に密着したテレビのドキュメンタリー番組が放送され、大きな反響を呼んだ。

 今月17日に自宅で倒れて病院に搬送され、手術を受けていた。 【産経ニュース】

                


長門さんの懇親的看病がTVで報道されていた。相思相愛の姿が思い出されるが、残念ながら病気には勝てなかったのでしょう。
    ご冥福をお祈り申し上げます   合 掌