日々是好日

世界人類が平和でありますように
母なる地球がいつまでも元気でおられますように

ミワさん

2014年09月20日 | Weblog


普通に見とれるよね。この写真。
以下コピーです。





(人生の贈りもの)歌手・俳優・演出家、美輪明宏:3
 長崎原爆、夢でうなされた
2014年9月18日朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11356991.html

――1945年8月9日、長崎は青空だったんですね

 こんないい天気なのに雷?

 原爆でした。

 私は繁華街の父方の家の2階で宿題の絵を描いていました。
絵のできあがりを見ようと立ち上がって、さがったところでピカッときました。
マグネシウムを100万個もたいたような光。

 世界中の音が止まったようにシーンとして。

 次の瞬間、世界中の音を集めたようなとどろき。

 ものすごい爆風でガラスがいっせいに割れました。
私はガラス戸から離れていたので、突き刺さらずにすみました。
となりの映画館は天井が落ちてすっぽんぽんになりました。

 ――外へ逃げられた

 馬車の馬が倒れて、やけただれた馬車ひきのおじさんがピンピン跳びはねていました。
道端の人の皮膚はズルズル、目は飛び出して。ぼろぼろの服をひきずって、
何かわめきながら歩いていく。この世のものとは思えない光景が続いて、
その後何年も夢にみてうなされました。

 ――ご家族はご無事でしたか

 爆心地に近い母方の家にいた叔母や叔父は亡くなりました。
父はその方面に集金にいくはずでしたが、さぼって釣りにいっていて助かって。
1週間後に終戦になって、母方の家をみにいったんです。
そのあたりは焼け野原で、遺体を掘り出している人がいました。泣き泣き帰りました。

 ずいぶんたって、東京へ出てからも悪性貧血を何度も起こして倒れました。
あのとき放射能で汚染されていたのに、当時は放射能という言葉さえだれも知らなかったんです。

 ――「ふるさとの空の下に」といった反戦歌をコンサートで歌われます。すごみがあります

 体験がありますからね。
安倍首相も内閣の人たちも戦争体験のない人ばかり。
戦争を簡単に考えていませんか。そんな簡単なもんじゃありませんよ。

 ――終戦後も絵に夢中でした

 絵の材料を闇市でさがしていたんです。
そしたら大人が子どもを殴っていた。「どげんしたとですか」と尋ねたら、餅を盗んだって。
かわいそうなんで代金を払ってあげました。
物陰に隠れていたお母さんが泣きながら出てきて、私を拝んでお礼いうんですよ。
その顔はケロイドで。

 きまりがわるいんで、ふっと映画館に入った。神様のご褒美ですよね。
「僕の父さん」ていう東宝映画でした。
加賀美一郎という人のボーイソプラノをきかせる映画。
何度も見にいって歌を覚えちゃって。

 休み時間に歌っていたら、担任の先生が「映画にいったでしょ」。
その先生がうちにきてくださった。
「お子さんは絵の才能もあるけれど、歌の才能があると思う」って。

 ――それで歌の道へ

 うちは放任主義でしたから、どうぞどうぞってピアノと声楽の基本をたたきこまれて。
東京にきて国立(くにたち)音大付属高校に入りました。
(聞き手・河合真美江)
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