昨日、誕生日を迎え、沢山の方からメールやメッセージを頂きました。
本当にありがとうございました。
そして、おめでとう電話を一本もらいました。
オカンからでした。オカンはメールなんて出来ないので、毎年電話をくれます。
照れくさかったけど、今年はお礼を言いました。
「オカン、このくそ暑い中産んでくれてありがとう」
オカンは、おどけた声で
「いいえ~、どういたしまして~」
なんて言ってました。
オカン、そんな簡単なことやなかったはず。
オカン、なんかもっと親孝行したいと思ったのが、数年前。
評価されにくいけど、頑張ってることを表に出さない母親という存在。
オカンの芝居をやってみたい。
もうすぐ完成します、オカンの話。
子供の頃、8月6日に生まれた事が嫌でした。なんで誕生日が原爆記念日やねんって。
テレビつけたら、特別番組番組ばっかりやし、中学校上がったら平和教育の為、夏休みなのに登校日になり、平和についてお勉強。
でも、いつの日からか、自分が原爆記念日に生まれた意味を考え始めた。
特に役者になってから、戦争をテーマにした作品に関わるようになり、自分の存在意義を考える様になる。
そして、出逢ったのが井上ひさし先生の「紙屋町さくらホテル」と「父と暮せば」。両方とも、芝居を見ながら涙が止まらなかった。
これだ、これだ、俺が原爆記念日に生まれた理由。役者という仕事は、なにかを伝える仕事であり、なにかを動かす力がある。
大きな力だと思わないが、可能性のある力が芽生えるはず。
「父と暮せば」は2年前に演出した。稽古中、何度も泣いた。
被爆して死んだ父親のセリフでこんなものがある。
「非道いものを落としおったようのう。人間が、おなじ人間の上に。お日さんを二つも並べくさってのう」
※お日さん二つとは、原子爆弾が太陽二つ分の熱だったということ。
「人間のかなしかったこと。 それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」
※図書館に勤める娘に向かって
芝居は、作り物というお約束から始まるが、作品に息づく心は本物です。
僕は、僕が出来ることをやります。
誕生日は、自分のことを考える日でした。