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昨日17日「阪神淡路大震災」から20年を迎え、兵庫県内の神戸や主だった被災都市で追悼行事が行われた。兵庫県では10年ぶりに天皇・皇后両陛下をお迎えして兵庫公館で災害関係者代表が出席し追悼式が行われた。会社の定年を4ヶ月前にした平成7年(1995年)1月17ひ未明の6時前、強い地震で目を覚ました。当時は一般には携帯電話やPCもなく情報通信はTV・ラヂオと新聞だけで震源地や被害状況を知ったのは数時間後のことだと思う。昼頃にはTV各局は震源地は淡路島北部(あるいはは瀬戸沖の明石海峡を震源として、Mj7.5の大都市の直下型で広域都市だと番組を変更し終日放映した。
映像の被害状況は爆撃で壊滅した以上で初めて観る神戸市の光景で上画像は30年ほど前甲子園にから大阪や神戸へ自家用でよく利用した国道43号線で上を走る阪神高速道が倒壊してる映像は大変ショックだった。
(TV画像引用)
昨朝はまだ暗い5時過ぎ目が覚めTVをつけると毎年東遊園地の追悼儀式が放映された。今年もまた災害追悼に多くの人がまだ暗い追悼の祈り集まっている。
14時ころから2回目の追悼行事が始まるが祈りささげ、神戸市役所2Fには震災時の神戸市9区のパネル展があり、そちらに行って震災時の主な写真を撮ってみた。
写真を見ても被害状況がよくわかる。特に生田神社が倒壊した写真は初めてみる画像だった。市役所の24F展望台から見る20年を経た光景は10数年間の短時間で復旧している。だが、家族を失った人の悲しみは永遠に消えることは無く、さらに復興住宅の高齢化の問題が残っている。
街が綺麗になった神戸市に4年前に移住してきたが多くの犠牲者と国や兵庫県や全国のボランテアで復興された街に住むのは微妙な気持である。 『阪神淡路大震災』は政府の「危険危機管理体制」と国民の「ボランテア精神」の元年として生き残っている。我輩の定年は平成7年の4月だがその年の3月「オウム真理教の地下鉄サリン事件」が発生しして20年になるが、いまだに解決してない。
高速道路が倒れている姿を見たときの驚きは今でも印象に残っています。
今の神戸を写真や映像で見る限り、震災にあったことなど感じられません。
でも、色々問題があるようですね。
毎年の事ながら、大倉山の鹿児島県の慰霊碑で追悼式に参列し、東遊園地にお参りするのが年中行事になりました。 今年は例年になく多勢の人出でしたね。 災害の無い日本であって欲しいです。
私の会社の社員も1人下敷きになり亡くなりました。
悲しい悲しい、大惨事でした、写真を拝見しまして、今日の事の様に思い出しました大変な出来事でした。
私の家も、震災後建て替えました。あれから20年大変だったけれど、あっと言う間に今の神戸の町並み、になりました。
皆悲しいけれど必死で、復興の為努力を惜しまなかったのだと思います。綺麗な町に成りました、私たちの役目は何なんでしょうか、後世に言い伝えなくては成らないのだと思います
見かけは立派なビルが建ってもコミュニティーが崩壊してしまったり、商売がだめになってシャッター商店街になったりして、なかなか100点満点とはいかないようですね。
おかしいと思いながら、金のために無理やり区画整理を行った北村芦屋市長の回顧インタビューが印象に残りました。
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生まれて初めて観る大災害の映像大変ショックでした。
その後もスマトラ沖や東日本大災害の映像も吃驚です。昔の三陸沖の津波はチョン髷頭の住民が流されている絵だけでしたが現代は映像です。
世界最大のスマトラ沖の津波も映像でしたがそれでも信じがたい映像でしたが三陸沖の津波で津波の恐ろしさを実感しました。
東電の原発放射能問題で被災地の復興が妨げられています。
早期の復興を願っています。
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一昨年でしたか神戸大倉山市民公園で阪神淡路大震災の「兵庫薩摩県人会」の犠牲者の慰霊碑みてきました。大変立派な物で薩摩人の郷土愛に感服しました。
今年の追悼行事は東遊園地や三宮界隈の地上や地下街は多くの歩行人でした。
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震災後の家の建て替え大変なことです。ご立派
神戸の大都市震災の復興は驚くべき早さの復興で世界は称賛されています。
我輩の人生で昭和38年の「北陸の豪雪」だけでその時の家は鉄筋の集合住宅でしたので除雪の必要もなく、ライフラインが復旧を待つだけでした。
神戸の中心部は綺麗に復興してバリアフリーも十分です。
そんな綺麗な街に住んでから満4年となりラッキー感で一杯です。
数年前の記録ですが神戸は「世界で一番住みやすい街」ランキングで25番目だとのネット記事を見た事があります。
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大震災後の完全復興、復旧そんなものは無いと思います。
大正12年の関東大震災の復興は明治政府以来のの強力な行政主導の復興計画で成し遂げられ、当時の近代都市として復興し戦後の東京大空襲でも同様です。
その復興の街に地方には職が無くなり東京集中都市として現在も行政の悩みとなっています。
東日本大震災後の復旧は原発の処理問題で難しいようです。
何と言っても災害で家族を失った方はその悲しみと思い出は永久に消えないでしょうし、神戸では復興住宅に入居しても高齢化による独居家族となり孤独死が増えておるようです。
街は綺麗になっても「心のケア」は進みません。
何時、何処で起こるか分からない日本の自然大災害、大阪府と大阪市の「大阪都構想」は東京の首都機能のバッアップ都市として少し前へ進んだようです。