人生が100倍楽しくなる、パスターまことの聖書通読一日一生(旧約聖書 新約聖書 聖書通読ブログ)

聖書通読は、モノの見方を変え、イエスと共に前に進む気を起こさせてくれます。ご一緒にしませんか?

申命記33章 下には永遠の腕がある

2022年03月31日 08時56分58秒 | 申命記
申命記33章 モーセの祝福のことば
1.序(33:1-5)
 申命記は、伝統的にモーセによって書かれたとされてきましたが、1節の前置きを読むと、これがモーセの手によるものではないと思わされるところです。となれば、これはおそらく、ヨシュアによって書かれたと考えるのがよいのでしょう。またそれは、イスラエル12部族への祝福のことばでありながら、シメオンについては語られていません。いくつか解釈上難点を持つ章ですが、全体の構造を見ると、大まかに三つに区分されます。もろもろの国民に対する祝福(2-5節)、各部族に対する祝福(6-25節)、そして再びイスラエルの民全体に対する祝福(26-29節)というようにです。
 2節、「シナイ」「セイル」「パランの山」いずれの地名も、神がご自身の栄光を現された場所と記憶されるところです。5節「エシュルン」はイスラエルの別称です。この単語は、32章にもすでに出てきましたが、旧約聖書にはこの章を含めてイザヤ書にあるだけで、全部で4回しか出てきません。その意味は「正しい者」「高潔な者」です。つまり、イスラエルの言い換えに使われている語のようでありながら、実際には、ヤコブ、イスラエル、エシュルンと使い分けられていることから、イスラエルの中でも、特に理想的な神の民を意図するときに、これが使われているようです。主はヤコブ、いわば罪人の神である、しかし、悔い改めた者、つまりイスラエルの神であり、さらに言えば、悔い改め神の義に生きようとする者、エシュルンの神というべきでしょうか。ともあれ、神はもろもろの民全体を愛するお方、万物の主である、この最初の箇所には、何か終末的に集められたすべての民に対する祝福のイメージが語られているように思われます。
2)各部族への祝福の言葉(33:6-25)
 次に6節から、各部族に対する祝福のことばを見ていきましょう。ルベンは、部族存亡の危機にありながら守られていく、それが祝福であると言っています。ユダは、常に民の先頭を進む。そして敵との闘いから助けられる、それが祝福であると言います。これは祝福のことばというよりは、むしろとりなしの祈りに近い内容です。本来なら続いてシメオンに対する祝福のことばが入るのでしょうが欠落しています。そこでレビの祝福のことば、それは、レビが職務を全うすること、つまりトンミムとウリムを用いて神の御旨を伺い(8節)、民に御教えを伝え(10節)、とりなしを行うことです(10節)。牧師も同じです。牧師に対する評価は、どれだけ人数を増やしたか、どれだけ大きな会堂を立てたかにはありません。彼が祈りとみことばの職務に忠実であり、民に対して、神のことばと神の契約を示し続けているかどうかです。
 ベニヤミンは、ユダと同じく、激しく戦う部族であればこそ、主の守りが祈られます。ヨセフには物的祝福が祈られているようですが「柴の茂みの中におられた方の恵み」とあるようにそれが天の神のみ許しによる祝福であること、また事実の追認であることに注目すべきでしょう。イスラエルがダビデ王によって王制国家となるまでは、エジプトでのヨセフ族の優勢な地位が、そのままイスラエルの民全体の中での力関係、富裕関係を決めていたことは確かでした。これからヨセフ族は、物的に祝福されるというのではなくて、それが神のみ許しの中で起こったことを追認しているのです。ゼブルンとイッサカルは対に語られますが、いずれも義のいけにえを献げる民であることが祝福として語られます。ガドもまた、主の正義と公正を行うことが祝福です。ダンは勇敢であること、ナフタリは主の恵みの中に生き、アシェルも主の恵みに、具体的にオリーブの産出(油)に豊かに恵まれることが語られます。
3)結び(33:26ー29)
26節からの最後の段落は賛美です。ここでも主の祝福は、エシュルン、つまり霊的な神の民が、神の守りの中にあることを語ります。27節「下には永遠の腕がある」つまり、神の腕が永遠に私たちを支えてくださるといいます。人生には底なし沼に陥ったかのように思われることがあっても、神が私たちの足を沈まないように支えてくださる、安らかに住まわせてくださる、天の露で潤してくださる、と言います。このように懇ろに語られる神を信じましょう。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。モーセの従者ヨシュアは、他に何と呼ばれていたでしょうか。答えはホセアでした。彼はホセア(「救い」という意味)と呼ばれていましたが、モーセによってヨシュア(「主は救い」という意味)に改名されています(民数13:8)。
では、今日の聖書クイズを一つ、エシュルンという単語は、旧約聖書に4回しか出てきませんが、申命記の3回(32:15、③3:5、26)と他にどこに出てくるでしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

*二子玉川聖書学院聖書通信講座開講中、旧約概論や新約概論を本ブログと合わせて学ぶことで、聖書を体系的に全体的に理解できるようになります。偏りのないしっかりとした信仰を持ってまいりましょう!➡詳しくはこちら

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです。

最新の画像もっと見る