自分から話しかけることさえできずにいた彼女と親しくなったのは、おなじ高校を目指していることをお互いが偶然に知ったことがきっかけだった。
「田嶋さんも、H高志望なんだ」
そう言いながらサトは、水寿子の机に腰をのせた。
「あたし、数学がちょっとやばいんだけど、どうしても行きたいんだ。去年好きだった先輩が行ってる学校だし。だけど田嶋さんて、なんだかM高のイメージがあるなあ。だってあそこの女子の制服、めちゃくちゃ可愛いし、似合いそうだよ」
すらすらと、なんのこだわりもなく話しかけてきたサトに、水寿子もおなじ口調で応えていた。
「岡田さん、数学苦手なの」
「ていうか、数式をいちいち書くの、面倒なんだ。だって、答えがわかってるのに必要ないじゃない」
数式を何行にもわたって書き連ねることにあまり苦痛を覚えなかった水寿子は、その要領をサトに伝授し、かわりに図形問題の解き方を彼女から教わった。二人が無事合格して同じ制服で高校に通うころには、たがいの呼び名も名字から名前の呼び捨てへとかわっていた。
「母が連れてくる酒臭いオヤジなんかより、サトがつきあう男子の方が数段よかった。最初は、中学の先輩だったっけ。上手じゃなかったけど、一生懸命なのがなんだかおもしろかったな」
「だからあたし、先輩にあっさり振られたのか。手をつないで歩いただけだし。そんなあんたが椎名君を落とせないなんて、信じられないな」
「彼、特殊な性癖の持ち主なのかも」
「それは違う」
サトは即座に否定した。
「ホモのオヤジが大家の下宿にいるけど、自分は違うって、はっきり言ってくれたから」
背後の教室では、明久と小松崎がさかんに議論を交わしていた。
その声が高く低く、窓から流れでて水寿子たちの耳にも届けられる──そいつは殺人の動機としては弱すぎる。むしろ、異形だよ──それじゃあ、まっとうな殺人動機って何なんだ。金か女か。そんなの家庭裁判所の調停で解決すればいいだろ。わざわざ非日常的空間で見せつける代物じゃないよ──おまえが言ってるのは芸術的殺人てことか。それこそ不遜だよ──僕は、過失致死のほうが罪が重いと考えてる。うっかりミスで命を奪われるなんて、あまりにも理不尽だ。どうせ死ぬんだったら、どろどろの情念や、ぎとぎとの怨念、ぐちゃぐちゃの因縁をぶつけてほしい。それこそ、殺されても本望だっていうくらいの──どっちにしても俺はむざむざ他人に自分の人生奪われたくはないけどね──最後の言葉は小松崎のものだった。
「お母さんは、あの町に今も住んでるの」
「離れることはできないんだ、あの家から。あの人も、それからあたしも」
芝居のセリフのように、水寿子はつぶやく。サトはもう、彼女の方に顔を向けようとはしなかった。
「田嶋さん。練習、始めるぞ」
小松崎が水寿子の背中に声をかける。
「見学していく?」
サトは首を振った。
「あとで電話してって、彼に伝えて」
それだけ言うと、彼女は振り返ることなく立ち去った。そのすんなりとしたうしろ姿が見えなくなるまで、水寿子はだまって見送っていた。
「田嶋さんも、H高志望なんだ」
そう言いながらサトは、水寿子の机に腰をのせた。
「あたし、数学がちょっとやばいんだけど、どうしても行きたいんだ。去年好きだった先輩が行ってる学校だし。だけど田嶋さんて、なんだかM高のイメージがあるなあ。だってあそこの女子の制服、めちゃくちゃ可愛いし、似合いそうだよ」
すらすらと、なんのこだわりもなく話しかけてきたサトに、水寿子もおなじ口調で応えていた。
「岡田さん、数学苦手なの」
「ていうか、数式をいちいち書くの、面倒なんだ。だって、答えがわかってるのに必要ないじゃない」
数式を何行にもわたって書き連ねることにあまり苦痛を覚えなかった水寿子は、その要領をサトに伝授し、かわりに図形問題の解き方を彼女から教わった。二人が無事合格して同じ制服で高校に通うころには、たがいの呼び名も名字から名前の呼び捨てへとかわっていた。
「母が連れてくる酒臭いオヤジなんかより、サトがつきあう男子の方が数段よかった。最初は、中学の先輩だったっけ。上手じゃなかったけど、一生懸命なのがなんだかおもしろかったな」
「だからあたし、先輩にあっさり振られたのか。手をつないで歩いただけだし。そんなあんたが椎名君を落とせないなんて、信じられないな」
「彼、特殊な性癖の持ち主なのかも」
「それは違う」
サトは即座に否定した。
「ホモのオヤジが大家の下宿にいるけど、自分は違うって、はっきり言ってくれたから」
背後の教室では、明久と小松崎がさかんに議論を交わしていた。
その声が高く低く、窓から流れでて水寿子たちの耳にも届けられる──そいつは殺人の動機としては弱すぎる。むしろ、異形だよ──それじゃあ、まっとうな殺人動機って何なんだ。金か女か。そんなの家庭裁判所の調停で解決すればいいだろ。わざわざ非日常的空間で見せつける代物じゃないよ──おまえが言ってるのは芸術的殺人てことか。それこそ不遜だよ──僕は、過失致死のほうが罪が重いと考えてる。うっかりミスで命を奪われるなんて、あまりにも理不尽だ。どうせ死ぬんだったら、どろどろの情念や、ぎとぎとの怨念、ぐちゃぐちゃの因縁をぶつけてほしい。それこそ、殺されても本望だっていうくらいの──どっちにしても俺はむざむざ他人に自分の人生奪われたくはないけどね──最後の言葉は小松崎のものだった。
「お母さんは、あの町に今も住んでるの」
「離れることはできないんだ、あの家から。あの人も、それからあたしも」
芝居のセリフのように、水寿子はつぶやく。サトはもう、彼女の方に顔を向けようとはしなかった。
「田嶋さん。練習、始めるぞ」
小松崎が水寿子の背中に声をかける。
「見学していく?」
サトは首を振った。
「あとで電話してって、彼に伝えて」
それだけ言うと、彼女は振り返ることなく立ち去った。そのすんなりとしたうしろ姿が見えなくなるまで、水寿子はだまって見送っていた。