ゆううつ気まぐれふさぎ猫

某ミステリ新人賞で最終選考に残った作品(華奢の夏)を公開しています。

第四章 14

2015-10-31 20:34:24 | 華奢の夏 第四章
 シーツをめくられたベッドの上には、彼女の姉、大野木真名の頭蓋骨と、一冊のノートが置かれていた。
 あやは頭を起こし、背後に顔を向ける。視線の先には鏡があった。彼女が肩を揺らしたり首を振ったりするたびにその面に影が流れる。斜めに流した前髪と耳が隠れるくらいの長さに切った無造作な髪形は、角南を真似たものだった。その顔に微笑みかける。
「ここは、離れがあった場所にこしらえた、あたしの部屋。おばあちゃんはもういないけど、あたしはこの部屋で、誰にも邪魔されずにお兄ちゃんが目覚めるのを待ってた。お兄ちゃんのノート、何度も繰り返し読んだよ。大学での事件から大野木の家にやって来た経緯、ここで起こった殺人事件の犯人とその真相。そして、お兄ちゃんの放浪の日々も綴られてて、おもしろかった」
 ベッドにのせられた頭蓋骨の、やや黄ばんだ表面に彼女は目を凝らす。その傍らに腰を据え、左手を伸ばして骨の感触を確かめてみる。すっかり摩滅して光沢を帯びた表面が指先に心地よい。岡崎の掌で幾度となく愛撫され、サラの手を経て角南へと渡り、そして今はあやの慰みものとなっているしゃれこうべだった。
「お兄ちゃん、本当は医者になりたかったんでしょ。あたしがお兄ちゃんの夢を叶えてあげる。その代わり、お願いがあるんだ。イサクがもうすぐ戻ってくる。あいつが沈黙の代償に何を要求するのかお兄ちゃんにもわかるよね。お兄ちゃん、イサクを始末してくれないかな。あたしの肉体がそれを実行したとしても、殺意がお兄ちゃんの方にあれば、あたしたちを罪に問うことは難しいよね。だってあたしには殺そうという意識がまったく存在しないんだから」
 こみ上げてくる笑いを抑えることができないのか、彼女は小刻みに肩先を震わせる。揺れる全身を支えるため、ノートを取り上げ胸にしっかりと抱えた。
 からからと、乾いた音が断続的に聞こえる。換気扇の回転につれて白く浮かびあがった光の帯も回る。彼女はふたたび鏡の中に視線を当てた。そこに映し出された眼差しは角南真守のものだった。
「あの人に会ったよ。大学の近くに、店を開いてた」
 そう言いながら立ち上がり、角南のもとへと足を運ぶ。頬を寄せる。ひんやりと冷たい。
 鏡に横顔を押しつけたまま彼女は続けた。
「コロボックル、石井千晶──覚えてるよね、彼のこと」



          *



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何ですと?
例のシリーズが遂に映像化ですって。
冷徹で猫好きな准教授さまと、友人で語り手の作家のコンビが事件を解決する、本格ミステリが?

よく響くバリトンの声の持ち主の名探偵、それはもう声の素敵な方でなければ許しませんよ。

というマニアにも納得の配役ではないでしょうか。

彼の声、以前からひそかに注目していたのです。
深くて、湿っていて、まさに苔緑色です。

楽しみだなあ。


と、腐女子のひとり言でした。


パーティー

2015-10-30 20:40:18 | 雑記
今日は、某所で、某賞の受賞パーティーが開かれております。

そんな私はシンデレラ。

パーティーに着ていくドレスを持っていないの。


なんてわけ、ないだろ。
魔法使いの老女になって飛んで行ってやるか。


中二病ですが、何か? と、言ってみる。

とりあえずの備忘録。




第四章 13

2015-10-28 11:51:00 | 華奢の夏 第四章
 呼吸が整うのを待ってから、彼女は口を開いた。
「四年前のあの夜の会話、あたし、聞いてたよ。お兄ちゃんはあの男に、自分を助けてくれたこと感謝していた。だけどあれは、高校時代の数学教師のことを言ってたんじゃなかったんだね」
「せっかく僕たちが封印していた秘密を、木戸さんは、こじ開けてしまった」
「その代償として、生涯の伴侶と決めていた男を失うことになった。自業自得だよ」
 笑い声が部屋いっぱいに広がる。背中を大きくのけぞらせ全身を揺すって笑いながら、彼女は乱れた前髪を左手で掻きあげた。
「ねえ、どうしてお兄ちゃんは、あの男の犯行だと見破ったの」
 しばらくの沈黙のあと、低くかすれた声がつぶやく。
「人形の、首です」
「それって、転落の衝撃で胴体から外れたんだったよね」
 かるい調子で答えると、彼女は角南の声を待った。
「岡崎は人形を抱えるようにして死んでいました。人形がほとんど無傷だったのはそのためです。だけどなぜか頭部だけが胴体から離れていた。ネジが、緩められていたんです。誰かの、作為で」苦しげに吐き出された声だった。
 両脚を大きく広げて腰を下ろし、彼女はその声に耳を傾けていた。
「あの夜、人形を屋上に運んだのは香田さんでした。だから僕は彼女が──そう思い込んでました。けれど彼女の仕業じゃなかった。あのネジは特殊な構造のもので、そのことを知らなければ緩めることは難しい。あれは僕が、左利き用に作っておいたものだった」
「その条件にあてはまる人間が一人だけいる。あの頃お兄ちゃんと同じ部屋で寝起きしていたあの男──」
 口元に笑いを残したまま、彼女は言葉を継いだ。
「人形の、首──お兄ちゃん、言ってたよね。岡崎という男の性癖のこと。人形の首が彼にとってどんな意味を持つのか、お兄ちゃんの話で梶本は知った。同時に、自分の犯罪が見抜かれているんじゃないかという疑心も生まれた。その瞬間から彼にとってお兄ちゃんの存在が脅威となった」
「君が、仕組んだんだ」大きく息が洩れる。
「あいつが本当に、僕に殺意を覚えるかどうか、試したんだ」
「あたしが?」
 彼女は声を荒らげ、ベッドから腰を上げる。おもむろに枕をつかみ、それを両手で高く掲げた。
「黙れ。だまれだまれだまれだまれだまれだまれ」
 息の続くかぎり何度も強くベッドを叩く。そうしてシーツを乱暴に剥ぎ取った。
「仕組んだんじゃない。あたしはただ、あの男にチャンスを与えただけ。あの男さえ現われなければ何も起こらなかったのに。あたしは、お兄ちゃんを自分だけのものにしたかった。それなのにあいつ、のこのこお兄ちゃんに会いに来たりして。あたしからお兄ちゃんを奪おうとするあの男が許せなかったんだ。あんなヤツ、いなくなっちゃえばいいのにって、心の底からそう思った。だけどあたし、もっといい方法を思いついたんだ。お兄ちゃんを永遠に、自分だけのものにしておく、これ以上ないくらいの、名案」



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パソコンがご機嫌斜めになりまして、数日、更新ができませんでした。

十三夜の月の美しさとか、菊の香りとか、嵐が過ぎて冷え込みも始まりましたよとか、玄関先に置かれた段ボールミカンのこととか、そんなことをつらつら綴りたかったのですが……


お読みいただいて、ありがとうございます。


 

第四章 12

2015-10-23 19:36:15 | 華奢の夏 第四章
 あやは大きく頷いた。
「日本に一時帰国した姉さんのことをどこかで聞きつけたのか、わざわざ婚約の報告をしに来たあの女の、得意満面な鼻先にその事実を突きつけてやったって、手紙にそう書いてある」
 そうしてゆっくりと煙を吐き出し、声を出さずに笑った。
「あんたが結婚しようとしている男は犯罪者かもしれない、その可能性をほのめかすことで、姉さんはあの男を奪い取った」
「香田さん、そんなにも梶本のことを──迂闊だったな」
「お兄ちゃんに盗られるのならまだ納得できるけど、あんな女に負けるなんてプライドが許せなかったって、姉さん、正直に告白してる」
 かすれた笑い声が響く。
 煙草を一本吸いおえ、彼女はそれを灰皿に押しつけた。
「はっきりとした証拠があるわけじゃない。けれど、疑惑は決して消えない。検察官として法律にのっとって他人を断罪する立場にある彼女が、罪を犯したかもしれない人間を伴侶として選ぶことは到底できない。姉さんはそう踏んで勝負に出た。そうして見事、梶本正彦という男を手に入れた。その手腕、おなじ血を引く姉妹として誇らしいよ」
 彼女はチョコレートをひとかけら口に放り込む。
「だけど、動機は」
 ふたたびベッドに腰を下ろした彼女を待っていたように、彼の声が問うた。
「梶本が僕を突き飛ばした、その理由は」
 青い箱をもてあそびながら、「理由、か。いいじゃない、どこにでも転がってる、動機なき犯罪ってことで」そっけない調子で彼女は答える。
「あやちゃん、君は手紙を──梶本がやって来たとき、机の上に置いていた石井さんからの手紙を持っていったね」
 彼女は二本目の煙草に火をつけた。吐き出された煙は、緑の葉陰が揺れる窓の外へと流れていった。
「石井さんの手紙を読んで、あやちゃん、君は知ったんだ。あの事件の真相を」
「うん」あやは小さく頷きかえす。
「そうか──君は、いったい誰が岡崎の命を奪ったのか、その犯人の名を知った。だから、あんなことを──僕はあの頃、岡崎に漠然とした殺意を抱いていた。だけどそれは、言葉にすると卑怯だけれど、誰かがうまく始末してくれないかな、という程度のものだった。そしてもう一人、母親と姉の死に岡崎が深く関わっているんじゃないかと疑念を抱いていた香田さんも、彼に殺意を秘めていた。僕とちがって、彼女ならきっと躊躇することなくやり遂げるだろう、そのためにどんな協力も惜しまない。そう考えていた。僕たちは互いの動向を探りながら獲物を追いつめていく同士だった。そのはずだったのに、だけど、結局、とどめを刺したのは──」
 そこで激しく咳き込んで、何度も大きく喉が鳴る。ゼイゼイと苦しげな息を繰り返す声の代わりに、彼女があとを継いだ。
「とどめを刺したのは、殺意のかけらも持ち合わせていない、あの男、梶本だった」



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今年は柿が豊作で、毎日最低二個はかじってます。

少し硬めの、歯ごたえのあるのが好みです。

だけどくれぐれも食べすぎにはご用心。

母は覿面、お腹を壊しました。


今度、柿サラダを作ってみましょう。



今日も目を通して下さって、ありがとうございます。
楽しんでいただけたでしょうか。





第四章 11

2015-10-19 21:08:53 | 華奢の夏 第四章
 封筒の中身を取り出しながら、あやは笑い声を洩らした。
「あの男、別に付き合っていた女がいたんでしょ。木戸っていう名前の、検事志望の女。その彼女を捨ててどうして姉さんといっしょになったのか──そのいきさつを説明するには、お兄ちゃんの事故の真相も暴かなきゃならなくなる。それでもよかったら教えてあげる」
「事故の、真相──」
「そう。いったい誰がお兄ちゃんを線路に突き飛ばしたのか、ということ」
「だけど、あれは」
 口ごもる、その合い間に彼女は小さくうなずいた。
「うん。あれは、イサクにそそのかされた和夫の仕業ということで、もうとっくに決着がついてる。警察も、それから裁判所も、友人の梶本正彦を助けようとしたお兄ちゃんが身代わりになって列車に轢かれたと判断した。だけど姉さんはその結論に異を唱えた」
「香田さんが──一体どうして──」
「あのときの位置関係をもう一度確認しておくよ」そう言って彼女は便箋をめくる音をさせた。
「プラットホームに向かって走るお兄ちゃんから見て、梶本が右の線路側、和夫がその背後に立っていたんだから左にいたんだよね」
 彼女はかたわらに視線を向ける。その呼吸は静かなままだった。
「そんな状況で危機を回避するため取るべき手段としては、被害者ではなく加害者を排除するのが有効なはず。それなのにどうして、本来の被害者である梶本の代わりにお兄ちゃんが和夫に突き飛ばされる結果となってしまったのか。警察は、とっさのことに動転して左側の加害者ではなく右側の被害者を誤って押してしまったんだと判断したけど、それってお兄ちゃんの運動能力を見くびった杜撰な結論だよね。だってお兄ちゃん、左利きなのに」
 立ち上がり、彼女は部屋の窓を開けた。厚い布地のカーテンが風を孕み、木々の匂いを運んでくる。ウツギ、コデマリ、ジンチョウゲ、イチジク、ムクゲ、トサミズキ。けれどサルスベリの木はあれからもう植えられることはなかった。
 窓枠にもたれ、彼女は続けた。
「お兄ちゃんは、左利きだった。たとえ瞬間的な判断であっても、お兄ちゃんが突き飛ばすのは向かって左側の人物のはず。だけど、現場の状況では右側に位置する被害者が入れ替わっている。この矛盾をどう説明すればいいのか──姉さんはこう推理した──入れ替わったのは被害者ではなく、加害者の方だったのだ、と」
「入れ替わったのは、加害者──つまり、僕を突き飛ばしたのは、和夫という少年ではなく──」
 左手を何度か振って、彼女はその声をさえぎった。
「お兄ちゃん、あたしが小学生の時、明神井戸の由来をおばあちゃんから聞いて、部屋の入れ替わりは遍路の策略だったかもしれないと推理したよね。遍路が自分の代わりに娘を被害者にさせようとしたんじゃないかって。だけどあたしは、娘を殺したのは高遠の家の主人ではなく、遍路自身じゃなかったのかと今でも思ってる」
 咥えた煙草に火をつけると、彼女はつよく煙を吸い込む。
「そのことを香田さんは、木戸さん本人に」
 苦しげな声だった。



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猫のふかふかの毛並みは、秋冬の必需品ですね。

必需品といえば、紅茶、コーヒー、チョコレート。
特に寒くなる季節には手放せません。

手ごろな値段で手に入りやすいもの、それで充分幸せな気分になれます。

黄色い缶のリプトン。明治の苦いチョコレート。
コーヒー豆はスーパーマーケットの既製品。


かつて、粋がっていた頃、煙草を嗜んでいました。

ゴロワーズとかキャメルとか。

そんな時代もあったのさ。