武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

123. ヒマワリの種 Pevides de Girassol

2015-01-31 | 独言(ひとりごと)

 ヒマワリで思い起こすのは先ずゴッホである。

 ゴッホはパリで負った傷を癒やすが如く、広重や北斎の描いた日本(Japon)の様な明るい光線を求めて南国アルルへとやってきた。

 アルル駅に降り立った時には折りしも記録的な寒波がやってきていて、普段は決して降ることのない雪が舞い降りていた。

 下宿屋に荷物を下ろしてみたものの、じめっとして薄暗く、しかも下宿費が想像以上に高く、ゴッホの気持ちは落ち込む一方であった。南国本来の春が、焼け付く太陽の夏が待ち遠しくてならなかった。

 やがて巴旦杏やアイリスの花咲く春も過ぎ、夏の初めの頃、目と鼻の先に「黄色い家」が見つかった。暫くは誰も使っていなかったと見えて、古くあちこちの修繕は必要なのだが、明るく広くしかも家賃も安く理想的でゴッホは小躍りして喜び、制作もはかどって行った。

 そして明るい黄色い絵の具をたっぷり用いて「ヒマワリ」の連作に取り組んでいた。

 良いことは続くもので頭領ゴーギャンが来る、と言うことになった。ゴッホはかねてより考えていた理想に少しずつ近づいているのを感じていた。

 ゴーギャンのために新しくベッドと上等の肘掛け椅子を買いそろえ、歓迎の意味で頭領ゴーギャンの部屋を6枚のヒマワリの絵で飾った。黄色く明るいヒマワリの絵はそれまでにない色使いでこれから訪れるであろう絵画革命の先駆けとなる筈であった。

 

 ヒマワリの学名はHelianthus annuus、和名は向日葵と書き、英名はSunflower、仏名ではTournesol、そして葡名をGirassolという。何れも太陽と共に回るという意味がある。

 『キク科ヒマワリ属の1年草で、原産地は北アメリカ大陸西部。アメリカ・インディアンは紀元前から食用としていたと考えられる。

 スペイン人がスペインに持ち帰ったのが1510年、初めはマドリード植物園で栽培が試みられ、他のヨーロッパ諸国に広まるまでは100年近くの歳月を要している。フランスには17世紀、そしてロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められた。

 正教会は大斎の40日間は食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う。19世紀の初期にはほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた。しかしヒマワリは教会の法学者に知られていなかったのか、そのリストにはなかったのである。こうした事情から、正教徒の多いロシア人たちは教会法と関わりなく食用可能なヒマワリ種子を常食としたのであった。そして、19世紀半ばには民衆に普及し、ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった。』(Wikipediaより)

 日本にも17世紀に伝来している。

 

 僕が幼い頃の実家には未だ少しばかりの前庭があり、そこに父は毎年ヒマワリを植えていた。僕の背丈の2倍ほどもある大きなヒマワリは夏が過ぎてもそのままに放置されていた。やがて種が出来、ドライフラワー状態になってから、切り取られた。そしてそれは父の絵のモティーフとなった。父は明るいゴッホの様な黄色い絵ではなく、暗く緑褐色の枯れてしまったヒマワリを描いた。それは渋く静謐としていて、まるで骨董品を見る趣があった。

武本憲太郎「ひまわり」P30 昭和35年頃の作

 『枯れてしまったヒマワリ』と書いたが、ヒマワリの種は枯れてはいない。植物は4000年も昔の種でさえ発芽したりもする驚くべき力を秘めている。

 

 『ヒマワリの種には、葉酸、ビタミンE、鉄分、亜鉛、繊維、ビタミンB1、ビタミンB6、ビタミンB12、マグネシウム、カルシウム、カリウム、良質のタンパク質、トリプトファンなどなど、さまざまな種類の栄養分が含まれているという。

 アメリカでは、この栄養価の高いヒマワリはアメリカ・インディアン以来の伝統もあり推奨され、生活習慣病の予防や高血圧・貧血予防、脂肪燃焼、若返りなどの効果が期待できる、優秀な健康食品として知られているそうだ。ただし、カロリーも高く脂質も含まれるので、健康のためには一日スプーン1杯程度が適量と言われている。』(現代ビジネス/食の研究所より)

 

 大リーガーがダグアウトでヒマワリを食べる姿は有名でたびたび話題にも上る。それまでは噛みタバコを常用していたのだが、健康に良くないのと子供への影響を考慮し禁止になり、仕方なくヒマワリの種に切り替えたという経緯もある。

 ヒマワリの種を上手に食べられる様になって初めて大リーガーといえる。(ほんまかいな)

 先ず一つを口に放り込む。前歯で縦に割り、胚を舌先で横によける。横によけた胚を奥歯で噛み砕き味わいながら喉に通す。同時に前歯付近に残した殻の塩分を舌で嘗め回す。これが日高昆布に匹敵するほど実に旨い。

 それを大リーグのゲームを見ながら、野次も飛ばしながら無意識にやってのけてこそ大リーガーといえる。そしてその殻は相手選手(主にピッチャー)の顔を睨みつけながらダグアウトの前にぺっと吐き出す。一流選手ともなるとその殻も美しいのだそうだ。また、一度に20~30粒ものヒマワリの種を頬張り、上記のことを同じ様にやってのける。まさに神業といわざるを得ない。

 

 先日、ピニャル・ノヴォの露店市で不二家のペコちゃんならぬ、ミス・パロミタを見かけたので2袋買った。2袋で1ユーロ。中味はヒマワリの種である。

 もう10年も前の話だが、アレンテージョの田舎町のカフェでペコちゃんにそっくりな絵が描かれたものを見かけたので興味本位に買ってあけてみたところ、甘いお菓子ではなく塩辛いヒマワリの種が出てきて驚いたものだ。それからもいろんなところでミス・パロミタを見かけるようになっていた。

 今回はヒマワリの種と知って買ったものだ。露店市のその店には量り売りのいろんなたね類が専門に売られていて、かぼちゃの種などもあった。ミス・パロミタの描かれた袋も大小味付けの違う幾つもが取り揃えられていて親父さんは全部を並べて見せて自慢げであった。

 

 ミス・パロミタは金髪である。その点だけがペコちゃんとは異なる。舌を横に出した感じ、目の感じ、顔の輪郭など一分の違いもない。

 この会社はスペインにあり、創業が1932年というからかなり古い。不二家の創業はもっと古く1910年。しかしペコちゃんをキャラクターとして採用したのは1950年。微妙な年代だ。でもミス・パロミタをキャラクターとして使い始めたのも創業と同時ではなく後になってからというから、ペコちゃんとしては不二家の方が少し古いのかも知れない。

 不二家のペコちゃんもアメリカのキャラクターを参考に作られたというから、はなしはややこしい。アメリカではその後、すぐに姿を消しているそうでそちらでは問題はない。

 ミス・パロミタはキャラクターとしてもスペイン、ポルトガルでは浸透していて、バッグに描かれたり、変ったものでは女性用のパンツの絵柄になっていたものも見たことがある。(やはり露店市で売られていたものである。)そしてスペイン、ポルトガル人は不二家のペコちゃんの存在を知らない。ヨーロッパでは不二家製品は売られていない。

 ペコちゃんとミス・パロミタは瓜二つそっくりであるが、中味は全く違う。一方はミルキーな甘いお菓子なのに対して、片や塩辛いビールの宛てに丁度良いつまみである。

 僕にとってはペコちゃんならぬミス・パロミタの袋をやぶってそれを眺めながらビールを飲むのには非常な違和感がある。果たしてスペインやポルトガルのおじさんたちはどんな気持ちでミス・パロミタを眺めながらビールを呑んでいるのだろうか。

 

 もしあの頃、ゴッホとゴーギャンが黄色い家の住人となったあの頃、二人が常呑していた深緑色の強いアブサンではなく、もう少し軽いワインかビール、そしてそれと共に、未だ大リーグはなかっただろうし、ミス・パロミタの会社も創業はしていなかったが、大リーガーの様に、或いはスペインおじさんの様にヒマワリの種を食べていたら、その後の美術史はもしかしたら違うものになっていたのかも知れない。VIT  (C)2015  MUZVIT

 

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