昨日、ウチナーンチュ友人をおもてなししているときに、客観的に観光地伊勢志摩を見て、思いました。
「車椅子多い…」
はい、実に多かったです。
高齢者の車椅子利用の方から、普段スポーツしているタイプなど、うちのパートナー的な人たちも…。
伊勢から仕事場の鳥羽に帰ってきたときもその車椅子利用者の遭遇率は多かったです。
電動車椅子のカップルにも会いました。
ようするに、フットワーク軽い障害者から、少し苦労も味わいつつ旅行をする人まで。
もちろん、車椅子だけではありません、視覚障害者も確認でいるだけでもちょこちょこいます。
数年前、センター始めた当初は、こんなにいませんでした。
しかし、どうだろう?ここ1~2年?
確実に車椅子だけなく、障害者、高齢者が増えてきています。
よく見かけます。
それだけに、周りも当たり前のように、特別でなく、1つの観光地の風景として違和感ありません。
ツアーセンターを始めた頃、いや、パートナーと出会って、デートしていても「介助者の方ですね?」(彼女やパートナーという意識はあまり持たれない)と言われていた頃から、当たり前のように伊勢志摩にチェアーウォーカーが歩いていれば、もっと障害者、高齢者への理解も深まりチェアーウォーカーもその同行者も「介助される人」「介助する人」という固定観念から開放されるだろうな~って思っていました。その思いは、いろんな障害者、高齢者と出会うたびに強くなっていきました。
6年前の伊勢志摩と、そんな昨日の風景を思い返した瞬間、何かが落ち、
なんだか涙があふれてきました。
「あ、理想に近づいてきてる」
ここまで確信したことはありません。
着実に。
一歩、一歩。
ハッキリと。
理想の観光地へと向かってきています。
忙しいとき、仕事に行き詰ったとき、壁にぶち当たって立ち往生しているとき、悔しくて涙を流すとき
そんな時、実は、いつも頭の中でイメージしてきました。
バリアフリー観光地伊勢志摩を。
障害者、高齢者、いろんな人たちが伊勢志摩に来てくれて、その空間が特別ではなく、当たり前であり、普通である。
周りの人たちもさり気なく手を貸したり、声をかけあって、そして、介助される人、介助する人ではなく、同じ旅行者として伊勢志摩に訪れる。
そこには見えないけれど、私の頭の中にハッキリと映し出されるその世界。
その夢に見ていた風景と昨日の風景が重なるのです。
時にぼやけて、見失いそうになったりもしたけど、輪郭をなぞり再現して今日まで大事に暖めてきたビジョン。
やっぱり、ビジョンは常に確認しながら、持ちつけないとダメだと思います。
「こうなりたい」(理想)←これではイメージしにくいよね
ではなく
「こうなっている」(ある意味暗示です)
というように。
ということで、1ステージクリアしかけています。
だからゴールというわけではありません。
まだまだ私のビジョンは次から次へとあふれ出てきています。
「次、ここは数年後こうなっている」
と思うところはたくさんあり、それらをひとつ、ひとつクリアしていっているのです。
最終的に自分がどうなっているか?ということもハッキリ見えてきています。
その自分は、そのひとつひとつをクリアしないとなれません。
その見える自分になれるように、さらに、さらにがんばって行きたいと思います。
未来をイメージして、常に自己確認しながら…。
ここまで来れたこと、みんなに感謝です。
「車椅子多い…」
はい、実に多かったです。
高齢者の車椅子利用の方から、普段スポーツしているタイプなど、うちのパートナー的な人たちも…。
伊勢から仕事場の鳥羽に帰ってきたときもその車椅子利用者の遭遇率は多かったです。
電動車椅子のカップルにも会いました。
ようするに、フットワーク軽い障害者から、少し苦労も味わいつつ旅行をする人まで。
もちろん、車椅子だけではありません、視覚障害者も確認でいるだけでもちょこちょこいます。
数年前、センター始めた当初は、こんなにいませんでした。
しかし、どうだろう?ここ1~2年?
確実に車椅子だけなく、障害者、高齢者が増えてきています。
よく見かけます。
それだけに、周りも当たり前のように、特別でなく、1つの観光地の風景として違和感ありません。
ツアーセンターを始めた頃、いや、パートナーと出会って、デートしていても「介助者の方ですね?」(彼女やパートナーという意識はあまり持たれない)と言われていた頃から、当たり前のように伊勢志摩にチェアーウォーカーが歩いていれば、もっと障害者、高齢者への理解も深まりチェアーウォーカーもその同行者も「介助される人」「介助する人」という固定観念から開放されるだろうな~って思っていました。その思いは、いろんな障害者、高齢者と出会うたびに強くなっていきました。
6年前の伊勢志摩と、そんな昨日の風景を思い返した瞬間、何かが落ち、
なんだか涙があふれてきました。
「あ、理想に近づいてきてる」
ここまで確信したことはありません。
着実に。
一歩、一歩。
ハッキリと。
理想の観光地へと向かってきています。
忙しいとき、仕事に行き詰ったとき、壁にぶち当たって立ち往生しているとき、悔しくて涙を流すとき
そんな時、実は、いつも頭の中でイメージしてきました。
バリアフリー観光地伊勢志摩を。
障害者、高齢者、いろんな人たちが伊勢志摩に来てくれて、その空間が特別ではなく、当たり前であり、普通である。
周りの人たちもさり気なく手を貸したり、声をかけあって、そして、介助される人、介助する人ではなく、同じ旅行者として伊勢志摩に訪れる。
そこには見えないけれど、私の頭の中にハッキリと映し出されるその世界。
その夢に見ていた風景と昨日の風景が重なるのです。
時にぼやけて、見失いそうになったりもしたけど、輪郭をなぞり再現して今日まで大事に暖めてきたビジョン。
やっぱり、ビジョンは常に確認しながら、持ちつけないとダメだと思います。
「こうなりたい」(理想)←これではイメージしにくいよね
ではなく
「こうなっている」(ある意味暗示です)
というように。
ということで、1ステージクリアしかけています。
だからゴールというわけではありません。
まだまだ私のビジョンは次から次へとあふれ出てきています。
「次、ここは数年後こうなっている」
と思うところはたくさんあり、それらをひとつ、ひとつクリアしていっているのです。
最終的に自分がどうなっているか?ということもハッキリ見えてきています。
その自分は、そのひとつひとつをクリアしないとなれません。
その見える自分になれるように、さらに、さらにがんばって行きたいと思います。
未来をイメージして、常に自己確認しながら…。
ここまで来れたこと、みんなに感謝です。