住めば公園風田舎町

「住めば都」と言われるがわたしゃ田舎の方がいい。町全体が公園のようなそんな田舎町に住みたい。

413 「もしも、徐福が日本に来ていたら」 (77)

2007-07-25 12:19:39 | もしも、徐福が日本に来ていたら

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413 仲哀天皇と神功皇后(6)


▲08仲哀天皇八年(己卯199)正月己亥《廿一》◆己亥。到儺縣。因以居橿日宮。

AD319年儺縣(なのあがた)に至り、橿日宮(かしい)の宮に居(きょ)す。
崗県(おかあがた)、伊覩縣(いとあがた)、儺縣(なのあがた)が出てきた。
崗県(遠賀郡あたり)、伊覩縣(糸島郡辺り)、儺縣(福岡市あたり)だ。

橿日宮(かしい)は、現在の香椎。福岡市の中心からはかなり東の方に離れている。


●08仲哀天皇八年(己卯199)九月己卯《五》◆秋九月乙亥朔己卯。詔群臣以議討熊襲。
時有神託皇后而誨曰。天皇何憂熊襲之不服。是膂宍之空國也。豈足擧兵伐乎。愈茲國而有寶國。
譬如處女之(目ヘンに緑のツクリ)。有向津國。〈■。此云麻用弭枳(まよみし、まよびき)。〉眼炎之金銀彩色多在其國。是謂栲衾新羅國焉。
若能祭吾者。則曾不血刄。其國必自服矣。復熊襲爲服。

香椎に来て8ヶ月、旧暦の秋九月は新暦の10~11月になる。
群臣に詔(みことのり)して、以って熊襲(くまそ)を討つを議す。
時に皇后に神託ありて誨(おし)えて曰(いわ)く、天皇何ぞ熊襲の服せざるを憂う。これ膂宍(りょじく、骨と肉、兵力のこと)の空なる国なり。
兵を挙げて伐(ば)っするに足らず。
この国に勝(まさ)って宝を持つ国在り、譬えれば、処女の(目ヘンに緑のツクリ、まよみし、まよびき)の如し。
向津国(むかつくに、海の向こうの国)あり。其の国に目を見張る金銀彩色あり。これは新羅の国の栲衾(たえふすま)を謂ったもの。
若し吾を祭れば、すなわち、血の刃を見ることなく、其の国必ず自ら服する。熊襲また服すなり。

熊襲とはどういうものだったのか?
熊襲という種族を言ったものか、大和朝廷に従がわぬものを言うのか?
一応、大和朝廷に従がわぬものとしておこう。
この熊襲が税金を納めないとしたのは、独立を表明したものである。
熊襲は九州の中に相当の勢力を持っており、大和朝廷の支配する国と対等であることを表明したのである。
guuchanは、これも徐福集団の一部であり、神武東征の時、九州に残った人たちで、九州の有力な領土を治めていたものと思われる。
そして、それが新羅と手を組んでいたという説もある。
有り得ることである。
guuchanは百済も新羅も任那も、徐福集団の一部だと思っている。
それらが、天皇家を中心とする大和朝廷に皆服するのか、それぞれは対等なのだと思う人たちとが居たであろう。
新羅も税金を取られる(朝貢させられる)ことへの不満があったから、熊襲勢力と組んで、独立を守ろうとしたのであろう。
どちらが働きかけたか?
新羅は熊襲をそそのかしたかもしれない、熊襲は新羅の力を過信し、いざという時は、大和朝廷と戦うだろう。
これと組めば、大和朝廷と対等の勢力を保ち、並立するだろうと考えたかもしれない。

神功皇后の神託は、それを見破ったもので、熊襲を討っても何にもならない。
これを支援している、あるいは同盟を結んでいる新羅を討てば、財宝も手に入るし、熊襲は戦わずして下るという、優れた戦略だった。

熊襲を討つという話しが急に新羅を侵略しようという話しに取って代わるのだから奇異な感じがするが、背景がそういうものだとするならごく自然である。

戦争も喧嘩も常にこういうものだ。
二者の間で争いがあると、弱い方は、他の敵の敵と組もうとする。
こうして、小さい喧嘩に大勢が巻き込まれていく。