事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

母と子の看取り看取られ

2012年06月29日 09時18分48秒 | 介護   

6月24日からは 「 まだ会えない娘に伝える看取りの家 」 となります。

 

6月22日 

退院日は27日ではないみたい。
というより、もっともっと入院させて欲しい。 
私も頑張るから、、、
私が病院に居る間だけですが母の介助は全てやりますから、、、
退院となれば、そこの 「 女の家 」 で 「 、、、 」 な、気がしてなりません。 

ただいま。

思考力、、、ゼロ。
買い物でもインスタントコーチー求めるつもりが、
封を切って、
「あっ、碾いたのだった」 ってな具合。
が、病院では危なかった「あの件」以来、些細なミスもない。と振り返る。
病室の夕刻にて母にバイバイと手を振り合っての廊下、
看護師さんたちに「失礼しますっ」と声を掛けたくて顔を探しつつエレベーターのボタンを押す。
ドアが閉まる。
ここで、、、ガタッとくる。まるで萎れたほうれん草みたいに。。。 

  

6月21日

疲れと痛みで川の流れなTwitterになってきた。 

ただいま。

病院玄関前から外気に当たる車椅子とベンチにて小さな花壇が微笑む「ローソンで何を買ってくればいいの?」なんてので始まった笑顔と溜め息の前をリハビリ中のおばあさんが療法士さんと通りかかりしな、
「あらぁぁぁっ」
「あらぁぁぁっ」
井戸端会議めいて始まった。
あとで、
「だれぇぇぇっ」 聞くと、
「観音寺の先生」
「なに? 観音寺って?」
「あんたのセンセイったいっっっ」
「??? 観音寺保育園???」
「そぉたいっ」
???
60年前の先生なんて分っかりまっしぇんっっっ!!! 

 

6月20日

睫毛が上のも下も異常に長いんです。それもキレイに生え揃ってて途切れてもいない。
腹立つ。
形見に、、、くれっっっ。 

ただいま。

? さる女優さん張りに唇が腫れてるな、と思ったら言語療法にて発声練習した後でした。
毎日の自主トレも今日は車椅子で外に出ての 「あいうえお。がぎぐげご。ぱぴぷぺぽ・・・」
昨日とは全く違って聞き取りやすい母でした。流石に療法士さんです。 

  

6月19日

夜道に自転車を使う方は茶とか黒とか着るのは止めて欲しい。傘をさしてなんて以ての外。お願いしますよ。 無灯火なんて論外。

ただいま。

癌、ではなかったみたい。大きくなってなかったから。
一~二ヶ月なんて余命ではない、ら・し・い。。。
が、急変しても毎日を懸命に生きてるから後悔はしない、と思います。 

 

6月18日

前はこうだったとかああだったとか良かれ悪しかれ思い出は白紙に戻して、新しい思い出を御自分の「その方が亡くなられた後」の人生を生きる力として、前は後はと植え付けましょう。

ただいま。

私なんて小さき頃からを思い起こせば何億回もで母を「殺してやる」って真剣に苦しんだものだ。
性根からの丁寧な言葉使いする坊ちゃんはイザとなったら母親どころか人の役にも立てないかも。現在の私を支えてくれるのは暴力団と結託した警察とも闘い地域社会を守り抜いた自負 【  朝顔  】 です。
Twitterにおける乱暴な言葉遣いだって実社会で使ったことなんてありません。所詮は二次元での「幅ある面白さ狙い、メリハリ」 だから飽きもされないで三年も続けていられる。 

  

6月17日 

ただいま。

介護される身になられた身内を同一人物と考えてはいけません。
過去の人格は変化します。
「人は変わる」たる前提で介助生活に入れば、仲も深まりますよ。介助も楽になりますよ。 

 

6月16日

昨日から雨。梅雨を感じます。

一昨日、昨日と、毎日毎日食っちゃ寝食っちゃ寝にワイワイガヤガヤやってる二人羽織が辛く寂しい思いに囚われた日はありません。
施設に入られるおばあさんを目の当たりにするのです。
前日(14日)の夕刻に「明日のお昼過ぎにお迎えがきます」と告げられたのを聞いてしまいました。 
2005年に介助に入ってから実際には初めて経験する私達の哀しみでした。

じゃ、春雨じゃ、とは言えない涙雨を躱しながら行ってきます。

 

ただいまっ、

みなさん、気をつけて。あすは我が身かも。
母と娘か姑と嫁か、週末も偶にの病院なのに長々とグダグダと説教している娘か嫁か。
見舞いという美名の下に積年の恨みを晴らしてるのか殺し屋さん。 
奉仕ならば言葉なんて無用。
手を握り、摩り、何処か痛い所はないのか聞き、兎に角、身体を動かしなさいよ。
聞けるシルエットが言の葉が、チラチラと病院全体の片隅に煌めく時間に接して癒される日々ざぁます。 
あぁ、書き忘れるところだった。病院でハイヒールをカッカッ響かせんじゃねえぞっっっ。。。 

 

6月15日

ただいま。

ちょっと聞いてくれる?
私が持ってった食べ物、
カビが生えてないか、眼を皿にして検分するんですよ。
で、納得するのか、そこから食べ始める。
で、今日、
饅頭を食べ終わったあとの憎たらしさに一言、
「あっ、それ、 賞味期限切れやった」 言うたったぁ。
もう手遅れなのに吐き出そうとする。
このくらいの楽しみはないと、やってられまへん。
睨みつけられちった(もち、買ったばかりの期限内)。

 

6月14日

昨日のことですが母の着替えを片付けていたら看護師さんに、
「やっぱり母子ねぇ」
最も傷つく言葉だ。
ニヤニヤしている母が追い打ちをかける。
あぁ嫌だイヤだ。

二年前、同じ病院に入院したときには他の患者さんたちから何度も何度も、
「夫婦?」 と言われました。
ま、それを思えば、、、良っか。
前向きに前向きに。。。 

日本晴れの朝。梅雨明けかなぁぁぁ

数時間したら今日も張り切って、病院へ行くぞっっっ

 

ただいま。

1日に投稿している野良の犬たちについて。
看護師も助手も療法士、あらゆる方達が押し並べて口を噤んでおられたものを。
どっかの心なき人間が母に囁いた。
「連れて行かれた。殺された」と。
何処にでも居るんですね。たわけ者は。 

 

6月13日

こんな 心身ともに弱り果てた実母を よくぞ利用し尽くせるものである(非公開にしていたが、今、公開設定した)→ 

恥ずかしい。情けなさ通り越して言葉もない。顔も見なかった。わずか数10分でしょう。私の居ない間を縫っての情報収集。弱り切った母に挨拶さえ無く、帰ってった。
後が大変でした。 
今日も尾を引くだろう。明日の母も、明後日も。それでも病院に行くしかありません。
無、、、いい言葉です。。。 

 

ただいま

私には二人の妹がいるが二人共にTwitterからブログの存在を知らない。
下の妹の夫に上の妹の娘は知っているが、教えてはいない。
親戚中でも親子間でも知る人知らない人で分かれている。
それほどの内容が、ブログです。
ブログから過去を知れば驚天動地である。
そして騒ぎ立てる性格の主ほどに、知らされてはいないようだ。
助かります。

 

6月12日(火)

浅はかな偽りごと、口にするようになってきました。
何処に芽生えているのか、深く自分に問いたい。
それと全てを偽りと判断せずに一個一個で動かなければ。 

今日こそ雨かな?
梅雨入りしたっていうのに、まだの本降り。
一日一日を懸命に生きて悔いを残さない己れのために今日も病院に行きます。 

 

ただいま。

私が居ない間の母は(手すりに掴まりはするが)一人で立てるそうです。
が、私相手ではお尻を少し浮かせる程度しかしない。
「できない」 と言う。
私は病院に行かないほうが良いのかな? 

 

6月11日 

胸やら背中の痛みも何だか手が二本に指が五本づつ有るのと同じような普通が人間の身体みたいに思えてきました。

ほんじゃ、行ってきまっする。

 

ただいま。下の妹が病院に来ていた。開いた口がふさがらない、、、

 

6月10日

錠剤の痛み止め、効かなくなってきた。 
さ、今日も元気に行ってきます。

 

ただいま

本日の母子漫才。
夕食前にコルセットを外してのトイレ介助にて終わった後でリハパンを引き上げ、パジャマをきちんと着せてあげている時、
「チチ触ったら痛い」
「どこが腹かチチか分からん」 

 

6月09日

また膵臓が痛い。座薬の世話にまでならなければいいのですが、錠剤の痛み止めを今日も飲んでっっっ、と。
今朝は少し早いけどPC閉じて、いってきまぁぁぁす。

 

ただいま

母と啓子さんとをダブらせてこの身に刻む病室、今日もほぼ平穏な一日でした。
どんどん調子づいて勝手な振る舞いが目立ちだした母、、、振り回される私が居るだけ。 

 

6月08日

母が私にだけオシッコを浴びせる理由が判明。
脇の下、感じるらしい。
はぁぁぁっ?
疲れる。
寝るっ! 

 

6月07日

偶然の一致でしょうが病院側でもコップ類の殺菌処理をされた。
私はそれ以上に考え行動しなければならない。素人なんですから。
家の水回りにゴキが出没したから退治に走っていたし、まな板から包丁などは以前から熱湯処理までしていた。
私には大丈夫でも母にはダメとなる、として。
病室でも除菌スプレーは使っていた。過大評価してはならないのが、この手の商品でしょう。
食器洗いのスポンジが、箸、スプーン、ストロー、タッパ、、なんでも気になりだした。 
今日は徹底的に殺菌してやる。 明日からも気を抜かずに。
どんな方法が良いのか看護師さんに相談してみようかな。 

行ってきまぁぁぁすっ

 

6月06日

母を母とは思っていません。思ってはいけないと考えます。
対等です。
昔の話も出なければ哀れみもない。
涙どころか湿っぽくもない怒りに喜びは明るき大気に包まれる。
こうなった原因から結果もない。
年がら年中ケンカしている。
与えられた世界を二人で共に、友に生き抜く心は静かに熱い。 

 

6月05日

昨夜は下痢だったそうな。「貝柱が悪かったとよ」 言われた。
この前は「じゃこ」と言われた。
「はいはい。みんな私が悪うございます」

 

6月04日

家に引き取ってから 「やっぱり無理」 だと喧々囂々の末に施設に送り送られと、逆に施設から 「最期は家で」 と引き取り引き取られとでは、、、
ただ、施設の実態を私は知らない。想像の域を出ている凄惨さでしょう。
最後に、病院では家族に引き取られる退院後を前提にリハビリが組まれます。ここで、だからと自分を追い込んではいけません。御自分に正直に事前に病院側と相談されるべきです。そのための専門の職員も抱えて居られますから。
病院にとって最も困るのは、引き取られてからの後悔が生む病院への相談でしょう。手遅れですよ。すでに病院の仕事・責任を離れている。 

己の第一に考えるべきは将来在る身を守り育てねばならない血。
他の謙譲語から尊敬語の向こうに観える心。 

 

23:22 from ついっぷる/twipple 
何時かの母子漫才、、、摘便(肛門に指を差し込んで取り出す行為)で母のアソコ等に片手を差し込んでた看護師さんの一言 「どこか分からなくなった」 私の手を驚くほどの握力で握りつぶそうとしていた母。「こんなに力が有るんなら足腰のリハビリもっと頑張ってもらわんと」

 

6月03日

おはよう

優しさも激しさも本気で本音でぶつかり合え無い親子ならば、引き取るのは躊躇するべきでしょう。
特に連れ合いが居る家では。嫁入り前から出戻りが居る家族では。
ヘルパーさん任せのおむつ交換では、帰った夕刻から来る朝まで、休日はどうするのですか?
私でもおむつ交換は未経験です。リハビリパンツでの失態を始末してあげたのが何回か有る程度です。
それでも強烈なのに、毎日で深夜で何度でもが何年何十年で続くのか読めない生活に突入するのは、、、、、おむつ交換の日々が来れば想像を絶するであろう、と私は覚悟しているし出来ている。
長男だろうが一人っ子だろうが自分しか面倒をみる人が居ないとか、関係ない。
看る方だけでなく、看られる方の心苦しき心理的負担もあります。
そのために施設がある。施設選びに努力を尽くし顔を見に行くドライブも選択肢の一です。
笑顔は全員で共有しなければならない。 

さ、今日も喧嘩しに行ってきまっすぅぅぅ

 

ただいま

病院で毎夕出会うのに挨拶を返さぬ奴等がおる。
どうしてくれようか。 

 

6月02日

ただいま。

野辺の送りへの前に介護が必要な歳月は男性で九年、女性で十二年だそうです。私みたいに独り身なら自分一人での決断力で済むが、連れ合いからお子さんとの同居の家庭においては世間体などに惑わされることなく、取捨選択にて同居家族を守る勇気を持って欲しい。特におむつから寝たきりへの変遷は介護半ばでの挫折を招き何もかもを地獄に落としかねませんよ。

昨日の体重は、38。
1.4増えました。良かった。一昨年の退院からで増えたのは、初めてです。
療法士の女性たちが一所懸命にやってくれてます。ありがたい。
一にリハビリ、ニに運動、三にも身体を動かさんとおやつ、持ってこんぞっっっ、と。

病院に着いた時が最も忙しい。
あっち片付け、こっち洗って、そっちはそっちに持ってって、と。
ネズミが如くに動きまわる影にソッポ向いたまんまで、
「あんたも忙しかねぇぇぇ」 笑ってやがる。
悪魔めっっっ。 

 

6月01日

愛宕山から野良の犬たちが消えた。 

 

5月31日

昨日は危なかった。
基本から初心を忘れず、ひと月後は忘れて、
今日を生きよう。 

 

5月30日

「今日は何があると?」
にこにこしながらおやつを聞いてくる。

背中をクイクイと揺り動かす。
「なんね、背もたれするとね」
頷く。
楽に座れるように工夫したベッドを要求してくる。

私は奴隷。 

 

5月29日

病院の夕食は六時です。
昨日から夕食に加える食べ物に翌日のおやつは近所のローソンへも走るようにしました。
食事、薬を飲んで、歯を磨いて、箸にスプーンやらエプロンの洗い物、化粧水から乳液を、トイレに連れてって、
ベッド周りを片づけ、夜勤用にと確認します。
これで私は家まで10分の道を帰る毎日です。

さ、今日もガンバロウ。

 

帰りました。

啓子さんっっっ一大事ですっっっ
大変な事実が発覚しましたぁぁぁ
うちのバァバが小水を掛けるのは、私だけらしいんですっっっ
看護師さん達の介助では行儀良く便座に腰掛けてから、シャッするらしいぃぃぃ
なんでだぁぁぁ

初めて自分からリハビリすると言い出す。
目立たない廊下の陰となる場所で、
手すりに掴まって車椅子から一人で立ち上がり、
足元を固めてから手すりを離して一人で立っている、
手すりに掴まり直したら五メートルほどを一人だけで歩いた。

今日まで、おかゆだった。
明朝からは、普通に炊く御飯との中間となる柔らかめ(呼称失念)御飯に変えてくれるように頼んで帰路に着きました。 

 

5月28日

病院に着くなり、
笑顔、笑顔、笑顔、
加えて、
「(わたしは)車椅子でトイレに(連れて行ってあげます)」
言われちゃった。
ごめんね、気を揉ませて。
昨日投稿した看護師は特定できてますから。
だから可愛い子はどんどん可愛く綺麗になってくんですね。
あなた達ではありません。 

母の車椅子に轢かれて足の爪が剥がれました。
「靴、履かんね」
「ションベン掛けられるから足を洗わないかんとよ」
「タオルまで首に掛けてからルンペンのごたぁ」
今日は2回もトイレ掃除しました。 
正に踏んだり蹴ったりな一日です。 

 

5月27日 

さ、台風を見に行くかな。
普段通りの職務を望みます。 貴方と過ごした5月26日(土) と関係付けられてしまいますよ! 
言い掛かり、まであったが。喧嘩売られてるのかな?

 

10:36 from ついっぷる/twipple 
私は、私達母子の病室しか投稿しない。過去も、これからも。 それはそれ、これはこれ。行ってきまっすぅ

 

たらいも

私が病院で気をつける日常の其の5

「こんにちは」 に出会い、
「じゃ、あとは宜しくお願いします」 で帰路に着くまで、
挨拶です。
特には、「すみません」 と 「ありがとう」 加えて、会釈。
些細な触れ合いにも、
「ありがとう」 「有難う」 「アリガトウ」 声の調子を変化させる。

そのものを取り上げたりはしません。
これだけで修復できる。メッセージとしたTwitter活用術の一だ。
雨降って地固まる。 

母には、
生き抜いた満足感に裏打ちされての笑顔
で、逝かせる。

母がポータブルトイレを嫌う多くの理由の一には、尻が便座にハマる、ってのもあります。
車椅子でトイレに連れていく手間暇が嫌いに邪魔でなければ、母に従ってください、ね。若干一名の日勤の看護師さんへ。 
今朝にメッセージを投稿する前の事件だからね、許す。待ったなし、の息子より。 

 

20:33 from ついっぷる/twipple 
本日の母子漫才、、、手で食えば良いもんを、フォークだと。ちょっと具合が良くなったと思えば、これだ。オレの仕事を増やしやがる。皿を下に持ってったら、睨まれた。で、「あんたは零すってぇ」 ポト 「ほら」 「うふふふっ」 気持ち悪っっっ

20:37 from ついっぷる/twipple 
(続き) また別ので。半分にフォークで切ったら、その半分をクズに近いのまで綺麗に食べた。んで残り半分はといえば、、、「いらん」じゃと??? 意味ねぇじゃんかぁぁぁ。結局、捨てた。

20:51 from ついっぷる/twipple 
本日の母子漫才。。。まだ声に張りがないっ。何度も聞き返す孝行息子に、「あんた補聴器買わんね」 じゃと。くそったれがぁぁぁ

 

5月26日

オシッコ、ウンチ。これらの「したい感覚」は有る母です。
だから、おむつからも解放されてのポータブルトイレへと移行できるのです。
待ったなしなのは以前と同じですが。
昨日も座るやいなや、チョロチョロチョロ、、、
去年に経験した八ヶ月間が甦ります。
今日からは、また手どころか顔にも浴びせる日々の再来なんでしょうね。
そろそろ引っ掛けられに行く準備せねば。 

 

ただいま

熱くなって来ました。理由は 貴方と過ごした5月25日(金)
ナースコールを押したがらなくなった母です。何故だ! 
私には重箱の隅を楊枝でほじくる言動で向かってくる数人が突如として出現しだした。 

  

5月25日

病院に行くのか庭仕事でもするのか、なんだかわかんない見てくれになってきた私です。
ま、首に下げるか頭に巻くかしているタオルを取れば良いんですけどね。

さ、今日も頑張らんば、、、 

 

ただいま。

母は私が持ってった「おかず」を食べます。病院食って味を見るのは私。
職員の方がトレーを片づけに来られて、母が食べた量をチェック表に記入されます。
?????
私たち母子は職員の退室を只々俯いて待つのであった。 

一ヶ月後には退院しなければなりません。
今日からリハパン、ポータブルトイレへの練習を始めました。これには 【 病室の母 】 にて十分な経験ある。お手の物です。
あと一ヶ月以内で、去年の七月六日の退院時の身体に戻してあげる。
それまで、保てよ、オレの身体。 

今日は母の誕生日でした。八十八です。
花束が菓子が、、、
仕事が増えまくる。 
椅子を出し、コップを洗い、冷蔵庫に入れ、置き場所に悩み、再びの水やり始まる、、、
「ありがとうございました」 空々しい言葉で見送る。 

 

5月24日

母の病室が下の階に移ったんですが、看護師からの自主的な見回りが、私の居る間には一回も、、、無かった。
漏れ聞こえてくる他の患者との看護師の会話にも不信感を抱いた。
何か意図するところが有るのか、あの階には!
三途の河へと突き放された患者の行かされる船着き場なのか?何があるのか!
母に尋ねても上の階とは違い、「・・・・・」と答えた。
気になる。はっきりさせねばならぬ今日の息子だ。

さ、今日も頑張るゼ。。。 

 

今日は初めてストローなくて飲めた。
今日は初めて車椅子で動けた。
今日は初めてリハビリ室でのトレーニングでした。
初めて尽くしで気持ち佳き日でした。 

さ、明日は百メートル走だ。

 

5月23日

本日の母子漫才。。。「さ、自転車漕ぐよ。おぉ、やれば出来るやないね」「おしっこ出てきた。ジョージョー出てきた」

これより少し前、お気に入りの◯◯さん(療法士さん)が治療してくださった部位でした。見違えるほどに回復してくれるのです。

母の一日は私の一年に相当するのではないだろうか。

初めてベッドに横座りしての夕食も摂れました。一分程度ですが、立てました。

佳き日です。◯◯さん、ありがとう。
疲れも痛みも吹っ飛びます。 

 

5月22日

一歩先も真正面で望む
一面の銀世界ならば目も眩むだろう
円窓の静けさに求めたい
二歩も遙かを観る

 

5月20日

なんか大変な母子になってきました。
鹿屋基地から飛び立つ特攻隊員みたい。 

 

5月19日

正月明けに通った病院でも痛み止めをくれたんですが、座薬なんです。恥ずかしくって使えません。
座薬っていっても、座って飲む薬ではないんですよ。
夜に耐えられなくなれば救急車を呼びなさい。とも女医先生に言われましたが、そんな大袈裟な。
今日の痛みは胸から恥骨の内部にまで下がってきた。
もう恥ずかしくって尚更診察に行けなくなりました。

そんなこと言ってらんないっ。念の為に、この座薬は病院の冷蔵庫で準備させます。

しかし、昨日まではパソコンへと椅子に座っている状態ですら苦痛だったのに今日は恥骨右奥がチクチクするだけで楽です。

 

5月18日

昨日は母の病院に着いたと思えば、すぐに私が激痛に襲われました。
一階の外来で痛み止めを打ってくれましたが、二時間しか効かなかった。 
オシッコは限りなく原液なイソジンが色。 

それまでも1~3月の通院時でも正常値だった血圧は160にまで跳ね上がってた。

今日から母には「立つ練習」が始まる予定だったんですが、無理でした。
もう、立つ筋力さえ残ってはいません。
私に元気があれば母子で頑張れるし、その自信もあるんですが今はどうしょうもありません。

リハビリしてくださる療法士の方々には立ち入れない領域があります。
もし、もしも何らかの事故でも発生すれば個人から病院の責任問題になりかねない。
が、私ならば八ヶ月でもリハビリの講習から受けた経験者ですし、なにより母の性格から熟知している。ヤル気にさせられる。 

まず、この身体を、元に戻さねば。
立てれば、歩ければ、おむつともサヨナラできる。
母子ともに立てなければ、そこで終わりだ。

明日の母は私の回復次第です。

 

5月17日

「ぬいぐるみ」は、少ないお小遣いから買ってくれたものらしい。
他に欲しいものは沢山あったでしょうに。それに、あれ、安くはない。
椅子に座って母を見守ってくれるようにしました。 
 
割れ物ではないのが救いです。
今の母は、おむつ着用の寝たきりです。
ベッド上は当然のことながらベッド周りも整理整頓が家族に求められます。
特に夜勤の病院職員は段取りを重視される。少なくなる人員で16時間を戦わなければならない(2日の休みに充当される週に一回の勤務。働きやすい職場だと評判です)
 
水は落としても溢れないフタ付きのもの。
安心して働けない環境を家族が作ってしまえば、あとひとふきで患者がもっと気持ちよくなれるお尻でも知らず知らずについ手を止めてしまうかも。
 
病室内で最も困る物の一つは、孫やら家族の写真スタンド。倒れやすいし、ガラスだ。どうしても持ち込みたいのならアクリルにすれば良い。
そして、これらの困り物に病院側としては、待ったを掛けにくい、ってのが在る。
家族は、そこを読まないといけない。
 
信頼関係の醸成です。

 

5月16日

困った見舞い客がいる。
猫のぬいぐるみにナースコールを首輪にしてベッドの母に添い寝させている。
それも、「お昼寝」「おはよう」とか勝手に喋る。 
勘弁してよぉ。 

 

5月15日

注文していたコルセットが届きました。今日から着用です。
食事時の着脱からコツは覚えたつもり。 

 

5月14日

去年のリハ病棟とは異なり、今回の内科病棟ではピリピリしている。
Twitterが浸透している。
よしっ、頑張れっっっついっぷるぅぅぅ 

逆にわざわざ病室に私を見に来て破顔一笑する看護師さんに、人、人。
階段で擦れ違った私服の女性はハッとして振り向いたままニコニコ笑いながら私を見続ける。ヒゲ坊主って風貌から公開している私ですからね。 
この手の女性陣はみな若くて可愛い。昨日投稿の女性達は少々お年を召された方たち。 

36.6、、、なぜだ。

 

5月13日(日)

母の日。
毎日、母の日やってますから今日は、私の日、お休みしていいのかな。 

先生から看護師さんに、お願い。
普通にしててください。
私とは目を合わさないようにしてるとか、バレバレですよ。
誰と誰がTwitterでの私を、知ってるって。
私だって、母に関する会話しか、しないでしょ。 

 

23:13 from ついっぷる/twipple 
母に、うがいを勧めて下さった看護師さん、ありがとう。あたいには何やかやとゴチャゴチャ五月蝿いババァも貴女たちのご指示には私を罵って指図してくれます。うれしい。

 

5月12日

虚しい。 

昨日あたりから痰は絡まなくなったみたいです。良かった。

私の好きな言葉、、、吾唯足知。。。

 

5月11日

38にもなった原因が判明!

・・・・・

私も正月明けの半月で72から58へと一気に痩せました。もう随分取り戻せましたが。
母の48からの38はコツコツと介助するしかありません。原因を荒げても体力が付くわけではないから。 
寂しさが募ります。 

そして、また、繰り返されるのでしょうが、
私は私で自分に出来る時間と体力を捧げます。 

共倒れになりそうな、予感も払拭してやります。

 

5月10日

【 病室の母 一覧 】 この女の家での介助を選択した九ヶ月で10キロも痩せている。
体力が、ない。痰を出す力さえ、残ってはいない。頑張って、やっと唇から覗かせてくれる。何回も繰り返すのです。
夜中にも頑張った形跡が見れる私が病院に着いた時には、なんです。
どうすれば取り戻せるのか。頭痛い体力です。 

ヘルパーさんから、家族の女たちだって三人も居るのに、、、何やってたのか!
48が38にも落ちたら、もう、どうする術もないのでしょうか? 

 

5月9日

必要なのは肌触り良きテイッシュではなく切らさない心配りだ。我が家の女どもは何故わからない安物なのか。

顔は昔と余り変わらなく感じるのに、身体は、まるで食い終わった手羽先。これを放置して対策さえ練れなかった女どもは、、、 

病室の母 6月17日-7月6日 から分かっていた。母にも確認した。本人が、それで良いと言う以上、と、私も黙った。
結果が、私に頼る今。本音は「だから忠告しただろ」。
でも、その一言が、それが、言えない。
たぶん、言えないままに女どもは押し付けるのだろう。
でも、私には「押し付けられた」意識は絶対に生まれない。
喜んで、介助する。 

 

5月8日

昨夜は夕食前の僅かな酒で酔っぱらい、とうとう食事も摂らずに寝てしまいました。こんなの記憶にないくらいです。今朝起きてみると放ったらかされた支度が寒々しく泣いている冷たさ。 

 

5月7日

病棟の朝顔って廊下からは入りますが通路に設置されてるんですよ。
真横はT字路での洗面台で鏡には私の立ち姿が、ばっちり。
歯を磨く若い女性のパジャマ姿は隣りの鏡です。
この背中では看護師さんが平気で通りすぎていきます。 
あのうぅぅぅ、、、
流石に恥ずかしいんですがぁぁぁ、、、

ま、介助が必要な男の入院患者さん用のトイレらしいんですけどね。 

 

5月6日

見舞い客のマナーについては既に投稿済み。
が、自己満足から通過儀礼に冠婚葬祭の先へと患者を無視した果ての自己等家族を売り込む態度と所要時間は我慢できない。
寝たきりの母の介助に掛かりっきりの家族には、手間かかるメロンに花、お返しを考える見舞金なんて迷惑です。果物も母に食べてもらいますが、それは私の時間の作り方で、なんです。食べごろから何まで強制される日にちも病院内で全て行うのは苦痛です。
特に花はベッド周りを看護師さんのためにも片付けておきたい身としては、これ以上の邪魔になる物はありません。何より、危険なんです。

全治何ヶ月なんて簡単な入院ではないんですよ。
今、訃報が入っても不思議じゃないんだ。

少しづつ投稿する。具体的に。。。 

昨晩は疲れ果てました。今夜は早く休みたい。

 

5月5日

依然として寝返りも打てない。そこから介助が求められます。

お見舞いに来て下さる方へお願いがあります。喋ったあとには、タンが絡まり苦しむのです。貴方がたが帰られてから一時間後くらいからでしょうか。
見掛けより、ずっとずっと、安静に、を求められている母です。
お願いします。わたしを読んでくださいませ。 

 

5月4日

日々、お天気みたいに変わります。
今日は起き上がり、ベッドに座る練習まで一分程してくれたのですが、腹立ちます。
夕食になって、
「起き上がれん。痛い痛い」
挙げ句に、
「寝たまま食事する」
おかゆをスプーンで口に運んであげると、
「熱い。フーフーせんね」
夫婦ではない、と睨みつけてから、
「起きて食べようね」

言うこと聞いてくれました。 

 

5月3日

今日はタンの吸引器が枕元に備え付けられていた。
三日くらい前から少し苦しんでいたのです。
なんだか急変しそうな悪い予感がしてなりません。

吸引は鼻と口から管を入れるらしい。
「苦しいとよ」

わたしが怒られました。 

 

5月2日

まだ一週間。それも一日5時間の介助に過ぎないのに身体が悲鳴を上げている。とにかく、きつい。
正月明けに患った膵臓系の病が顔を出す。
これからもっともっと身につけなければならない技術が控えているのに。
それにつけても車椅子と寝たきりでは天地の差がある介助、介護だ。 

 

5月1日

なんか、おかしい。このところ、頭ん中が、ふらついてた。今朝は歩きから、ふらつく。こんなんで母の介助なんて出来るのだろうか。とにかく母の病院まで行く。で看護師さんに抱きつく。。。

今日の母の体重、38キロ

 

4月30日

あ、、、無理に腰、動かすなよ。ナースコール、あなたは鳴らさないって私が苦情受けて困ってんだから、、、鳴らしてよね。そこに、あるでしょ。。。

休日は看護師さんも少ない、ってのは、痛い痛いって若い女性に甘えるジジイへの苦言。本当に看護師さんに助けを求める貴女には関係ないんだからねっっっ

私が今春に膵臓癌の疑いで通院した原因は食生活でした。去年7月の母の退院と介護からの解放感が堕落の原因。豆腐に野菜を勧められました。まだ、、、

一昨年の10月に脳梗塞で母が搬送された最初の病院では、一部のフォロワーによる私への闇討ち未遂事件が発生した。待ち構える車も確認している。次の病院でも送迎車の運転手から、、、母を看取った後なら幾らでも相手してあげるから、それまでは待ってください。。。お願いします、、、

 

4月29日

20:11 from ついっぷる/twipple 
本日の親子漫才。。。「(死の)病棟で『痛い痛いとか騒いでるの、みんな男やね』」、、、「辛抱が足らん」

20:21 from ついっぷる/twipple 
本日の親子漫才。。。「甘納豆が食べたい。掬って取るやつよ」、、、「栗きんとん」。。。「なんね、栗きんとんまで食べたいとね」。。。「(おむつが)食い込んどぉ」。。。(はっきり言わんかいっ)

20:45 from ついっぷる/twipple 
本日の親子漫才。。。「あんた3月9日に検査入院からの退院したばかりよ。(この病院に)住民票移そうか」。。。「(右の腰を押さえ、笑いたいのか痛いのか)全てが生まれ持っての歯を剥き出しに笑ってくれる」

  

2012年(平成24年)4月27日

午前8時30分頃に女の家でトイレに立った際、転倒して救急車で以前に入院していた病院に搬送される。滑る靴下を履いていた。
骨折はしておらず、右の臀部に打ち身だけだったのは不幸中の幸いです。が歳が歳。背骨まで圧迫していた。
寝たきり生活の始まりになりました。
弱々しい。覚悟しておかなければなりません。 

かなりパーキンソン病が良くなっている。近所に居られた専門医の女医先生に感謝します。有名らしい。休診日には自宅へとも来てくださるのです。

去年七月の退院時には46キロあった体重、今は39キロ。

 

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パーキンソンに加えての、2005年の転倒から、2010年の脳梗塞を経て、2011年7月10日まで 【 病室の母 】

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