美味しいお散歩。

すべては必要でうまくいっている。
だから大丈夫。
「命」は「いのち」。

128『これぞ大正ロマン!』1木津川飛行場跡の碑~3木津川口の戦い。

2011年07月19日 21時49分15秒 | 大阪あそ歩

(5月のお話(^^ゞ)

 大阪あそ歩 128

大正区 鶴町・船町

これぞ大正ロマン!渡し船に乗って巨大工場見学
~木津川飛行場跡と船町工場群と~

「明治16年、三軒家に大阪紡績会社(現・東洋紡績)が設立されると、大正区は日本一の紡績工業都市となり、
大阪は「東洋のマンチェスター」とも呼ばれました。近代化の波は船町・鶴町にも押し寄せ、
日本初の公共飛行場や造船所、自動車工場などが設立。いまもその痕跡をとどめる船町工場群は必見です!」


 スタートは東船町バス停   

 


いきなり大きな工場の姿が!!わ~工場大好き テンション




この殺風景なゴツゴツとした鉄の感じがいい。


千本松大橋のループ




その下にある船町緑地


1 木津川飛行場跡の碑
「大正12年淀川末流の木津川尻埋立地に、我が国最初の本格的な民間飛行場「大阪木津川尻飛行場」が開設。
・・・・「エアガール」(スチュワーデス・客室乗務員)第1号も、木津川飛行場から誕生しました。
・・・・発着数がキャパシティを越えたため、昭和14年、大阪第二飛行場(伊丹飛行場)に移転。あえなく閉鎖されました。」

「開設当初飛行場には、滑走路がなく、木津川に着水した飛行艇はクレーンで陸につり上げてもらっていました。」



2 木津川
「慶長15年に中村勘助が木津川に豊臣家の軍船係船所を建設。同時に堤防を築いて新田開発を行い、
豊臣家より勘助島(現・大正三軒家)の名が与えられました。・・・・」

木津川の渡し
 





この渡船に乗り木津川を渡って住之江方面?に行ける。



3 木津川の戦い
「元亀元年、石山本願寺と織田信長が石山合戦を開始。天正4年には石山本願寺側についた毛利水軍600隻と、
信長方の九鬼嘉隆水軍300隻が木津川口で戦いましたが、信長方が多くの船を焼かれて大敗。
毛利水軍は石山本願寺内に兵糧・援兵を運びましたが(第1次木津川口の戦い)。この敗戦に激怒した信長は、
嘉隆に対して燃えない船を造るように命じ、嘉隆は船に鉄を貼った鉄甲船を建造。
天正6年に嘉隆率いる6隻の鉄甲船と毛利水軍が再び木津川口で戦い、見事に毛利水軍を撃破しました。」

「小田水軍の安宅船は、全長約40Mといわれ、その空前の巨大さで毛利水軍を圧倒、
火の矢も乗り移りも通じず、毛利水軍は敗北しました。」


新木津川大橋




なんか可愛い工場の屋根。




殺風景な工場風景に美しいバラが映えて美しい。清涼剤のよう






東船町停留所から工場群を歩くとき、トラックに気をつけ
(バス内のアナウンスでも注意をしていた。)
人通りがまったくなく、たま~に工場で働いている人が自転車で通り過ぎるくらいだ。
女性一人で歩くにはちょっと不安になる感じのまち歩きですよ。


紺色の文字で書かれた「」内の文章は、「大阪あそ歩」からの抜粋です。

Mameshiba  

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
タイトルの (とほ)
2011-07-22 06:56:56
128は何だろうと思ってましたが、
大阪あそ歩の登録NOみたいですね。

見に行ったら、千林もありましたよ。

豆柴さん似の人がガイドしてました。(_ _*)☆\(`_´")バシッ
返信する
とほさんへ (豆柴)
2011-07-24 01:49:52


>128は何だろうと思ってましたが、
大阪あそ歩の登録NOみたいですね。

そうなんです~。たくさんコースがあるんですよ。
どこを歩こうかと、マップを見ながらあれこれ考えるのは楽しいです。

>見に行ったら、千林もありましたよ。
はい~先日記事にしました 

http://blog.goo.ne.jp/haru_hinata/e/f892893d5915f3b10da30b1bdba1a738

近場なので安心でしたが、やっぱり迷いました(^^ゞ
しょっちゅう歩いてるところでも、路地に入ると初めて見る景色ばかりで楽しかったです。

>豆柴さん似の人がガイドしてました。
えーっ どれどれ・・・
う~ん、似てないよ~ん。ガイドさんのほうがお若い?
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