Flamencoの迷子

Sevilla滞在中に感じたこと・学んだことを綴ります

2011-02-13 18:59:58 | 日記
以前、基礎を見直したくて、ある基礎のテクニカのクラスへ通ったことがある。
先生はドイツ人。彼女は基礎を教えることに定評があった。

クラス内容は、足の打ち方、ブラソ・マノの使い方、回転。
一応CDの音楽に合わせてやっていた。
テクニカばっかりだと飽きる、ということで、先生が生徒に何をしたいか尋ねた。
すかさずスペイン人が「Buleria」と言った。
で、Buleriaを始めた。
そのBuleriaも「ブラソはこう、足はこう・・・」と最初はテクニカメインで進められた。ゆっくりと。
最後に、「通して踊りましょう」ということになった。

それまで退屈そうに、やる気なさそうにやってたスペイン人が一気に変わった。
真剣そのもので踊りだした。放たれるオーラが違う!
私の後ろで退屈そうにやってたスペイン人、4人が踊りまくった。私より前に飛び出て。びっくりした。
いくら先生が、「ブラソはそうじゃない、回転はそうじゃない!」と叫んでも、彼らにはお構いなし。
コンパスに乗り、振り付けは全く違ったBuleriaを踊っていた。
レッスン後、彼らは実に清々しい顔をしていた。
「血が、やっぱり血が違う!」と実感した。

今までレッスン中に泣いたことが2回ある。
本来ならばレッスン中に泣くなんて言語道断だと思う。
どんなに先生に激怒されてもレッスン中に泣いたことはない。
泣いたのは2回とも、2グループに分かれて踊り、クラスメートの踊りを見て感動して泣いてしまったもの。

1回目はそれこそその基礎クラスで。
踊りを始めてまだ間もないスペイン人の女の子の踊りを見てだった。
殆どテクニカの技術はないと言ってよいくらい。
回ればフラフラ、足もまだ打てない。
だけど、彼女の踊る真摯で、真剣な姿を見てたら気付いたら泣いていた。
2回目は違うクラスで。
ふとあるスペイン人の女の子に目が行った。もうそこからは金縛りにあったように、彼女から目を離せなくなった。
凄い気迫と集中力。真剣な眼差しで圧倒された。
そのクラスにはプロでタブラオで踊っている人も数人いたけど、彼らには全く目が行かなかった。
彼女は実力はあるけど、まだ15歳の普通の子。
驚いたのは先生のほうだった。
何でいきなり私が泣いてるのか分からなかったようで、そっと「どうしたの?」と尋ねられた。
「いや、彼女の踊りに感動して・・・」と言うと、2人の先生は同じ行動を取った。
私が感動した相手に報告に行き、彼女達を激励した。
「彼女はあなたの踊りを見て感動したのよ。それは事実。自信を持ちなさい」と。

2クラスとも外国人も日本人もたくさん在籍しているクラスだった。
だけど、2クラスとも感動したのはスペイン人。
感動まではしなくても、どのクラスでも目を奪われるのは圧倒的にスペイン人が私の場合多い。
無意識のうちに目が奪われている。
「血には勝てないのかな」とよく寂しく思ったものだった。

その後、友達の日本人がある場所で踊ったので応援に行った。
贔屓目なしに彼女に感動した。
「外国人、いや日本人でもこんなに表現豊かに踊れるんだ!!!」と。
今でもありありと思い出せる。
彼女が踊り終わった後の、見に来てたスペイン人の反応が実に面白かった。
「すごいな、日本人であんなに踊れるなんて。ほら、あそこでああいう動きしただろ?凄く感情が入ってたぞ!今まで何人も外国人の踊りは見たけど、あんなに感情豊かに踊れる子はいなかった。彼女は良かった!」と。
何人ものスペイン人が絶賛していた!
彼女が友達であることを、物凄く誇らしく思えた。
そして勇気を貰った。
「血は関係ないんだ!」と。

先輩方が残してくれたもの

2011-02-12 22:12:38 | 日記
スペインに来る前、「簡単に身体を許すフラメンコ留学生が多すぎる!」と書かれた記事を目にした。
私の周りに留学した人がおらず、確かめようが無く、半信半疑だった。確かめる必要もないけど。
ただ「私一人のせいで日本人の名誉に傷をつけないようにしよう」と決心した。

「日本人はすぐ『やる』よね」と来てすぐに言われた。
悪意があってかどうか今となっては分からない。
何人からも言われた。語学学校でもフラメンコの学校でも、外でも。
まだその頃日本人の友達も知り合いもとっても少なくて、『やった』人を知らないし、聞いたことも無かったから、「違うでしょ」としか言えなかった。これが段々友達が増えていくと、「結構いるな」に変わった。
でもそれは各自、自己責任でやってることだし、私が人様のその行為にとやかく言える資格はない。
「一夜限りの・・」は、日本人にだけでなく、外国人にもスペイン人にも普通にあること。
ただどうやら日本人は落ちるのが外国人より早いらしい。
フラメンコで来てる人の多くはビザを必要としない3ヶ月で来ている人が多い。
3ヶ月たてば彼女らは自動的に帰国するのだから、遊びやすいと言う。
各自の責任でやっていることだから、私には関係ないのだけど、全く害が無いと言うわけではない。
フラメンコ界では日本人のそちらの話は有名なようで、『そういう女』『簡単にやれる日本人』と見られる。
スペイン人Artistaは今ではかなり日本で仕事をするようになったので、日本でそういう経験をたくさんしてたり・・・。
あるギタリストの彼女は、彼氏が日本に行くのをそれだけを一番心配してた。
スペイン人Artistaに「日本人の女の子好きだから、やろうよ」と何度も言われた。
「っち、嫌だ」と頑固拒否。気持ち悪い・・・。
一番ショックだったのは、友達の旦那さんであるギタリストに、「日本人はPutaだもんね」とはーーーっきり言われたことだった。
「一体どれだけのことを日本人はやってて、そしてやってきたんだ?」と悲しかった。

上に書いた内容は残念なこと。
だけど、諸先輩方はスペインに色んな物を残してくださった。
それは「日本人」の誇り。
日本人と暮らしたことのある、または関わりがあるスペイン人の日本人びいきは凄い!
皆口を揃えて、「日本人は真面目。」「勤勉。」「信頼できる。」「清潔好き。」「日本人と暮らしたい」と言う。
その恩恵に何度も預かった。
ただ私が同じ日本人ということだけで、信頼してくれる。
それだけ、先輩方が立派な足跡を残してくださったということ。
私も恩恵を受けた分、後に続く人に残していけたらと思う。

変化する自分

2011-02-12 21:38:40 | 日記
4年半も異国にいると自然に強くなる。
そして考え方が随分変わった。
以前なら心配事をくどくど考えていたけど、「なるようにしかならない」「明日になればどうにかなってるだろう」と悩むことをまず止めるようになった。決して逃げているのではない。
問題を一時、自分の手から離すのだ。
だって本当に考えたって、結果は同じなのだし、考えて悩む時間が勿体無い!と思うようになってきた。
ここまで行き着くのには色んな障害を乗り越えてきたから。
自分には乗り越えられそうに無いような大きな問題に何度か遭遇した。

1つは司法関係。専門用語が羅列する中、友達のスペイン人に支えられながら乗り越えた。
彼らがいなければ、到底一人では乗り越えられなかった。
解決するまでの半年間、これには本当に悩まされた。

そしてもう1つは師弟関係。
私が敬愛する先生は破天荒な生き方で、口は悪い。ただ真っ直ぐな人。だけどすっごく意地悪でもある。
彼女のカモに私がなった。
無視されたり、難癖つけられたり。
頭にくるからこっちがぷいっとすると猫のように寄ってくる。
彼女には振り回されっぱなしだった。
今思うと、黙ってるから舐められてた。
「もう我慢できない」と反撃し、大喧嘩になった。
学校の前の路上で言い合い、私は泣き叫ぶ、彼女は振り切って行こうとする。
「話を聞いて」と引き止める。1時間くらい言い合った。
学校関係者は中にいるし、生徒も出入りするけど、誰も仲介しようとしなかった。
翌日、謝りというか、私の言い分を聞いてと話に行くけど、聞いてくれない。
「彼女に嫌われたなら、もう学べないなら帰国するしかないのか。帰国したらフラメンコはやめよう」と思った。
だけど私は引き下がらなかった。
「彼女が話しを聞いてくれるまで粘ろう。じゃないと帰るに帰れない。フラメンコを辞めたくない」と彼女の元へ。
するとあっさり彼女は私を受け入れてくれ、誤解がとけ、それ以降は彼女の自宅に泊まりにいったりするようになった。

こんな風に過ごしていたら、自分自身が大きく変化していた。
人見知りが激しく、小声で話していたのが、誰にでも挨拶をし大声で話すようになった。
段々とフラメンコよりも、スペインの生活に惹き込まれていった。
スペイン人の生活・動作に注目するようになった。
フラメンコは生活の中から生まれたものであり、それらが反映されている。
「この振りはこういう場面から生まれたのか」と発見することが多かった。
あとこれにはスペイン人の友達の言葉が大きく影響している。
彼はフラメンコのAficionado。彼女は外国人の踊り手。
彼女の公演を見て、「彼女は踊りは上手いと思う。だけど、スペイン人の仕草を『振り』として捉えてて、何とも味気ない。ああいうのを見たら、『外国人のフラメンコだ』と思うんだよね」と言った。
それを聞いて、「上手く踊れなくていいから、きちんと理解したい」と思った。

異国での生活

2011-02-11 21:21:19 | 日記
フラメンコを始めるずっと以前、幼少の頃からスペインが大好きだった。
理由は分からない。
何故かスペインへ憧れ、「死ぬまでに行きたい」という夢をいつも抱いていた。
Gaudiを知ってからはその想いがますます強くなっていった。

社会人になってスペインに旅行に来た。
Sagrada Familia教会を見た瞬間、感動で涙が出た。そのときはMadrid,Barcelonaと旅行した。
その頃、英語しか話せなかった。
友達と2人の旅行で、スペイン人と触れ合う機会が恐らく団体旅行より圧倒的に多かった。
スペインの雰囲気、建物、風景全てに魅了されたけど、何よりスペイン人に魅了された。
みんな気さくで親切。
だけど悲しいことに多くのスペイン人に英語は通じなかった。
「スペイン人と話したい!」旅行後、スペイン語を学び始めた。
その後スペインへの旅行を繰り返し、スペイン人と会話するようになっていった。
すると今度は「旅行で行くのではなく、住みたい。住んでみたいな」と思うように。
丁度その頃、スペイン語を習っていた学校がフラメンコを開講することになった。
「運動不足だし、やってみよう」と運動不足解消のためフラメンコを始めた。

こちらに来る前、当初は1年の滞在予定だった。
で、1年経って。
語学学校に行ってたけど、文法はマスターしてもまだまだ思うように話せない、聞き取れないなど不十分。
フラメンコに関しては全くうだつがあがらず。何よりフラメンコを知れていない。
「これではまだ帰るに帰れない」と思い、あと半年、いやあともう半年、と繰り返すうちにあっという間に4年半の時が流れた。

毎日が戦いだった。他人とそして自分と。
事なかれの平和主義者の臆病者の私が、何度と無く激しく外国人と嫌でも意見を交わさなければいけなかった。
住居はCompartidoで、色んな国籍の人たちと暮らした。
日本人は勿論、韓国・フランス・イタリア・アルゼンチン、ポーランド。
国籍が違うと生活習慣・文化も異なる。
異なる生活習慣を持つもの同士が同じ屋根の下に暮らすのだから、必ず衝突する場面が生ずる。
何回喧嘩、言い合いしたかもう数え切れない。
だけど、この言い合いや喧嘩で多くを学んだ。
日本人は自分の思いを溜め込んでしまう。
我慢して我慢して最後に爆発する。
でも外国人はそうではない。思ったときにその場で言う。
だから彼らにストレスは日本人ほど溜まらない。
なので私も不愉快な思いをしたら、すぐに直接言うようにした。

日本人を一時信じられなくなったこともあった。
ニコニコして近づき、上手いように利用するだけ利用し、あとはポ亻。
恩を売るつもりはないけど、そこに人情というものがなかった。
男を優先して、あっさり裏切られたこともあった。

そして家を一歩出れば、今度は差別との戦い。
「China!」と何の意味も無く、突然叫ばれたり、言われたり。
夜に友達とBarに行けば、「あ、Chinaだ。殺せ、殺せ」と言われる。
「ピストル持ってるんだぞ」と子供じみた脅しをされたり。
直接的な身体面での暴力は幸い受けたことはないけど、精神的な暴力は何度と無く受けた。
スーパーでも東洋人への差別はある。
一時、「China」と言われることに恐怖感で外へ出るのが嫌になったこともある。
最初は言われっぱなしだったけど、やがて反撃するようにした。
「Chinaじゃない。Japonesaだ」と言い返すと、奴らは黙り込む。
スペインに来るまで、ヨーロッパでこんなに東洋人が差別を受けているなんて全く知らなかった。
まだ私は女性だからいいけど、男性はもっと激しい。
時には殴り合いの喧嘩になることも。

こんな生活環境にいれば、嫌でも強くなる。
辛くて悲しい、そして腹立たしいこともあったけど、一度も「帰国しよう」と思ったことはなかった。
嫌なこと以上に、フラメンコがいつもあり、幸福感を与えてくれたから。
そしてかけがえのない友達を得ることができたから。







コピー

2011-02-11 19:58:25 | 日記
私は踊りの基礎がない。
バレエを習ったこともないし、フラメンコを始めて「習おうか?」と思った時期もあったが、「必要な基礎はフラメンコの踊りの中から学べる」と言われ、結局習わなかった。
ただ周りを見て思うのは、バレエの基礎があるにこしたことはない。
踊りに必要な回転は勿論、表現力がぐんと違うように感じる。

踊りの基礎はない、フラメンコ自体よく知らない状態でこっちに来た。
そんな私なので、レッスンでは学ぶ先生のやる動き通りに「動く」、まず技術を学び始めた。
「動く」というのは、まだ踊れても無い段階だから。
それに踊りの基礎がないし、フラメンコ自体どう踊られるのかを知らないのだから。
「ブラソはこう、マノはこう、肩はこう」と言った具合に。
先生の多くは、教えるとおりに生徒が動きを学ぶことを望んでるように思う。
「どう踊るか」ということと技術を教えているのだから。
だから多くのクラス内は皆同じ動きで踊っている。
だけど、ある先生には徹底的に「コピーするな」と言われた。
今となっては分かるけど、それが一体何なのかさっぱり分からなかった。
友達何人にも相談するけど、誰も分からなかった。
他の人が彼女と同じ動きをしても全く何も言わないのに、来る日も来る日も私に「コピーするな」と激怒する。
「じゃあ一体私はどうすればいいわけ?」
これまた無い頭で考えた。
今となっては笑える話だけど、彼女がブラソを上に挙げれば、私は挙げない。下でマノを回せば、私は身体の前で回すとか。
そうしたら、それはそれで「そこじゃない」と注意する。
もう木阿弥状態。

その頃の私にそんなことを言っても、通じるわけがなかった。
勿論、技術があろうがなかろうが、これは関係ない。
でも、フラメンコを、身体面での踊りを学びに来た私には難題だった。
彼女が言いたかったのは「自分のSentidoを持て」と言うことだった。
色々な先生に学び、「動く」状態から少し「踊れる」状態になったころから彼女には「コピーするな」と激怒されることは無くなった。

「日本人はコピーするのが上手い」とよーーーく言われる。
確かにその通りだ。
勤勉で真面目な国民だし、異文化であるフラメンコを学んでるのだから、先生に敬意を払っている。
そしてよく練習をする。土日も夏休みもない。
「コピーするのが上手くて何が悪い?」と思っていた。
「怠け者のスペイン人より遥かに努力してるんだ、蔑むな。」と思っていた。
その先に彼らが何を言わんとしているのか、読めなかったし、また考えもしなかった。

彼らが言いたかったこと。これは持論だけど・・・。
多くの日本人はコピーするだけにとどまっている。
日本で先生クラスの方々は「振り付け」を学びに来られてたりする。
お仕事だからそれはそれでありだと思う。他の外国人も同じだし。スペイン人だってそう。
個人レッスンで習い、それをクルシージョで教えるスペイン人もいるのだし。
そして先生クラスの方々はここには当てはまらない。
私のようなフラメンコを知らない、学びに来た、ひよっこな人に言えること。
そこに「自分」というものがない。
「感情」がなく、感情が置いてけぼりにされている。
「自分の感情が表現されていない」
だけど本当はコピーにとどまっていないし、感情が伴っているのだけど・・。

クラスには世界中から外国人が学びに来ている。
外国人もスペイン人もいる。
クラスメートが踊っているのを見たら、日本人との差は歴然。
表現力が欠如している。
同じ日本人同士の私には分かる、感じる、日本人の踊り手がとっても感じながら踊っていることが。
だけど、悲しいことに外国人よりそれが「外へ向かっていない」。
「内に、内に向かっている」。
表面でしか受け取らない、「感じ取ろう」「相手の思いを推し量る」という行為が無いと思われるスペイン人にはそれが分からない。
だから受け止められない。

喜怒哀楽をもろに表現するのを良しとしない日本人の国民性。
面と向かって相手と意見を交わすことを避ける国民性。
和を、協調性を重んじる国民性。
これは日本の文化だし、そういう歴史を持つので、どうしようもないこと。
良いことだし、ただ見方を変えれば悪いとも言える。
ヨーロッパ人みたく狩猟民族・自己主張ばかりしない、島国で農耕民族の可愛い日本人。
私もれっきとした日本人。
内気で人見知りだし、小声でしか話さない。協調性を乱すことをしない。場の雰囲気を読む。
これらが踊りにおいて、最大限の支障となっていた。