Flamencoの迷子

Sevilla滞在中に感じたこと・学んだことを綴ります

見つかった!

2015-05-29 00:38:48 | 日記
この土地で、胸に響く歌い手をずーっと探していた。
良いよ、と評判の歌い手は皆んな聞いたけど、全然良くない。
皆さん、上手だけど、全く感動しなかった。

暫く私の好きな踊り手の踊りを見てなかったので、彼に「見に行きたいけど、どのタブラオが一番良い?」と先日尋ねた。
彼は数箇所のタブラオで踊っており、某タブラオのmusicoとやる時が一番良い、良い歌い手がいる、と言った。
そう言われても、歌い手にはまーったく期待してなかった。
期待を裏切られるから。

そして今日行った。
あー、高いお金出して嫌だな、と予約した事を後悔しながら行った。
ギターは私が一番大嫌いなギタリスト。
super modelno。
聞いてるのが辛かった。
歌い手は若い。
最初のTangosはまずまず、が途中からのってきて段々良くなった。
cante soloはGranainaから何かにcambioした。
Tientosっぽいけど、メロディーが違う。
ジーっ聞き入った。
素直に飾らず歌う。少しずつ胸が熱くなる。
が、ギタリストが音量も下げず、cante soloなのにガチャガチャずーっと弾き続け、「うるさい、そんなに弾くな」と言いたい衝動に何度もかられた。
だから大嫌い。

cante para atrasではAlegriasが最初。
彼は以前私が居た途中のレトラを歌う事が多く、びーっくりしました。
そしてもう一つのcante para atrasはsolea apolaから始まった。
聞いてるだけで、実に幸せだった。
凄い、凄い!物凄い感情を込めて歌う。
何度も涙が出た。
踊り手と本当にまさに一体となった場面が本当に素晴らしかった。
こんな感動は久しぶり。
solea apolaからsolea por buleria、buleria al golpeに変化。
buleria al golpeは手探りで歌ってたような?
あの歌には中々対応できない。
踊り手はよーく歌を聞いて反応していた。
さすがだなあ。

スペイン人のflamencoは今更ながら迫力が違う。
敬意を払わずにはいられない。

でも、やっとやっとこの土地で良い歌い手を見つけたー!
2年かかった。
嬉しい!

言い合い

2015-05-27 15:01:42 | 日記
スペイン人と言い合うのは、いつも本当に疲れる。

元々感情を混じえた言い合いは苦手で、散々避けてきたし、我慢する方。
なので、我慢の限界を超えた時は怒りに感情は変化している。

こっちに来て約三カ月、ある事に対して我慢していた。
昨日、その我慢が限界を超え、今日言い合いになった。
スペイン人は自分の非を認めない。
彼女が望むから、というていで改善はするが、自分の非を決して認めない。
人の話を最後まで聞かない。
「自己主張ばかりで、人の話を聞かないじゃないか」と言ったら、聞いて欲しかったら、それ以上に主張しろと言われた。
相手に話を聞かせようといつもしないといけないし、更に主張しないといけない。
話は平行線を辿る。
本当に疲れた。

diferencia

2015-05-25 15:03:15 | 日記
こちらに来て3ヶ月。
去年も滞在したけど、去年分からなかった事が沢山見えてくる。
はっきり言って、この土地に慣れない。

人々はもっとfria.secaで、愛想もくそもない。
歩くスピードも速い。
以前居た土地は、至る所にcachondeoがあった。
うざい時もあったけど、今はそれが懐かしい。
方言もかなり違う。
テレビで以前住んでいた土地の方言を聞いた時、え?こんなに違ったかな?と驚いた。
良い所は、chinaと言われる事が圧倒的に少ない事。
言われない代わりに、蔑視特有の眼差しで見られる事はたまにある。

改めてフラメンコを比較する良い機会ではある。
ここのフラメンコはとにかく速い。
あまり情緒が無い。
そして余所の土地のフラメンコに興味が無い。

だけどこの土地のフラメンコの歴史を知る為、我慢。
今は嫌な面しか見えないけど、素晴らしい面もあるはず。
見出せたら良いな。

言語

2015-05-23 16:57:16 | 日記
恐らくどの国においてもだろうけど、日本通を語るスペイン人はいる。
よく聞かれるのは、「Shindouか?」
最初に聞かれた時、何のことか分からず辞書で調べた。
結構「Shindou」はこちらで知られており、興味がある人が多い。

先日友達と居た時、スペイン人が私はShindouが好きだと語り出した。
私は気にも留めず、ふーんと聞き流していたが、友達は違った。
「簡単にShindouを語るな!どうせスペイン語訳の本しか読んでないくせに、分かったような振りをしないで」と言った。

的を得た事を言うなあ、と彼女に関心してしまった。
彼女曰く、スペイン語に訳せない日本語は沢山ある。
日本語を理解した上で日本語で書かれた書物を読まない限り、理解したとは言えない、と。
Shindouに限ったことでは無いだろう。

これをflamencoに置き換えて考えてみた。
色々見えてくるものがある。

よせば良いのに

2015-05-18 23:51:20 | 日記
よせば良いのに、何でも勉強だとteatroへ行った。
私はteatroが好きでは無い。
tablaoやペーニャのクアドロが好き。

それはそれは素晴らしい踊り手だった。
細部に行き渡る身体使い、しなやかさ、女性らしさ、エレガント。
美しい、全く私が持って無いものばかり繰り出される。
見てて、obraだなーとただただ感じた。
でも、これはflamencoなのか?と疑問。
私はteatroが好きでは無いので、それくらいの感想。
お客は総立ち、大盛況だった。
確かに素晴らしい公演だった。
ただ私には歌が今一つだった。
息が合ってない。お互いハレオを掛ける事も無く。
ギターとカホンは良かった。

毎回teatro行く度、後悔する。
行くべきでは無かった、違う場所に目指すものはある、と。