さいごのかぎ / Quest for grandmaster key

「TYPE-MOON」「うみねこのなく頃に」その他フィクションの読解です。
まずは記事冒頭の目次などからどうぞ。

■TYPE-MOON関連記事・もくじ■

2024年03月02日 23時14分27秒 | ■TYPE-MOONもくじ■
『うみねこのなく頃に』についてはこちらへ
『ローズガンズデイズ』についてはこちらへ

■TYPE-MOON関連記事・もくじ■

 現在、■特集■ ■「月姫リメイク」■ ■TYPE-MOONの「魔法」■の3シリーズを掲載中です。


■特集■
 特集記事です。

●魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか
 投稿日:2023年7月15日
 固有結界を実現している魔術理論“世界卵”というものがあるとされています。
 それはいったいどういう理論なのか、どうして内と外の入れ替えが可能なのかについて、森博嗣を例として考えを説明します。


●FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)
 投稿日:2023年10月15日
「置換魔術」という理論が作中にあります。
 この理論でいちばん容易に置換可能なものは「主人公」と「プレイヤー」ではないか。
 作中でそれが意図されている場合、なぜこの二者を置換したいのか。
 そこから導かれる「私たちとは何か」。


●FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)
 投稿日:2023年12月24日
 前回の「無限残機・無限コンティニュー説」をちょっと修正・別案。
 レイシフトとコフィンに関する私の理解(解釈)。
 無数の「ぐだスペア」を量子論的重なり状態と解釈することで得られるもの。
 なぜぐだはレイシフト適性が100%なのか。
 「フレンドのサーヴァントを借りられる」という現象は作中の理屈ではどうなっているのか。



■「月姫リメイク」シリーズ■
 『月姫リメイク』についての考えをまとめた記事です。
 こちらも原則として、番号順にお読み下さい。


●月姫リメイク(1)原理血戒と大規定・上
 投稿日:2023年5月28日
「原理」と「原理血戒」は違うもの、というところから話がスタートします。
 原理血戒は何をどうするものか、それを地上にばらまいた者はだれか。
 それは何のためか、というところまで。


●月姫リメイク(2)原理血戒と大規定・下
 投稿日:2023年6月3日
 ロアがこっそり握っている裏テーマについて。
 この物語は何であるのか、それは、「この世界が何であるのかを私が決める」と思っている者たちの闘争の物語である、という話。
 奈須きのこさんが敷いた「大規定」とそれをめぐる闘争について。


●月姫リメイク(3)ロアの転生回数とヴローヴに与えた術式
 投稿日:2023年6月10日
 ロアの「800年/十五世紀」問題と転生回数について現状でのまとめ。
 また、ロアがヴローヴに与えた術式は祖の能力を奪う「ではない」んじゃないのという話。その場合想定されるバックグラウンドストーリー。


●月姫リメイク(4)ロアのイデア論・イデアブラッドって何よ
 投稿日:2023年6月17日
「原理血戒」はどうしてイデアブラッドって読むの? イデアって何?
 ロアの行動は「人間」や「世界」のイデアを見ること、という構図でだいたい説明できるのではないか。
 イデアがらみで説明する「フランス事変」の別解。


●月姫リメイク(5)マーリオゥ/ラウレンティス同一人物問題・逆行運河したいロア
 投稿日:2023年6月24日
(5)と(6)は前後編です。
『メルブラタイプルミナ』でロアが自白しているパンティオンの機能と計画について。
ラウレンティスは本当に死にたくないのか。
ロアとマーリオゥは何と何を取引する気なのか。
ロアはパンティオンを使って何を見に行くのか。


●月姫リメイク(6)天体の卵の正体・古い宇宙・続マリ/ラウ問題
 投稿日:2023年7月1日
(5)からの続き。後編です。
ロアは宇宙誕生の「そのまた前」に行きたいんじゃないか。
前回論じた「地球創生ビッグバン仮説」に基づく「天体の卵」の正体。
タイプルミナの謎の人物「???」とは何者か。


●月姫リメイク(7)すべてが阿良句博士のしわざ・ロアの転生回数再び
 投稿日:2023年7月8日
「阿良句博士を、犯人です」。総耶市の状況全部が彼女のプロデュース説。
フランス事変の祖、どれが誰なのか。
諸星大二郎との関連。
ロア転生17回問題の新説。



■TYPE-MOONの「魔法」シリーズ■
 TYPE-MOON世界観における六つの「魔法」の解析です。
 おおむねこういう方向性でいいだろうと考えています。

 !注意! このシリーズは(1)から順番に読まないと意味をなしません。


●TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
 投稿日:2022年02月14日
「第一魔法=根源観測説」です。第一魔法は特殊スキル的なものではなく、「あるかどうかわからなかった根源を、確かにあると確かめた」一連の事象につけられた名だとしています。
「第三魔法は第一魔法より先に存在していた」という条件から始める解き方です。


●TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
 投稿日:2022年02月14日
「初期三魔法循環説」です。第一から第三の魔法は、3→1→2→3→1というふうに循環構造になっていそうだという話です。
 また「ユミナとは何者か」「第三魔法の魔法使いの名前は」といった話につながります。


●TYPE-MOONの「魔法」(3):第四魔法はなぜ消失するのか
 投稿日:2022年02月21日
「第四魔法とその使い手はなぜ消失したのか」です。第一から第三までの流れからいって、第四魔法はこういう内容だと推定可能なはずだ、というお話。


●TYPE-MOONの「魔法」(4):第五の継承者はなぜ青子なのか
 投稿日:2022年03月16日
「歴代の魔法使いが、魔法を獲得するために何をしてきたか」ということを蒼崎青子にあてはめると第五魔法の内容がわかるはずだという試み。第五が橙子に継承されなかった理由もこれなら(私は)納得。


●TYPE-MOONの「魔法」(5):第六法という人類滅亡プログラム
 投稿日:2022年03月26日
「第六魔法」と「第六法」と「第六」をいっしょくた同じものと考えるから解けないのでは? と考えました。「ズェピアが挑んで破れたという第六法」とは何かについて論じます。
 ほか、「第一~第三魔法」と「第四~第六魔法」の対応関係について。


●TYPE-MOONの「魔法」(6):「第六法」と「第六魔法」という双子
 投稿日:2022年03月27日
 引き続きズェピアの苦闘のお話。彼が本当に目指していたものとその具体的な計画について。そこから導き出される「第六法」と「第六魔法」の関係について。


●TYPE-MOONの「魔法」(7):蒼崎青子は何を求めてどこへ行くのか
 投稿日:2022年04月02日
 第五魔法の内容に関して多少の修正。TYPE-MOON世界観と笠井潔「大量死理論」との類似点。そこから展開して久遠寺有珠は何を求めているのか。蒼崎青子はあちこちに出現して、いったい何をしているのか。


●TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))
 投稿日:2023年9月17日
『Fate/stay night』と『FGO』における、マイクル・ムアコックの影響を指摘します。
 ムアコック作品(特に『この人を見よ』)からの影響を前提とすると、「なぜ第三魔法は第一に先行するのか」がスマートに理解できるのではないか。
 また、『Fate/stay night』の結末にはこういうボツ案があったのではないか、など。



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FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)

2023年12月24日 12時43分42秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
※『うみねこのなく頃に』はこちらから→ ■うみねこ推理 目次■

FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)
 筆者-Townmemory 初稿-2023年12月24日



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●前回のまとめ

 前回の内容を前提としたお話です。ので、前回をまずお読みください。こちらです。
●FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)

 さて。
 読んでくださいといいつつ、いちおう雑な要約をしておきますが、FGOの世界観には置換魔術というものがあって、それは、
「よく似たものは距離を全く無視して入れ替えが可能である」
 というもの。

 この理論を使って、面白いことを仕込もうとしたら、どういうことが考えられるかな、と私の頭が考えた結果、
「ぐだと我々プレイヤーは置換可能っぽいな」

 私たちは、ぐだと全く同じ経験を積んでおり、しかも、自分のことをぐだだと思い込んでいるのです。ひょいと入れ替えたところで、ぐだも入れ替えに気づかないし、我々も入れ替えに気づかないでしょう。

 おそらくこの物語には「ぐだが道半ばで死んだり倒れたりした場合、人理保証は失敗する」という条件がありそうだ。
 なので、ぐだが死にそうになったりリタイアしそうになったら、それを監視していた自動置換魔法システムみたいなものが、ぐだと私たちの一人を、ひょいと入れ替える。
 いわば「無限残機・無限コンティニュー」でゲームをしている状態になる。
 こういうシステムが組まれていれば、ぐだはほぼ絶対に物語を完遂するので、事実上、人理を「保証」できる。

 そしてこの置換魔術を運営しているのは、おそらくFGO冒頭で描かれた「資料館としてのカルデア」ではないか。つまり「資料館としてのカルデア」は未来の存在で、その実態はぐだの足跡を大勢の人間に疑似体験させるシミュレーターであり、目的は「ぐだのスペアを大量にストックする」ことではないか。私たちはそのストックではないのか。

 というようなお話で。
(くりかえすようですが、ご興味を持った方は先行の記事を読んでくださいね)

 私は、あーこれは意外性があっておもしろい、と自分の発想を自分でほめちぎったのですが、「この説は心につらい」と感じた方も少数いらっしゃるようで。


●ぐだの絶対性がゆらぐ

 一言でいうならば、「自分のところのぐだの絶対性がゆらぐ」といった方向性のことのようです。

 このゲームには多数のプレイヤーがいて、その一人一人の世界に各人のぐだちゃんがいる。それはわかっている。
 けれども、「私の世界」においては、「私の世界のぐだちゃん」がたった一人の、唯一の、絶対の存在なのである。

 自分には自分なりのぐだちゃん像があって、「私のカルデア」という箱庭の中で、自分のぐだ像を思い切り展開させて楽しんでいたのに、それを急に「よそのうちのぐだと取り替え可能な存在です」「唯一性なんてものはありません」「ほかのぐだとの差異なんてないし、かりにあったとしてもほんの誤差程度のことです」なんて言われたら困ってしまうし悲しくなるではないですか。

 というようなことだと私は読みました。

 なるほどというか、言われてみるともっともだ。そういう感覚があることは、よくわかります。

 ただ思うのですが、「もし仮に」私が提唱したような「置換魔術によるぐだ無限残機説」が、本当にこの物語に採用されていたとしたらですよ。
(繰り返しますが、「仮に」ですよ)

 このアイデアを思いついて採用した人は、「このアイデアを採用することでみんなを喜ばせよう」という気持ちだったはずだと思うのですね。

 それはなんでかというと……という話をごちゃごちゃ頭の中で揉んでいたらまたいろんなものが出てきたので、以下それをダラダラ書いていきます。よろしくどうぞ……。


●コフィンとレイシフト

 急に話は飛びますが、コフィンとレイシフトのことから始めたいのです。

 いわゆる考察界隈で、コフィンやレイシフトがどう解釈されているのか、よく知りません。でも、私の理解のしかたはこうですよというのをまずは語ります。

 ご存じのとおり、コフィンとは棺桶みたいな密閉された箱。ぐだがコフィンに入り、外でオペレーターがなんらかの操作をすると、ぐだは時間と空間をこえて特定の過去世界にワープする。

 これって私が思うに、「シュレディンガーの猫」の理屈を使っていると思うのです。

 説明不要かも、とも思うのですが、一応「量子力学? シュレディンガーの猫って何」という方もいると思うので、「SF小説を読むのにだいたい不都合がないくらいに」説明しておきますね。
(わりとふわっと述べるので、細部でおかしくても見逃してください)

 素粒子の分野では、電子や原子の位置ないし運動量は「確率的にしか把握できない」そうです。

 素粒子は、位置を「今ここにいるよね?」と決めようとすると、そのかわりに運動量が測定不能になってしまう。
 運動量を「今このくらいよね」と決めようとすると、そのかわり位置が測定不能になってしまう。

 大谷翔平が打ったホームランボールは、「位置はここで運動量はこれこれ」と数値で表すことができますが、素粒子ではそれができない。

 そして、「位置を観測すると運動量がわからなくなり、運動量を観測すると位置が分からなくなる」のですから、位置や運動量は、

「観測するという行為によって決まる」

 という、ちょっとびっくりするようなことを量子物理学者はいうわけです。

 このビックリな話をイメージとして理解するのにわかりやすいといわれているのが、「シュレディンガーの猫」というたとえ話。

 箱の中に猫を入れる。この箱は外部からの観測は一切不可能であるとする。
 この箱には二分の一の確率で内部に毒ガスが噴射されるボタンがついている。
 そのボタンを押す。

 毒ガスが噴射されたかされないかは、50%:50%の確率なので、二分の一の確率で猫は死んでおり、二分の一の確率で猫は生きている。でも、内部を観測することは不可能なので、生きているか死んでいるかは外からはわからない。

 これ、普通の考え方では、
「猫は死んでいる」(が、外からはそうとはわからない)
「猫は生きている」(が、外からはそうとはわからない)
 のどちらか片方ですよね。

 しかし、量子物理学の世界ではそうはならない。どうなるかというと、
「猫が死んでいる状態と、猫が生きている状態が、重なり合っていて、まだ決定されてない」
(両方が半々ずつ箱の中に入ってる)

 こういうのを、(猫が生きているか死んでいるかは)「確率的にしかとらえられない」(この場合は50%:50%)というのです。

 じゃあ、猫が生きているか死んでいるかはいつ決定されるのかというと、
「箱を開けて、中身を確かめた瞬間だ」

 つまり、猫が生きているか死んでいるかは、箱を開けて観測したときに決まる。

 さてそれをふまえて、コフィンとレイシフトの話に戻ります。


●観測できたものは存在する

 FGOにおけるコフィンは密閉された箱で、ようするに猫の入った箱のようなもの。中に入った人物のことは、外からは一切観測できなくなる。

 観測できないってことは、「コフィンの中に、ぐだがいるのか、いないのかはわからない。可能性は50%:50%だ」ということになる。
 つまり、この箱の中にぐだが入ったのだが、観測不能状態に陥ることで、「この中にぐだはいない」という可能性が50%発生したことになる。
(発生したことにして下さい)

「50%の確率で、コフィンの中にぐだはいない」のだとしたら、ぐだはいったいどこにいったのか。

 それは、「コフィン以外のこの世のどこか。時空のどこかに50%の確率で存在する」

 さて次に、カルデアのシステムとオペレータは、技術と魔術とエネルギーを使って、レイシフト先の特定の地域において、「ぐだの存在」をむりやり観測することにする。

 シュレディンガーの猫の理屈では、観測することによって、観測対象の存在や状態が「確定」します。
 FGOの世界には魔術がありますから、もし仮に、「絶対に猫の生存を観測する」という魔術が存在すれば、50%の確率で死んでるかもしれなかった猫の箱から「100%の確率で生きた猫を救出できる」。

 その魔術を応用して、「レイシフト先において絶対にぐだの存在を観測する」ということを実現すれば、「レイシフト先の地域にぐだがいるかも」という可能性は、単なる確率論ではなく真実となります。

 つまり、コフィンの中に入ったぐだを、レイシフト先に出現させることができます。

 魔術によって、「コフィンの中にぐだはいないかもしれない」を作り出す。
 魔術によって、「レイシフト先にぐだがいるにちがいない」を作り出す。

 すると、「コフィンの中にぐだはいません、レイシフト先にぐだがいます」ということが現実として確定します。これでレイシフト先にぐだを送り込んだことになります。

 細部で多少違っていたり、もっと細かい理論的な設定があるかもしれませんが(魂を情報化して云々みたいな設定があったよね)、大づかみにはこのようなことだ、これを考え出した人の発想の大もとはこのあたりだ、というのが私の考えです。

 本来の論理でいえば、そこに本当にぐだがいるからこそ、そこにいるぐだを観測できるのです。
 ぐだがいる、という現実が先に存在してから、ぐだを観測したという事象が発生する。これがふつうの論理です。
 ですが技術や魔術で、それを転倒させるわけです。

 まず、ぐだを観測した、という事象を先に発生させます。
 ぐだが観測できた以上、そこにぐだがいないというのはおかしい。
 だから、そこにぐだは存在しはじめる。

 ちょっとあやふやな話になりますが、この「むりやりに観測を先行させる」のを、カルデアは「存在証明」と呼んでいるんじゃないかな……。
 カルデアのオペレーターやマシュが、レイシフト直後に「存在証明を確立、維持に集中します」みたいなことをよく言います。
 ようは、カルデアのシステムやエネルギーを使って、「レイシフト先の地域にぐだがいます」という観測を維持しているかぎり、「レイシフト先にぐだがいる」という状態が現実となり、ぐだの存在がレイシフト先で確定する。(コフィン内にはいないことになる)

 しかし、もし仮に存在証明を維持できなくなった場合、「コフィンの中にぐだはいないかもしれないし、レイシフト先にもいないかもしれない」という状態になり、ぐだの存在はきわめてあやふやなものとなる。
 ようするにぐだはどっかに消え失せて、どこにも存在しない人になってしまう危険がある。
 だからカルデアは、ぐだの存在証明を最優先で維持しようとする。

 ちなみにこれ(存在と観測の転倒)は宝具ゲイボルグの能力に近しい。ゲイボルグは「まず対象に命中したという結果を発生させてから、槍を投げる」という転倒を可能としました。それと似ている。
 私独自の説にひきつけていえば、第五魔法の効果にも近しい(まず根源に到達したという結果を発生させてから、根源に向かう。原因と結果を入れ替える)。

 あ、今気づいたさらなる余談ですが、だとするとゲイボルグや第五魔法は、シュレディンガーの猫の理屈で成立している(発想の大もとはシュレ猫だ)のかもしれないですね。

 普通の考えでは、対象の状態が確定してから(原因)、対象の状態を観測することができる(結果)。
 でも量子力学の分野では、その逆のことが起こる。
 まず対象を観測する(原因)。すると、対象の状態が確定する(結果)。

 これをつづめると、「原因と結果の逆転」。

 つまり自然界でも、場合によっては、原因と結果は逆転しうるのである。これを恣意的にコントロールすることができるなら、因果というものは操作可能であるはずだ。

 というところから発想をすすめていき、これをエンターテインメントに落とし込むと、ゲイボルグみたいな必殺武器が出力されてくる。


●クラウド的な私たち

 なんで急にこんな話をしだしたか、という説明をいまからします。

「ぐだと無数のプレイヤーは置換可能である」「そして本当にときどき置換されている」という本稿の説が、もし仮に、実際にFGOに採用されているとした場合。

 それを実現している「ぐだ置換システム」も、実は大づかみ、シュレディンガーの猫ちゃんの理屈でフワッと(モフっと)包み込まれているんじゃないかと思ったのです。

 前回の「ぐだ無限残機説」では(しつこいですが前回をご覧くださいよ)、本物のぐだ一名に対して、予備のぐだが順番待ちのようなことをしていて、たまに一対一ですげかえる……というようなモデルで説明をしました。

 これはわかりやすいし、基本の発想としてはこれでいいとは思っています。
(つまり、これが思いつかれた瞬間の、最初の形はこうだっただろうということ)

 が、
 これをちょっと修正したくなりました。

 もっと、なんというか「クラウド的」なモデルで考えたほうが理にかないそうだ。

「ぐだのスペア」である私たち、大量のプレイヤーは、個々の人間というより、群体のようなものとしてとらえられている。……ような気がするのです。


●大量のぐだが入った鉄の箱

 どういうことかというと、こういうモデルです。

 巨大な鉄の箱がひとつあって、この中に、オリジナルぐだと、無数のぐだスペアが入っていると思って下さい。
 箱の中に、大量のぐだがうじゃうじゃうじゃうじゃうごめいている感じ。

 この鉄の箱は、中身の状態を外部から知ることは一切できないものとします。

 箱の中に、一か所だけ、ピンスポット(一人だけ照らし出すスポットライト)が当たっている場所がある。
 このピンスポットの中に、常に必ず一名のぐだが入っている(スポットがあたっている)ものとします。

 この「ピンスポットの中のぐだ」が、現在、「現実世界においてアクティブになっているぐだ」です。

 今、ちょうどスポットが当たっているぐだが、外の世界で「たったひとりしかいないぐだ」として、白紙化地球をなんとかしようと戦っていると思って下さい。
 一名のピンスポぐだが、現実世界で矢面に立って戦っている。

 そして、この巨大な鉄の箱は、わりと頻繁に、シャカシャカしゃかしゃかシェイクされるものとします。すると、「いまピンスポあたってるアクティブなぐだ」はランダムに入れ替わる。
 今までピンスポあたってたぐだは、ピンスポの外に出る。そのかわり、別のぐだがピンスポの中に入る。その「別のぐだ」が、現在アクティブになっているぐだとして、世界を救う大事業の矢面に立つ。

 現在のピンスポぐだになんか不都合が起こると、カルデアシステムは鉄の箱をシャカシャカして、別のぐだに交代させる。
 だけど、特に不都合が起きなくても、わりと定期的にこの箱はシャカシャカする。


 ……つまり、一機死んだら二機めが出現する残機型モデルではなくて、「いま戦っているのはこっちのぐだ、次の状況に対応しているのはあっちのぐだ」というように、かなりめまぐるしくとっかえひっかえが起こっている。

 そしてこれは置換魔術の話なので、一人一人のぐだの認識では、自分の物語を走り抜けているだけなのです。
 いま自分にピンスポ当たってるか当たってないかは、ぐだたち本人にはわからない。

 そして、この箱は、「外から中身を観測不可能」という条件があるので、「いまどのぐだがアクティブなのか」は外からもわからない。ようするに、誰一人としてそれを識別できない。

 以上のことを、一言でまとめるとこうなるのです。

「いま、どのぐだがアクティブになって現実に対応しているのかは、『確率的にしかとらえられない』
 ああ、なんて量子力学(奈須さん風の言い回し)。

 シュレディンガーの猫のたとえ話では、「生きた猫」と「死んだ猫」という、二種類の猫が、「確率的な重なり状態」にありました。

 これがぐだの例では、「何万人か、何十万人という大量のぐだが、確率的な重なり状態にある」ということになるのです。


●オリジナルとコピーの区別はもうない

 このように、「無数のぐだたちの誰がいまアクティブなのかは確率的にしかとらえられない」とする場合、こういうことがいえます。

「どのぐだがオリジナルのぐだなのか、という疑問はもはや無効である」

 その疑問が無効になるように、構造ができている。

 箱の中にはオリジナルぐだとスペアぐだが入っていて、もはやごちゃまぜになっている。箱の中の全員が「自分はオリジナルだ」と思っているし、ぐだ全員が同等の能力と記憶を持っているので、本人にも他人にも、区別はいっさいつかない。

 そして、それら大量のぐだは、確率的にピンスポの中に入るので、

「確率的にいって、ぐだ全員が、世界を救う唯一の戦いの矢面に立っている」

 オリジナルとコピーの差は何なのか、という問いはもはや無効である。全員に差がなく、全員が「世界を救う唯一の戦いの矢面に立っている」のだから、全員が本物であり、「全員で本物」なのである。

 一機死んだら二機めが出てくる残機説に比べて、こちらのモデルが明らかにすぐれている点がひとつある。
 それは、

「あなたの世界のぐだは、あなたの世界限定の単なるぐだコピーなのではなく、世界を救った本物のぐだなのである」

 という結論が発生するところだ。

 ここまで書いてきたようなモデルが、「もし仮に」この物語に採用されているのだとしたら、それは採用した人が、

「あなたのぐだが本物であり、あなたたち全員がひとまとまりで本物なのである」

 という形をプレゼントしてくれようとしたからだと思う。私はこの形を美しいと思うのだけど、でもまぁ、こういうの別に恩寵とは思わない、という考え方もよくわかるのだった。


●なぜ、ぐだはレイシフト適性が100%なのか

 与太話の先に与太話を接ぎ木するのが続いておりますが、さらにまた接ぎ木。

 なぜかはわからないが、ぐだはレイシフト適性を100%持っている、という話がありますね。

 この話を書いていてふと思ったのですが、「ぐだという人は、そもそも存在自体が確率的だから」という前提を置くと、腑に落ちる感じがするのです。

 本稿の話では、「確率的にいって、レイシフト先に存在する可能性がゼロではないぐだを、量子論的観測によって強制的に存在させる」のがレイシフトでした。
(そうではないといえそうな根拠もいっぱいあるけどまあ横に置いといて下さい)

 そしてまた本稿の話では、「ぐだという人は、一人の人間というより、無数のぐだが確率的に重なり状態になった存在である」ということでした。

 たとえるなら、ぐだは、ペットボトルに入った水のような存在ではなく、大気の中の水蒸気のような存在で、本質的には同じ水ではあるんだけど、後者は確率的にしかとらえられないようなもの。

 この世にはじつは大量のぐだが存在する、という話は、「この世にあまねく存在する」という言い換えが可能なんじゃないか。

 だとすると、カルデアのシステムが、レイシフト先の世界においてぐだを強制的に観測することがものすごく容易そうにみえる。ぐだが遍在的な存在なら、「そこ」に存在する確率は高くなるので、強制観測がしやすい。

 コフィンの中に、通常の人間が入り込んでフタを閉めた場合、「この人物がコフィンの中にいるかいないか」は「50%:50%」なのです。

 でも、ぐだは存在自体が確率的重なり状態の人間ですから、事情がかわってくる。

 わかりやすく、「ぐだは、1万人のぐだが重なった存在だ」としましょう。

「ぐだはコフィンの中にいない確率」は50%です。でも、「コフィンの中にいる確率」は、50%÷10000×10000なんです。

 つまり、50%÷10000=0.005%の確率で「ぐだ00001番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00002番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00003番」がいる。
 0.005%の確率で「ぐだ00004番」がいる。

 そういうのが一万回ずらっと続いて、最後に0.005%の確率で「ぐだ10000番」がいる。

 そういう計算になります。

 そして、「コフィンの中にぐだがいない確率が50%」ということは、「コフィン以外のこの世の全時空のどこかにぐだがいる確率」が50%ということです。

 これも同様に、
 コフィン以外の全時空のどこかに0.005%の確率で「ぐだ00001番」がいる。
(中略)
 コフィン以外の全時空のどこかに0.005%の確率で「ぐだ10000番」がいる。

 こんな感じで、ぐだは全世界の全時空に「遍在」しうる。

 全世界の全時空に遍在する存在は、単に「いる」か「いない」かの二択ではない捉え方をすることができる。

 そういう特性を持った人間は、「そこにいる」可能性をつまんでひっぱりあげることが、おそらく容易だろうと想像できます。

 通常の人間をコフィンに放り込んで観測不能にしたところで、その人間が「特定の特異点の特定の場所」で存在確認される可能性は限りなくゼロに近いでしょう。この場合はレイシフト適性はほぼゼロだということができる。

 ところがぐだは存在自体が確率的重なり状態で、この世にうっすらと無限に散らばることができそうなので、「特定の特異点の特定の場所」にたまたま存在確認できる可能性が爆発的にあがる。

 レイシフトの成功率が100%というのはそういうことなんじゃないか。


 例えばこういう言い方。
 個の唯一性(非・確率性)が高いほどレイシフト適性が低く、個の遍在性(確率性)が高いほどレイシフト適性が高い。
 くだいていうと存在があやふやな奴ほどレイシフトしやすい

 みたいなことを考えると、わりと心地よくつながるので、おもしろいかなっていう話でした。まあ、こんなん出てきましたので、ここにそっと置いておきますね……。


●余談・なぜフレンドのサーヴァントを借りられるの?

 このゲームでは、フレンドからサーヴァントをレンタルすることができます。自分がまだ召喚していないサーヴァントを、まるで自分ちのカルデアに召喚したサーヴァントのようにあやつることができます。

 自分が召喚していないサーヴァントをなぜ使えるのか。それは、自分のぐだとフレンドのぐだは重なり状態にあるからだ。
 箱の中で一匹の猫が「生きた猫」と「死んだ猫」という、二種類の状態に分岐しつつも、全体としては「一匹の猫」でありつづけるように、わたしたちぐだは、「何万人か何十万人か」という、ほとんど無数の状態に分岐していながら一人のぐだであるからです。
 わたしたちぐだは、ひとりのぐだでもあるのだから、別のぐだが召喚したサーヴァントを、自分のもののように使役できるのはそんなにおかしくないのです。


●余談2・廃棄孔

 ぐだの心の中(だったかな?)には廃棄孔という謎めいた場所があって、よくないものがうごめいていたり、世界のなんか怪しい場所とつながっていそうだったりする、というような設定があります。巌窟王エドモン・ダンテスが掃除してくださってる場所ね。

 ぐだにかぎってなんでそんな廃棄孔なるものがあるのか、の原因が「無数のぐだが確率的に重なり状態になった一人のぐだ」という構造にある……なんていうことがあっても面白いなあと考えたので、ここにメモっておきます。

 ようするに、一人の人間を人為的にここまで多重化した例なんて他にない。本稿の説では、ぐだという人間の唯一の特異な特徴とはこの重なり状態にあるのである。廃棄孔というのも、ぐだ個人に紐づけられた特異なポイントなので、その二つは結びついていると考えるのは自然な流れです。

 存在を多重化したことによるゆがみが出ているなど考えればよい。
 例えば、無数のぐだの中には、旅の途中で死んだり、動けなくなってリタイアしたぐだもいるわけですね。

 そういうぐだを、ぐだをストックしている鉄の箱の中にいつまでも入れておくとさしさわりがあるので、別のところに取り出してため込んでおく。
 その死にぐだ捨て場が煮詰まってああいう場所ができた、などでもいい。

 また、無数のぐだが、一人のぐだとして多重化状態になるためには、やはり、ぐだスペア各々の固有性みたいなものを振り捨てないといけないのかもしれない。
 そういう「振り捨てたもの」を置いておく場所がブラックホール化したなんていうかたちでもいい。


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FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)

2023年10月15日 12時15分44秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
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FGO:置換魔術で置換されうるもの(私たちとは何か)
 筆者-Townmemory 初稿-2023年10月15日


 FGO(Fate/Grand Order)に関する記事です。

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●置換魔術とは何か

「オーディール・コール 序」という場面に、「置換魔術」というものの説明があります。

 作中の説明によれば、置換魔術とは、「よく似た二つのものは、距離をまったく無視して入れ替えが可能である」という魔術理論。

ダ・ヴィンチ
「だろうね。
 魔術世界には置換魔術というものがある。」
ダ・ヴィンチ
「たとえば、ここにゴルドルフくんAと
 ゴルドルフくんBがいたとして、」
ダ・ヴィンチ
「彼らがまったく同じ構成・情報量である場合、
 どんなに離れた場所でも入れ替える事ができる。」
ダ・ヴィンチ
「なぜか? それはもちろん、第三者から見て
 『なんの違いもない』事だからだ。」
ダ・ヴィンチ
「置換された者にしか『入れ替わった』事は分からない。
 いや、場合によっては本人たちでさえ分からない。」
ダ・ヴィンチ
超常的な事が起きたというのに世界に異常はないんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 こういう条件の時、魔術はとてもよく働く。」
『Fate/Grand Order』オーディール・コール 序



 作中では、この魔術理論を使って、
「カルデアス(地球のコピー)の表面と、真の地球の表面が入れ替えられたのではないか」
(地球表面が一瞬にして白紙化されたのはこのためではないか)
 という推測が語られていました。

 これはおもしろい理屈で、いろんなところに使えそうだと思いました。

 いや、使えそう、というか、「この理屈を使っておもしろい展開を導く」ということがプランされていて、その準備として説明されているのかなと感じます。

 なので、
「この物語上で、何と何を入れ替えたら、いちばんドラマチックになるだろうか」
 ということをボワーと考えていました。そしたら、ひとつ思いついたことがあります。

 それは、

「この物語の主人公(ぐだお/ぐだ子/藤丸立香)と、私たちプレイヤーは、入れ替えが可能そうだな」


●ぐだではない私たち

 わたしたちプレイヤーの大半は、自分のことを「ぐだ」だと思い込んでゲームをプレイしているものと思います(基本、私もです)。

(注:藤丸立香という名前をあんまり好まないので、以下、物語上の主人公のことを「ぐだ」と呼称します。ちなみに「ぐだ」とは、「グ」ランドオー「ダー」をつづめたもので、ユーザー内で自然発生したあだ名)

 だけど思い返してみると、この物語には、「プレイヤーとぐだは別人ですよ」ということをほのめかす情報がしっかり置かれています。

 それは、まさにFGOの冒頭。
 FGOは、私たちプレイヤー(らしき人物)が、カルデアの正面ゲートで自動化された検問を受けるところから始まります。

アナウンス
「―――塩基配列  ヒトゲノムと確認
 ―――霊器属性  善性・中立と確認」
アナウンス
「ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
 ここは人理継続保証機関 カルデア。」
アナウンス
「指紋認証 声紋認証 遺伝子認証 クリア。
 魔術回路の測定……完了しました。」
アナウンス
「登録名と一致します。
 貴方を霊長類の一員であることを認めます。」
アナウンス
「はじめまして。
 貴方は本日 最後の来館者です。」
アナウンス
「どうぞ、善き時間をお過ごしください。」
『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ ※下線部は引用者による



 どうやら、この時代のカルデアは、人理保証を達成したカルデアの事績を記念する資料館のようなものになっているもようです。
(引用部5行目にある通り、「ここは資料館でござい」とアナウンスで言っていますものね)

 ようは、物語がすべて終わったあと、「主人公と仲間たちはこんなにすごいことをしたんだ」ということを広く人類に伝える施設になっているっぽい。

 このあと、入館手続きの完了まで180秒の待ち時間が発生し、その間、「模擬戦闘でマスター体験をお楽しみください」ということになり、最初の戦闘シーンになる。

 その戦闘シーンがおわると、私たちの視点はぐだのものとなり、カルデアの廊下でぶったおれていたところをマシュに見つかる。

 そういう流れでした。

 なので、まずひとつめの大前提として。
 私たちプレイヤーの本当の立場は、人理保証が成立したずっと後の時代に、人理保証資料館をおとずれた無名の人物である。
 ということになる。
 少なくとも、そう強く推定されることになります。


●なぜ我々は自分をぐだだと思ったのか

 前述のとおり、カルデア資料館に入館した我々は、自分がぐだになって、人理焼却直前のカルデアでぶったおれているという状況にあることを発見します。

 この時点で、我々は自分をぐだだと思い込み始め、そのまま現在でも物語が続いて行っています。

 なぜこのような視点のすりかわりが発生したのか。
 それは、このカルデア資料館が、
「世界を救ったぐだの事績とまったく同じものをバーチャル体験できるという施設」
 だからだと思います。

 さきほどの(FGO冒頭の)引用部の続きはこうなっています。

アナウンス
「……申し訳ございません。
 入館手続き完了まであと180秒必要です。
アナウンス
「その間、模擬戦闘をお楽しみください。」
アナウンス
「レギュレーション:シニア
 契約サーヴァント:セイバー ランサー アーチャー」
アナウンス
「スコアの記録はいたしません。
 どうぞ気の向くまま、自由にお楽しみください。」
アナウンス
「英霊召喚システム フェイト 起動します。
 180秒の間、マスターとして善い経験ができますよう。」
『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ



 このように、英霊召喚シミュレーターが起動して、模擬戦闘体験ができるという仕掛けになっている。

「どうぞ気の向くまま、自由にお楽しみください」なんていうのは、およそマスター候補生に対して言う言葉ではないように思います。もっと気楽な立場の人への言葉、いうなれば観光客向けのような言葉です。

「スコアの記録はいたしません」とアナウンスが言っているところにも強く注目します。

 今回はスコアの記録をしない、ということなのですから、通常時にはスコアの記録をしているということになります。
 では通常時とは何か。
 それはこの資料館のメインコンテンツだろう。
 もっと複雑で難易度の高い模擬戦闘シミュレーターがあり、そちらではスコアを記録していて、リザルトを他人と比較できるようになっているのだろうと推測できます。

 そして、この施設のメインコンテンツは、単に戦闘を疑似体験できるというだけにはとどまらないだろう、とも推測できます。

 なぜなら、我々は、入館直後にはすでにぐだになりきっていたのだからです。
 これを、「ぐだシミュレーター」が提供している疑似体験だと考えることにするのです。
 単に戦闘を体験できるということにとどまらず、ぐだの境遇をまるごと全部追体験できる、というのがこの施設の趣向だと思います。

 単に戦闘がすごかったんだ、という側面を体験させるだけでなく、ぐだがどんな人間関係を築いたか、どんな場所にいって、どんな経験をしたか、そこでどんな思いをしたのか。
 そういうことを自分のことのように体験してまるごと知ってくれ、ということが、この資料館では意図されている。

 つまりこのFGOというゲームは、ぐだシミュレーターによって提供されている、英雄ぐだの足跡を、我々が疑似体験しているものだ……というふうに考えられるのです。


●カルデア資料館の真の目的

 さて。
 未来のカルデア資料館が、「ぐだの足跡を大勢の人に疑似体験させる」という性質のものである場合。

 ぐだと同等の能力を持ち、ぐだとまったく同じ経験を経ており、自分のことをぐだだと思い込んでいる人物、が、この世に大量に存在していることになります。

 そこで置換魔術の話になる。

 ぐだとまったく同等の能力と経験と記憶をそなえた人物は、ぐだ本人との入れ替えが可能そうだ。
 資料館の真の目的はそれではないのか。

 もっとはっきりいうと、ぐだシミュレーターを装備したカルデア資料館は、「ぐだのスペアを大量に確保する」という裏の目的をもって設置されてはいないか。


●無限残機による人理保証

 ここからは大きく推測が入ってきますが、おそらく、
「ぐだが死んだり、途中で心が折れてリタイアしたりして、物語を完走しない場合、人理保証は絶対に成功しない」
 という大条件があるのだと思います。

 そういう条件が、トリスメギストスなりシバなりの計算や、周りで見ていた人たちの実感として、完全に判明したと考える。

 でもこの物語はむちゃくちゃに過酷なので、ふつう、常人には完走は無理。ぐだは常人なので、よくがんばってはいるのだけど、ふつうに考えたら無理。

 そこで、ぐだとの間に置換魔術が成立しうる、ぐだと同等の存在を大量にストックしておく。
 ぐだの心がポッキリ折れたり、死んだりした場合、その直前のポイントで、ぐだ本人と、ぐだスペアを「置換」する

 私たちぐだスペアは、シミュレーターにかかっており、シミュレーターの中の体験を現実だと思っていて、自分のことをぐだ本人だと思い込んで一切疑っていない。
 なので、急に「現実のぐだ本人」と入れ替わったとしても、それに気づかない。置換されて以降は、私たちぐだスペアが「本人」として、物語を走っていくことになる。

 いっぽう、死んだぐだ本人は、ハッと目覚めるとシミュレーターの中にいて、
「ああ、夢か。死んだかと思った」
 そうして、人理保証がはるか過去のことになった未来世界で、「ぐだスペアの」日常に帰っていく。

 そのようなことが繰り返される。「本人」の立場に置き換わった元ぐだスペアがリタイアすると、また別のぐだスペアが送り込まれてくる。

 卑近な言い方をするならば、このアイデアは「無限残機・無限コンティニュー」で人理保証を完遂しようという方式なんですね。

 無限に残機があって、無限にコンティニュー可能なら、どんなに困難なゲームでも、いつかは絶対クリアできます。
 そのような形で、人理を「保証」している。

 資料館カルデアは、資料館となった後でも、「人理継続保証機関」を名乗っています。

アナウンス
「ようこそ、人類の未来を語る資料館へ。
 ここは人理継続保証機関 カルデア。」
『Fate/Grand Order』第一章 プロローグ



 資料館カルデアは、人理の危機に対して「英雄の無限残機」を提供しており、これあるかぎりほぼ絶対に人理の継続は保証されますから、この施設が人理継続保証機関を名乗るのは納得なのです。


●いくつかの傍証

 プロローグ部分で、カルデアの検問は、訪れた我々に対していくつかのチェックを行っています。

 たとえば、ヒトゲノムを確認して人類であることを調べ、属性が善性・中立であることを確認しています(先の引用を参照のこと)。

 これは、「ぐだスペアになりえない個体の入館を阻んでいる」と考えるのも興味深い。

 ぐだは霊長類・人類なので、そうではない入館希望者を拒む。
 たとえば虞美人みたいな、高度な知的生命体ではあっても人類ではない存在をはじく(のかもしれない)。

 ぐだの属性は善性・中立なので、そうではない入館希望者を拒む。
 属性がちがうと、ぐだが選択しないような大きな選択をする可能性があるし、そもそも置換が成立しないのかもしれない。

 そしてカルデア入館検問は、性別を識別しない。ぐだは男性でも女性でもよいからだ。


 ……といったような、「置換魔術によるぐだ無限残機説」は可能かなと思っています。

 この説におけるいちばん大きなポイントは、
「この説では、我々プレイヤーとは何者か、が定義されうる」
 というところです。

 我々はぐだ本人ではないが、いつか何かの拍子に、ぐだ本人とすげかわる可能性のある存在のひとりだ。

 いや、ひょっとしたら、もうすげかわっているのかもしれない。すげかわっているかどうかは本人にもわからないそうですからね。


●追伸・別案

 ここまで書き終わった直後に、ふと思いついたことがもうひとつあったので、追記。

 もう少し大きく捉えて、こうでもいいですね。

・実は、現実世界は人理保証に失敗し(ぐだが敗れて)滅んでいる。
・この世界滅亡を撤回したいと思った何者かが、カルデアスなり並行世界なりに、資料館カルデアを作った。
・大量の人間をシミュレーターに放り込み、ぐだの事績をそのまんま体験させる。
・もしもその中に、冒険に成功して汎人類史の人理を回復する者が出てきたら、「シミュレーター内の世界」と「滅んだ現実世界」を置換する。

(了)

 ちょっとした続きを書きました。
 FGO:続・置換魔術(確率化する私たち)

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※ご注意●本稿は現実に存在する筆者(Townmemory)の思想・信条・思考・研究結果を表現した著作物です。内容の転載・転用・改変等を禁じます。紹介ないし引用を行う際は必ず出典としてブログ名・記事名・筆者名・URLを明示しなければなりません。ネットで流布している噂ないし都市伝説の類としての紹介を固くお断りします。これに反する利用に対して法的手段をとる場合があります。
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TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))

2023年09月16日 05時05分31秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
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TYPE-MOONとマイケル・ムアコック、そしてジーザス(TYPE-MOONの「魔法」(8))
 筆者-Townmemory 初稿-2023年9月17日


 こないだ寝てる間に思いついた(よくあることです)ちょっとした話を。

 最終的には「第三魔法って、いつ、だれが実現したの?」という話につながる予定です。

 これまでの記事は、こちら。
 TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
 TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する
 TYPE-MOONの「魔法」(3):第四魔法はなぜ消失するのか
 TYPE-MOONの「魔法」(4):第五の継承者はなぜ青子なのか
 TYPE-MOONの「魔法」(5):第六法という人類滅亡プログラム
 TYPE-MOONの「魔法」(6):「第六法」と「第六魔法」という双子
 TYPE-MOONの「魔法」(7):蒼崎青子は何を求めてどこへ行くのか

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●マイクル・ムアコック

 マイクル(マイケル)・ムアコックというイギリスのSF・ファンタジー作家がいます。作品に英国への憎悪が見られるので、ひょっとしたらルーツはスコットランドかアイルランドかもしれない。

 日本のファンタジー・シーンに絶大な影響を与えた人だと言い切っていいと思います。堀井雄二も芝村裕吏も河津秋敏も、たぶん坂口博信も強い影響を受けている(栗本薫はたぶん受けてない)。

 わかりやすい功績をひとつあげるとするならば、「異世界転生というアイデアを決定的な形でプレゼンテーションした人」
 初めて異世界転生を書いたというわけではないが、「これ以降のこのジャンルは彼の影響を検討せずに語ることはできないだろう」というような作品を書いたということです。私見では、日本の異世界転生もののルーツはナルニアよりはむしろムアコックであることが多いと思います。
(独自の意識を持つ魔剣、というアイデアも、決定的にしたのはムアコック)

 さて。
 80年代~90年代のファンタジーブーム&シーンを、若いころにバキバキに浴びまくっていたと推定されるTYPE-MOONの人たち。
 彼らもムアコックからむちゃくちゃに影響を受けている。奈須きのこさんは間違いなく読んでいるといいきれる。


●英雄の介添人

 TYPE-MOON作品を読んでいると、「あ、これはムアコックだな」と感じられるポイントが、けっこうあります。

 ものすごく端的な例をひとつ挙げるならFGO、ブリュンヒルデのスキルに、
「英雄の介添 C++」
 というのがある。

 英雄の介添(英雄の介添人、英雄の介添役)というタームの初出はムアコックの翻訳なんです(最初にそう訳したのはたぶん斎藤好伯)。私はそれ以前の用例を知らない。

 ムアコックバースにおける英雄の介添役は、「主人公の相棒になって、助力をしたりガイド役を務めたりすることをあらかじめ運命づけられた人」。ブリュンヒルデは設定的に「英雄の助力者」なので、ムアコックの設定に沿っている。

 なお芝村裕吏さんも芝村バースにおいて、「英雄の介添人」「夜明けの船」なんていう、そのものずばりに近い用語をなんの屈折もなく採用されていますね(こういうそのまんまの使い方、私は大好き)。


●「指揮をとれ、ストームブリンガー!」

 TYPE-MOON作品を読んでいて、私が最初に「おおお、なんてムアコックなんだ」と思ったのが、『Fate/stay night』で、ギルガメッシュが王の財宝を展開するシーン。

 空中に無数の穴があき、そこから、古今東西ありとあらゆる英雄譚に登場する聖剣・魔剣のたぐいがぬうっと出現し、そのまま水平に浮かんで、主人公をねらう。

「おおお、なんて、これはなんて『指揮を取れストームブリンガー』なんだ!」

 ムアコックの『エルリック・サーガ』には、持ってるだけでたいがい不幸になるストームブリンガーという魔剣が登場します。最終巻『ストームブリンガー』にて、主人公エルリックは、
「百万もの並行世界から無数のストームブリンガーを召喚し、敵に向かっていっせいに投射する」
 という奥の手を披露するのです。

「ストームブリンガー――」エルリックは言った。「いよいよおまえの兄弟たちの出番だな」
(略)
 やがてかれのまわりにいくつもの、半ばこの次元に、半ば〈混沌〉の次元に属している、影のような姿があらわれてきた。それらがうごめくとみるまに突然、あたりはびっしりと百万もの剣、ストームブリンガーと瓜二つの剣に満たされたのである!
(略)
「指揮をとれ、ストームブリンガー! 公爵らにかからせろ――さもないとおまえのあるじは滅びて、おまえも二度と人間の魂をのめなくなるぞ」
マイクル・ムアコック『永遠の戦士 エルリック4 ストームブリンガー』早川書房 井辻朱美訳 P.328~329



 この百万もの魔剣は、いっせいに射出されて、敵をめった刺しにするという攻撃方法を見せます。
 ギルガメッシュの王の財宝は、私には、エルリック・サーガの明確なオマージュにみえました。オマージュというか、「かっけえ! 俺もこれやりたい!」という感情が伝わってきた。

 ムアコックのこの部分、「無数の並行世界から、同一存在を無数に召喚してくる」というアイデアになっているのも、興味深い。

 なぜなら『Fate/stay night』に出てくる遠坂凛の宝石剣が、まさにそういうアイデアだからです。

 凛が組み立てた宝石剣ゼルレッチは、「無数の並行世界から、同一現場に満ちている魔力を自分の手元に集める」という秘密兵器でした。その力でピンチを脱したのです。


●主人公は全員同一人物

『Fate/stay night』については、その重要な設定の大部分が、ムアコックの影響下にあると感じられます。
 というか、「ムアコックから得た発想や気づきを、自分なりに再構成して、独自の世界をつくりたい」という欲求にもとづいて、『Fate/stay night』は作られている(そういう部分が多い)、というのが私の考えです。

 ムアコックは、剣と魔法のファンタジー小説を量産してきたのですが、あるときから、「私の書いた主人公はすべて同一人物だ」と言い出しました(たぶんジョセフ・キャンベルを読んだんだと思う)。

 いろんな並行世界に、さまざまな顔や出自を持った主人公が配置されているのだけど、それらはみな「同じ魂を持つ」という。

 さまざまなヒーローが全部同一人物って、どういうことなのか。それが『エレコーゼ・サーガ』で語られます。
 それぞれの並行世界には、主人公である英雄が、あらかじめ存在しています。
 だけども、それはいってみれば、「まだ中身が入っていない英雄」と言ったような状態であるらしい(注:これは私の解釈コミです)。

 運命(フェイト)が、「この英雄に重要な役割を果たさせたい」と考えたときに、ヨソの世界から「中身」(魂)が召喚されて、この英雄に入り込む。
(運命と書いてフェイトも、ムアコック作品でよく使われる言葉)

 この「英雄の中身」は、現代人のジョン・デイカーという男なのですが、かれは突然、自分の世界から引きはがされ、異世界に転移させられ、気づくとその世界の英雄となっており、「英雄なんだからなにがしかのクエストを達成してこい」と強要されることになる。

 このクエストを達成したからといって、かれには何のほうびもないし、メリットもない。でも、やらないといけない状況に追い込まれて、しかたなく、命がけで戦わされる。そして元の世界に帰るみこみはまったくない。

 ムアコックの主人公のだいたい全員が、こういう成り立ちになっている、とムアコックは設定した。
 主人公たちのなかには、ジョン・デイカーとしての意識を持っている者も(少数)いるし、大多数は持っていない。だから、自分が異世界転生者であるとは、ほとんどの主人公は気づいていない。
 なので、「全員同一人物設定」を思いつく前に書かれた主人公も、問題なく、この設定に組み込むことができた。


●ガワが先行し、中身がついてくる

 以上のようなムアコックバースの設定から、TYPE-MOONに話を戻すと、上記の話から、重要なポイントをふたつ(つきつめればひとつ)、取り出すことができます。

 ひとつめ。ムアコックのヒロイックファンタジーは、「自分の意思とは関係なくどっかの世界に転移させられて、望んでもいない戦いに駆り出される」という悲哀がトーンになっているという点です。この悲哀がムアコックの魅力なんですね。

 これはTYPE-MOONでいえば、英霊、とりわけエミヤのような守護者を想起させます。エミヤは自分の意思とは無関係に、とつぜんどっかの場所に現界させられ、虐殺にちかい戦いを強要される……という気の毒な境遇にありました。

 そしてその延長上にあるふたつめの重要なポイントは、「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造です。

 ムアコックの主人公(特にエレコーゼ)は、その世界にあらかじめ存在していた人物(ガワ)の中に、本体である魂が放り込まれて、はじめて「英雄」になるというしくみでした。

『Fate/stay night』の聖杯戦争では、ゲームの舞台に、セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーという、7種類のひな型(ガワ)があらかじめ先行して用意されています。

 その7種のガワにちょうどよく入る「中身」が、英霊の座から送り込まれて、サーヴァントとして活動可能になるというしくみになっていました。

 この「ガワが先行しているところに中身が送り込まれてくる」という構造は、Fate系統の作品の設定におけるキモ(のひとつ)といってよく、佐々木小次郎みたいな「本人が実在したかどうかはっきりしない英霊」を召喚するときの理屈としても使用されます。

 佐々木小次郎は、ほぼ伝承のみの存在で、実在しない。実在しない存在をサーヴァントとして召喚するとき、どんなメカニズムになっているのか。
 まず「伝説上の佐々木小次郎のイメージ」が、ガワとして用意される。
 次に、佐々木小次郎というガワに入る資格を持つ複数の(無名の)人物の中から、一人が選ばれてそこにスポっとおさまる。

『Fate/stay night』と『FGO』で召喚される佐々木小次郎は、「自分は生前、佐々木小次郎と名乗ったことはなく、ただ愚直に剣の修業をしたただの農民である」と言っていますよね。
 おそらく「燕返しを得意とする佐々木小次郎」というガワがまず用意され、そのあとで、英霊の座に登録された剣士の中から「燕返しを習得した者」がリストアップされ、その中の一名がガワの中に入って「佐々木小次郎」として冬木市なりカルデアなりに出現した。

 ここまでが前置き。


●『この人を見よ』

 ムアコックに『この人を見よ』というSF小説があります。1968年にネビュラ賞をとってます。

 あらすじを一言で言うと、「ノイローゼをわずらった精神科医が救いを求めてタイムマシンに乗り、キリストに会いに行く」というお話です。
(おっと、ジーザス・クライスト)

 ちょっと面白い指摘を先にしておきます。主人公グロガウアーは、タイムマシンで西暦28年にタイムスリップし、気を失って、洗礼者ヨハネに助け出されます(ちなみにこのヨハネさんは、ほら、サロメが首を切りたがっている人、ヨカナーンさんと同一人物)。

 ヨハネは主人公のことを、魔術師と書いて「メイガス」と呼ぶんです。

 ヨハネがいま、洞窟の外に立っていた。彼はグロガウアーに呼びかけていた。
「時間だぞ、魔術師(メイガス)」
マイクル・ムアコック『この人を見よ』早川書房 峯岸久訳 P.136



『Fate/stay night』に、印象的なシーンがありますね。セイバーと凛の初邂逅。凛が宝石魔術でセイバーを攻撃し、セイバーが対魔力スキルで無効化する。剣をつきつけ、セイバー、一言。

「今の魔術は見事だった、魔術師(メイガス)」
『Fate/stay night』



 私のとぼしい読書体験の範囲内でいえば、魔術師と書いてメイガスとフリガナを振る作品は、『この人を見よ』と『Fate/stay night』しか知らない。たぶんこのへんは、奈須きのこさんがムアコックから直接的にひっぱってきた表現だと思います。

 さて……。これ以降は『この人を見よ』のネタを全部割りますから各自ご対応下さい。


●「ガワが先行し、実体が後を追う」の元ネタ

 主人公とガールフレンドのあいだに、こんな会話があります。

「きみはこれまで、キリストという概念・・のことを考えたことはないのかい?」
(略)
「だが、どっちが先に来ただろう? キリストという概念だろうか、それともキリストという現実だろうか?」
(略)
「人びとがそれを求めている時には、とても考えられないような糸口からだって、偉大な宗教を作りあげるわ」
「ぼくのいっているのはまさにそれだよ、モニカ」彼の身振りに思わず熱がはいったので、彼女はちょっと身を引いた。「概念・・がキリストの現実・・に先行したんだよ
マイクル・ムアコック『この人を見よ』早川書房 峯岸久訳 P.104~105 ※傍線は引用者による



 引用部はこういうことを言っています。設問は「キリストという存在はいかにして発生したのか」。

 イエスという実在の人物がまず先行して存在し、実在のイエスのまわりにさまざまな伝説がくっついていって、現在キリスト教で語られるような救世主ジーザス・クライスト像が発生したのだろうか?(これが通常の考え方)

 主人公グロガウアーは、そうじゃなくて、こうだ、と言うわけです。まず最初に、我々が知っているような救世主キリストのイメージが実体よりも先にあの時代に存在し(「概念」として「先行」し)、その概念にあてはまるような人物が後付けであてはめられたんだと。

 概念が先行し、実体はそのあとでやってくる……。

 奈須きのこさんは絶対に読んでいる、と強く推定できる『この人を見よ』に、Fateシリーズの設定の肝といえる「ガワが先行し、中身がついてくる」というアイデアが、そのものズバリ、直接的に書かれている。

『この人を見よ』に、なぜこういう会話(概念が先行し、実体が追い付く)が書かれているかというと、この作品がまさにそういう事件を書いた物語だからです。

 主人公グロガウアーは、心を病み、キリストに会いたくなって、タイムマシンに飛び乗る。
 洗礼者ヨハネと出会う。
 洗礼者ヨハネは世界を変革する救世主を待ち望んでいる。
 ヨハネだけでなく多くの人々がそれを待ち望んでいる。
 主人公は、救い主であるナザレのイエスを探し求めて苦難の旅をする。
 だが、「伝説で語られているようなナザレのイエスはいない」ということがはっきりと確かめられてしまった。
 主人公は現代医学の知識があったので、傷病に苦しむ人々を助けてやることがあった。
 悩める人々に助言を与えることもあった。

 キリストの事績として語られていることが、自分の身の回りで起こりつつあることを、主人公は自覚し始める。そのあたりから、主人公も読者も、ある予感を胸に抱きながら、この物語を先に進めていくことになる……。

 主人公グロガウアーは、最終的に、ピラト総督によってゴルゴダの丘で処刑されます。人生をなげうってでも会いたいと思ったイエス・キリストとは、自分自身だった……という思い切った真相がどんとのしかかってくるのです。

 60年代という時代にキリスト教圏でこういう挑戦的な作品が書かれたのもけっこう驚きですし、『ゲド戦記』の一巻の内容を想起させる感じなのも興味深いですが(『影との戦い』と『この人を見よ』はともに1968年発表)、TYPE-MOON論的に注目したいポイントはふたつ。

 ひとつは前述のとおり。
 このお話は、「救い主というガワが先行しているところに、その中身として主人公が送り込まれる」物語だということです。

 主人公は、「実際にどんな人かはわからないがとにかくイエスに会いたい」ということで会いに行く。
 でもイエスはいない。
 西暦28年のヨルダン川流域には、「救い主があらわれてほしい」という機運だけがひたすら高まっている。
 でも救い主はいない。

 実体はまだないけど「こういうものがほしい」という願望だけがまず先行している。
 そこに、遠くから実体となるもの(主人公)が送り込まれてきて、救い主として、イエスとして機能しはじめるという仕掛けになっているのです。

 先にのべたとおり、「ガワが先行し、実体が後を追う」は、Fateシリーズの重要な部分を担う設定です。TYPE-MOONが(奈須きのこさんが)この設定を獲得するにあたって決定的な影響を与えたのはこの作品にちがいない。

 重要なポイントのもうひとつは、『この人を見よ』は「ジーザス・クライストはどこから来たのか」という問いに対して、これ以上ないくらい鮮烈な答案を出してきているということです。


●第三魔法タイムスリップ説

 このブログを通読されている方はご存じでしょうが、私の説では第一魔法の魔法使いはジーザス・クライストです。

 それに関しては以下の2記事を読んでいただくのが一番間違いありません。

 TYPE-MOONの「魔法」(1):無の否定の正体
 TYPE-MOONの「魔法」(2):初期三魔法は循環する

 いちおう要約を書いておきます。
(でも繰り返しますけど元記事を読んだ方がよいです)

 第一魔法の前に、まず第三魔法が存在したということになっています。

 第三魔法の使い手が西暦1年前後に姿を消し、第一魔法の使い手が西暦1年ごろに誕生したという設定があります。
 西暦1年というのはジーザス・クライストが誕生した年です。
 だから、第一魔法の使い手とジーザス・クライストは同一人物だろう、という素直な理解をしています。

 第三魔法は、魂の物質化……魂をむき身のままでこの世界に存在させるという魔法です。魂は無尽蔵のエネルギーを持っているので、だいたい望むことがなんでもできる。

 第三魔法の魔法使いは、西暦1年に、「魂が物質化された人間」を生み出した。このとき生まれたのがジーザス・クライストで、この人は生まれながらに無尽蔵のエネルギーを持った超人だった。

 ジーザスは、生まれ持ったエネルギーを使って、人類で初めて「根源の観測」に成功したので、人類は根源の力であるエーテル(真ではないほうのエーテル)を利用できるようになった。また、同様にエネルギーを使って「各地でまちまちだった地球全体の物理法則を一意に固定する」ということをした(この一連の事績が第一魔法)。

 というような話なのですが。
 私は基本、この理解でOKだと思っているので、これを前提に話を進めます。

 TYPE-MOONの魔法関連の設定には、「第三魔法は第一魔法より先行して存在した」という、ちょっと不思議な設定があって、微妙にひっかかっていました。

 ひっかかっていたので、「初期三魔法循環説」みたいなものを模索していたわけです。
(これは今もありだと思っています)

 だけど、今ここに、「奈須きのこさんに決定的な影響を与えたと強く推定される『この人を見よ』」という強力な補助線があります。

『この人を見よ』は奈須きのこさんに強い影響を与えたと推定され、なおかつ、「ジーザス・クライスト誕生の秘密」を語る物語だ。

「ジーザス・クライストが第一魔法を実現した」という仮定をOKとする場合、この設定において『この人を見よ』の影響がなかったとは考えにくい。

・『この人を見よ』は、ジーザスの中身が未来からやってくる物語である(事実)。
・TYPE-MOONの第一魔法はジーザスが編み出した(推定)。
・ジーザスは第三魔法の産物である(推定)。
・第三魔法は第一魔法よりも先に存在していた(事実)。
・現代では、第三魔法は実現不能であり、再現のための研究が続けられている(事実)。


 これらの条件を足し合わせると、自然にこういうストーリーが組み立てられそうなのです。

・第三魔法は(現代からみて)これから実現される。
・第三魔法の魔法使いは、紀元前にタイムスリップする。
・第三魔法の魔法使いは、西暦1年ごろ、第三魔法の産物としてジーザス・クライストを生む。
・ジーザスは第一魔法を実現する。


 バリエーションとしては、こうでもいい。

・第三魔法は、神代の魔力がないと実現できないことがわかったので(などの理由で)、紀元前にタイムスリップする。

 ようするに、今後、第三魔法が実現したら、その魔法使いは過去のイスラエル周辺にタイムスリップし、魔法使い本人かその後継者が、のちに聖母マリアになる。そしてジーザスを生む。

 世界が第一魔法を実現する救世主を必要としたので、はるか未来という遠くから、それを実現しうる存在がその時代に送り込まれてくる。
(そういう存在の必要性が先行し、あてはまる者が後付けでやってくる)

 このアイデアのメリットは、

・「第三魔法は第一魔法に先行する」という設定の理由が説明できる。
・第一から第三はサイクル構造になっており循環する、という「初期三魔法循環説」がよりスマートになる。

 このアイデアを以後「第三魔法タイムスリップ説」と呼称することにします。

「第三魔法タイムスリップ説」の問題点……というか、ヒヤっとする点は、
「もし今後、第三魔法の開発が完全に途絶えたら、キリストの事績(第一魔法)が全部不成立になるので、世界はロジックエラーを起こして破綻する」
 ということです。

 でもたぶん、研究が続けられているかぎりは「それがいつかはわからないがそのうち成功するかもしれないので」ということで世界は存続しそうです。「いつかは必ず死ぬがそれは遠い先なのでまだ死なない」理論で静希草十郎が生き続けているのとおなじ。


●これってホントに採用されてる?

 以上のようなことを考えたので、こうして皆さんにお知らせしているわけですが、ちょっと自分で首をかしげているのは、
「これって、実際にTYPE-MOONの設定に採用されてるかな?」

 どうも感覚的に、採用されていない気がする。

 ただし、採用されていないにしても、奈須きのこさんはこういうアイデアを思いついていて、採用するかどうか検討しただろう……というところまではありえると思っています。そうするつもりだったけど、やめた、くらいの感じはありそう。

 第三魔法が第一魔法に先行するという設定は、「第三魔法タイムスリップ」を検討していたときのなごりだと考えると腑に落ちやすい。

 関連してもうひとつ、「検討された結果採用されなかったのかな」と思えるアイデアがあるので、以下それについて。


●衛宮士郎という名のキリスト

『Fate/stay night』の衛宮士郎は、「人々を救おうとして自己犠牲のかぎりを尽くした結果、救おうとした人々によって死刑に処される」という未来が予言されている男です。

 こちらで詳しく述べましたが、これは完全にイエス・キリスト伝説の語り直しです。
 衛宮士郎は「おまえはやがてキリストのような死に方をするだろう」と、未来の自分から予言された男です。

 そんな衛宮士郎、『Heaven's Feel』のラストで命を落としますが、イリヤの第三魔法(もどき)によって魂を保存され、のちに新しい身体を得て生き返ります。

 キリスト伝説では、イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)は、ゴルゴダの丘で死刑になるものの、生き返るのです。
「死んだけど生き返った」は、キリスト伝説およびキリスト教の教義における神髄です。衛宮士郎はキリストのように生きて死ぬことを予言され、キリストのように生き返った男なのでした。

 このことと「第三魔法タイムスリップ説」を足し合わせると、以下のようなストーリーもひょっとしてありえたんじゃないか。

 イリヤ(か桜)は士郎の魂を持ったまま西暦前夜のヨルダン川流域にタイムスリップする。
 そこで士郎を再生させる。
 士郎はキリストになる……。

 つまり、その時代、その土地において、キリストに相当するような救世主を「世界が」必要としている。
 ところが、キリストに該当する実体はそこには存在しない。
 そこで、遠い未来から、キリストという「ガワ」に入り込む資格を持つ人物の魂が召喚される……というようなイメージです。
 セイバーというひな型にアーサーが送り込まれるように、佐々木小次郎というひな型に燕返しの農民が送り込まれるように、キリストというひな型に衛宮士郎が送り込まれる……といったようなアイデアですね。

 だけど、実際には物語はそうはなっていません。だから、もし仮にこういうアイデアを奈須きのこさんが発想していたとしても、採用はされていません。

 採用はされていませんが(私でも採用しない。話が飛躍しすぎるし、元ネタの形が残りすぎている)、『Fate/stay night』の結末をどのようにしめくくろうか、というとき、いくつも浮かんだはずのアイデアの中に、これはあったんじゃないかなあ……というようなお話でした。以上です。


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※ご注意●本稿は現実に存在する筆者(Townmemory)の思想・信条・思考・研究結果を表現した著作物です。内容の転載・転用・改変等を禁じます。紹介ないし引用を行う際は必ず出典としてブログ名・記事名・筆者名・URLを明示しなければなりません。ネットで流布している噂ないし都市伝説の類としての紹介を固くお断りします。これに反する利用に対して法的手段をとる場合があります。

#TYPE-MOON #型月 #月姫 #月姫リメイク #FGO #メルブラ #MeltyBlood #Fate
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魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか

2023年07月15日 11時45分13秒 | TYPE-MOON
※TYPE-MOONの記事はこちらから→ ■TYPE-MOON関連記事・もくじ■
※『うみねこのなく頃に』はこちらから→ ■うみねこ推理 目次■

魔術理論“世界卵”はどういう理論なのか
 筆者-Townmemory 初稿-2023年7月15日



 固有結界を実現している魔術理論“世界卵”という理論があるとされています。
 月姫リメイクに関して研究していた際に、「この世界観ではどのように宇宙創生がなされたか」ということを考える必要に迫られました。
 さまざまな情報を順列組み合わせしていたら、「あ、世界卵ってこういうこと?」という思いつきがポロッと落ちてきたのでかきとめておく次第です。

 当記事は「月姫リメイク」の研究に関連しています。

 以下の記事を、できれば順番にお読みいただくことを推奨します。
 月姫リメイク(1)原理血戒と大規定・上
 月姫リメイク(2)原理血戒と大規定・下
 月姫リメイク(3)ロアの転生回数とヴローヴに与えた術式
 月姫リメイク(4)ロアのイデア論・イデアブラッドって何よ
 月姫リメイク(5)マーリオゥ/ラウレンティス同一人物問題・逆行運河したいロア
 月姫リメイク(6)天体の卵の正体・古い宇宙・続マリ/ラウ問題
 月姫リメイク(7)すべてが阿良句博士のしわざ・ロアの転生回数再び

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●森博嗣『笑わない数学者』

「月姫リメイク」シリーズ記事の第五回および第六回で取り上げた、天体の卵とビッグバン関係の話を、頭の中でゴチャゴチャ揉んでいたら、ハタと思いついたことがあったので書いときます。

 世界卵という謎のキーワードがあるでしょう。固有結界の魔術は、魔術理論「世界卵」に基づいている、という情報がありました。

(説明不要とも思いますが固有結界とは、人間の心象風景、ようは個人の中にある心理的イメージを、自分の周囲(現実世界)に上書きする魔術。自分の周りが自分に有利なルールになる。英霊エミヤの「アンリミテッドブレードワークス」など)

 心象風景の具現化とは、右下の図によって示した魔術理論“世界卵”によって説明される。つまり自己と世界を、境界をそのままにして入れ替えたものが固有結界だ。この時、自己と世界の大きさが入れ換わり、世界は小さな入れ物にすっぽりと閉じ込められる。この小さな世界が世界卵であり、理論の名前にもなっている。
『Fate/complete material vol.03 World material.』P.45



 右下の図というのはこれです(引用。著作権法第32条に基づく)。


『Fate/complete material vol.03 World material.』P.45


 私は、わりと長いこと、頭の中に「???」を浮かべたまま、「ははぁ、自分の内と外を入れ替えるのですね、なるほど」と、わかったようなわからないような感じのまま棚上げしておりました。

 が、このあいだふと思ったのが、
「あれ、奈須きのこさんて、森博嗣を読んでるよな?」

 奈須きのこさんが京極夏彦先生の熱心なフォロワーだというのはご自分でおっしゃっている通り。
 そして京極先生と森博嗣先生は同時期の作家で、並べて語られることが多い二人だ。
(以下、京極、森については敬称を略す)

 奈須きのこさんは森博嗣も読んでる可能性が高い。蒼崎橙子や阿良句寧子のような、「マッド研究者でもあり建築家でもある」というキャラクターの型は、たぶん森博嗣が書く真賀田四季博士から影響を受けているものと思う。月姫には「四季」というそのものずばりのネーミングも出てきますしね。
(余談だけど西尾維新さんの書く四季崎記紀も原型は真賀田博士だと思う)

(●2023年8月22日追記。『TYPE-MOON展』で奈須きのこさんの本棚を再現したコーナーに、『笑わない数学者』を含む森博嗣作品が並んでいたという情報が寄せられました。お知らせいただけたことに感謝! https://twitter.com/motumotion/status/1693926623601709504


 森博嗣の初期長編『笑わない数学者』の結末に、ほんっとうにすばらしいなぞなぞが書かれています。今からそのなぞと答えを、つまり物語の結末を引用によって明かしてしまいますから各自対応してください。私はこの作品大傑作だと思っていて、できたらご自分でフルサイズで読んだ方がいい。
 以下の引用は全て講談社ノベルズ版『笑わない数学者』のP.342~344からです。

 問題はこうです。

 お爺さんはまたにっこりと微笑んだ。そして、立ち上がり、地面に大きな円を一つ書いた。
 少女が呆れてみていると、お爺さんは円の中心に、きをつけの姿勢で立った。
(略)
「円の中心から、円をまたがないで、外に出られるかな……」お爺さんがゆっくりと言う。



 出題者のお爺さんが教えてくれる答えはこう。

 それから、指を一本立てる。そして、大きな円の中に立ったままで、
「ここが外だ」と言った。



 なぜそういう答えになるのか。お爺さんは円の中心に立って、こう説明する。

「この円を、大きくするんだよ。どんどん、どんどん、大きくしてごらん。地球はまるい。円はどうなるね?」
 少女は想像した。
 円がどんどん大きくなる。
 公園よりも大きくなる。街よりも……、そして、ついに地球の直径と同じ大きさになる。
 それから……?
 それから、地球の反対側に向かって、今度は円は小さくなる。
 あれ……?
「そうか! 中よりも……、外の方が、小さくなるんだ」少女はその発見に嬉しくなった。
「あっ! そうか……それで、そこが外ってことに……?」



 最後の一文がキマっていて、私はいろんなところで何度もマネしました。

「ねえ、中と外はどうやって決めるの?」
(略)
「君が決めるんだ」



●内と外は誰が決めたのか

 自分の外と、自分の中身を入れ替える固有結界の魔術理論「世界卵」の正体はこれじゃないかと思ったのです。

 さっきまでは「内側」だと信じて疑わなかったものが、認識を広げることひとつで、瞬時に「外側」になった。どちらが内でどちらが外かは、面積の大小とは関係ない。

 いま地面に描いた円が、「狭いほうの地面を閉じ込めたものなのか」「広いほうの地面を閉じ込めたものなのか」は、一意に決めることはできない。不定である。

 この話がすばらしいのは、内側と外側というのは絶対的な基準があるものではなく、相対的な概念にすぎないということを、最強にわかりやすく例示しているところだ。

「物体をいっさい動かさずに、内側にあったものを外に出すことは可能だ」

 その方法とは「概念を変更する」
 面積の広いほうが外側だ、というのは、単なる人間の思い込み、概念にすぎない。面積の狭いほうこそ外側だ、という形に概念を変更すれば、さっきまで内側にあったものは、即座に外側に存在することになる。

「内とか外とかいうのは、人間の認識が決めている概念にすぎない」

 おっと、概念?
 TYPE-MOON世界観で概念といえば、概念のレイヤーに作用する魔術や武器。

 たとえば、切っても突いても一切外傷を受けない無敵の怪物がいたとする。
 この怪物を倒すにはどうすればいいか。

 TYPE-MOON世界観では、あらゆる物体には、実体とは別のレイヤーに「概念」が先行して存在する。
 ここでいう概念というのは、たぶんですが、「この存在はこういうものです」ということを決めている定義書みたいなもの、情報。
 すべてのものは概念が先行していて、実体は概念に沿ったかたちで、後付けで作られる。

 なので、実体ではなく「概念」を直接壊すことができる武器や魔術があれば、この例における無敵の怪物は倒せる。「切っても突いても死なない」と決めている概念をじかにぶっこわしちゃうから。

 絶対に死なない怪物を倒すには、「絶対に死なない」と書かれている怪物の概念に「おまえはもう死んでる」とでも書き込んでやればいい。「私はもう死んでる」と書かれた概念を後追いして、実体も死ぬので、絶対に死なない怪物は死ぬ。


 ここに卵の殻がある。
 卵の外側と内側は、殻によって完全に遮断されている。
 殻の内側には白身と黄身が、殻の外側には世界がある……と、みんな思い込んでいる。

 だけど、卵の内と外って、空間の広さしか違いがないよね?
 卵の殻は、ふたつの空間を遮断する機能しかないのだから、見方によっては、「卵の外側が殻に包まれている」ともいえる。
 本質的なことを問うたら、卵の中身が殻によって包まれているのか、外の世界が殻によって包まれているのかは一意には決められない。

 だから、概念を、つまりものの見方を操作したら、「世界のすべては殻の中にあり、白身と黄身が殻の外にある」という状態は作れるのである。

 魔術を使って概念をそのように操作したら、あとは実体がついてくる。


 ここに人間のガワがある。
 人間の内側に心象世界があり、人間の外側に世界がある。
 しかし、「内と外というのは相対的な概念にすぎない」。
 よって、概念を操作することで……つまり「どちらが内でどちらが外なのかは私が決めることだ」とすることで、現実世界と心象世界をまるっと入れ替えることが可能であるはずだ。

 というのが「魔術理論“世界卵”」の正体だと思います。


●なぜ固有結界は「魔法に限りなく近い」のか

 この話はもっと広げることができそうだ。

 人間のガワを卵の殻に見立てて、外的世界と心象世界を入れ替えることが可能だということは……。

 一方では「自分の外部に心象世界を展開する」ということになるが、
 他方では、
「私の内部に世界の全てがある、私が世界である」


「宇宙の中に地球があり、地球の中に私がいる」という包含関係のモデルがあるとしよう。

 でも、内と外とは相対的な概念であり、入れ替えが可能であるとするのなら。

 私と地球の包含関係を入れ替えることができる。
 地球の中に私がいるのではなく、私の中に地球があるのである。

 地球と宇宙の包含関係も入れ替える。
 宇宙の中に地球があるのではなく、地球の中に宇宙があるのだ。

「私の中に地球があり、私の中の地球の中に宇宙があるのだ」。

 すなわち私こそが宇宙だ

「内と外とは相対的な関係にすぎない」というマジカルワードは、「今ここ」と「宇宙の最深部」を、概念の操作ひとつでまったく同一のアドレスに置くことを可能とする。

 宇宙の果てに存在する私という人間と、宇宙の最深部に存在する宇宙の中心は、内と外の関係を入れ替えることによって、重なることになる。入れ替えたら、私のいる今ここが、宇宙の中心となる。

 ここは向こうである。彼岸は此岸である。宇宙の果ては宇宙の中心である。

 そして、もし宇宙の中心に「根源」があるのなら。

 私の中心に根源がある。ここが根源である

 現状、「固有結界」の魔術は、自分の周囲のかなり限定された領域にしか展開できません。
 でも、もし仮に、「人間の内と外を入れ替える」を文字通り宇宙規模で行うことができたら。

 それは根源をまるごと手に入れたことになる。
 だから世界卵の理論を使った固有結界は、「魔法に限りなく近い魔術」と言われる、なんてのはなかなか平仄があっている感じです。


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