馬ひでの助

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地名夜話【書写山】

2024-05-02 00:14:40 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介。
【書写山】姫路市
しょしゃざん。
我が輩、舌が短いので「しょしゃざん」言いにくいのよね。
舌噛むわ。
書写山といえば、圓教寺。
今さら説明するまでもない有名なお寺。
天台宗別格本山で、西の比叡山と呼ばれる。
西国巡礼の27番札所でもある
場所は姫路城の北西の山の上にある。
ハイキングがてら登っても良いが、真夏はロープウェイを利用したほうがよい。
Googleマップでロープウェイ山麓駅のクチコミを投稿してあるので、また見てね。
書写山の由来は3つの説がある。
1、インドに霊鷲山(りょうじゅせん)という山があり、シャカが法華経を説いたとされる。
この霊鷲山の形に姫路の山が似ていた。
霊鷲山を書き写したような山ということで書写山と言うようになった。
2、書写山は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が山頂に降り立って1泊したという伝説があり、別名素戔嗚山。
寺を開基された性空上人がこの伝説にちなんでスサノオ→ショシャと名づけたとか?
ちょっと強引‥
3、この山は修行僧の山として知られていて僧たちがお経の書き写しに専念してたので書写山と呼ばれるようになった
これが一番有り得そうだが、ウ~ンですな。
圓教寺の由来は、
性空上人が開基されてた頃は書写山寺と呼んでたが、
987年に花山法皇が圓教寺と名づけられた。
円(まる)い教えの寺」という意味で、人間は円くなるのが良いという教え。
この由来は間違いなさそうですな。

昨年の9月、姫路駅からバスでロープウェイ山麓駅まで行き、山頂駅で降りて入山料を支払い歩いて本堂まで行きました。

比叡山と同じくエリア別にお堂が建てられていて全部見て回るとかなり大変です。
山歩きが嫌な人は受付から本堂までの有料送迎シャトルバスを利用するのがいい。
有名なお寺なので団体さんなどたくさんの人がお参りされてました。
昼前、猛暑で疲れたので本堂前の茶店で山菜うどんを食べました。
美味しかったです。
疲れもふっとびました。
そして、下山後、姫路城にて

たくさんの外人から
コロナを書き写されました‥



明後日に続く
■□■□■□■□■□■□■□■
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
♪あ〜たまを雲の 上に出〜し
四方のや〜まを 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山〜
雲、山と言えば、
「三雲城」のある三雲地区。
すぐそばを滋賀県1の大河ともいうべき野洲川が流れる。
旧東海道は三雲と対岸の水口宿の間の野洲川を渡河する。
横田の渡しと呼ばれる。
東海道、東へは鈴鹿峠を超えて伊勢の亀山→桑名宿へ。
この東海道とは別に三雲と伊賀の柘植を結ぶ「杣街道」があり、三雲はその結節点となる交通の要衝。

現在、東海道と杣街道の分岐地点の小山に
「天保義民の碑」が設置されてる。

江戸時代、湖南地域で大きな百姓一揆がありました。
野洲郡、甲賀郡は幕府の直轄領あるいは諸大名の飛び地ばかりで大きな領主がいなかった。
しかし、治水や歴史の繋がりなどもあり各集落が大同団結、無謀な増税を目的とした検地に大反発して天保一揆をおこない、成果を勝ちとりました。
この詳細に関しては故宇野宗佑首相の著書を読んでみてね。

それはともかくとして、天保一揆で犠牲になった人々を弔うために建てられたのが義民の碑。
この碑の文字を書いた人が「巌谷修」氏。
この名前を聞いてピンときた人いませんか?
いないかな‥

本名は巌谷一六。父が水口藩の医者だったということでこの石碑に関わったのです。
官僚と書家として活躍された。
この巌谷(いわや)一六の子供が「巌谷小波」。
児童文学者で、日本おとぎ話、日本昔話が有名ですね。
県内の学校の校歌もいくつか作詞されてます。
冒頭に歌った「ふじの山」も巌谷小波の作品なのです。
小波さんはもとより
修さんにも乾杯♪
と、言わや
馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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