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日本各地でええ話【福岡→上海上空編】

2014-03-02 22:20:18 | 上海・日記
最後のええ話はそらのうえで。

私は窓際の席、オジサマは通路側の席、
真ん中は空席。

乗ってすぐ転寝して、はっと目を覚ましたら、
目の前に機内食が来ていた。
オジサマが気を利かせて取ってくれたようだ。

ありがとうございます、と言って食べる。
そこから、ポツリポツリと会話が始まる。

上海歴25年、もうすぐ還暦を迎えられるというオジサマ。
詳細を書くと身元が割れてしまいそうなので、
ざっくりとお話しすると、

お店を乗っ取られる、会社を潰す、
億単位の借金を抱える・・・という地獄を見、
一文無しになった後、
とある中国系企業で幸いにも自身が高く評価され、
莫大な富を得られ、借金も2年で返済でき、
マンションも買えた、という話だった。

「中国に来て、最初に驚いたのは他社からの請求書に
 200元が添えられていたこと。
 まさに袖の下的な。で、返そうとすると、
 中国人の同僚が
 “返すということは足りない、もっとくれ、という意味になる”
 というので、受け取りましたけど。
 それでいて実際の支払いが悪い。
 支払いをどれだけ渋れるかが財務の手腕、という考えなんです」

という中国ビジネススタート話から

「店を持ったときは、不動産会社と従業員が結託したんです。
 従業員が“俺のほうがいい家賃を払うから、
 客が来ないようにして、このお店を一緒につぶしてくれ”と
 お願いしていたらしく、マイナス情報を流していたおかげで
 客は本当に来なかった。結局二年で潰してしまい、
 その後、いつのまにか内装そのままでその従業員が店を続けていた。
 ショックでした」

という、涙がにじむ苦労話まで。

でもそんな思いを幾度となくしながらも、中国に居続けたのは

「やっぱり面白かったから。日本の都市にいるのとは違い、
 出会える人の幅も違うし、これから始まる、というパワーが街にあった。
 そして、いいことがあっても悪いことがあっても
 どこかでそれを楽しんでいる自分がいたんです。
 人から裏切られても、お金がなくなっても、ちょっとのことじゃあ
 人間死にゃあしない。なんとかなるもの。
 とにかくいつでも楽しむ心を持つのは大切なことなんです」

運が上向いたのは、日本人のいない企業で踏ん張りはじめてから。

「日本にいたら、日本人だらけだから、その勤勉さ、細やかさに
 誰も注目しないし、競争できない。けれど、外国だとその価値が
 認められる可能性が高い。需要と供給のバランスを見て、
 自分を売る市場を見極めるのが大事だと思う」

ちなみに次の海外ビジネス発掘先は?

「カザフスタン。親日家が多い上、しかも住んでいる日本人が少ない。
 自分はもういい加減、日本に帰りたいですけどね」

とのこと。

私も日本に帰りたい。
だけど、ブランクのあるアラフォー女が、
日本人だらけの日本に帰って、お金を得る方法は
全うに就職活動などせず、
「人のやりたがらないこと」か「人ができないこと」
をやる、二点に絞って仕事を探すべきなんだろう。

「人ができないこと」をできるほどの人材ではないので、
やりたがらないことを進んでやるべきか。
それともオジサマのようにもう少しニュートラルな立場で、視点で、
考え、できる仕事を作り出すべき・・・か。

などと、
壮絶人生話に耳を傾けながら、
自らの近い将来について考えざるをえない90分でした。

ともあれ、短い時間にも
いろいろなヒントを与えてくれた人生の先輩に感謝です。

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