ゆううつ気まぐれふさぎ猫

某ミステリ新人賞で最終選考に残った作品(華奢の夏)を公開しています。

向日葵 断片13

2009-04-30 17:09:18 | 小説
自分から話しかけることさえできずにいた彼女と親しくなったのは、おなじ高校を目指していることをお互いが偶然に知ったことがきっかけだった。
「田嶋さんも、H高志望なんだ」
そう言いながらサトは、水寿子の机に腰をのせた。
「あたし、数学がちょっとやばいんだけど、どうしても行きたいんだ。去年好きだった先輩が行ってる学校だし。だけど田嶋さんて、なんだかM高のイメージがあるなあ。だってあそこの女子の制服、めちゃくちゃ可愛いし、似合いそうだよ」
すらすらと、なんのこだわりもなく話しかけてきたサトに、水寿子もおなじ口調で応えていた。
「岡田さん、数学苦手なの」
「ていうか、数式をいちいち書くの、面倒なんだ。だって、答えがわかってるのに必要ないじゃない」
数式を何行にもわたって書き連ねることにあまり苦痛を覚えなかった水寿子は、その要領をサトに伝授し、かわりに図形問題の解き方を彼女から教わった。二人が無事合格して同じ制服で高校に通うころには、たがいの呼び名も名字から名前の呼び捨てへとかわっていた。
「母が連れてくる酒臭いオヤジなんかより、サトがつきあう男子の方が数段よかった。最初は、中学の先輩だったっけ。上手じゃなかったけど、一生懸命なのがなんだかおもしろかったな」
「だからあたし、先輩にあっさり振られたのか。手をつないで歩いただけだし。そんなあんたが椎名君を落とせないなんて、信じられないな」
「彼、特殊な性癖の持ち主なのかも」
「それは違う」
サトは即座に否定した。
「ホモのオヤジが大家の下宿にいるけど、自分は違うって、はっきり言ってくれたから」

背後の教室では、明久と小松崎がさかんに議論を交わしていた。
その声が高く低く、窓から流れでて水寿子たちの耳にも届けられる──そいつは殺人の動機としては弱すぎる。むしろ、異形だよ──それじゃあ、まっとうな殺人動機って何なんだ。金か女か。そんなの家庭裁判所の調停で解決すればいいだろ。わざわざ非日常的空間で見せつける代物じゃないよ──おまえが言ってるのは芸術的殺人てことか。それこそ不遜だよ──僕は、過失致死のほうが罪が重いと考えてる。うっかりミスで命を奪われるなんて、あまりにも理不尽だ。どうせ死ぬんだったら、どろどろの情念や、ぎとぎとの怨念、ぐちゃぐちゃの因縁をぶつけてほしい。それこそ、殺されても本望だっていうくらいの──どっちにしても俺はむざむざ他人に自分の人生奪われたくはないけどね──最後の言葉は小松崎のものだった。

「お母さんは、あの町に今も住んでるの」
「離れることはできないんだ、あの家から。あの人も、それからあたしも」
芝居のセリフのように、水寿子はつぶやく。サトはもう、彼女の方に顔を向けようとはしなかった。
「田嶋さん。練習、始めるぞ」
小松崎が水寿子の背中に声をかける。
「見学していく?」
サトは首を振った。
「あとで電話してって、彼に伝えて」
それだけ言うと、彼女は振り返ることなく立ち去った。そのすんなりとしたうしろ姿が見えなくなるまで、水寿子はだまって見送っていた。

向日葵 断片12

2009-04-29 14:35:16 | 小説
「練習、はかどってる?」
サトが声をかけてきた。

明久は、小松崎の推理を延々と聞かされている。そんな二人を横目で確認し、水寿子は教室を出た。
「いいの、今」
「大丈夫。あの二人は探偵ごっこの真っ最中だから。あたしは犯人が誰かなんて興味ないし」

梅雨の晴れ間の青空がひろがる、六月の水曜日だった。三日間降りつづいた雨を吸って、緑が目にまぶしい。廊下の手すりに並んでもたれ、水寿子とサトは中庭のあざやかな緑をしばらく見下ろしていた。
先に口を開いたのは、水寿子の方だった。
「やっぱり、気になるんだ」
「全然。ヒロインはあたしのイメージじゃないって、彼、言ってたし。どっちにしても、あたしはバイトが忙しくて遊んでるヒマなんてないんだ」
「あたしと椎名君、主演女優と演出家の関係にすぎないよ」
「それじゃあ、彼とはまだ寝てないんだ」
喫煙の習慣のあるサトがタバコを取り出して咥える。ゆっくりと、煙が吐き出された。
「あんたの趣味だもんね、高校の時からの。あたしが付き合う男子に手を出して片っぱしから自分のものにしていくのは」

背中を向けたままでタバコをふかすサトの、つややかで潔く短い髪の毛に目をあてたまま、「六年生の、六月だった」と水寿子は語りはじめた。

「あたし、傘を持って行きなさいっていう母親の忠告を無視して学校に行ったんだ。給食の時間のころから空がどんよりと曇ってきて、空気も重たく湿ってきた感じで、授業が終わるころには土砂降りの雨になってた。雨のなか、あたしは濡れながら家に走って帰った。玄関を開けると、奥の部屋から母の笑い声と知らない人の声が聞こえてきた。あたし、玄関のところにずっと立ってたんだ。母が気付いてくれるまで、ずっと、立って待ってたんだ」
強く握りしめていた手すりから指を離して、水寿子は鼻先に掌を近づけた。鉄錆のなかに血の匂いを探り当て、それを存分に堪能したあと、彼女はつづけた。
「体が冷えてきたから、あたし、我慢できずに──生温かいものが腿をつたわって──ゆっくりとそこに目を向けて、あたし、叫んでた。お母さん、早く来て、血が出てるって」
笑いを隠すため、水寿子はうつむいた。
「あわてて母はやって来て、玄関に立ちつくすあたしの姿を見て、こう言ったんだ──これであんたも、やっと子どもが産める体になってくれたって」
サトが振り返った。
「お祝いしてもらったんだ」とつぶやく。
「お祝い、してもらったよ。そのとき母といっしょにいた、どこかの知らないおじさんに。母は言ったんだ。あんたは妊娠できる体になったんだから、子どもを産まなきゃいけない。このおじさんがその手伝いをしてくれるからって」
「それって」
「うん、そういうこと」
あっさりと、水寿子は肯定した。

男の顔を覚えていたくなかったので目だけはかたく閉じていたけれど、母はそのとき部屋にいなかった気がする。

「サトを初めて見たとき、にきびの痕ひとつない、つるんときれいな肌そのままに、けがれがなくて無邪気で幸せそうで、妬むことも羨むことも忘れて、あたし、この人といつもいっしょにいたいって心の底からそう思ったんだ」
市内の別の中学に通うサトと、水寿子は学習塾の教室で出会った。
週に二回、殺風景な教室で会うだけの少女は、紺色の制服スカートで机のあいだを軽快に動きまわっていた。そのしなやかな筋肉の動きと清潔な表情をながめるだけで、水寿子は満足していた。

向日葵 断片11

2009-04-28 14:36:19 | 小説
「因縁話をひとつ、ご披露いたしましょう。親の因果が子に報い、あわれこの子はろくろっ首──のあれでございます」
ろくろっくびい、と語尾を伸ばすと同時に、明久は自らの首も伸ばしてあたりを見渡した。

「最初の犠牲者は、当主の弟夫婦の次男、光男。死体は、自分の部屋でさかさ吊りの状態で発見されました。頭を下に足首を上にしてぶらあんぶらあんと、こう申しては死者を冒瀆することにもなりかねませんが、なんとも滑稽な有様でございました。さて次の犠牲者は、当主の貴男でございます」
「その口調、なんだか丁寧すぎてうるさくないか、椎名」
唐突に口をはさんだのは、明久の学生寮時代の友人、小松崎だった。
「それにさ、死体の役を俺ひとりで持ち回りでやるのは役者が少ないから仕方ないとしても、事件の真相を語るクライマックスの部分の台本がないってのは一体どういうことだよ」
「台本は、できてるさ」
旅の僧侶役でこの劇の脚本演出を手がけている明久が、やや下向きに落としていた視線をまっすぐに起こす。

「すべての孕み女に、死を」というタイトルの脚本を、明久は春休みいっぱいかけて書き上げた。夏がおわる頃までには上演できるようスタッフを募ったのだが、因習が色濃くのこる旧家に起こった連続密室殺人劇だと知って拒絶反応を示すものが続出し、承諾してくれたのは結局小松崎と水寿子の二名だけだった。
練習には午後の授業の空いている水曜と土曜の放課後が充てられた。「さすらい劇団」と自ら揶揄するだけあって、きまった稽古場所を明久は確保することができなかった。当日の午前中に文学部一号棟の一階ホール伝言板に教室番号を記しておく。そこに二時までに集合する、ということだけ決めておいた。

今日の練習場所は、文学部三号校舎四階の一室だった。
水寿子は窓際の席にすわり、自分の登場する場面をおとなしく待っていた。
「いったい誰が犯人なんだよ。俺か、それとも彼女なのか。死体役としては、誰にどんな理由で殺されるのか知っておく権利があると、俺は思うな」
「だけどそれじゃあ、迫真の演技は期待できないだろ」
「おまえ、わざと台本を渡さないんだな」
明久は、その問いには笑って答えなかった。

台本を手に、水寿子は舞台中央にすすみ出た。
「お母さま、ご覧になりまして、この馬鹿馬鹿しい醜態を。ああ、どうしましょう。あたくし、笑って笑って笑い死にしそうですわ」
ここで水寿子は、自分の部屋でなんども練習した成果を披露した。夏みかんの袋をむく要領だと気付いたのは、ごく最近のことだった。全身を、内臓までも裏返しにして、あたりいちめんに笑いを飛び散らすのだ。
狂気じみた高笑いが、しばらく響きわたった。
「ざまあみろ、だわ。お母さまをないがしろにした罰だわ。バチが当たったのよ。みんなで寄ってたかってお母さまを死に追いやった、そのバチが。ああ、お母さま、どんなにか悔しかったことでしょう。お腹の子どもの始末を、ここにいる鬼のような女たちに強要され、それで結局、みずから命を絶たれてしまわれた、お母さま──」
水寿子はひざまずいた恰好のまま手のひらを下に向け、指先からしたたり落ちる見えない液体に目を凝らす演技をつづけていた。
「だけど、あたくしもずいぶんとお母さまに叱られたわ。言うことを聞かないからって、竹の棒でひどくぶたれたり、階段から突き落とされたり。一晩中、木に縛りつけられたこともあったわ。あのころはお母さまのこと恨んだけれど、でも今となっては感謝しなければならないわね。だってそのおかげであたくし、容疑者のリストに載らなくてすんだんですもの。こんな体のあたくしに、いったいどうやって殺人が犯せるというのかしら」

「そう、彼女には、絶対に犯行は不可能だ。目も見えず、おまけに両足が不自由で立って歩くこともできないんだからな」
小松崎が断言した。

水寿子は床についていた両手を持ち上げ、体を起こした。窓のひとつに、サトの顔がのぞいている。目が合うと、サトはかるく手を振った。

向日葵 断片10

2009-04-23 14:20:25 | 小説
話はまだ、つづきます。

娘のすがたが両親とともに消えてから一年ばかりたった、ある秋の夜のことでした。月明かりの下を、ひとつの影が山道をのぼっていきます。人影は、山のうえに立つお屋敷へと向かっていきます。
戸口に立って主人の名を呼び、そうして現われた人物になにかを手渡します。
老婆はだまってうなずき、娘からそれを受け取りました。

村で評判の器量良しの娘がお屋敷の主人に手渡したのは、真新しい産着にくるまれてすやすやと眠る、女の赤ん坊でした。

***

女の髪を短く切りそろえると、水寿子は、矯めつ眇めつその出来映えを確認して、ようやく満足の笑みを浮かべた。
「そうね。やっぱりあなた、母親のほうに似てるのね」
暑くて長い夏の一日もやがて終わろうとしているのに、昼間の光の残滓がそこらにまだ漂っているようで、なんだか息苦しい。髪を短くした女は、だらしなく畳の上に両脚を投げ出した。
「早くしないと、もう間に合わないよ。しんどくって、たまらないんだから」
切り取った髪の毛を片付け、水寿子はゆっくりと立ち上がった。眼差しだけで女に合図を送ると、部屋を出て、黄色い照明がぼんやりと灯る長い廊下を進んだ。
どっこらしょ、と勢いをつけて、女も立ち上がる。さきに歩く水寿子の紫色の背中が黝み、闇に溶けて見失いそうになる。それでも女は無理に足を速めようとはしなかった。
水寿子が、明かりのついた部屋の前で足を止める。わずかに障子を開け、部屋の中に声をかけた。
「お母さん、行ってきますから」
それだけ伝え、障子をぴしゃりと立て切って母親の声をさえぎる。振り返り、追いついてきた女のすがたを確認すると、水寿子はふたたび廊下を進んだ。

儀式に必要な道具は、出入り口とは反対側の、納屋がわりにしている土間のところに用意していた。女の背後にまわり、水寿子はその道具を女の背中に装着してやった。女はバランスを崩して、少しよろめく。
「始めるまえから転んで、どうするの」
屈んで、女の足首にしっかりと草履の紐を結わえつけてやって、ついでに水寿子はそのあたりを飛びまわる蚊を一匹、叩き殺した。

ふたつの影が、ゆるやかな坂を上っていく。草叢のどこかにひそんでいる虫の声なのか、地面をはう呻き声にも似た音が二人の足音を消してくれた。
反物のかわりに使い古しの座布団を三枚くくりつけたしょいこを背負ったまま、女は嫁転がしの坂を慎重な足取りで下っていった。
坂の上には、水寿子のまっすぐな影がいつまでも動かなかった。

向日葵 断片9

2009-04-22 14:45:08 | 小説
「嫁転がしの坂の話」より

ある夏の夜のことでした。
坂をのぼる、ひとつの影がありました。背中にしょいこを背負い、はあはあと苦しそうな息をしているのは、まだ年若い女でした。
背中の荷物は、大きな袋でした。袋のなかみは、畑でとれたイモや豆、それから魚の干したものでした。女は夫の母親に言いつけられてこの坂をのぼっているのでした。

女が向かっているのは、坂をのぼったところにある大きなお屋敷でした。
星明かりしかない、ほとんど真っ暗な夜の道を、虫の声だけを聞きながら、女は一歩一歩ふみしめるように坂をのぼっていきました。
ようやくたどり着いたお屋敷の勝手口で、女は主人の名を呼びました。出てきたのは、一人の老婆でした。女が自分の名を告げると、老婆は黙ってうなずきます。なにもかも承知しているといった、ゆっくりとした動作でした。

老婆は女から、背中の荷物を受け取りました。袋のなかみを確かめ、それから女にそこで待っているよう言います。女はしゅうとめから、お屋敷のご主人さまの言うとおりにするよう命じられていたので、素直にそこに立って待っていました。
やがて老婆がもどって来ました。手に反物をいくつか抱えています。青い、ふだんの着物にするような木綿が三つ、そして、女が嫁入りに持ってくることさえできなかったような、絹の反物がひとつ、老婆の手から女に渡されました。
「おなかの赤ん坊が女の子だったら、その絹の反物を着物に仕立てて、嫁入りのときに持たせてやりなさい」
老婆のことばに女はなんども礼を言い、反物をしょいこにくくりつけてお屋敷をあとにしました。

女は、いっそう暗くなったような気のする夜道を、慎重に下りていきました。夫と四人の子どもと、それからしゅうとめの待つ家へと帰るために、一歩一歩、坂を下りていきます。
足下では、虫が鳴いています。山の奥では、鳥がするどい叫び声を上げています。女はしだいに恐ろしくなってきました。そうして、知らないうちに坂を下りる足の動きも早くなってきました。
気持ちがあせります。早くうちに帰って、このみごとな反物をみんなに見せてやりたい。どんなにみんな驚くことだろう、そう思いながら、女は道を急ぎました。

ところが──

耳元でバサリと音がしたとき、びっくりした女の体は大きくひとつもんどりうって、背中の荷物ごとそのまま坂を転げ落ちていきました。
翌朝、いつまでたっても戻ってこない女を心配して夫がさがしに来たとき、女は血を流して坂道のとちゅうに倒れていました。

女は足を怪我しただけでしたが、おなかの中にいた赤ん坊は死んでしまいました。

「きりょうよしの娘の話」より

娘は、村でも評判の器量良しでした。
男たちは、娘がほんのすこし自分のほうに顔を向けただけで足を止め、にっこり笑いかけられたりしようものなら、娘の望みをなんでもかなえてやろうとするのでした。そして娘は、それが当然のことだと信じて疑うことはありませんでした。

そんな娘が、網元の息子に見初められました。息子にせがまれた網元の家では、嫁にほしいと娘の両親に申し入れたのです。
父親と母親は大喜びでしたが、娘はなんだか浮かない顔をしています。網元の家に嫁ぐのがそんなにいやなのかと父親が問いつめます。決してそうではない、と娘は答えます。それじゃあ、どうしてそんなに沈んでいるのかと母親が問うと、娘は、わっとばかりに泣き伏してしまいました。

母親は事情を察しました。そうして娘に、山のうえのお屋敷まで使いに行くよう命じたのです。
わけがわからないままに、娘は母の言いつけどおりお屋敷へと向かう坂道をのぼっていきました。背中にしょいこを背負い、腰には母から渡されたなけなしのお金が詰まった袋を下げています。
お屋敷につくと、ひとりの老婆が娘を待っていました。老婆は娘から金を受け取ると、だまって屋敷の奥へと姿を消しました。しばらくして、反物を手にして老婆は戻ってきました。
「ひとつはおまえの嫁入り衣装、ひとつは網元の母上さまに、最後のひとつはおまえの腹のなかの赤子の産着に」
それだけ言うと、老婆はにこりともせずに娘に背を向けてしまいました。

娘は坂を下って、家に帰りました。暗い夜道の足下に用心しながら、それでも無事、自分の家にたどり着いたとき、娘を出迎えた母親はなぜかそのまま泣き崩れてしまいました。
「あんたはもう、網元に嫁ぐことはできんようになってしもうた」
そう言って、母親はただ泣くばかりでした。

それからしばらくして、娘の一家はだれにも告げることなく、村から出て行ってしまいました。

話はまだ、つづきます。