村上春樹を英語で読む

なぜ、こう訳されているのかを考える。

「ボランティア」は「勝手気まま」?

2015-11-30 18:42:48 | ことばの意味を実感する
『大辞泉』で「ボランティア」を引くと次のようにあります。

《志願者の意》自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人。

英語でvolunteerですが、もともと17世紀ごろには「志願して軍務につく人」の意味を持っていました。アメリカのテネシー州には「志願兵の州」というニックネームがあります。英語でVolunteer Stateです。
 ところが、よく似た綴りのポルトガル語のvoluntariosoは「気ままな」です。自分の意思で物事を行うのですから、「気ままにやる」の意味が出てきても不思議ではありません。 
 あるポルトガル語・英語辞典ではこの語にcapriciousの訳語を当てています。そのcapriciousを『プログレッシブ英和辞典』で引くと、「〈人・行為が〉気まぐれの,移り気な」とあります。
 ヨーロッパの言語間では、このようなことが良くあるので、似たような語だから、似たような意味だろうと考えてはいけないのでしょう。日本語の「手紙」と中国語の「手紙」の例もあります。
 

apologizeとapologist

2015-11-30 12:35:11 | ことばの意味を実感する
英語のapologizeを『プログレッシブ英和辞典』で引くと次のようにあります。

1 (人に)わびる,謝罪する((to ...));(過ち・無礼などを)あやまる((for ...))
2 (口頭または文書で)正式に弁明する,弁護する.

私たちは1の意味でこの語を理解していますが、2はあまり意識していません。ところが、apologistという語があり、同辞書には次のようにあります。

1 (…を)(口頭または文書で)弁明する人;(信仰・主義主張などを)弁護する人((for ...)).

つまり、上の2の意味に基づいて「弁明する人、弁護する人」になっています。
 考えてみれば、「謝罪」とは「謝って許しを請う」ためにすることで、「弁明」も「弁護」も「言い訳をして許しを請う」ことで、結局同じようなことであると言えます。
 語源的にはapoが「離れる」でlogiの部分が「言葉(logos)」ですから、「言葉を用いて逃れる」のような意味ではないかという気がしますが、そこから、「わびる」にもなるし「弁明する」にもなるわけです。
 しかし、いくら同じようなものだと言っても、 Apology of Socratesを「ソクラテスの謝罪」と訳すわけには行かないのでしょう。

「その」がthisと訳されている場合

2015-11-30 12:06:02 | 村上春樹を英語で読む
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に次のような箇所がある。下はその英訳である。

大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた。その間に二十歳の誕生日を迎えたが、その刻み目はとくに何の意味も持たなかった。
From July of his sophomore year in college until the following January, all Tsukuru Tazaki could think about was dying. He turned twenty during this time, but this special watershed—becoming an adult—meant nothing.

これは、小説の冒頭部分の語り手による文であるが、「その間に」がduring this timeと訳されている。また、「その刻み目」がthis special watershedと訳されている。
 つまり、英訳では、直前の文の内容を受けてthisが用いられているが、原文はその場合に「その」が用いられているのである。
 この場合、原文の「その」を「この」に変えるとどうなるであろうか?筆者の読みでは、「この間」や「この刻み目」とすると、「文章」における「直前」ではなく、「事実、事態」における「眼前」を表すようになるのであるが、いかがであろうか?

「用事のない限り」と「用事のあるとき」

2015-11-30 11:30:49 | 村上春樹を英語で読む
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に次のような箇所がある。下はその英訳である。

用事のない限り誰とも口をきかず、一人暮らしの部屋に戻ると床に座り、壁にもたれて死について、あるいは生の欠落について思いを巡らせた。
He only spoke to people when necessary, and after school, he would return to his solitary apartment, sit on the floor, lean back against the wall, and ponder death and the failures of his life.

「用事のない限り誰とも口をきかず」がHe only spoke to people when necessary(必要なときだけ人と口をきいた)と訳されている。
 原文を英訳のように「用事のあるときだけ口をきいた」とすると、素直過ぎるか?言い換えれば、英訳は「素直」なのである。
 しかし、次例参照。これは『グレート・ギャッツビー』の原文と三人の訳者の翻訳比較である。(1)が村上春樹訳である。

Don’t let that waiter take away my coffee!
(1)コーヒーはそのままとっといてくれよ!

(2)あのボーイにおれのコーヒーを片づけさせるなよッ!(野崎孝訳)

(3)まだコーヒーを片づけさせないでくれ。(小川高義訳)

村上訳は素直ではない?

『グレート・ギャツビー』翻訳比較(18)

2015-11-29 18:06:15 | 村上春樹を英語で読む
『ギャツビー』の過去の記事を何人かの方にご覧いただいているようで、ご注意がてら、続きを。
 もし論文等で引用をされる場合は、それぞれ原著にあたってご確認をお願いいたします。私の側の引用ミスがあると思いますので。

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(81)Here’s another thing I always carry.
もうひとつ、私が肌身離さず持ち歩いているものがある。(村上)

これはもう一つ、ぼくが肌身離さず持っているものですが。(野崎)

もう一つ、いつも持ち歩いているものがあるのですよ。(小川)

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(82)I saw him opening a chest of rubies to ease, with their crimson-lighted depths, the gnawings of his broken heart.
癒えることのない心痛をやわらげるべく、ルビーの詰まった宝石箱を開け、その緋色の光の深みを愛でる彼の姿が目に浮かんだ。(村上)

ルビーの箱を開いて、その深い深紅色の輝きに、失意の胸の痛みをやわらげようとしているギャツビーの姿が髣髴とする。(野崎)

引き出しを開ければルビーのコレクションが深々とした赤い光沢を放っていて、ギャッツビーの心の苦悶をいくらか癒してくれたのかもしれない。(小川)
(コメント)
小川はchestを「引き出し」ととっているが、「[2](ふた付きの頑丈な)大箱, ひつ; 道具箱; 茶箱[3]=CHEST of drawers(→複合語)」『新グローバル英和辞典』ではないか。

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(83)You see, I usually find myself among strangers because I drift here and there trying to forget the sad thing that happened to me.
ごらんのとおり私はおおむねいつも、見知らぬ人々のあいだに身を置いている。ひとところに身を定めることなく、あちらこちらと移ろって暮らしてきたからだよ。過去の切ない出来事を忘れようとしてね。(村上)

ご承知のとおりわたしは、自分の身にふりかかった悲しいできごとを忘れようとあちこちさまよい歩いているものですから、いつもまわりは他人ばかりということになりましてね。(野崎)

たしかに、あまり知り合いの多い人間ではありません。昔の悲しみを忘れようと、あちこち漂流して暮らしておりますので、どこへ行っても知らない人ばかりということになる――。(小川)
(コメント)
(村上)(小川)はto meを訳出していない。
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(84)I was sure the request would be something utterly fantastic and for a moment I was sorry I’d ever set foot upon his overpopulated lawn.
その頼みが通り一遍のものではあるまいということについては、いささかの確信があったから、ギャツビーの屋敷のにぎやかな庭園に足を踏み入れたことを、僕はその瞬間悔やむことになった。(村上)

「お願い」というのは、きっと、何かとてつもないことだろうと思って、ぼくは、彼の人口過剰の芝生に足を踏み入れたことを一瞬後悔した。(野崎)

どんな「お願い」をされるのか、とんでもないことになりそうで、こうと知っていたらパーティ客でごった返す芝生の庭などへ出ていくのではなかったと恨めしくなった。(小川)

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(85)With fenders spread like wings we scattered light through half Astoria—only half, for as we twisted among the pillars of the elevated I heard the familiar ‘jug—jug—SPAT!’ of a motor cycle, and a frantic policeman rode alongside
フェンダーを翼のように広げ、アストリアの半ばまで、我々は光をまき散らしながら進んでいった。そう半ばまでだった。というのは、高架鉄道の支柱のあいだを身をねじるように進んでいるときに、あのお馴染みの「ぱた・ぱた・ぱた」というオートバイのエンジン音を耳にしたからだ。そしていかつい顔つきの警官が車のわきにぴたりとついた。(村上)

フェンダーを翼のようにひろげ、光をまき散らしながら、ぼくたちの車はアストリアを途中まで走り抜けた――途中までである。というのは、ぼくたちが高架線の支柱のあいだを縫うように走って行くと、あの耳なれた「ド、ド、ド、ドッ」というオートバイの音が聞えて、いきり立った警官の姿が横に現われたのだ。(野崎)

大きな自動車はフェンダーを翼のように広げて反射光をまき散らしながら、アストリア近辺を走り抜けた。いや、その半分ほども行ったろうか。高架鉄道の支柱をくぐっていると、あのドドドドッという音を響かせるオートバイの警官が、がむしゃらに追いついてきた。(小川)