山の頂から

やさしい風

エピローグ

2008-09-14 21:19:03 | Weblog
 残暑が厳しいとはいえ、やはり里は秋の風。
空を行く雲は、目に痛いほど眩しい。
ふと空を見上げては小さな溜息を洩らす自分に気付く。

 初七日が過ぎて斎場への支払いを終える。
後の始末をきっちりとし、これほどまでに子の行く末を考えた父に、
改めて敬服をしている。
≪美田≫こそ残さなかったが、終の棲家に関しても甘えなかった父。
その、きっぱりとした姿勢に泪を零す。

 亡くなる数日前、弟の手を取って涙した父は、
恐らく、自分には許された時間のないことを悟っていたに違いない。
口にこそ出さなかったが「後を頼む!」と言いたかったのだと思う。

 今夜は十五夜。
けんちん汁を作って仮の祭壇にあげた。
小学校の6年生の時、宿題で出された十五夜の絵。
絵の上手い父が描いてくれたことを思い出した。
誰が見ても児童が描いたようには見えなかったっけ。
すっかり忘れていたことが鮮明によみがえった。

 暫くは、見るもの聞くもの全てに父を重ねる癖が付きそう・・・
今年は、どんな紅葉を目にすることが出来るだろうか。

両親の播いた種

2008-09-14 06:40:08 | Weblog
  父の葬儀に際して心寄せて下さった方々の温かさに、
感激をしている。こんなにも他人は優しく温かかったのかと、
今更ながら実感した。そして、こんな時に思わずその人となりを知った。

 両親は共に何一つ財をなしたわけではないが、義理と人情を欠かさず、
他人の痛みを己の痛みとして感じ、それに際してかけた心を、
返して下さったひとの多さに驚いた。
数十年も行き来も無かった方が「お悔やみ欄」を見て駆けつけてくれた。
そんな方が多くいて、本当に感激している。

 きょうだいで、しみじみと両親の生きざまを思い、
残された者は同じように他人の痛みを感じられるような人間として、
この先を生きねばならないと話し合った。

両親の播いた種は、また、ここで芽を出そうとしている。