赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

瀬戸内中年彷徨団(6)

2010-06-08 00:44:43 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回からのつづき)

さて丸亀城。標高66mの山の頂上に聳え立つ城ということで、いきなり急な坂を登ることになって息も絶え絶え。しかしそこにはこんな見事な石垣が待っていてくれた。「お城まつり」感もそれなりに。



太閤秀吉の時代、讃岐に移された生駒氏によって、もとは高松城の支城として築城されたものがそもそもの始まり。その生駒氏は関ヶ原で父が豊臣方、子が徳川方に別れて戦ったのだとか・・・。で、家督は息子が継いだと。その後丸亀城は一国一城令で一時廃城になったものの、生駒氏が改易になり、讃岐国が東西に分割され、西讃岐には山崎氏が封じられた。



山崎氏は幕府の手厚い支援を受けて丸亀城を再建した。その山崎氏は跡継ぎがなく3代にして断絶。その後播磨から京極氏が移ってきたとのこと。この延寿閣は江戸にあった旧京極家の別邸を移築したもの。



ご覧の眺望。



丸亀城は全国に12ある現存天守のうち、もっとも天守が小さいらしいのだが、他方、石垣の総面積では江戸城を除いて全国No.1なんだとか。石垣担当としては見ごたえ抜群でありました。



三段に及ぶ石垣は、それにしても見事な曲線美を披露してくれている。「扇の勾配」と称されるんだとか。



二の丸のところにあった井戸。よくある話だが、脱出するための地下道に繋がっていたという伝説もあるのだとか。



(つづく)

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