皆さんこんにちは
広島県呉市呉駅前で皮膚科を開業します『橋本クリニック』の院長の橋本康志です
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今日は以前予告しておりました原爆についてです。
皆さんご存知の通り、昭和20年8月6日8:15に世界で初めて原子爆弾が都市に落とされました。
爆心地は原爆ドームから少し離れた本川小学校の側だったと記憶しております。(原爆ドームが爆心地と勘違いされることが多いですが、実は少し離れているんです。原爆ドームが当時の時代の最先端を象徴する建物だったらしく、その象徴があの姿になってしまったということで残されたようです。)
このとき私の父は4才でした。
父はこの時の記憶はないそうです。(あまりの恐怖で記憶を封印してしまった可能性がありますが・・・。)
これは祖母から聞いた話です。
何かに守られたと思える話でした。
爆心地から2Km程度の自宅で被爆しましたが全くの無傷だったそうです。
父も、叔母も祖母も・・・。
やけども怪我も無いという奇跡に近い状況だったそうです。
私はその話を小学生のころ聞いて、感動した覚えがあります。
本当にその一瞬にどこでどんな格好でいたかで、運命が決まったようです。
その奇跡に近い状況は中編、後編で!
前編はこちらです。
中編はこちらです。
後編はこちらです。
広島県呉市呉駅前で皮膚科を開業します『橋本クリニック』の院長の橋本康志です
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今日は以前予告しておりました原爆についてです。
皆さんご存知の通り、昭和20年8月6日8:15に世界で初めて原子爆弾が都市に落とされました。
爆心地は原爆ドームから少し離れた本川小学校の側だったと記憶しております。(原爆ドームが爆心地と勘違いされることが多いですが、実は少し離れているんです。原爆ドームが当時の時代の最先端を象徴する建物だったらしく、その象徴があの姿になってしまったということで残されたようです。)
このとき私の父は4才でした。
父はこの時の記憶はないそうです。(あまりの恐怖で記憶を封印してしまった可能性がありますが・・・。)
これは祖母から聞いた話です。
何かに守られたと思える話でした。
爆心地から2Km程度の自宅で被爆しましたが全くの無傷だったそうです。
父も、叔母も祖母も・・・。
やけども怪我も無いという奇跡に近い状況だったそうです。
私はその話を小学生のころ聞いて、感動した覚えがあります。
本当にその一瞬にどこでどんな格好でいたかで、運命が決まったようです。
その奇跡に近い状況は中編、後編で!
前編はこちらです。
中編はこちらです。
後編はこちらです。
父親は3歳の時で、はっきり覚えてるそうな。
たぶん、はしもっちゃんの親父は記憶が封印されたんだろうね。
3km地点と2km地点じゃ、惨劇もかなり違っただろうし。
母親は5ヶ月くらいだったんで、全く覚えて無いそうな。
ま、当たり前か(^^;
ちなみに爆心地は島病院上空だったはず。・・・確か(^^;
他県の人は余り知らないと思いますけど、爆心地近くは皮膚が一瞬で炭化したり、内蔵から蒸発したりと激しいものだったらしい。
川が死体で埋め尽くされて、下流に流れて行くそうな。
ちなみに、今でも爆心地付近の川から表面が蒸発した跡が残っている瓦が出てきます。
そういえば私の祖父もたまたま前日に深夜残業をして、当日仕事を休んだために助かったそうです。
原爆資料館に行くと核は使えない(使ってはいけない)兵器だという事が良く分かります。
補足してもらって。
たまたま前日に深夜残業をして、当日仕事を休んだために助かったなどの奇跡に近いことがあるんですね。
うちはお祖母ちゃんがたまたまお腹を壊していたため、畑に出られず助かったようです。
あの一瞬の行動が運命を分けちゃったんだね。
また原爆第二弾も書きますので、コメントよろしくね。