私の好きな御迎え人形を今年も見て歩く。
天満宮内
お迎え人形 しじみの藤棚
蜆の貝を藤の花に見立てた、造り物「しじみの藤棚」
江戸時代の大坂町人たちは、社寺の祭礼などの賑わい行事として、
趣向を凝らした人形や動物、静物を造りました。
日常的な器物や食物などの風合いに着目して、それを意外な別物に見立て、
見物の人々を楽しませたのです。これを「造り物」といい、大阪では「つくりもん」と発音します
「お迎え人形」(大阪府有形民俗文化財)
元禄期になると、氏子たちは町ごとに豪華絢爛の大型風流人形を造り、御迎船に飾りました。
これを「御迎人形」といいます。人形は当時流行の文楽や歌舞伎の登場人物をモデルに造られ、
幕末の最盛期には五十体を越えましたが、現在は十六体を残すだけです。
安倍保名(あべのやすな)
竹田出雲作の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の作中人物。
1734年(享保19)年に初演、翌年には歌舞伎化もされました。
信太森(現・和泉市)の白狐の化身である「葛の葉」と契りを交わして生まれたのが、
平安時代の陰陽師・阿倍清明だと伝えられています。
数ある人形の中でもその美しい容姿が評判となり、江戸時代後期には、
天満青果物市場の銭屋孫兵衛の娘「おさわ」が、
この人形の妖艶な容姿に恋焦がれて、病に臥したという伝承も生まれました。
私の一番好きな御迎え人形
美しいお顔をされています。
これは再現されたばかりの写真だろうか。着物がすごくきれい(ネットより拝借)。
与勘平(よかんべえ)
竹田出雲作の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の作中人物。
安倍の保名に忠実に仕える奴(やっこ=家来)として登場する。
鬼若丸
平安時代の僧で、武蔵坊弁慶の幼名。比叡山で修行の後、牛若丸(源義経の幼名)に仕えた。
文楽や歌舞伎の「鬼一法眼三略之巻」に登場する。
OAP内
八幡太郎義家
平安後期の武将、源義家。男山にある岩清水八幡宮において元服したため、八幡太郎と号す。
前九年の役(1051~62)、後三年の役(1083~7)を鎮圧し、東国に源氏の基礎を築いた。
帝国ホテル内
「木津勘助(きづのかんすけ)」
江戸初期の侠客。本名は中村勘助。木津川の開削や勘助島の開発にあたった。
寛永十八年の米飢饉の際、幕府の米蔵(黒田藩の米蔵とも)を打ち破って、
庶民に施したため、島流しになったと伝えられる。
天神橋筋商店街の御迎え人形
あ!そういえば今回は船渡御を一隻も見ていない!チキンラーメン船も!
ま、ええか
Mameshiba
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実は 知りませんでした
天満宮でも いろんな行事があるんですよね、当然
お祭りなら、花火と夜店だけ みたいにカン違いしてます。
子どもの頃の 記憶が、そのまま いまだに
残ってるんでしょうね。。。
来年は、ちゃんとお宮に おまいりに行かなくては
>天神祭りというと、船渡御見物と 花火見物くらいしか、実は 知りませんでした
いや、私もそうだったんですよ。 初めて天神祭に行った時、「天満宮にお参りしに行くか」と主人が言うので、
「え?天満宮?」って(^^ゞ
今回はぶらぶら歩いてる途中で、獅子舞を見られたので感激しました!
厳かで素晴らしかったです。子供達の傘踊りも可愛いです。
>お祭りなら、花火と夜店だけ みたいにカン違いしてます。
私の子供の頃も地元の夏祭りって言ったら、花火、夜店、盆踊り、でした。
神社にお参りなんて考えたこともなかったです。
天満宮に行くと、催太鼓や龍踊り、御迎え人形も見られるので楽しいです。
ただし大混雑必至なので、宵宮の早い時間をお薦めします