霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

落花生について

2006-07-31 20:11:32 | 園芸
 今年初めて落花生の種を植えて今ようやく花が咲くほどまで来たのである。農園の隣のおばあさんに聞くと花が咲いたところにに落下生がなるのでそこに土を掛けるとよいといわれた。

 また友人に聞くと落花生という名前は花の下に生まれるとかくので茎が伸びて花の咲いた後に地下茎を作って豆ができるのであって根の元に落花生はできないことを十分わかって栽培すべきだといってくれた。近隣の知人や友人は大事にしなければと思うこのごろです。

モロヘイヤ

2006-07-30 07:08:08 | 園芸
 園芸店でモロヘイヤは、栄養豊富な植物と書かれていたので一本買ってきて植えた。一度食してみたが粘りのある食べ物で食感は心地よいといえよう。オクラと同じような感じの粘りであるが味噌汁に入れて食するのでオクラほどでもない。粘りのあるものは体にいいのであろう。

蝉ガラ

2006-07-30 06:50:35 | 随想
 まさに夏到来の風景である。虫取り用の網に蝉ガラがついていては虫取りもできない。モット他の草や樹木に取りついて羽化すればよいのにこんな派手な色の網で羽化するとは、いかにも天敵がいない農園なのであろう。

農園記35

2006-07-30 06:22:01 | 園芸
 昨日は朝の5時から農園で畑仕事を行った。まず赤ジソのたくさん生えているその赤ジソを引き抜いて耕したが鍬を打つほど石が出てくる、鍬の先が曲がってしまったり鍬のあいだに石が食い込んだりする。

 石は3センチから大きいものが30センチもある石ころが30個は出てきた。次はごぼうを引き抜き耕した。ここも石ころが15個以上は出た。農園は今までの宅地を開墾して作っているため土は劣化していてかつ石ころだらけである。
 
 にんじんの畝も全部にんじんを抜いて耕す。ようやく10時ごろその作業が終わったが汗だくであった。井戸で顔や頭を洗う。水が冷たく頭にかけると肝を冷やしたようにひんやりして気持ちがよかった。そのあと朝ごはんを食べた。

 オクラの花が去年に続き今年も咲いてくれました今日もこのオクラを頂いています。

 オクラは夏バテによいとのことです。また種はお茶にもできるとのこと、隣のおばあさんが教えてくれました。

小企業の債務超過企業の行く末

2006-07-29 20:44:24 | 経済
 地域経済の景況は大都市程の回復感は毛頭見えず。水面下で喘いでいるのが現状であろう。
 バブル期に不動産担保で借り入れた負債は地価の下落で処分をしても当時の半分以下となり。いくら減量経営をしようとしても土地が売れないし、まして価格はモット下げざるを得ないのが現状であろう。

 とくに建設土木業界やガソリンスタンド、小スーパーなど構造的に業種転換や経営の質の転換をしなければならない企業であるにもかかわらず自己変革・経営革新ができないのではなかろうか。

 そういった企業ほど行き詰まりが生じていくことになる。

 いまさら言っても始まらないが。資金化できる不動産、株券、動産等があれば早く処分をし負債を整理することと平行して次なる事業を創始していくことがだいじであり、先んじて行っていく努力が肝要であろう。

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夏が来た

2006-07-28 20:18:56 | 随想
 ようやく長い梅雨が終わり夏が来ました。朝の散策の途中に太陽がまぶしくて困ったので写真に撮りました。

 今日は雲も見えない青空のもと油蝉の鳴く声の喧騒の中を散策して11054歩、今日一日で歩きました。よい一日をすごしたと感謝しています。

茶臼山古墳群

2006-07-27 20:31:31 | 歴史/古文書
 この石棺等は山口市白石の茶臼山というところから発掘された古墳群のひとつです。

 この名の通り丸い小丘があった。明治24年にその頂上近くを拓いていたら古墳9個が出土、銅鉾や、土器、玉類が発見された。

 また昭和43年にこの丘を宅地に造成する工事中にまた数個の古墳が発見されたこれは古墳時代よりさらに古いものであるといわれている。

 今はたくさんの家や県庁マン用宿舎が建っていてその跡形は何にも見えない。

 ここは山口市内の中心地にあり私も5年近くこの隣に住んでいました。よいところです。

参考資料 山口ところどころ

残石

2006-07-26 20:28:03 | 歴史/古文書
 この石は始めは何でこんなところにあるのかなと不思議に思っていましたが、よく立ち止まってみていると、これはお城の石垣を作るときに運ぶのがもれたのか、毛利氏の家紋の刻みが失敗に終わったのが良くわからないが石切場に残ってしまった城の石垣用の石でした。

 天正11年(1563)、豊臣秀吉が大阪城築城の時、毛利輝元が周南市の大津島の花崗岩を切り出して運んだ石の残石である。石には丸のなかに一と星三つが薄っすらと残っているのが今でも感じ取ることができる。

参考資料 案内板より

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国木田独歩に碑

2006-07-25 20:21:33 | 人生・文学
 この碑は国木田独歩の山口在住を記念して建てているものです。「山林に自由存す」と刻まれています。本当に森の中に朝日が指し込んでいてそんな雰囲気ですね。

 独歩は千葉県に生まれたが父が裁判所勤務なので各地を転勤しているいわゆる転勤族であった。この近辺は広島、柳井、山口と転居している。山口は13歳の時移り、駅前の今道小学校を出て、この亀山のふもとにあった山口中学に通った。学校と隣り合わせの為独歩もよくこの地に来たことであろう。作品に「山の力」「帰去来」など山口の出る場面がある。

7月は県立図書館に於いて国木田独歩展が開かれています。山口県に居住したときの関連した小説やエッセー、写真などが陳列してあります。近くにいかれたら立ち寄られると良いですよ。

参考資料 観光案内板

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