芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

光陰、馬のごとし 馬の二つ名

2016年07月16日 | 競馬エッセイ
                                                        


 個性的な競走馬にはニックネーム、「二つ名」がある。競馬記者が名付けたものか、あるいは厩舎関係者が名付けたものであろうか。あるいはファンが自然にそのように呼ぶようになったものであろうか。それは多くのファンたちに受け入れられ、いつまでも語り継がれるようになる。

 パーフェクトと名付けられた馬は、トキノミノルと改名し、日本ダービーに勝って10戦10勝のまま、蒼惶として破傷風で死んだ。作家の吉屋信子はトキノミノルを「幻の馬」と呼び、彼にはその二つ名が定着した。
 かつて銀座の並木通りの三笠会館隣にナンシーというレストランがあり、そのオーナーの所有馬にナンシーシャインという能力の高い馬がいた。当時、中山競馬場の1コーナー奥に厩舎があったため、ナンシーシャインはレース中に1コーナーを曲がらず厩舎に戻ろうとした。そんなことが何度もあったという。そのためファンたちは「ホームシックのナンシー」と呼んだと、競馬ファン古山高麗雄の「悪魔の囁き」にある。

 馬の二つ名と言えば、あの「魔王」カブトシローがいる。また、レース中に骨折をしながらダービーを勝ち、後に「三本脚のダービー馬」と呼ばれたアサデンコウもそうである。他に「怪物」タケシバオー、「野武士」アカネテンリュウがいた。 小さな牧場で生まれたサラ系の三流血統の子馬は、誰も買い手がつかず食肉場に送られる寸前、やっと150万円で引き取る人が現れた。その馬は後に馬体検査をすると肋骨が折れて陥没していたという。しかし「雑草」「風雲児」「後方一気のヒカルイマイ」として最後方から皐月賞とダービーを豪快に勝った。
 牝馬のトウメイは天皇賞と有馬記念を勝ち、「トウメイ高速道路」と呼ばれた。 名馬セントクレスピンの持ち込みの良血馬タイテエムは「四白流星の貴公子」と呼ばれた美しい馬だった。しかし「無冠の帝王」とも呼ばれた。
 小さな身体で精密なラップを刻んで逃げたトーヨーアサヒは「走る精密機械」と呼ばれた。その正確な逃げ走法で京王杯オータムH、ダイヤモンドS、日本経済賞、ステイヤーズS、アルゼンチンJCCを勝った。

「雨のラファール」と呼ばれた牝馬もいた。ドロドロの不良馬場の安田記念を勝ったが、中山牝馬Sと京王杯オータムHを勝ったときは良馬場だった。エーデルワイスSや短距離Sを勝った時が雨の重馬場だったため、その印象が強かったのだろう。ラファールは「雨女」とも呼ばれた。
 チドリジョーは曲がったことが大嫌いで、コーナーを上手く曲がれなかった。その度に馬群の最後方に落ちるのだが、ゴールでは大差をつけて1着で駆け抜けた。私は二度、彼女の規格外の能力を目撃した。寺山修司は「狂女チドリジョー」と題したエッセイを書いている。
 モリケイは現役馬でありながら東京競馬場の厩舎で身籠もり、子馬を出産した。父は何者か知れず、彼女は「未婚の母」と呼ばれた。モリケイは出産後、再び現役馬として復帰した。その子は、東京競馬場の4コーナーを望む日吉ケ丘に因んで日吉丸と名付けられ、東京競馬場で乗用馬となった。

 ハイセイコーは当初「怪物」と称されたが、負けると「怪物君」として愛された。タケシバオーの子ハツシバオーは「怪物2世」と呼ばれた。「天才」と言われたエリモジョージは「気まぐれジョージ」とも呼ばれて愛された。 クライムカイザーは、人気の「貴公子」テンポイントや「闘将」トウショウボーイをダービーで敗ったために「犯罪皇帝」と呼ばれた。本当は皇帝に登りつめるという意味なのだった。
 かつて報知新聞の若林菊松氏が、春のクラシック終了時点の「競馬四季報」に寄せたある馬の短評に私は瞠目した。「この馬は将来必ず大きな仕事を成し遂げるだろう」と書いていたのである。その時この馬はたったの一勝馬に過ぎなかったのである。…秋、彼は人気を二分したトウシヨウボーイとテンポイントを敗って菊花賞を勝った。その馬グリーングラスは「第三の男」と呼ばれた。騎手は「大穴トミー」こと安田富男である。さらにその後、グリーングラスは天皇賞と有馬記念も勝ったのである。若林菊松、あんたは凄い!
  牡馬なのに馬体重がわずか400キロ前後のメジロイーグルは、実に可愛い馬で、懸命に、果敢に逃げ続け、「小さな大鷲」と呼ばれた。そのメジロ「イーグル」の仔が、メジロパーマーだった。一時は飛越練習をし障害レースで2戦1勝。平場に戻り、父親と同様に逃げに逃げまくって宝塚記念と有馬記念を勝ち「飛ばし屋パーマー」と呼ぶファンもいた。奇しくもゴルフに縁のある親子だったからである。
 そしてシンボリルドルフは、言わずと知れた「皇帝」ルドルフだった。

「白い逃亡者」と異名をとったホワイトフォンテンという馬がいた。豪快に逃げて日本経済賞、毎日王冠、アメリカJCC、日本経済賞(連覇)を勝った典型的な逃げ馬だった。その父系はノーアリバイ、ダンキューピッド、さらに「灰色の幽霊」ネイティブダンサーに遡る。母はレベッカの弐といった。祖母はレベッカである。ちなみに映画「レベッカ」はジェーン・フォンテンが演じていたが、馬主はその女優の名に因んでホワイトフォンテンと名付けたのだろうか。 父ノーアリバイも祖父ダンキューピッドも栗毛である。レベッカの父は栃栗毛のダイハードである。レベッカとレベッカの弐は芦毛である。ホワイトフォンテンの芦毛はこの母系か「灰色の幽霊」ネイティブダンサー譲りなのだろう。 ところで何故ホワイトフォンテンは逃げるのだろうか?…アリバイが無いからさ、と誰かが言った。

        (この一文は2006年10月8日に書かれたものです。)
  
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